第5話 崩れる日常

翌朝、慌ただしく軍の荷馬車がやってきて、我が家の酒蔵から大量のワイン樽が持ち出された。


「ここにあるワインを、この金額ですべて買い取らせてもらう。」


軍人さんはそう言うと、父は金貨が大量に入った袋を握らされた。

娘の私が言うのもなんだが、うちの父はわりと動揺するということ少なく、いいことも悪いこともおおらかに「まあそういうこともあるさ」と笑い飛ばす人間で、悪く言えば危機感がない、よく言えば細かいことに頓着せず、世間の流れに身を任せる人間である。その頓着しなさ加減が娘の成長への興味にまで及んでいるのだが。


だけどそのおおらかさは、商売の先を読む力が備わっているからこそなんだよ、とキースの親父さんに教えてもらったことがある。

たしかにものすごく裕福とは言わないまでも、お金に困ったことは一度もない、そういう生活を父は私に与えてくれた。


だがその父が慌てて軍人さんに縋っている。

「全部買われてしまうと、地元のみんなが飲む分がなくなります。」

「金なら弾む。」


それに父が反論する。


「そうじゃないんです。ワインは毎年秋に1年分の消費を見込んで、まとめて仕込みます。その秋に取れたぶどうを、作りすぎないように、あまりすぎないように量を見ながら仕込むんです。だから途中で足りなくなったからと言って途中で増やすわけにはいかないんです。これでは地元の人間が安価で飲む酒がなくなります。」


今は春先である。

綺麗に選定を終えたブドウの木が太陽の温かさを求めて枝を伸ばし、花を咲かせる準備をしている時期だ。

しかもこれは今年の仕込み分を想定したブドウの木であり、いまから安易に増やすことなどできない。一年を通して、いやそのもっと前から準備をしないとワインの量を確保することはできない。


「では、この金で安く古酒をだしてやれ。我々は新しいのでいい。」


予想もしない大量買いに父は面食らっていた。

商売の先を読める父でも、今回のことは本当に予定外なんだろう。


つぎつぎと運び出される酒樽を見つめていると、もう一人の大らかの権化、母が現れた。


「これって、ご祝儀なんとかってやつ?カレンがお城に上がるから、その実家に・・・」

「恩を着せてるってことか?」

「お母さん!わたし、行くなんて言ってないけど。」

というと、

「え?そうなの?じゃあ、なんでかしら。王様が飲むんなら古いのを持って行けばいいのにねぇ」

と母は呑気だ。


「これはまた別の話らしい。お前が国王様に仕えるかどうかに関わらず、大量の酒を買い取らせてほしいんだと。」


今年のヌーヴォーはおろか、ここ3年分くらいのは持っていかれた。しかも新しい順に。


「隣の村の、外れにあるワイン農園、なんと言ったかな」

「アッテンボローさんのところ?」

「そう、そこだ。そこにも軍人がきて酒を欲しいといったそうだ。」

「でもあそこは、あんまり造りの量は多くないじゃない。」

「そう。だから足りなかったんだろう。この辺りで一番造りの量が多いのはウチだろうからからな。ウチが狙われたんだろ。だがしかし、これだけ買われちゃなあ。」


と父が耳の後ろをぼりぼりと掻いた。

「ま、この金で旅行でもするか?」

と、父が持ち前のきりかえのよさと能天気さとを発揮した。

「旅行?」

と能天気に輪をかけた母が目を輝かせた。

「そうだ。どうせここにいてもやることがないんだ。このあぶく銭で、いろんな土地のワインを飲み歩いてくる。いいだろう?」

「いいわね、それ!」


驚くほどのスピードで、両親がいつもの調子に戻った。

ああ、この人たちはとりあえず私がいなくても大丈夫だ。



私はそこまで早く気持ちを切り替えることはできない。

だって、日常が日常でなくなってしまった。

いつものこの時間なら、私は面倒くさいと言いながら、酒樽をどこに運ぶか、注文を取りまとめている最中だ。

昼過ぎから配達を始めて、最後にヴィンナ亭にくるように調整し、夕飯を報酬にお手伝いをし、ピアノを弾いていた。当たり前だが。

だけど今は。酒蔵にほぼ在庫がなくなり注文を断ったので、配達の仕事がなく、暇になった。ので、いつもの習慣というか、ヴィンナ亭にきてしまった。

でも、ここにきても今日は酒も食べ物は出てこない。

めんどくさいということもできない。


あのとき、騒ぎが収まったままの雑然としたホールを眺める。椅子が転がったり、軍人さんが飲み食いした皿や器が出たままだ。

キースも女将さんもここを片付ける気にならないのだろう。

私はおもむろにテーブルの上の食器を片付け、テーブルを拭いてから洗い物に取り掛かった。

1日放置された食べ物はまだ生物以外は食べられそうではあったが、全て捨てた。捨てて、皿を洗っているとだんだん涙が溢れてきた。


おじさんにはとってもお世話になったのに。お腹の減った時にはおやつのようなものを食べさせてくれた。小さい時はキースと一緒におじさんの目を盗んでワインを飲んだこともあった。ばれて怒られたこともあった。


自分のうちには思い出はあまりなく、ほとんどがこのヴィンナ亭での出来事ばかりが思い出される。

目の前が見えなくなるまで泣きながら皿を洗い、鼻水さえもすするころ、キースが現れた。


「汚ねえな。鼻、かんでから洗え」

とちり紙をくれた。優しい。

「ありがと」

と、一旦手を洗い、拭いてからちり紙を受け取って盛大に鼻をかんだ。

「なんかもっとやり方ねえのかよ。おまえ、ちゃんとしてれば綺麗なのに。」

と、冗談めかしたりせずに、キースが普通の口調で言った。

ちょっとドキッとする。

キースに今まで外見のことを言われたことなんてなかったのに。

こういう心が弱っている時は、少し優しくされただけで流されそうになる。だけどそれを今はぐっとこらえて黙っておく。


そんな私を見て、キースは客席の椅子を上げ、床の掃き掃除をはじめた。

お互いに無言で作業をする。そのほうがいい。


私が食器を洗い終わり、布巾で拭きはじめたころ、キースも掃き掃除がおわったらしく、外へ水を汲みに行き、モップを構えた。


ふと、「お袋さんは?」

とキースに聞いた。

「さっきやっと寝たとこだ。」


そう言って、キースは二階を見た。

泣いて泣いて、疲れ果てて眠ったのだろう。

そう答えたキースもあまり寝れていないのか、目が見たこともないようなくっきり二重まぶたになっている。


「なあ、お前本当に国王様についていくのか?」

「え?」

「それもいいかもな。だってお前、あのひとに憧れてたんだろ?」

言われて途端に顔がぼっと暑くなった。

「なんで、なんでそのことを知って・・・」

「わかるよそれくらい。」

とキースはこっちを見た。


う。ちょっと恥ずかしいくらい真っ直ぐにこっちをみている。

さっきは黙ってやり過ごしてみたが、今度はどうやって話を受け流したものか。


「私が国王様の側女なんて無理だよ。行儀見習いだってした事がない、ただの酒屋の娘には務まらないよ。無理無理。」

私は快活に笑い飛ばしてみた。


「だけど・・・」

とキースが行った。

「お前、村の外に出たいんだろ?」

「・・・・」

ずっと思ってた。村の外にでたい世界中を旅して、いろんな音楽が聴きたいって。

でも。

「少なくとも今はそんな気分じゃないよ」

私はキレのいいところで手を止めると、洗い物をやめて自分でワインをグラスに注いで飲んだ。あの日、私がおじさんとここへ担ぎ上げたワインだ。

「明日のことなんて何にもわかんないのに・・・今日起こったことがそのまんま明日も同じことを繰り返すかなんて、誰にもわかんないのに・・・」


そうだ。今ある日常が明日も続くとは限らない。

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