第8話 あなたはそれを視る。

 夜半の刻過ぎ。

 幕舎を出たりょうは、そのまままっすぐにはくらいの幕舎に向かった。

 話があることは事前に伝えておいたから、おそらく彼はまだ起きているはずだ。

 彼の幕舎に近づいてみると、彼はすぐそばに腰を下ろして夜空を見上げていた。いつもの天真爛漫な様子ではない、どこか物憂げな雰囲気を纏っている。

 その姿を見た瞬間、やはり彼には何かあるのだと確信する。

 移動にかけているこの数日、白雷と張の説明は続いていた。しかしそのゆえに、出立前に話していたことを、まだたずねることができていない。


『ぼくのとでも思ってください』


 白雷は確かにそう言っていた。威遼は、ずっとそのことを聞きたかったのだ。

 あの夜に彼が連れていた牛のような生き物。はじめは外来生物かとも思っていたが、あれが妖であったのなら、彼がこういったことに詳しいことも理解できるかもしれない。


 威遼は意を決して、白雷に声をかける。

 すると彼はすぐに振り向き、そして笑みを浮かべた。

 その表情は普段と変わらないように見える。しかしそこに少しだけ違和感を覚えてしまうのは、自分の気のせいではないと思う。


「お待たせしました、尚書令殿」


 声をかけると彼はすぐに返事を返す。その顔には一寸前の憂いはなく、普段と同じ屈託のない明るいものに戻っていた。

 あらためてその様子をみていると、彼は誰のことも信用していないように思えてしまう。それは彼が抱えている秘密ゆえなのか、それとも性格によるものなのか、定かではない。

 しかし、前者だとしたら――自分は、やはりそれだけは、口にすることはできないのだ。


「いいえ、待ってはいませんよ。ぼくも威将軍とお話したかったので、ちょうどよいお誘いでした」


 微笑む彼にこちらも笑顔を向けてみるが、上手くできたかはわからなかった。


「そう言っていただけるとありがたい。先日、貴方が仰っていたことについて伺いたいと思いまして」

「ぼくが言ってたことですか? んー、なにか言ってましたっけ?」


 わざとらしく首を傾げる白雷を。やはり彼はなにかを誤魔化そうとしている。

 だが今回は、本人がああ言っていたのだから追及しても構わないだろう。それに同僚たちが巻き込まれている以上、今後もこういったことは起きるかもしれない。ならば早いうちに真実を知っておくべきなのだ。

 そう思い、意を決して口を開く。


「尚書令だけはない、貴方のについて」


 威遼が言葉を告げると、白雷はすこし諦めたように眉を下げた。


「あー……やっぱり覚えてましたか。そのままうやむやにしようかなって、ちょっと思ってたんですけど」

「記憶力は良いほうでして。問わぬほうがよい事でしたか?」

「いやいや、そういうわけじゃありませんよ。でもまあ、なんていうのかな。まだすこし覚悟がなくって」


 白雷は眉を下げたまま頭を掻く。

 その仕草は見目相応に見える。小さないたずらが発覚してしまった子どもが謝るときのそれに似ていた。


「どこから説明しようかな。えーと、張さんとぼくが知り合いだったってことは、もうお気づきですよね」

「ええ。そのようですね」

「それで、ここに来るまでに仙人のお話をしたと思います。仙人には、天仙てんせん地仙ちせん尸解仙しかいせんという三つの区分がある」

「はい、それも教えていただきました」


 そこまで言うと白雷は大きく息を吐いて、そうっとこちらに近づいた。

 その距離は肩が触れ合いそうなほど近い。ふわっと甘い香りがして、思い出さないようにしていた感情が呼び起こされそうになり、小さく頭を振ってそれを振り払う。


「尸解仙の説明は先日の通りです。そして、これはあくまで本人が公言しているからお伝えできることなのですが……張さんは、のひとり。つまり、せいとは違って、正規の方法で仙人となった者、ということですね」


 ――張が、仙人。


 それは確かに衝撃的な事実だった。

 この数日をともに過ごしている彼が、今までは伝説上の存在と思い込んでいたような、そんな存在だったとは。

 しかしその驚きとともに、やはり疑問が募る。

 それが、白雷の『もう一つの顔』とどう関わるというのか。


「張殿が仙人であることと、貴方の仕事にどのような関係があるのです?」


 威遼の言葉に、白雷は一瞬だけ目を伏せた。

 数度声なく口を開閉させてから、ふうーっと息を吐いて、顔を上げる。


「ぼくはね、仙人から生まれました」


 威遼が彼の口から発せられた言葉の意味を理解するまでに、数秒を要した。

 そして理解したあとも、その頭には疑問符が浮かんでいる。

 彼が何を言っているのかわからなかった。いや、意味としては、理解できる。しかし、それを彼が口にしたことへの違和感があった。

 その違和感に対して補足するように、白雷は言葉を続ける。


「詳しい経緯とか方法は省きますけど、ぼくの体はいわゆる半仙はんせんというものでして。だから普通の人間よりもずっと頑丈ですし、今回のように通常の人知が及ばないことでも、術を用いた対処ができる。尚書令ではないぼくのもう一つのお仕事は、こうやって『歴史の影に隠されているもの』の解決なんですよ。妖退治とかもそうですね」

「……」

「主上はもちろんご存じのことです。それ以外の方は――えい丞相のほうには伝えてありますが、がく丞相はたぶん知らないかな。それと、あの様子なら、りゅうぜん宰相は知ってたみたいですね」


 白雷はそこまで言い終えると、ころころと笑った。

 その表情からは彼がどんな気持ちなのか読み取ることができない。普段通りの笑顔ではあると思うのだが、威遼には、それが以前のものとは違うものに見えてしまった。

 いま目の前にいる白雷が、彼と同じ顔をした別人のように思える。

 言葉を発さない威遼に構わず白雷は続けた。


「まあ、そんなわけなので、ぼくは仙人の皆さんにツテがあるんです。張さんとも、その一環で知り合ったんですよ。頑固な方なので、まさか協力してくださるとは思っていませんでしたけど」


 白雷はそこまで言うと、今度は腕を組んで考え込み、独り言のようにもごもごと言い始める。


「さて、どこまで話しちゃっていいのかなぁ。あんまり話しすぎると、他の仙人にも迷惑かかっちゃうかもしれないし。うーん」

「なにを悩まれているのですか?」

「え? ああ、いえいえ! べつにたいしたことでもないですよ。ただ、どこまで話していいものかなーと」

「貴方が私に伝えていいと思ったところまでで、結構ですよ」

「うーん……じゃあ、そうしましょうかね」


 白雷は組んでいた腕を解くと、威遼を見上げてにこりと微笑み、人差し指をちょんと唇に当てた。


「とりあえず張さんと、ぼくの身の上と、ぼくが『歴史の影に隠されているもの』に関わっていることは、他言無用ということで」

「わかりました」

「ありがとうございます。ではもう一つだけ、お話をしますね」


 白雷はすこし身を乗り出して威遼に近づく。

 急に高鳴った鼓動をきかれまいとして威遼は反射的に身を引いたが、白雷はその動きに合わせてさらに距離を詰めてきた。

 そして白雷は内緒話の体勢のまま、小さな声で囁いた。

 その吐息が耳にかかるようでぞくりとする。心臓がうるさいほどに脈打って、その音を聞き取られないようにと思いながら、彼の言葉に耳を澄ませた。


「半仙はね、人間から仙人に者ではない。ですから、生まれながらにもっている、人ならざる力があるんです」


 白雷の声が、静かな夜に響く。


 人あらざれば、鬼となり。鬼ならざるもまた、人でなし。


 この国で言い伝える妖というものを表する一節。

 それを思い起こさせるような声色だった。


「ぼくは、この世の運命の流れを、視ることができます」


 彼の瞳がこちらを捉える。

 威遼はそこに映る自分の姿を見た。


「そして、あなたが持っている運命はおそらく――」


 白雷の言葉が耳に届くと同時に、彼はふっと離れていった。

 呆然とする威遼を尻目に、白雷は姿勢を正すと「では」と言って立ち上がる。

 そしてそのまま背を向けて歩き出そうとしたが、何かを思い出したように立ち止まり、振り返って言った。


「ああそうだ! もし今後、ぼくになにか相談したいことがあったら、いつでも言ってくださいね。そのときは、ぼくも全力で、あなたのことを助けますから!」


 白雷はそれだけ告げると、今度こそ踵を返して幕舎へ戻っていった。

 その背中が見えなくなるまで見送ってから、威遼はその場に呆然としゃがみ込む。


「……なんだあれは……」


 顔の熱が冷めやらない。

 やっと落ち着いたと思ったのに、これではあの夜と同じ。

 やはり自分は、どうしようもなく彼に魅せられてしまっているらしい。

 これから先、彼と過ごす日々の中で、自分はいったいどんな顔をしていればよいのか。

 答えの出ない問いに頭を悩ませながらも、しかしどこか心躍らせている自分がいるのを自覚して、ふと口元が歪むのを抑えられなかった。

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