第11話 炎赤と赤銅

 白雷はくらい嚶鳴おうめいに提案したのは、こんな話だった。

 たしかにせい尸解仙しかいせんを相手にするのは、人には荷が重すぎる戦いとなるだろう。

 しかし、こちらに策がないわけではない。嚶鳴が儀式を行う間、白雷とちょうは兵士たちに強化術を施そうと考えている。

 問題はその強化術を施したとして、尸解仙と戦うに値する力を得られるかどうかである。

 そのために、一つの試練を行いたい。


「そういうわけで、皆さんには、こちらの殿と手合わせをしていただきます」


 一通りの説明を終えて、相変わらずにっこりと笑みを浮かべている白雷は両手をぽんと叩いた。


「拿柯殿はかねてより嚶鳴さんの護衛を務めておられる方。少なくともそんな彼に勝てなければ、たとえ強化を行ったとしても勝ち目はないでしょう。そう思いません?」

「えーと、それはそうですけど」

「もちろん、もし仮に、いまの時点で負けるようなことがあれば、すでに我が国は滅びを迎えたも同然。ですので皆さんには、文字通り死ぬ気で戦っていただきますけどね」


 さらっと恐ろしいことを言ってのける白雷。

 つまりは、巫者嚶鳴に協力してもらうためにも、国を守るためにも、絶対に勝たなければならないということである。

 あんまりな提案に、やはり兵士一同は揃って顔を引きつらせるほかない。

 これは明らかに、有無を言わさぬどころか、行きつかなければいけない先が既に決まっているではないか。

 そんな彼らの反応を見て、白雷は少し考えるように首を傾げたあと、ふと何か思いついたようにぱちんと手を叩いて言った。


「ああ、なるほど。そうですね、たしかにこの場でいきなりやれと言われても困りますよね。では、準備ができ次第で構いませんよ。善は急げと言いますが、急がば回れとも言いますからね」


 にこ。にこにこ。

 白雷は笑顔のまま、右手を軽く揺らして地面に向けた。

 ことん、と袖から落ちた何かが転がる。丸い木の球のようだ。表面には複雑な模様がいくつも彫られている。


「決意が固まったら声をかけてくださいね。ちなみに、逃げようとするのはダメです。これで見張っておきますので」


 そう言って木の球を指さす白雷。

 どうやら彼は、そういうことができる道具を持っていたらしい。左手をひらひら遊ばせながらその先を促す姿は天使のような悪鬼であった。

 微笑み続けている白雷の言葉を聞き、兵士たちはますます不安を募らせる。

 逃げることは許さない。ということは、もし仮にここで逃げ出した場合、自分たちは今度こそ本当に、文字通り身を投げて尸解仙との戦いを強いられることになるのだ。もはや選択肢など残されていないようなもの。

 このまま何もせずにただ立ち尽くすだけでは、それこそただ犬死にするだけだ。

 ならば、せめて最後まで足掻いてやるべきじゃないか?

 兵士たちがそんな気持ちで互いの顔色を窺い合う中――威遼だけは、まっすぐに白雷を見据えていた。


「手合わせは、一対一でもよいのですか?」

「はい? ええ、まあ構いませんが。一騎打ちにしますか?」

「――おい、お前たち」


 白雷に返事をする前に、威遼は背後の兵士たちに声をかける。

 すると、それまでおろおろと視線を彷徨わせていた兵士たちはぴたりと動きを止め、ひとつ息を呑んだのち、やがて一斉にその場に膝をついて頭を垂れた。

 彼らの表情には先ほどまで漂っていた迷いの色はない。

 白雷は驚きながら、おお、と声を上げた。

 これが、威遼が将軍たる所以である。威遼はどんな時でも決して迷わない、果断即決の男なのだ。

 そして彼が下した判断は、常に正しいものとなることを、部下たちはよく知っていた。


「手合わせは、俺が一騎打ちで行う。俺がその勝負に勝ったなら、もう異論はないな?」

「ええ、もちろんです!」


 声を揃えて頷く部下たちに、こちらも一つ頷いて、威遼は白雷に振り返った。


「そういうことですので、手合わせは一対一で行います。よろしいですか」


 白雷は笑みを深めて答える。


「さすが威遼将軍。お見事です。もちろん構いませんよ」

「ありがとうございます。しかし、その代わりといってはなんですが、こちらも一つお頼みしたい」

「なんでしょう?」

「巫者様ならびに貴方には、我らの戦い方をよく知っていただきたいのです。戦場では士気ひとつが死に繋がりますので、どうか脅迫まがいのことはせず、素直にご説明いただきたい」

「……わかりました。いいでしょう」


 そうして威遼は、揺るぎない歩調で進み、赤毛の少年の前へ移る。

 彼はただ威遼を見つめ、その隣では、主人である嚶鳴がまだ決めきれない様子で口をもごもごと動かしていた。


「で、でも、いくら国軍を代表する将軍であっても、拿柯を相手に一対一で挑むっていうのはさすがに……」


 そんな彼女の言葉を遮るように、拿柯がすっと手を掲げる。

 その手にはいつの間に握られていたのか、一つの斧があった。

 黒木に牛革を巻いた柄で、片手で握るくらいの大きさの、飾り気のない簡素な手斧。

 しかしそれは今の彼の様子も相まって、まるで血塗られた死神の鎌のように恐ろしく見えた。

 兵士数名が小さく悲鳴を上げる。

 だが、威遼は臆することなく淡々とその前へ進み出た。


「な、なか、ホントにやるの?」

「主人、慌てる、ない。平気。この男、つよい」

「へ?」


 主人がぽかんと口を開ける隣で、拿柯の金眼は爛々と輝いていた。


「威遼、つよい。オレ、戦える。うずうず、する」

「そういえば、拿柯くんも戦闘狂でしたね」


 白雷が呆れたようにため息をつき、嚶鳴もああ、と声を漏らす。

 一方、当の本人である威遼は、そんな上司たちのやりとりなど耳に入っていないようで、じっと目の前の相手だけを見据えている。

 何度か手足を動かして温め慣らし、軽くその場で跳ねてみる。威遼は武人らしい偉躯いくであるが、しかし、小さく跳ねたその音は決して誰の耳にも届かなかった。


「お待たせしました。いつでも構いませんよ」

「うん。じゃあ、はじめよう。よろしく」

「はい。よろしくお願いします」


 言って、二人は同時に頭を下げる。

 それから、ゆっくりと顔を上げたとき、彼らの視線は交差した。


「――ふぅ」


 どちらともつかない、小さく息をついたような、そんな呼吸の音がする。

 直後、一陣の風が広がった。

 先に動いたのは威遼だ。その身体の大きさからは想像できないほどの身軽さで一歩踏み出し、目の前の少年へ拳を突き出す。

 拿柯はそれをわずかな動きで避け、反撃とばかりに上身を捻り手斧を振る。斧の先は威遼の耳を掠めたが怯むことはなく、今度は蹴りを叩きこもうとする。

 それを拿柯が後ろに飛び退いて躱すと、次の瞬きの間に、二人は同じ動きで間合いを詰める。

 数分の間、聞こえるのは風を切る音だけであった。

 二人の攻防は目で追うことさえ難しい。兵士たちは固唾を飲みながらただ見守る。

 その隣で嚶鳴もまた目を丸くしていた。

 なにせ、彼女の侍従である拿柯は手斧を用いて戦っている。それに対して威遼は武器を持たず、素手で相手をしているのだ。

 一度でも斧の先がまともに入ればそれを受け流せる剣もない。たがそんなことを少しも気にしていないらしい彼は、次々に振り下ろされる手斧の柄を掌でいなすことによって、自身への斬撃を見事に防いでいた。

 その光景を見て、白雷は思わず感嘆の息をつく。

 さすが、というべきだろう。

 威遼には、あの少年がどのような戦い方をするか、ある程度予想がついていたに違いない。だからこそあえて何も持たずに挑んでいるのだ。

 そして相手の出方とその対処を見る限り、彼の読みは当たっている。

 それでもやはり、素手というのは無謀すぎるのではないかと思っていた。そんな白雷の心配も、この一連を見ていればすぐに立ち切れる。

 威遼の表情に焦燥の色は一切ない。むしろ笑みを浮かべて、冷静なままに、この戦いを楽しんでいるのだ。


「す、すごいですね……」

「ええ。そうでしょう。威遼将軍は、本当にすごいお人なんです」


 ごくりと息を呑む嚶鳴に、白雷は誇らしげに応えた。

 嚶鳴からすれば、目の前で起きていることが信じられない心地である。彼女にとって、尸解仙と戦うことができるほどの『強者』という存在は、自身の侍従である拿柯だけだったからだ。

 拿柯はただの人間ではない。幼いころに義父である仙人に拾われ、修業を重ね、いずれは自身も仙人へ変ずる少年だ。生まれながらの、と言っても過言ではない彼が、未だ仙人に成れない理由――それが、戦いというものへの執着だった。

 だから、いくら国の将軍のトップとはいえ、仙境に身を置いている拿柯を相手にして、互角に渡り合うどころか、勝利することなどありえないと、彼女は思っていた。

 だが、実際はどうだろう。

 目の前では二人が激闘を繰り広げていて、彼女が想像していたものとはまるで違うのだ。

 押されているのは、拿柯のほうだ。

 彼の金眼は爛々と輝き、その口元は弧を描いているが、頬や腕、脚などの至るところに、威遼の攻撃で擦れた肌から血を流している。一方、威遼の方は傷ひとつ負っていない。息も上がらず、まだまだ涼しい顔で彼と立ち合っていた。

 こんなことがあるのかと、嚶鳴は驚愕し続けている。

 しかしその直後、彼女はとある違和感に気づいた。


「あれ?」

「どうかしましたか?」

「あ、いえ……あの人、あんな髪の色でしたっけ」


 白雷の問いに、嚶鳴が指を差す。

 その先にあるのは、己の従者を圧倒する、威遼という将軍。

 首をかしげ、嚶鳴は自分の目を擦った。何度も瞬いて、目の前で起きたことを確認する。

 息もつかせぬ戦いが繰り広げられている丘の上、何度も風に閃く彼の髪。後ろにひとつ束ねられたそれが、色を変えている。


「焦茶色の髪、だったはず」


 数分前の記憶を思い返す。それは間違いないはずだ。嚶鳴は、自分の記憶力の高さに自信があった。

 しかし、威遼のその髪は、いつの間にか赤銅色へと転じていた。

 毛先からじわりじわりと色が染むように、全体へ赤銅が広がっていくのが見える。

 それは対峙する少年の赤毛にも似ているが、それよりももっと、脈打つような、人の生の色に似ていた。


「あ、気づきましたか、ぼくが威遼将軍を連れてきた理由」


 白雷はどこか嬉しそうに応える。そして、二人の戦いを見つめながら言った。


「あの人は貴方に――巫者に並ぶほどに貴い力をお持ちなんです。本人は気づいていませんけどね」


 言葉の意味が分からず首を傾げるばかりの彼女を置いて、白雷は戦いの行方を見守る。

 一刻も経たず、やがて、勝敗は決した。

 いくつかの赤いしずくが地に落ちる。そのいずれもが、金眼の少年のものだった。


「ふーっ、ふーっ」


 獣の唸りにも似た荒い息を整えながら、拿柯はその場に膝をついた。

 額からは玉のような汗が流れ落ち、肩を上下させている。手斧を握る手は震え、滴る汗と血で柄に巻いた革は滑っていた。

 一方の威遼はといえば、服についた砂埃を軽く払い、乱れた髪をほどいて手櫛で整えているだけだ。

 その表情は実に満足げで、彼は笑顔で手を差し出す。


「いや、いい仕合だった。ありがとうございます、拿柯殿」

「……こっち、こそ」


 息も絶え絶えに、それでもなんとか答えて、拿柯は威遼の手を取る。そのまま引っ張り上げられて、よろめきつつも立ち上がった。

 そんな二人の様子を見て、白雷は小さな笑みを浮かべる。

 白雷は知っている。仙人と人間の力量の差を。仙人が本気で戦うとなれば、本来は人間など歯牙にもかけないことを。

 いかにまだ未熟な仙人とはいえ、戦いというものを好む拿柯も既にその領域にあった。そんな相手を前にして威遼が勝てるかどうかというのは、正直なところを言えば賭けだと思っていた。

 しかしそれも杞憂。目の前で繰り広げられた光景は、白雷の期待以上のものだった。


「本当に、だから手放せないんですよねぇ」


 目を細めてぽつりとつぶやく白雷の声は威遼に届かない。

 だが、隣に立つ嚶鳴には聞こえていたらしい。


「えと、何か言いましたか?」


 不思議そうに見上げる彼女に、白雷はにっこりと微笑んだ。


「いえ、なんでもありませんよ。さ、これで皆さんも覚悟が決まったことでしょう。嚶鳴さんも、もう威遼殿を信用できますよね?」

「うっ……ま、まあ、拿柯に勝ったんですから、これ以上文句は言いません」


 渋々といった様子ではあったが、ようやく納得してくれたようだ。

 そんな彼女の頭をよしよしと撫でて、白雷は改めて兵士たちへ視線を向けた。そこには腰を下ろして観戦していた張と徐福の姿もある。

 彼らは一様に、驚愕の眼差しをもって威遼を見上げている。

 それはそうだ。威遼は武器を持った相手に傷一つ負わず勝利した。いかに彼の強さを間近で見ていた兵士たちであっても、改めて度肝を抜かれて仕方がない。そんな部下たちのもとに笑いながら戻ってきた威遼は、腰をかがめて彼らの顔を覗き込んだ。


「さて。お前たち、腹は決まったな?」


 その問いに、丘が揺れるほどの声が上がる。

 部下たちの野太い歓声に眉を下げて笑いながら、威遼は紐で自身の髪を結び直した。

 赤銅に染まっていた髪はいつの間にか元の焦茶色に戻っている。毛先の色を確認して、威遼はその不思議さに首を傾げた。

 やはり、気づけばおかしな色になっていた。しかし放っておけばこうしてすぐに色が戻る。

 なにも知らない威遼自身は、変な体質だと思いながら、毛先をひょいと後ろに流すのであった。

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