第13話 知れぬことの苦 2
出立の頃には、
白雷はそれに気づくたびににこりと笑ってくれた。しかしその顔には隠しきれない疲労の色が見えていて、それが余計に威遼の心をざわつかせる。
なにかできることはないものかと考えるものの、これといって妙案があるわけではない。せめて少しでも負担を減らせないかと道中あれこれ世話を焼こうとしたのだが、彼はすべて大丈夫だと断ってしまった。それでも食い下がってみたものの、最後には痺れを切らしたのか白雷は苦笑とともに肩をすくめた。
「威遼殿は心配性ですねぇ。そんなに気にしないでください、大丈夫だと言っているでしょう」
「ですが」
「もう、しつこいですよ。それより、せっかく一緒に旅をしているのですから、もっと楽しい話をしましょう。暗い話ばかりでは気が落ち込んでしまいます」
そう言って白雷は無理やりに話題を変えてしまった。道中に咲いている花のことだとか、ここ数日の天気だとか、そんな他愛もない話ではあったが、そうまでされてはこれ以上追及することはできない。その後も何度かそれとなく聞いては見たが、白雷ははぐらかすばかり。
そのうちに威遼も諦め、今は白雷の体調が戻ることを祈ることしかできなくなってしまった。
(俺ではどうしようもないか)
自分の不甲斐なさに小さく息を吐く。こんなとき、代わりに頼れる相手がいればと思うが、自分に思い浮かぶのは王都にいる李正くらいである。白雷が気にするなと言っている以上、徐福たちに伝えるわけにもいかない。悶々とした思いだけが頭を渦巻いてした。
いざこうしてみると、結局のところ自分は白雷が弱みを見せることもできない程度の存在でしかないのだと思い知らされる。
白雷にとってはただの部下にすぎないということはわかっていたつもりだった。だが改めて突きつけられると、悔しさやら情けなさやら、胸を締め付けてしかたない。
「将軍、どうかしましたか?」
突然黙り込んだせいか、前を行く
「あ、いや、なんでもない」
「そうですか? なにか異変を感じたら言ってくださいよ?」
「それは問題ない。獣の気配も小さいものしかないからな」
答えながら、再びちらりと隣を行く白雷を見やる。
相変わらず彼は笑みを浮かべたままだ。その横顔を見ていると心の奥底がじわりと熱くなる。しかし威遼は平静を装うほかない。
今はまだそのときではないのだと自分に言い聞かせ、視線を前に向ける。
空は青く澄んでいて雲ひとつなかった。この調子なら昼中には目的地に着くだろう。あと数刻ほど我慢すればいい。それだけのことなのに、どうしてこうも落ち着かない気持ちになるのか。
その理由に気づいているだけに、威遼の心は晴れないままだった。
そうこうしているうちに一行は山を越え、ようやく平地へと辿り着いた。封神塚から一つ山を越えれば目的地は目前である。
平地の先にはいくつかの集落と北砦が見えた。しかしこのまま北砦に進軍するわけにはいかない。砦の内側がどうなっているかわからない以上、うかつに足を踏み入れることはできないのだ。
現状が判明するまではこの山中に陣を張って様子を見ることになる。荷をほどいて幕営の設置を始める兵士たちから少し離れたところ、地図を広げて周囲の地形と照らし合わせていた白雷は小さく声を上げた。
「これは」
その声に振り向いてみると、彼の視線はある一点に向けられていた。
その先を追うように目を凝らす。木々の向こうに小屋があるようだ。
近づくにつれてその様相ははっきりと見えてくる。やはりそれは小さな民家のようだった。屋根は傾き、壁の一部が崩れ、窓枠は風化して、扉もほとんど意味を成さないような廃屋だ。
おそらく、もとは近隣に住む村人たちの休憩所として使われていた場所なのだろう。しかし廃屋となって久しいのか、草木は伸び放題だ。いまにもぺしゃりと潰れてしまいそうなくらい頼りないものだった。
こんなところに人が住んでいるはずがないのだが、白雷はまっすぐにそこへ向かって歩いていく。
慌てて後を追ってみると、白雷は廃屋の前で立ち止まった。そしておもむろにしゃがみ込むと地面を触って調べ始める。
いったいなにをしているのかと窺っていると、彼は服が汚れることも気にせず地面の一部を掘り返していた。やがてその手は土にまみれた白い石を握って持ち上げる。
立ち上がり、彼は振り返ってそれを威遼に差し出した。
『
そこに込められた願いの強さを感じ取れるくらいには、荒々しい字であった。
土と石が馴染んでいない様子から、この石が埋められたのはつい最近であることが推測できる。しかし小屋の周囲には、近日に人が訪れた形跡はない。
威遼が顔を上げると、白雷はひとつ頷いて口を開いた。
「まだ、推測の域でしかありませんが」
そう前置きをして続ける。
この石に刻まれている『道士』というのは仙人の別名らしい。この場所に仙人がいると聞きつけた何者かが、その『道士』に助けを求めるためにこの廃墟へとやってきたようだ。
しかし、彼らは仙人を呼び寄せる方法を知らない。そこで、なんらかの目印、あるいは通りすがる誰かに気づいてもらえるように、この石に文字を刻んだ。
問題なのは――それが土に埋められていたということだという。
つまり、刻んだ者とは別に、この石を埋めた者がいるのだ。
白雷はそう説明した。
確かにそうだとすれば、土が馴染んでいないことにも辻褄が合う。だがそんなことをする必要があったのか。
願いが叶ったのであれば表面を削ったり、礼品を添えておけば済む話だ。しかしそうではなく、わざわざ土を掘って埋めている。これはどういうことなのか。
首をひねる威遼に、白雷はこう答えた。
「これを埋めたのは、
「しかし、靑娥が助けになることというのは」
「ええ、靑娥は尸解仙を作る。この石を埋めた者が与えようとした助けはそれでしょうね」
一つ息をついて、白雷は石を抱え込み、ぽつりとつぶやいた。
「そんなことをしても、自分は救われないのに」
その言葉の意味を理解できず、威遼は眉根を寄せて白雷を見た。
しかし白雷はそれ以上なにも言わず、ただじっと冷たい石を抱えている。彼がひどく苦しんでいることはその表情から読み取れた。
いったい何が彼をそこまで追いつめているのか、威遼にはわからない。
「威遼殿、ここはもういいですよ。私は少し調べたいことがあるのでここに残ります。あなたは幕営の設置を優先してください」
白雷は威遼に声をかけてすぐに背を向けた。
たしかに幕営地は目と鼻の先だが、上官をひとりきりにしていいものかと逡巡する。しかし当の白雷が平気だと言うのだからこれ以上余計なことはしないほうがいいとも思う。
それにいま自分たちがすべきなのは北砦の状況をいち早く把握することだ。そのためには少しでも早く行動しなければいけない。
結局、威遼は白雷の言葉に従って、踵を返したのであった。
***
陽が落ちて幕営地が完成した頃になって、ようやく白雷は戻ってきた。威遼の姿を見つけると軽く手を挙げて走り寄る。
「お疲れさまでした、威遼将軍」
「ええ、そちらも。ご無事でなによりです」
白雷はあの後、廃屋の内側を確認したのだという。小屋の中も外見と同じく朽ち果てていて、いくつかの食器の破片と壊れた家具が散らばっていたそうだ。おそらく猟師たちが使っていた小屋を、朽ちたそのままに放置しているのだろう。
しかしその小屋の中には、小さな祭壇のようなものがあったという。
白雷は初めから、あの小屋に違和感を覚えていた。それは小屋の周辺に残されていたもののほとんどが、とある生き物の骨だったからだという。
その生き物というのが、亀である。
「亀の甲羅や骨は、昔から
白雷の説明を聞きながら、威遼はわずかに顔を歪めた。
亀卜は威遼でも聞いたことがあるほど有名な占いの方法だ。しかし、それこそ国史記の中にも記述があるほどの古典的なもの。いまどき宮中の吉凶をみるときにも使わないことは、こういった方面に疎い威遼ですら知っている。
「自分は浅学ですが、それでも亀卜というのは相当に古い文化かと存じます。そんなものが現在も使われることがあるのですか?」
「ないわけではない、というのが正しい表現でしょうけれど、めったなことでは使いませんね。もっと簡単で手間のかからない方法はいくつも考案されていますから」
たとえば、と言って白雷は人差し指を立てた。
「最も手軽なのは水や砂を用いたものです。生き物を使わないので狩りを行う手間もなく、道具を持ち歩く必要もない。さらに川辺や道行の途上でも行える利点があります。次点で、加工された木と竹を用いた方法。こちらは決まった道具が必要ですが、道具自体も携帯性に優れていますし、誰でも手軽に行うことができます。けれども、もっとも単純で間違いの少ない方法は――」
立てた指をそのままに、白雷はまっすぐ頭上を指し示す。
「
空を見上げればそこにあるのは満月。雲ひとつなく、冴えた光を放つ大きな丸い月だった。
ああ、ひと月前のあの日と同じ色のもの。なんとなしにその光に吸い込まれるように、威遼もまた空を仰ぐ。
「
白雷はそう言って微笑んだが、すぐにその表情を引き締めた。
「しかし、天を見ることができない者が存在します。おそらく亀卜を行った『道士』はそういった者たちのひとりでしょう」
「見ることができない、というのは」
「
その言葉に威遼はなるほど、と頷く。
天に認められないというのは、そういうことなのか。
見上げた先にあるはずの答えが見つからない、それが彼女たちの犯した罪に対する天の罰。
(認められなければ、願うことすら許されないのか)
威遼はふと、白雷の顔を見た。腕を下ろした彼はぼんやりと何事かを考えながら空を見上げている。
どこか遠くを見ているような、それでいて何も見ていないような瞳。その横顔に、威遼は思わず問いかける。
「貴方も、なにかを願ったのですか?」
そう口をついて出てしまった。
威遼の言葉に驚いたのか、白雷はきょとんと目を丸くする。妙に幼げに見えるその姿に、威遼は自分が余計なことを口にしてしまったことに気がつき慌てて口をふさいだ。
たいていの人間には踏み込まれたくない領分があるものだ。願い事などその最たるものだろうに、なんと浅はかなことを言ってしまったのだろうか。
急いで謝罪の言葉を述べようとしたとき、白雷はぷはっと可愛らしく吹きだした。
「あはは! 威遼殿はずいぶん面白いことを訊くのですねぇ!」
楽しげな笑い声を上げる白雷は、興味のままに動く猫のようにきらきらと輝かせた瞳で威遼の顔を覗き込んだ。
思わずぎくりと体が強張る。
本当に余計な一点を踏み抜いたかもしれない。
白雷のこの顔には見覚えがあった。あの地獄のような数日間、自分を揶揄おうとしてきたときのそれと同じだ。
ずいっと近づいてくる白雷から逃れようと身を引くが、このまま後ろに下がっては背後の天幕に当たってしまう。体勢を崩して天幕へ倒れ込んでしまってはそれこそ大怪我を負いかねない。瞬時に思考を巡らせてしまう自分の頭が今は憎かった。
結局、白雷の両手が威遼の両頬を挟み込むようにして捕まってしまい、背に冷や汗を感じながら次の行動に対する覚悟を決めるほかない。
白雷はそのまま身を乗り出して威遼の鼻先に自分のそれを近づけると、口元を緩ませながら囁いてくる。
まるで秘密を打ち明けるような甘い香りをまとわせた声で、そっと吐息を吹きかけて。
「あなたが共寝をしてくれるなら、教えてあげてもいいですよ?」
威遼は一瞬、言われたことが理解できずに固まった。
じわりと脳裏に染み渡る言葉の意味を理解していくうちに、一気に頭に血が上っていく。
共寝とは、つまり同じ寝台で眠ること。それは主に、男女が共に夜を過ごすことを意味する。
すなわち。
「なっ、ばっ、馬鹿を言うんじゃない!!」
威遼はようやく我に返って白雷の肩を掴み引き剥がして数歩分の距離を取った。
動揺で乱れきった呼吸を整えつつ、なんとか白雷の方を睨む。
さすがにこれはいけない。いくら上司といえども説教させてもらうぞ、と威嚇の意味も込めてびしりと指をさした。
「いくらなんでも冗談が過ぎますよ! 半月前に言ったことをもうお忘れか!」
「えー? ぼくはいつでも本気のつもりなんですけど」
「なお悪い! だいたい、私をからかっても面白いことなどひとつもないでしょう!」
「いえ、あります。とってもあります。むしろ楽しいことだらけです。だって威遼将軍ってぇ、強くって逞しくって、全兵士たちの憧れじゃないですかぁ。ここはひとつ、上司として優位を主張しておこうかと思ってですね」
「…………」
「というわけで、共寝をしましょう。さあさあ!」
「どういうわけだ! ちょ、ちょっと待て、引っ張るんじゃない……ッ」
ぐいぐいと手を引っ張ってくる白雷に抵抗して地に重心を固める。さすがに一回り以上体格の差があるのだから白雷の力ではびくともしないのだが、そんな相手でもなお己の全力を以て流されまいとする威遼の姿を見て、白雷はじつに楽しそうに頬を緩ませた
「うふふ、威遼殿はからかい甲斐があっていいですねぇ」
「貴方は、もう少し他人の気持ちというものを考えた方がいいと思います」
「人の心なんてものはどうせ変わりゆくものですよう。だからこうして一時の感情で遊ぶのがいいんじゃないですか」
けろりとした様子で言い放つ白雷に、威遼は呆れ果ててため息をつく。
たしかに彼の言う通り、ひとの心は移ろいやすいもの。けれど、それにしたって限度はあるだろう。そもそも他人の感情で遊ぶなんて趣味が悪いし、彼の場合は整った容姿も相まって心臓に負担が大きすぎる。
冗談だとわかっているから対処のしようがあるが、彼が一歩でも引き際を間違えたらどうなることか。
ましてや威遼は白雷が女であること知っているのだ。たとえ本人がそれを知らなくても、自分の身を守れるほど強いとしても、遊びで言っていいことと悪いことくらいは弁えていただかなくてはならない。
威遼は今一度、じっとりと白雷に視線を向ける。
にこにこと笑みを浮かべたままの白雷は、威遼の服から手を離してひらひらと揺らしている。やはり嫌がることをするつもりはないのだ。しかしそれでも。
(やはりこの方はもう少し警戒心を持たなくては)
いくら軽い冗談のつもりであっても、こちらにだって譲れない一線がある。
部下であり上官である彼に変な噂が立つのは威遼としても困るところなのだ。気持ちを同じくする
そう思って口を開こうとしたとき、突然背後の天幕の入り口が開かれた。
「あーもうじれったい! そこは男としてぐいっといくところでしょう将軍!」
いつのまに聞き耳を立てていたのか、天幕の入り口から徐福が顔を出していた。直後に騒ぎに気付いたらしい部下たちも「なんだなんだ」と重ねて顔を覗かせる。
その光景にぎょっとする威遼をよそに、白雷は嬉しそうな声を上げて再びぴょんっと飛びつくように威遼の胸元へ手を添えた。そのしぐさはまるで恋人に縋る娘のようである。
「徐福殿! ちょうど良かった、貴方も背中を押してくださいますよね? さあさあ今宵は寝かせませんよ威遼殿!」
「お断りします‼ おい徐福、余計なことを言っていないでお前も止めてくれ!」
「えーだって海の向こうには据え膳食わぬはなんとやらとかいう格言があるとか聞きますし。将軍なら男でも抱けますって。尚書令は美人ですから、いけるいける」
「さすがに無礼が過ぎるぞ貴様! 誰か、こいつらに常識を教えられる者はいないのか⁉」
「いやですねえ威遼殿。常識を持ってて務まるのなんて戸部長官くらいですよ」
白雷の言葉に、その場にいた全員が深く同意してうんうんと首を縦に振る。
彼らの反応を見て威遼はいよいよ頭を抱えた。
――ああ、やっぱり、俺がなんとかしなければ。
はぐらかされた気がしないでもない。
しかしそんなことがどうでもよくなるくらいに、威遼は強い決意を固めたのだった。
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