第3話 華やかな英雄
親父さんは、店の扉を外して作った急ごしらえの担架に乗せられ、医者へ連れていかれた。
誰が呼んだのか、軍の医療部隊の方々が何人も現れて、医療行為をするためにと、親父さんに縋りついていた私は後ろに下がらされた。
その手当てをする様子は軍人さんの陰に隠れてしまい翼は見えなかったが、意識はなく、手や足が硬直したまま固まっていた。
あれで助かるのだろうか。
お袋さんが泣きながらおじさんに付き添っていく。
青年将校に酒を勧めたハゲデブ親父――ようするにこの件の犯人だが、捕らえられた直後、自らも同じ毒と思われるものを口に含み、命を絶ったとのことだった。
キースは呆然として呟いた。
「なんで、こんなことに…お前見てただろ。」
私はコクリと頷いた。
「親父さんは、ピアノを弾いてた軍人さんを庇って」
「庇った?それって、」
店の入り口には先ほどまで呑んでいた国軍の皆さんが規制線を張り、関係ない人たちの立ち入りを禁じていた。
その入り口から、複数人の軍人に取り囲まれ、いや、護衛をされて例の青年将校が現れた。
「あっ…」
「すまなかった。私の不注意であった。」
と、親父さんが倒れていた床のあたりを見つめる。そこにはまだ親父さんが吐き戻したワインがシミを作っている。
周りの軍人さんは皆、青年将校に向かって敬礼をしている。
「不注意って…どういうことだよ。これ全部、あんたのせいなのか?」
キースが枯れた声で言った。
「そうだ。私はこの国の王、クリストファー・バーディンフィールドだ。この私に毒が盛られたということは、国の王が狙われたということだ。」
この人が、国王様?
それにしては若い…いや、最近即位されたという新しい王様か。
「なんで、あんたの命が狙われて、うちの親父が死ぬんだ?なあ?」
キースが弱々しく、しかし鋭い目を国王様に向けた。
隣から、敬礼を解いていた側近らしき男が会話を引き継ぐ。
「こちらも油断していたとしか言いようがありません。この村は新国王派であったので、まさかという思いが強い。今回の首謀者は、陛下に毒の入ったワインを飲ませようと近寄ったところを、店主が看破し、身代わりとなってくれたのだ。」
「親父が…身代わり…?」
「そうだ。こちらの店主は昔従軍していたと聞いた。陛下への忠誠心の表れであろう。見事だ。」
そういわれても、親父さんから国王様の話とか、政治の話とかそんな話を聞いたことがない。ましてや従軍時代のことなんて、ほんの少しも思わせなかった。
怪我した足を引きずっていた以外は。
「加えて、この毒は無味無臭であるにも関わらず、よくぞ見破ってくれたものであると、誰もが驚いている。」
「毒を見破って…親父が…?」
床のシミを見つめるキースの目から涙がぽとぽとと落ちた。
「いや、身代わりとなってくれたのは事実だが、最初に見破ってくれたのは、そちらのお嬢さんであった。」
と、国王様が付け足し、私を見た。
「私?」
「そうだ。これは持ち込んだ酒ではないか、と悪漢に問うたな。」
「あ、はい…」
「そうでなければ、私は迷わずあの酒を口にしていた。」
「そうなのか?」
キースが驚いた目をしてこちらを見た。
「そう、です。」
「それは…どの辺りで看破したのか、お聞かせ願えないか。陛下の前で。」
側近の男性がきいた。
どの辺というのは…
私は一生懸命その一瞬のことを思い返した。
あの時の違和感の正体は。
「…色がですね」
「色?」
と国王様が聞き返した。
「この店のワインは全部、うちが入れてるんです。あ、うちって、となりの造り酒屋で。私はその娘なんですが。
うちのワインにしては色がなんだか…薄いというか…今にして思えば匂いもちょっと違って…」
「ワインを見ただけで判断したというのか。」
美しく光る目が、私をにらんだ。
「いえ、あの、それに、あのお客さん、見たことがない方だったので。
もちろん、ここは街道沿いですから、旅の方も来るんですけど、このごちゃごちゃした時に…あ、失礼しました。盛っている時にわざわざ自分でワイン持ち込んでくるなんて…ってそこまで考えてたわけじゃないんですけど…とにかく、この人何しに来たんだろうって、違和感です。」
私らしくもない淀んだ言葉は、国王様の前だったからなのか、それとも、幼い頃に見た美しい記憶からだったからなのか。わからない。
「なるほど。君の洞察力の賜物と言うわけだな。」
国王様は息を吐いた。
「そんな大したことじゃありません。この辺りで取れるぶどうでできるワインはどこでもあんな色はしていません。」
「そうなのか?ワインはどこも同じだと思っていたぜ。」
とキース。
「この店のは全部うちのワインだから。キースはよそのと比べたことがないでしょう?」
「いや、そうは言っても…」
と側近の方が言った。
「たしかに。献上品として各地からのワインが城に届くが、私は赤ワインは皆同じにみえる。」
ワインが同じに見える、と聞いて私は黙っていられなくなった。
「微妙に、使うぶどうや仕込んだ年で味は違います。甘みや渋みなんかが。ですが、この店に出しているのはほとんど去年のものです。値段は安くて手の届きやすいものですが、新鮮です。香りが華やかでキレが良くさっぱりしています。…あ、ご存じかと思いますが、ワインは年を重ねるほど味がまろやかになり、深みが増していきます。先ほど毒が混ざっていたワインも、おそらく去年醸造されたものだと思います。ここではない土地で。」
はっ、と国王様がこちらを見た。
「あ、ごめんなさい!関係ないことをペラペラと!」
「だとすると。」
国王様が私の顔を近くで覗き込んだ。
「ここより薄い色で醸造されるワインの生産地は?知らないか?」
「…そういうことは父か母の方が詳しいかと思います。」
「ご両親はどこに?」
「と。隣です。となりのワイナリーが自宅ですので」
清々しい顔をして国王様は立ち上がった。
「なるほど。そなた、名前を何という?」
「…カレンです」
「ありがとう、カレン。華やかな英雄。」
その国王様の微笑みは、間違いなくあの時の、私とピアノを出会わせてくれたあの人のものだった。
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