第12話 命の水

ワイン運びの仕事がなくなったからと言って、暇になったわけではない。


とりあえず自分の食事や家の掃除を済ませ、父に言われた通りにお得意さんの居酒屋を回って古樽を回収する。

回収するにあたり、この度の騒ぎの謝罪と(私が謝ることなんて一つもないんだけど)今後とうぶんワインの配達ができないことも説明してまわることになった。


すると行く先々で

「親父さんたちはどうしたの?」

と聞かれる。


父たちは本当に周りの誰にも何も言わずに旅立って行ったらしい。

その尻拭いを娘に押し付けて。


「まああの人たちは仕方ないよ。カレンちゃんも大変だね。」


と同情の目を向けられ、これでも持って行きなさい、と古樽の載った荷台の中に野菜だの干し肉だのをたくさん載せてくれた。

もう樽の回収に行ったんだか食料の買い出しに行ったんだかわからないような荷台をガタガタ言わせながらワイン蔵へ向かう。

古樽はいつも回収してるけど、今回ほど軽いと思ったことはない。


やっぱりワインあってこその人付き合いだったんだな。

と身にしみた。


はっきり言ってワインなんて飲みものはなくても生きていける。

水があればいいのだ。

だけど、ワインを目の間にして暗い顔になる人なんていない。

みんなワインを見れば口元が綻び、ちょっとだけ、なんて言いながら口に含む。

もちろん飲み過ぎはダメだけと、仲間と仕事終わりにワイワイやる、楽しいひとときを過ごして、明日の糧にする。

ワインはそういう力のある飲み物だ。

私はそういう飲み物をみんなに運ぶ仕事をしていた。

面倒くさいなと言いながらも、結構それが楽しくてやりがいになっていたのだ。


とりあえず回収してきた古樽を蔵へ入れて並べる。中身の洗浄については色々準備が必要だから、もう少しお得意さんを回って、数が揃ってからやろうかな、などなどいろいろ考えていた。

時間はたっぷりあるのだ。


と、荷台に戻ると、載せておいたはずのいただいた食料がない。

すわ、泥棒かと思ったがそうではない。すぐ隣にあるヴィンナ亭の厨房からいい匂いがしてくる。

きっとキースだ。


そう思った途端に、肩の力がどっと抜け、お腹がぐう、となった。

空を見ればもう日が傾いている。風がどことなく冷えてきて、今日という一日を終わりにするための頃合だと教えてくれていた。


「こら、食べ物泥棒はよくないぞ。」

と冗談まじりでヴィンナ亭の厨房に顔を出す。

「美味しいものに加工すれば、罪には問われないよ。」

とキースはニヤリとした。

ヴィンナ亭の厨房はカウンターのすぐ内側にあり、少し顔を出せばカウンターからも料理人の顔を覗くことができる。


私は厨房に吊るされている干したハムを勝手に薄く削ぎぎりし、おつまみにするべく皿に並べた。

そしてワイン樽の残量を確認し、二人分のワインを注ぐと、キースの手の届くところに置いた。

「まだワインあるね。」

「ああ、あと倉庫に1つ。二人で飲むなら一年過ごせる。」

と、キースは私の注いだワインに口をつけた。


私が二台で積んできた食材はわずかの時間にヴィンナ亭の厨房に持ち込まれ、調理されるのを待っていた。すでに鍋には季節の野菜がつめこまれたポトフが煮込まれている。

キースもきちんと親父さんやおかみさんからいろいろなことを習い、自分のものにしている。私から見れば一人前の酒場の主人だ。

やがてキースは鍋の中から色が変わるほど煮込まれた葉物野菜をすくい、形を壊さないように盛った。口に入れただけで噛まなくても飲み込めそうなほどトロトロになっている。

トレイにポトフの入った器と食器を置き、

「お袋に届けてくるから。」

とキースは言って厨房の裏口から外へ出て行こうとした。

おばさんが寝ているであろうキース達の住居は外にある階段を登った二階だ。

「おばさん、まだ寝込んでる?」

「寝込んでるっていうか、眠れないみたいだ。」

しっかり煮込まれた野菜を持っていこうとするところを見ると、食事もまんぞくに撮れないのかもしれない。消化のいい料理はキースの優しさだ。


「ちょっと待って。」

と私は小さいカップに一口分のワインを注ぎ、トレイに乗せてやった。

「こんな時?」

「食欲増進と、睡眠効果。血の巡りも良くなるから薬だと思って飲んでもらって。うちのワインはおいしいから、きっと大丈夫。」

そうか、とキースの眉尻が下がった。

「ワインって、楽しい時に飲むためだけのものじゃないもんな。」


そんなキースを見て、自分の中では自然とやった行動に気付かされた。

そうだ、ワインは乾杯するためだけに飲むものじゃない。

嫌なことを忘れるために酒に頼り、酒に飲まれてしまう人たちも今までに何人も見てきたけど、その時だけなら、一日でも眠れるのなら。

頼ってもいいんじゃないか、その力に。


「おかみさんのこと、頼んだよ。」

と私はキースを促した。

キースの母親なんだから、私が頼むっていうのも変な話なんだけど。

うちの親よりよっぽど親らしいキースのおかみさんは私の母親も同然だ。自分の母親より心配している。


キースはトレイを持って裏口から出て行った。

私は一人店に取り残され、干したハムを摘んだ。

それからピアノを振り向く。


弾こうか。歌おうか。

天井を見上げた。


私はピアノの蓋を開け、できるだけ優しい、子守唄のような曲を弾いた。

ような、というのは旅で回ってきたお客さんが弾いていたのを勝手に耳で覚えて、勝手に弾いているので、曲名も何も知らないのだ。

左手でやさしいアルペジオを弾き、右手はシンプルな旋律を弾く。

複雑な和音は必要ない。おかみさんが安らかに眠れるように。


一曲弾き終わり、二曲目をどうしようかと思っていると、キースが戻っ的て

「お袋、食べてくれたよ。」

と言った。

「ワインも?」

「飲んでくれた。これでちょっとは眠れるだろ。」

トレイを持って帰ってこなかったということは、おかみさんは今頃ゆっくり食べているのだろうか。


と、キースは次の器を持ち出し、私たちのぶんを盛り付ける。

こちらはウインナーなども盛り付け、さっき私がもらってきた食材の中からパンを取り出し、輪切りにして添えてくれた。


結構お腹が空いていた。

料理が上手な幼馴染みがいてくれて本当によかった。


私たちは改めて、カップをワインで満たすと、そのカップをお互いに当て合い、食事を始めた。


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