第10話 北の巫者

 日が昇ってすぐに、一団は移動を始めた。

 先頭をゆくのは徐福じょふくちょう。その後ろにすぐ続いて、白雷はくらいりょうが進む。

 一部だけが馬に乗り、残りの兵士たちは徒歩での移動である。全員が騎兵であればもっと早く移動ができるのだが、北砦に戦力が残っていることを期待できない以上、ある程度の規模を連れて行かなければいけないことは明白だった。

 そのぶん行軍速度は遅くなってしまうが、それでも白雷はなんとか速度を重視して進められるよう、新人を外して精鋭だけを集めるように指示していた。なにしろ時間はあまり残されていないのだ。時間をかければかけるほど事態は深刻化する。王都に残っているきょうの術も、りくたんにかけられた悪意を無限に留められるほど強くはない。

 しかし、急ぐからこそ、事を慎重に進めなくてはならないのも事実。

 周囲を警戒しながら進んでいく彼らに、数町ほど先に進んで様子を探っていた拿柯なかが戻り、道の先を指さした。


「着いた。封神塚ほうしんづか、この、先のところ」


 その言葉に張が手を挙げ、一行は足を止める。

 目的地である北砦の手前に置かれた封神塚ほうしんづかは、そこからさらに数十歩ほどのところにある小さな丘の上にあった。

 周囲には木々が生い茂り、草木に覆われた地面は起伏が激しく歩きにくい。

 徐福は懐から地図を取り出し、目の前の丘を見上げてみる。たしかに地図と照らし合わせても、位置は合っている。とりあえず今日はこの場所にたどり着くのが目標であったため、振り返って白雷に声をかけた。


「尚書令、間違いないようです。こちらに待ち合わせている方がいらっしゃるはずですが」


 その声を受けて、白雷は馬を降り、丘のほうへと進んでいく。彼の背を少し離れて見守りつつ、威遼と徐福も丘を登っていった。

 封神塚の周辺は開けた場所になっていたが、周りはやはり森に囲まれている。威遼は匂いをかいでみたが、わずかに獣臭がするくらいで、人がいるとは思えない。

 白雷が探している人物の姿かたちが分からない以上、威遼は自分たちが周囲を警戒しておくべきだと考えた。


「妙だな」

「なにがです?」

「いや、人の気配がしない。獣の匂いはあるんだが」

「たしかに、言われてみるとそうですね。本当にここで合っているんでしょうか」

「まあ案内役がそう言っているのだから間違ってはいないと思うが……」


 赤毛にちらりと視線を向ける将軍と副官。案内役本人である拿柯は、その視線にきょとんとしたまま立っている。

 正直なところ、威遼と徐福はいまいち状況がわかっていない。もともと彼らが向かうべきは北砦であって、封神塚はその途上にある場所でしかない。

 張と拿柯によれば、白雷が会いたいという人物はそこにいるというのだ。しかしその姿は一向に見当たらない。

 どうしたものかと考えていた二人。しかし、ふと、その背後で何かが動く気配がした。


「誰だ⁉」


 咄嵯に身を翻し、武器を構える。

 その動きに驚いたのだろう、近くの木の陰で、びくりと小さな肩が跳ねた。

 そこにいた人物はすぐに立ち上がり、おずおずといった様子で木々の隙間から顔を出す。

 年の頃は二十歳前後だろうか。柔らかそうな茶髪に薄氷の目をした娘だ。

 娘は慌てて手を振りながら声を上げる。


「あああのっ! 敵じゃないです! 敵じゃないので攻撃しないでくださいーー!」


 両手を上げながら叫ぶ彼女に、二人は困惑した表情を浮かべる。

 それに気づいた張が振り返り、やれやれと頭を掻いた。


「お前さん、そんなところにいたのか。なかなか出てこないから猪にでも食われたかと思ったぞ」

「だ、だって、男の人ばっかりだし……こんなにいっぱい人が来るなんてきいてなかったし……」


 小さく縮こまりながら何事かをつぶやく彼女は数拍置いてから、改めて三人に向き直り、ぺこりと頭を下げた。


「お、お待たせしました! 玄武げんぶ巫者ふしゃ嚶鳴おうめいと申します。えっと、よろしくお願いします!」


 彼女の名乗りに、威遼と徐福は互いに目を合わせた。


「聞いたことがある名だな」

「私もです。たしか北のほうにいるとかいう、有名な巫女様ですよね」


 その言葉に、張は首を傾げた。


「そうだが、お前さんらは会ったことがないのか? こいつは国防のかなめでもあるんだぞ?」


 その問いに、威遼と徐福は揃って首を振る。

 兵士である自分たちに課せられているのはあくまで自分たちの武力による戦闘と防衛であって、巫者の力を借りることはない。

 国防のかなめであることは知っているが、彼女たちが関わるのはおおむね祭事や儀式のときだ。その際は文官たちが仕切ってしまうので、たいてい見まわりや守備に回される兵部官らが直接会うようなことはないのである。

 目の前の娘―――嚶鳴は、その年齢にしては小柄だった。体格的にはまだ子供といっていいかもしれない。

 彼女がこの若さであれだけの名声を轟かせているのは、ひとえにその才能ゆえである。

 そもそも巫者とは、天地神の力を借り受けて奇跡を起こす術師のことだ。当然その能力には個人差があり、同じ術を使う者でも大きく結果が異なる。

 たとえばそれは火を操る術であったり、風を呼び起こす術であったりするのだが、国の祭事に関わる巫者ともなれば、国中のどの術者にもない大きな力を持つことが求められる。

 それができるからこそ、彼女は『玄武巫者』という、王都にも名が届くほどの有名人なのであった。


「まさかそんな高名な方にお会いできるとは」

「そ、そんな大層なものじゃありませんよ。ただちょっと特殊な体質で、他の人より力が強いってだけで……」

「それを世間一般では特別な人間と言うんだよ。さて、肝心の白雷尚書令をお呼びするから、そこで待っていなさい」

「うう」


 張の口から白雷の名をきいた嚶鳴は、肩を縮こまらせて萎んでしまった。

 なぜそこまで怯えるのだろう。威遼たちのような明らかな武人ならまだしも、白雷は文官であって、そのうえ容姿も華奢で小柄なのだから威圧感など皆無といっていい。疑問に思った威遼が声をかけようとしたそのとき、ちょうど白雷がやってきた。


「あ、いたいた。お待たせしました~!」

「ひゃあ⁉」


 現れた白衣の人物に、彼女は飛び上がって驚く。

 そしてそのまま威遼と徐福の後ろに隠れてしまった。


「え、なんですかこれ?」

「自分たちが聞きたいくらいでして」


 白雷は二人の後ろに隠れる少女を見て首を傾げる。

 その視線から逃れるように、彼女はさらに小さくなって身を隠す。


「あれぇ、お二人は巫者さんのお知り合いでしたっけ?」

「いや、我々は初めて会ったのですが……巫者殿、こちらが白尚書令殿ですよ」

「へ!? あの、その、えっと」


 威遼の言葉に彼女は目を丸くしてぴょんと跳ねた。

 そして、恐るおそる白雷の顔を見上げる。


「え、えと、お久しぶり、です」

「はい、お久しぶりです。嚶鳴さんもお元気そうでなにより」

「そ、そうですね。ええ、とくに病気や怪我などはなく……」

「それはよかった。でも、どうしたんですか? なんだか様子がおかしいようですけど」

「えっ⁉」


 不思議そうな顔で見つめてくる白雷に、彼女はびくりと体を震わせる。


「あ、いえ、なんでもないんですよ! 気にしないでください!」

「そうですか? えと、ではさっそくなんですが」

「ちょ、ちょっと待って!」


 本題に入ろうとした白雷を、嚶鳴は手を挙げて止めた。

 その目はぐるぐると泳ぎまくっており、明らかに挙動不審である。いったいなにをしているのかと呆れていると、意を決した様子の彼女が勢いよく飛び出て、くるりと振り返った。

 その視線の先にいるのは、威遼と徐福。

 彼女は二人に向かって、ぴっ、と指を差した。


「張さんと白雷さんのご紹介があるとはいえ、初対面の人にいきなり協力することはできません! そもそも、相手はあの尸解仙しかいせんですよ⁉ ただの人間が太刀打ちできるはずないじゃないですか!」

「はぁ、なにを言い出すのかと思ったら」


 唐突な彼女の訴えに面食らいつつ、白雷はふぅ、とため息をつく。

 そしてゆっくりと近寄ると、彼女の顔を覗き込むようにして問いかける。その口元には笑みが浮かんでいて、どこか楽しげだが、残念ながら目だけは笑ってはいなかった。

 そんな彼に至近距離から睨まれた少女は、ひぃっ、と悲鳴をあげて硬直してしまう。


「いいですか、事は一刻を争うのです。そんなことを言っている場合じゃないことはご存じでしょう?」

「で、でもだって、じゅつっていうのは、信頼できる相手だからやれることであって」

「彼らはぼくが信頼して連れてきた方々です。それに、主上の命に逆らうというのは、いかに五神獣の加護がある巫者様であっても許されませんよ?」


 震えながらも反論しようとする彼女に対し、白雷はさらに一歩詰め寄って言葉を続ける。

 その表情は真剣そのものだ。まるで戦場に立っているかのような気迫を放っており、彼が放つ圧力におされたのか、それとも恐怖に負けたのか、彼女はついに黙り込んでしまった。

 その様子を見ていた威遼は、さすがに嚶鳴のことが可哀そうに思えてしまい、まあまあ、と白雷を宥めるため声をかけた。


「尚書令殿、落ち着いてください。我々にも、巫者様のお気持ちは理解できます」

「む、威遼将軍」

「出会ったばかりの我々を信用しろというのは難しいことでしょう。無理に進めて失敗することが一番恐ろしいのですから、多少の時間がかかったとしても確実に成功させたい。まずは、巫者様のお話だけでも聞いてみましょう」

「……なるほど、それもそうですね。では」


 威遼の言葉を聞いた白雷は、あっさりと態度を変えてこちらへと向きなおった。

 そして一つ咳ばらいをすると、改めて威遼たちに説明を始める。


「まず、この方は、四禍を封ずる際、初代の王に協力した五神獣ごしんじゅうの一神、玄武げんぶ巫者ふしゃ様です。彼女たち巫者は、各々の契約上にある霊獣の力を借り受けることができる唯一の存在。そして、四禍を封じるときにも、当時の巫者は力を行使し、その身を天に捧げたといいます」

「さ、さすがに封代の巫者と同格に思われるのはちょっと……で、でも、はい、私たちにはそういう力があるのです! えっへん!」


 白雷の説明の後、彼女は慌てて前に出て胸を張った。


「ええと、つまり巫者様のお力を借りれば、せいを倒すことができる、ということですか?」

「まあ、おおむねその通りですね」

「しかし、そのようなお話は聞いたことがありませんよ。それに、尸解仙は不死なのでしょう? その不死性はどうなるのです?」


 徐福が疑問を口にする。

 たしかに、その点については威遼も気になっていた。

 白雷が語った内容はあくまで伝説であり、確証はない。ましてや相手が不老不死の仙人であれば、たとえ倒すことができたとしてもすぐに復活する可能性も十分にある。

 果たして、本当にそれで解決できるのか――そんな疑念が二人の頭に浮かんだとき。

 白雷が、ちっちっ、と指を振ってみせる。

 その仕草に二人は首を傾げると、白雷はにっこり笑って言った。


「勘違いなさっているようですが、天地万物に本当の不死、すなわち『不滅』というものは存在しません。仙人や神を含め、伝承上の『不死』というのは、あくまで人間と比べてということでしかない。我々と同じように、彼らにも必滅の摂理は当てはまるのです」

「では、巫者様の力で尸解仙を倒した後、再び蘇ることはない、と?」

「もちろん可能性としてはなくもないでしょう。ですが、それは今考えることではありません。我々は、彼らを操っている元凶、靑娥さえ倒すことができれば、ただの抜け殻になった尸解仙であればいくらでも対処できるんですから」

「ふむ。そういうものですか」


 白雷の答えを聞いて、威遼と徐福は納得し頷いた。

 そして互いに顔を見合わせると、改めて白雷の方を向いて問いかける。


「では、その。巫者様に協力していただくには、我らはどうすればよいのでしょう?」

「そう。問題はその点ですよ。どうなんです、嚶鳴さん?」

「ひっ! あ、は、はい! えーと、ご説明、します……」


 急に話を振られた彼女は、びくんと肩を震わせると、あたふたしながら話し始めた。

 嚶鳴が契約を交わしている玄武の力を借り受ける儀式。これはそもそも定期的な国事で繰り返し行ってきたことなので、その儀式の手順自体に問題はない。

 問題があるのは、儀式を行っている間のことだ。とても強い力を行使することになるため、どうあがいても絶対に靑娥に察知されてしまう。そうなれば、靑娥は必ずこちらに対して攻撃を仕掛けてくるだろう。つまりはその攻撃から彼女の身を守る必要がある、ということだ。


「だから、戦える人が必要なんです。でも相手は靑娥の作った尸解仙でしょ? 普通の人間じゃ、勝てるわけないじゃないですか」


 彼女はそう言って、困り果てたように眉を下げた。

 だが、白雷はそんな彼女ににこりと笑いかけると、とんでもない言葉を口にする。

 それはあまりにも無謀すぎる提案と言えた。


「やらなきゃ国もろとも死ぬんですから、やるしかないんですよ。大丈夫、うちの軍ならできます!」


 きっぱり。

 白雷は、そう言い放った。


「……えぇっ⁉」

「うわぁ」

「マジかよ」

「うそぉ」

「ちょ、ちょっと待ってください! それってどういう……」


 あまりに強引かつ大胆な白雷の発言に、さすがの威遼以下、兵士たちも天を仰いで呆然とするほかない。

 しかし、そんな彼らに対し、白雷はなおも笑顔を浮かべたまま平然と言葉を言い連ねる。


「いやだって、そうとしか言えないんですもん。やるもやらぬも同じでしょ? だったら、他に方法なんてあるはずないんですから、やらないと、ねぇ」

「そ、それはまあ、その通りではありますが」

「それに尸解仙は、不死ではあっても無敵じゃない。先ほどお話しした通り、彼らはあくまでも不老不死であって不滅ではありません。必ずどこかに弱点があります。現に巫者の力は、彼らにとって弱点になり得るものなんですから」

「仰る通りですけどぉ」


 頭を抱える兵士たち。ただでさえ戦意が下がっているというのに、そのうえからさらに被せられた必至宣言に、彼らが素直に頷くことができるはずもない。


「いやまあ、そりゃそうなんだろうけどさあ。だからってなあ」

「ていうかこれ、俺たちがやられる前提の話だよな」

「あんなの相手に戦うとか普通無理だし」

「でもやらなきゃほんとに死んじゃうんでしょ?」

「まあ、やるだけやってみてもいいとは思うんだけど」


 口々に不満を漏らす威遼将軍兵団ご一行。

 すると、そんな彼らの様子を見かねたのか、白雷はぷくりと頬をふくらませた。


「もう、最初から死ぬと思ってやるんじゃありませんよ。当然、手は尽くしてから、です。それに、言ったでしょう?」


 つかつかと威遼らの目前へ進み、先ほどと同じように、ちっちっ、と指を振る白雷。

 天真爛漫な無邪気さを絵にかいたような、実に可愛らしい笑顔で、彼は再びこう言った。


「大丈夫、うちの軍ならできますから!」

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