第9話 国王の天幕3
「あ、あの。一つ伺ってもいいですか?」
「なんだ。」
「私のうちの、ワイン蔵のことなんですけど。今朝、軍の方が来てワインをあらかた買っていかれたんですけど、あれって、何に使うんですか?いや、そりゃ飲むんでしょうけど。うちの蔵が空っぽになっちゃって、お金だけ置いていかれて、それこそ商売にならないんです。」
「何の話だ」
意味がわからない、とライツが眉間にシワを寄せる。
「ですから、軍の方が、ワインを何樽も買って行ったんです。うちだけじゃなくて、別のワイン蔵も買い占められたって。」
「ワインを買い占めた?軍が?」
ライツがミリガンと顔を見合わせる。
「そのような話は聞いておりませんが。」
とミリガンも顔をしかめた。
「ワイン蔵が空になるような買い方をするのであれば、それなりの資金が必要と思いますが、そのような報告は受けておりません。」
「じゃあ、あの軍の人たちは・・・」
上層部に無断で買い占めをしたのか、もしくは軍を装った別の何者か。
「なるほど。」
と、ライツは言った。
「知らせてくれて助かった。その持ち出されたワインの量に相当するだけの代金は支払われたのか?」
「はい、むしろ多めに置いて行ったようです。」
父さんと母さんのホクホクとした顔を思い出す。
「では、この件に関してはこれ以上の詮索はするな。」
「でも。」
「首を突っ込まないほうが身のためだ、と言っている。」
とピシャリと言われて、私は黙った。
「今日をもって、軍はここを引き上げる。世話になったな。下がっていい。」
と、はっきりとライツに言われて、私は最後に
「あの、本当に国王様には会えませんか?」
と聞いてみた。
ライツは少し困ったような顔をして、目を閉じてから切り出してきた。
「もしも、店主がこのようにならなかったら、陛下に尽くす気はあったか?」
このようにならなかったら、というのは、国王様の代わりに毒も飲まず、キースもお袋さんもヴィンナ亭も今まで通り、ということだ。
だけどそんなことはありえない。
毒を持った刺客が現れたから、私は国王さまとお話しする機会に巡り会えたんだ。
「・・・私は、国王様がまだ皇太子だったころに、ヴィンナ亭でお姿をお見かけしたことがあります。その時も店のピアノを弾いていらして、すごく、すごく美しいと思いました。・・・またその方に会えたんだと、昨日思いました。」
ピアノがあんな風に音楽を奏でられるものだと教えてくれたのは、国王様だった。
あれはどのくらい前のことだったんだろう。
あの時から、ずっと私は、国王様のようにピアノを弾きたいと、国王様のように歌いたいと思いながら、ピアノに向かい続けてきた。
「あんなことがなければ、私は、国王様のピアノをもう一度聞きたいです。そして、もうこんなことが起こらないようにしてほしい、とお願いしたいです。」
「なるほど。」
とライツは静かにうなづいた。
「よくよく、陛下に申し伝えておこう。陛下は何よりも平民の生活を気にしておられるし、あの店をお気に召していたのだ。これからも気にかけてくださるだろう。」
私は、天幕を出て、軍の宿営地を抜け、村へ入り、ヴィンナ亭へ直行した。
軍はすでに撤退を始めており、宿営地も徐々に元どおりの草原の風景へと変わっていった。
店の扉を力任せに開けて、どたどたと入っていくと、薄暗い店のカウンターでキースがまだ突っ伏していた。
手にはワインが入っていたと思われるカップ。
「お、なんだ?」
と私の足音で目が覚める。
私は店の雨戸を開け、店に光を入れる。
あちこちの窓をバンバンと力任せに開き、外の風を入れていく。
「お前、もう少し静かに歩けねえのかよ。そんなんで国王様の女になるだと?笑っちまうな・・・」
悪い酒の酔い方をしているのか、キースらしくない絡み方をしてくるが、無視だ。
「弾かせてもらうよ。」
と私はピアノの前を陣取るとキースの返事を待つことなく、蓋を開けて、ジャン、と鳴らした。
国王様があの時弾いていたのはどんな曲だったか。
国王様と、最初にあったあの時の曲。
全部覚えてる。
何回も何回も反芻して、指を動かして、耳をそば立てて、奏でた曲だ。
力強くて、繊細で、美しくて。
私の心を全部持っていった。
いろいろ理不尽な生活を、支えてくれていたのは
あの時の記憶があったからだ。
一日の最後にはピアノが弾けて、心の中で国王様に出会えると思ったから、いろんなことが我慢できた。
最後に、国王様に会いたかった。
あの曲をもっと聴いていたかった。
言葉を交わしたいなんて思わない。
ただ、あの姿を見つめていられたらよかったのに。
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