第9話 合間
一方で、離れた幕舎では
他の兵士たちは見回り役以外、みな寝静まっている。いかに歴戦を戦い抜いてきた者たちでも、今回の敵は人ではなく妖だ。そのうえ凄惨な様相となった北砦には、彼らの友も多くいた。その結末を知り、戦意を喪失し、意気消沈している者もいる。
そんな中で、彼らが平常通りの勢いで進行ができているのは、ひとえにこの軍の
その手腕を買われて今回も
そんな張の心中など知る由もないであろう徐福は、普段と変わらない調子で話しかけてくる。
張はため息交じりに応えた。
「お前さんは本当に欲がないな」
「いきなりどうしたんだい? 俺だって、もっとたくさん欲しいものがあるよ」
「たとえば?」
「そうだねえ。お酒とか?」
「……やっぱり相変わらずだ」
「それから、美味しいご飯も食べたいなあ。あとふかふかのお布団。眠る隣にきみがいてくれればもっといい」
冗談とも本気ともつかないことを言いながら、徐福はけらけら笑う。
張は彼のこういうところが苦手だった。昔からよく知っているとはいえ、張は徐福に負い目がある。だから今回、彼から
「お前さんの立場は知っているがね。まさか今回の件ですら副官を担おうとは」
「いやいや、今回の件だからこそ俺が行かないとだめだろう。あの靑娥が相手なんだからさ」
そう言って徐福はまた笑う。
だがその笑顔はすぐに消え去り、代わりに真面目な表情が浮かぶ。
「きみを巻き込んだことは悪かったと思ってる。けど、威遼将軍に死なれるわけにはいかないからね」
その言葉に張は小さく息をついた。
まったく、こいつはいつもこうだ。
張は徐福のそういうところが嫌いではなかった。むしろ尊敬すらしている。
この男は、自分のことを犠牲にすることを厭わない。他人のために自分を顧みずに動くことができる。
それはある意味で美徳であるが、同時に欠点でもある。
彼は自分のことに関してのみ、ひどく無頓着だ。かつての事件のときも今も同じ。この軍において彼の代わりはいないのに、彼自身が自分の価値に気づいていない。
だからこそ、彼を生かすために自分が同行するのだった。
「それに、
「白雷殿に?」
「うん。出発前にじゅうぶん言い含められたよ。『威遼将軍の身に何かあったら許さないから』ってさ。人使いが荒いよねえ、まったく」
「あの方は、威遼将軍をずいぶんと信頼してるようだな」
「あれはただの信頼じゃない。それこそ恐ろしいくらいの執念さ。実のところ、あの人は彼さえ生きていればそれでいいんだ」
その言葉に、張は眉をひそめた。
張は、白雷という人物は何かに執着するような人間ではない、と思っている。しかし、いつも浮世離れした態度で飄々と
ただ、威遼という男にそれほどの価値があるのか、張にはわからない。
「まあいいさ。どういう思惑があるにせよ、俺は命令されたことに従うだけ。それで、俺たちはこの先どうすればいいんだい?
「ああ、その人の行方はもうわかっている。連絡も取れているから問題ない。二日もしないうちに合流できるだろう」
「ならいいけど。ところで、あとひとつ気になっていたことがあるんだが」
「なんだ?」
「いや、あの少年。ええと確か……」
「
張はそう言って視線を幕舎の外へ向けた。
入り口の開かれた幕の向こう、いくつかの武具が備えられた外棚を、興味深げに眺めている影がひとつ。張と徐福が目を向けていることに気がついたのか、その人物はこちらへ顔を向けた。
まだ幼さが抜けきらない顔立ちの少年だ。燃えるような赤い髪に金の瞳、手足は細いが、引き締まった体には無駄のない筋肉がつけられていた。
徐福はその姿を見た瞬間に、脳裏にある人物の名が浮かんだが、すぐに打ち消した。そんははずはない。もしそうだとしたら、本人がすぐに気づくはずなのだし。
「いや、俺は見覚えがないから、あの子は兵士じゃないだろう? かといってあの髪色なら仙人でもないだろうし。どうして連れてきたのかなと思って」
「ただの護衛と道案内役だ。これから会いに行く人の侍従でね。そこまでの道中を導いてくれているんだよ」
「ああ、なるほど。そっちのね。てっきりきみが手駒を増やしたのかと思っちゃったよ」
「増やすわけないだろう。ただでさえお前さんで手一杯なんだぞ」
張の言葉に、徐福はすこし照れたように笑った。
そんな二人の様子を、少年は不思議そうな顔で見ている。その少年――
張が言った通り、自分はこの者たちの道案内をすることになっている。そして、おそらくは彼らが捜し求める己の主と会うまで、その任を解かれることはないだろう。
それは彼にとっても望むところであった。自分に命じられたことを完璧に遂行することは、彼の至高の喜びだ。しかし、だからといって、警戒を解くこともできない。彼らを己が主人に会わせていいものかと、まだ判断できずにいた。
主の命は絶対だ。
しかし同時に、この者たちのことを調べろ、と命じられている。
どちらを優先すべきか。
彼はその答えを出せないまま、ただふたりのやりとりをみつめ続けていた。
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