第10話 国王の天幕4
カレンが天幕を去った後、ライツとミリガンは、サッと後ろを向いた。
そこにはフードを目深にかぶった、魔術師にでも見える風貌の男がいた。
ライツは横目で天幕の入り口の向こうに誰もいないことを確認し、その男に声をかけた。
「これでよろしいですか、陛下。」
男はフードをあげ、その美しい金髪を揺らしたが、表情は暗く、下を向いたままだった。
「全く、気軽に側女なんて言うものではありませんよ。後始末をするこちらの身にもなってください。」
ライツが一つため息をつく。
この天幕も早々に引き払わなくてはならない。
ライツとミリガンは書類や筆記用具の整理整頓に入る。
国王が暗い顔のまま突っ立っていてもお構いなしだ。
無遠慮というか、長い付き合いにおける信頼感ともいえる空気がある。
「左様です、そもそも陛下がお忍びで街を出たことが始まりなんですから、きちんと反省なさってください。王太子の頃とはお立場が違うんですよ。」
と、ミリガンも言う。言葉遣いは丁寧だが、内容に遠慮がない。
「御命を狙われたと聞いてこっちは大慌てでしたのに、突然大きな声で『いいことを思いついた!』って叫ぶんですから。」
「その思いつきについてはこちらにも伝達して頂かないと。」
とライツが深く同意する。
「まあ、おかげでいろいろなことがわかりましたけどね。やはり南の国からの刺客でしょうか。情勢が急に緊迫してまいりましたね。」
「ミリガン、どこで誰が聞いているかわからん。控えなさい。」
ハイハイ、とミリガンが上司へ向けるにはあるまじき返事をする。
「ですけど、あのような店は確かに必要なのかもしれませんね。市井の情報を拾い上げることが、重要であるということは感じました。」
ミリガンの表情はカレンに見せたときの高圧的なものとは打って変わって、柔らかく人懐こいものだ。
「まさか、女の方からも側女を断ってくるとは思いませんでしたね。名誉なことだとしがみついてくるかと思ったんですが。あの女のどこがよかったんですか、陛下。私はやはり小柄で華奢な女性が好みです。」
「ミリガン、人間の好みは人それぞれだからいいのだ。でなければお前のようなお喋りな男を好んでくれるような女性は現れないぞ。」
「げ。」
とミリガンは顔を歪める。
そして、ちらりと国王の顔をみる。いまだに暗い顔をして思い詰めている。
ミリガンは彼なりに、陛下を励まそうとしているのかもしれない、とライツは思った。
「ですが、」
とライツは言った。
「あの娘、陛下のことを好いておりますよ。」
「であれば、なぜ断られたのだ。」
低い声で、国王は唸った。
「お聞きになったでしょう。あれがきっと全てですよ。あれは遠まわしで分かりづらい言い回しを考えたり、嘘で取り繕ったりするような貴族とは違います。」
と、なかなか顔を上げられない国王に、ライツは優しく声をかける。
国王は未だ地面を見つめたまま、呟いだ。
「私がピアノを演奏していた時、彼女は本当に光り輝くような目でこちらを見ていたのだ。狭い店内で人の波をかき分けてこちらに近づいて来ることがわかり、これまで生きてきた中で、一番の胸の高鳴りを感じたのだ。」
ライツとミリガンは目を見合わせる。
そこまで気落ちが盛り上がっていたとは。
「私は音楽がそんなに得意なわけではない。むしろ、姉上と比べられては落ち込んだものだった。」
「東の国へ嫁がれた、メリーベル様ですね。あの方は何をやっても一流な方でした。」
とライツが同意する。
「お前たちだからこんなことを言うのだ。私は、あの娘が私の演奏に目を輝かせて聞き入ってくれることに、本当に心動かされたのだ。望むのであれば、いくらでも私の演奏を聞かせてやろうと。」
「じゃ、ワインの知識云々は言い訳ですか。」
「言い訳、というほどでもない。お前たちだって褒めていたではないか。」
「確かにとっさの判断と行動力については、見事なものでしたね。側女というより護衛としての能力に秀でていると感じました。」
「平和ボケしている若い親衛隊よりよっぽどよかったかもしれません。」
そうか、護衛という手もあったな、と国王は考えをめぐらし始めた。
その様子を見て慌てたミリガンが、
「陛下、余計なことはもうお考えにならないでください。この件は終わったんです。お、し、ま、い!」
と国王が羽織っていたフードを脱がせる。すでに出立の準備が整っている服装が下から現れた。
「これからやることがいっぱいなんですよ。関所の書類を全部見直させて、刺客の洗い出しもしなくてはいけませんし、警備の見直し、それから・・・」
「有事に備えて訓練や備蓄についても強化していて行かなくてはなりませんよ。女性にうつつを抜かしている暇はありません。」
とライツが書類を抱えた。
「女性との付き合いも国王の大切な仕事だ。後継ぎに関わってくるだろうが。」
「陛下にはすでに3人ものお相手がいらっしゃるんですから、贅沢をおっしゃいますな。」
「全員、父上が決めた相手だ。」
と国王はむくれる。
まだいうか、とライツは呆れた顔をした。
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