第15話 正直者のうそつき

 悶々としたりょうが頭を抱え、邪念を振り払うのにしばらく。

 白雷はくらいが幕舎へやってきたのを合図に、幕営地での朝議が始まった。

 総指揮官である白雷と兵站責任者の徐福じょふくが互いに意見を交わしつつ、朝議は進んでいく。北砦の様子は昨晩と変わりない。これまでは王都を出発する際に立てられていた計画に沿い、すべて順調に進んでいる。問題はここから先のことだ。

 北砦の内情がどうなっているか、まずは調べなければならない。

 りゅうぜん陸淡りくたんから受けた報告の内容では、襲撃ののち、せいたちは姿を消してしまったという。しかしそれがただ身を隠しただけなのか、何らかの目的があっての行動なのか、それがはっきりしていない以上は警戒が必要だ。もしも靑娥たちが北砦に戻っているのなら、このまま北砦に進めば迎撃されることにもなってしまう。


 果たして靑娥たちはどこに潜んでいるのか。


 この朝議はその調査を誰に任せるかを話し合う場でもあった。

 白雷としてはできるだけ腕利きの部下を使いたいのだが、それはなかなかに難しいことであるようだ。彼はあくまで尚書令であり、兵士たちを直接統括する立場にないために私兵を扱うのが難しい。そもそも白雷は高給取りの立場にありながら王都では質素な生活を送っており、自宅に警備の私兵すら囲っていないときく。今であれば彼の強さもよく理解できるため納得のいく話だが、なにも知らなかった当時の威遼は不思議に思ったものだ。

 そういう理由もあって、現状は軍の中から優秀な人材を探すしかないのだが、万が一彼らと戦闘となった場合は威遼と拿柯なかくらいでなければ生き延びることも難しいだろう。

 では、その二人のどちらが調査に向かうのか。

 話がそこに至ろうとしたとき、それまで黙って朝議のゆくえを見守っていた人物が動いた。


「その調査、私と徐福に任せてもらえんかね」


 手を挙げたちょうの言葉に、ぎくりと徐福が硬直した。

 一瞬の沈黙。

 白雷はきょとんとした顔をしていたが、すぐににっこりと笑って「いいですねえ」と頷いた。

 いまはなによりその笑顔が怖い。

 徐福が「ヒェッ」と震え上がり、威遼は思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 結局、決定権を持っているのは総指揮官である白雷なのだ。彼がと言えば。それが国軍の掟なのである。

 とはいえ、張のことを信頼しているから、任せられるからと即決できる話ではないのも確かだ。なにせ相手はあの四禍の一柱。どれほどの腕があろうとも油断はできないし、もし本当に敵として現れたのならば戦う覚悟を決めなければいけない。

 徐福は白雷と張の顔を交互に伺い、最終的にその視線は威遼へと向けられた。ここでようやく、威遼は口を開く。


「たしかに徐福は腕が立ちますが、それでも尸解仙と立ち合えるかはわかりません。お二人だけでは危険かと思いますが」


 威遼の助け舟に、言葉はなくとも徐福が顔を輝かせる。しかしその横で、張は静かに首を横に振り、頭巾の下の髭を撫でながらしわがれた声で続けた。


「いえ、二人のほうが都合が良いでしょう。隠密行動は数が少ないほうがよい。それに――」


 含みを持たせたまま押し黙った張は威遼を見遣り、そしてもう一度徐福を見る。わずかな沈黙の間に威遼と徐福は顔を見合わせた。

 そんな張の言葉につなげたのは白雷のほうであった。


「ぼくはよい提案だと思いますよ」


 そう言うなり白雷はちょこちょこと徐福の後ろに回り込み、その肩にぽんと手を置く。

 びくっと徐福が跳ね上がるのも気にせずに、明るい声で白雷は言った。


「ほら、お二人は昔から仲の良い友人なのでしょう? 背を預け合うにはぴったりじゃありませんか!」


 にっこりと笑みを深めて、白雷は「ね?」とかわいらしく小首を傾げた。

 そう言われれば確かにそうかもしれない。それに威遼は、ここまで白雷がはっきりと肯定しているのだから、彼らにはなにか考えがあるのだろうとも思った。

 なおも助けを求める徐福に申し訳なく思いながらも、威遼は肩をすくめてみせるほかない。


「え、将軍?」

「……まあ、最終決定権は尚書令にあるからな。諦めろ、徐福」

「見切りをつけるのが早くないですか⁉」


 まだ足掻こうとする徐福だったが、三人にじっとみつめられ、さらに嚶鳴と拿柯の視線も加わってしまえばなすすべない。

 しばらく息を詰まらせたのち、がっくりと肩を落として頷く徐福の「わかりました」という小さな言葉とともに、朝議は終了した。





「それではお二人とも、どうかご無事で」


 白雷と威遼に見送られ、馬を歩かせながら徐福は大きなため息をついていた。

 兵站責任者である徐福は威遼ら力押しのできる兵士と違い、どちらかといえば軽業師のように身軽さで相手を翻弄しながら隙を突く戦いを得意とする。そういった特性もあって、彼は軍の中でも斥候を任されることが多かった。

 しかし今回ばかりは、素直に頷けない理由もあったのだ。


「なぜわざわざ自分から、こんな危険な任務を引き受けたんだい?」


 隣に並んで進みつつ、徐福は張へ問いかけた。

 張は仙人であり、仙術を扱うことができる。戦いも決して不得手ではない。だがそれでも、靑娥の操る尸解仙の軍団を相手にするのは難しいだろう。

 なにせ彼らは不死の存在であり、死を恐れない。相手取るならば完膚なきまでに滅するほかないのだ。そのほかに救う手立てのない尸解仙とはいえ、なによりも死の概念を恐れているこの男が自らそれを与える役割に就こうなど、徐福にはとても信じられないことだった。


「いやなに、少し確かめたいことがあるだけだ」


 答えになっていない返答に、徐福はただ眉を顰める。

 張が一体何を考えているのかわからない。

 否、本当はわかっている。しかし、だからこそ、それが徐福には理解できない。

 自分の隣に立つとき、この男は必ず罪悪感を背負う。その罪を拭えないままに、彼はいつも何かを探し続けている。

 遠くばかりをみていて、隣にいる徐福のことを見ていないのだ。

 徐福は、それは無駄な行為だと、思っていた。


「なあ、張。君が本当にやりたいと思っているのは――」


 そこまで言って、徐福は先の言葉を飲み込んだ。

 それは言ってはいけないことだった。彼にとって強い呪いになってしまう。

 自分はいつだって彼の邪魔をするしかないのだ。自分がいなければ彼が困ることを知っているのに、彼の望むことをなによりも拒んでいる。

 だからこれ以上言ってはいけない。徐福だって、張が苦しむ姿など見たくはないのだから。


「……楽園なんてないよ。俺にも、君にもさ」


 言えない言葉の代わりに、そう呟いた。

 楽園。そんなものは幻想に過ぎない。たとえあったとしても、そこはもう人間の世界ではない。

 その事実から目を逸らすために、徐福はずっと嘘をつき続けてきた。


「お前の言う通りだよ、徐福。私は、私ができることをしたまでだ」


 日差しの陰りになった張の表情はうかがえない。

 けれど、徐福は彼が自分を責めていることを感じ取っている。


「君はなんでそこまでできるんだろうね」

「なに、大したことじゃない。私にとってはこれが当たり前の生き方だったというだけの話だ」

「それがどれだけ難しいことなのか、わかっているつもりだけど」


 張の言葉に偽りはない。本当に、張にとっては難しいことでもなんでもないのだろう。

 そうやって生きてきたから。

 そう在ることが当然のこととして受け入れられたから。

 徐福は羨ましいとさえ思う。

 もし自分ならどうだろうかと考えてみても、きっと同じ生き方はできない。いつかどこかで諦めて、その諦めとともに生きていくのだ。

 だから羨ましい。妬ましい。憎らしい。そして、悲しい。

 たとえこの場で徐福が逃げ出したとしても、彼は責めないのだと知っている。


「俺は、恐ろしいよ」

「何がだ?」

「これから起きることがさ」


 恐れて、怯えて、震えている自分がいることが滑稽だった。

 そしてなによりも。


「お前さんは死なないさ。私が死なせない」


 そう断言する幼馴染みが、頼もしく見える自分に腹が立つのだ。


「だからこわいんだよ、うそつき」


 そう言い捨てると、徐福はそのまま黙って馬を進めた。

 風が吹いて、木々がざわめく音がした。

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