第7話 四禍

 むう、と不機嫌さを滲ませている同僚に、りょうは苦笑を浮かべていた。


「わかっては、いるのだが。我には何も出来ぬと突きつけられているようで、あまり気持ちのいいものではない」

「まあ、そう言うな。俺たちだって同じだ。結局のところ、あいつに頼るしかない」

「だが、我はアレが嫌いだ」


 きっぱりと告げられた言葉に、思わず威遼は噴き出した。

 突然笑い始めた威遼に、彼はさらに眉間のしわを深めて睨んでくる。なんとかそれを宥めつつ、しかしやはりこみ上げてくるものを抑えきれずに、肩を震わせていた。


「お前は本当に、きょうが苦手だな」

「アレの考え方が好かん。そのうえ面倒な奴だ。自ら好き好んでアレと付き合おうというのはこうくらいであろうよ」

「いやあ、俺は尚書令も相当だと思うぞ。いや、むしろ」


 はくらいのほうが厄介かもしれない。

 そんなことを考えながら、威遼はそっぽを向いてしまった同僚の肩をぽんぽんと叩いた。


「そう拗ねるなばんれい。とにかく、今日明日でりくたんが死ぬということはなくなったのだから、俺たちはあの二人に感謝せねばなるまい」

「ふん」


 万禮は鼻を鳴らして顔を逸らす。

 だがそれ以上何も言わないのは、彼自身もその通りだと認めているからだろう。

 人一倍目をかけていた後輩の命が長くないと聞いて、最も狼狽していたのは彼だ。このままでは取り返しのつかないことになるのではないかと、ずっと気がかりだったに違いない。

 それがこうして無事に――とはいかないまでも、最悪の事態を回避できるのは喜ばしいのだ。


「とはいえ、まだ予断を許さない状況であることに変わりはない。もう少し、気を引き締めていてくれ」

「わかっている。西方は気にせずともよい。賊でも匈奴でも、我が国に仇成すものは、必ず駆逐して進ぜよう」

「ああ、頼んだぞ」


 万禮は立ち上がり、威遼を見下ろした。


「それよりも貴様はどうなのだ? 先ほどから落ち着きがないように見えるが」

「そうか?」

「そうだ。何か心配事でもあるのか?」


 問われて、威遼は目を瞬かせる。


「いや。なんでもないさ。きっと杞憂に終わる」


 誤魔化すように首を振った威遼をじっと見つめた後で、万禮はふっと表情を和らげた。


「まあよい。もし何かあればすぐに申せよ。我が力になろう」

「ああ、助かる」

「ではな。死ぬなよ、威遼」


 万禮はそれだけ言い残して、その場を去った。

 一人残された威遼は、万禮の姿が見えなくなるまでその場に立っていた。

 彼の姿が消えた後もしばらくその方向を見ていたが、やがて踵を返す。

 そろそろ時間だ。自分も出立しなくてはならない。

 北の砦はいまどうなっているのかと思案するも、予想すらつかなかった。今からそこに向かわなければいけない以上、どんなものが現れたとしても引くわけにはいかないのだが、それでもやはり、陸淡が気を病むほどのものがいると思うと、少しばかり恐怖が浮かんでしまう。


(大丈夫だ)


 自分に言い聞かせるように胸中で呟いて、威遼は歩いた。

 目指した先は王都の北門だ。まずは事の次第を確認するため、現場となった北砦へ赴かなくてはならない。

 少し歩けば、やがて門の影が見えてくる。

 そのすぐそばには、既に白雷の姿があった。


「お待たせしました」

「いえいえ。万禮殿のお見送り、お疲れさまでした。では行きましょうか」

「はい」


 威遼は白雷の隣に並ぶと、そのまま歩き出す。


「陸淡は、大丈夫でしょうか」

「ええ、大事ありませんよ。姜里殿も一緒にいらっしゃいますし、術も問題なく施されていますから」


 その言葉にほっと息をつくと、白雷も小さく頷いて微笑む。

 しかし安堵すると同時に疑問を覚えた。彼は何故、こんなにも落ち着いているのだろうか。

 威遼はここ数日浮かんでいた疑問を口にする。


「なぜ陛下は、この件を貴方に任せたのです?」

「ううん。まあ、端的に言えば、ぼくの仕事の一つだからですかね」

「仕事の一つ、ですか」


 白雷の地位は尚書令、つまり丞相府下の三省が一つ『尚書省』の長官である。

 自身の上司である以上、それは威遼もよく知っている。しかしそれと今回の件とに何の関係があるのかと眉を寄せれば、白雷は苦笑しながら口を開いた。


「実は宰相殿に会う前に、この件に関して、陛下から直接指示を受けていたんです。ぼくのだとでも思ってください。ぼくのお仕事、じつは尚書令だけではなくて」

「もう一つ、あると?」

「はい。これは、北砦に向かいながら道中でお話しますよ」


 白雷はにっこりと笑う。

 やがて北門から少し離れた位置、王都に最も近い集落が見えてきた。

 先に準備をするよう命じていた部下たちが、装備や馬を整え、兵站基地を建てている。それを一通り見て回り問題がないことを確認すると、隅にある天幕の一つに足を踏み入れた。

 そこには二人の男が待っていた。

 片方は、見慣れた顔だ。

 年の頃は三十前後。黒い髪と青い瞳を持つ、一見すると軟弱そうにもみえる風貌の男。だが彼が身に纏っているのは鎧であり、腰には剣を帯びているのだから、武官であることに違いはない。

 彼は威遼の部下であり、副軍長のひとり、じょふくである。


「ああ、威遼将軍。お疲れさまです」

「支度を一任してすまんな、徐福」

「いえ、こういうのは自分の得意分野ですから。いくらでもお任せください」


 落ちてきた髪を後ろに流しながら、徐福はにこにこと笑って答える。

 すこし食えないところはあるが、基本は忠義的で、任された仕事はきっちりやり遂げる男だ。

 そんな徐福の隣にいるもう一人は、初めて見る人物だった。

 目元だけを出して口と額を布で隠している。子どものように小柄に見えるが、それは腰が折れ曲がり、老人のように前かがみになっているからだと気付いた。

 彼は足腰が悪いのだろう。よく見ると、手には杖を持っている。


「徐福、そちらの方は?」

「ああ。そうだ、紹介しないといけませんね」


 そう言って、徐福は隣にいた小柄な人影の手を取る。


「こちら、ちょうといいまして、自分の幼馴染みなのです。普段はこのあたりの岩山で隠居をしているのですが、尚書令様が探している者の行方を知っているというので、このたびは協力してもらうことになりまして」


 よろしくお願いします、と頭を下げる徐福の手を、張と呼ばれた男はそっと握り返した。

 張は徐福の手を借りながらゆっくりと身体を起こし、顔を隠していた布ごと頭巾を外して頭を下げた。

 その下から現れたのは、長い髭と白い眉毛に覆われた、老人のような容貌である。


「張、と言います。どうぞよしなに」


 その声はひどくしわがれて聞き取りづらいものであったが、それでもなんとか聞くことができた。

 失礼とは知りつつも呆気にとられてしまった威遼の後ろから、白雷が天幕の入り口をめくりつつ顔を覗かせる。


「あれ、張さん? 珍しいですね、ご協力くださるんですか?」

「ええまあ。徐福からの頼みですし、それに、今回の件は私も興味がありましたからね」

「ははあ、ふむ。そうですか」


 白雷は納得したように一つ首肯すると、威遼と張の間に割り込むようにして中へと入ってきた。

 そしてぐるりと天幕内を見渡すと、感心するように声を上げた。

 その視線の先には積み上げられた兵糧の箱と、武器防具がある。

 武具はともかく、食料の量は膨大だ。長旅になることはわかっているので頼もしい限りだが、たかが数日でどこからこれほどの量をかき集めたのかと不思議に思う。

 しかし白雷はそれらを眺めると、嬉しげに微笑んだ。

 それから張に向き直って礼を言う。


「ありがとうございます、張さん。こんなにたくさん出していただいて、大変だったでしょう」

「なに、私には必要のないものですから。若人たちに食されたほうが、これらも幸せというもの」


 そう言って目を細める張に重ねて礼を言い、白雷は威遼へ向き直る。


「では、あとは皆さんの準備ができ次第出発しましょう。まずは北砦の現状確認です」


 白雷の号令のもと、威遼たちは北砦へと向かうことになった。

 北砦はその名の通り、王都から北へ大きく離れた国境付近に存在する、国防のための砦の一つである。

 王都から北砦まで、休みなく馬を走らせたとしても数日はかかる。

 威遼らは途中にある集落で夜を過ごしながら北を目指した。

 敵の現状がわからない以上油断は禁物であるが、白雷が言うには、北砦までの道程で襲撃を受ける可能性は低いらしい。


「王都と北砦の間には、人が暮らす集落が多く存在しています。それらは入れ替わりのある砦の兵士と違って、昔からその地に根付いて暮らしている人々です。そういう土地にはなにかしらがあって、いかにせいといえど、簡単に手出しすることはできません」


 馬に揺られながら、滔々とうとうと講釈を続けていた白雷がふと言葉を切り、少し考えてから続けた。


「せっかくですから、まずは靑娥がどういう存在であるか、からお話しましょうか。兵部の皆さんは、建国伝説についてどれくらいご存じです?」

「どれくらい、と言われましても」


 白雷の問いかけに、威遼と徐福は顔を見合わせた。


「自分が知っているのは、『国史記』に書かれているものです。それですべてではないのでしょうか」

「国史記ですか、なるほど。そうですね、たしかに国史記に書かれている建国伝説では、それが伝承のすべてであるとは言えません」

「そうなのですか?」

「ええ。このあたりは神話や伝承に詳しい人でもない限り、あまり知られていないことなのですが。実は国史記には書かれていない歴史があります。たとえば、どうして月は欠けるのかとか、なぜ太陽は一日の半分しか昇らないのか、といったことも含めて」

「それは……たしかに、自分たちにはあまり関わりのない分野のように思えますから、知りませんでした」

「はい。これは現陛下が即位なさるよりもずっと前から、ある理由で秘匿されてきたものなので」


 そう言って、白雷は小さく笑った。


「とはいえ、さすがに初代の王がどうやって神獣を従え、建国を果たしたかについては詳しく載っていましたよね。ですから、その辺りについては省かせていただきますね」

「わかりました」


 威遼が首肯すると、白雷は話を続ける。


「大まかに国史記に書かれていない部分は四つあります。ひとつめは、先ほど言った、月や太陽、星々についての話。ふたつめは、建国の際に使われた道具の話。みっつめは、建国の後に起きた様々な出来事と神獣の行方についての話」


 そこまで語ったところで、白雷はちらと張を見た。張がこくりと首を縦に振るのを見て、さらに続ける。


「そして最後のひとつが、今回の騒動に関わるもの。王都を中心に東西南北へ各々封じられた災厄、通称『四禍しか』についてのお話です」


 白雷の言葉を受けて、張は静かに口を開いた。


「四禍とは、簡単にいえば、死を許されないほどの罪を犯した囚人のことです。彼らはそれぞれ、東のせいりゅう、西の白虎びゃっこ、南の朱雀すざく、北のげんと呼ばれる霊獣により、四方の地に封じられました。その邪悪な力を清浄なものへと変換して、国土を潤すために使われることになったのです。いまも死を許されない彼らは永遠の苦痛を味わい、己の罪を悔い続けるほかない」


 張の語り口調は穏やかであったが、その内容はあまりに荒唐無稽で、威遼ら兵部の面々は思わず苦笑いを浮かべてしまった。

 しかし白雷は張の話を疑うことなく受け入れているようで、大きく首肯する。

 張はさらに続けた。


「ご存じの通り、北に封じられていたのはせいという尸解仙しかいせんの娘です。次は尸解仙、すなわち、仙人というものについての話をしましょう。白雷尚書令は、それについてご存じですね」


 そう言って張は、今度は白雷に問う。

 白雷は頷いて少し考えた後、その答えを口にした。


「まず、仙人といっても、彼らにはおおまかに三つの位があります。最上の天仙てんせん、中位の地仙ちせん、そして靑娥が属する最下位の尸解仙しかいせん、です。これらの違いは魂の格差、天からどれくらいその存在を認められているかということなのですが――厳密にいうと、その尸解仙の中にすら、格付けされた順位があります」


 白雷は一度言葉を切った。

 それからまた考え込むように沈黙した後、慎重に口を開く。

 白雷の表情はどこか固く、まるで何かを恐れているように見えた。

 彼はゆっくりと言葉を選びながら言う。


「尸解仙は、天仙、地仙と違って、生きながらに仙人となることができなかった者なのです。魂の器である肉体を別のものに仮定して、一度滅し、そこから解き放たれたものとして、仙人の修業を行いながら新たな生を得る。それが彼ら、尸解仙の本質です。つまり、生前の記憶を持つままに、肉体だけの生まれ変わりを繰り返す、言わば死者と生者の狭間にある存在モノ。ゆえに、彼らは他の二つとは大きく異なる存在ともいえる」


 そこでふと息をつくと、白雷は兵部一同の顔を見回した。


「陸将軍の様子は、確認された通りのものです。つまり彼はいま、この尸解仙に近い状態にある。北方の四禍――靑娥の犯した罪とは、こうして、ということなのです」


 白雷の言葉に、威遼らは目を大きく見開いた。

 張も眉間に深いしわを寄せて、白雷の話を聞いている。


「そんなことが」


 威遼がぽつりと呟くと、白雷は静かに首肯した。


「ええ。まあしかし、同じ尸解仙でも普通ならそんなことは行いません。他人を自分と同じ尸解仙にするくらいなら、仙人としての修業をしていたほうがよほど有意義ですからね」

「では、どうして靑娥はそのようなことを?」

「そこが問題なのです」


 白雷はぴっ、と指をさした。


「今言ったように、本来ならばそのようなことをする意味はありません。しかしここにもう一つ説明を足せば、靑娥がそれをする理由がわかるでしょう。それが『邪仙じゃせん』という存在です」

「邪仙……靑娥のことを、そう称していましたよね」

「はい。これはもともと神仙しんせんの考え方に根ざしたものですが……修行を積むことによって成る仙人とは違い、邪仙は何らかの理由で道を外れ、正しい手順を成さずに仙人になった者、いわばどうのことです」

「外道、ですか?」

「そうです。たとえば、仙術によって不老不死を得ようとするあまり、本来の仙術ではない禁断の秘法に手を出した者などが、それにあたるとされています。仙人が仙術を修めてその域に達するのに対し、邪仙はただ不老不死を求めるために禁忌を犯し、結果、神仙の領域からもはじき出された者たち。それゆえに、彼らは天へ昇ることも、地に戻ることもできません。彼らの多くは、堕ちた仙人――すなわち、よこしまなるせんとなるのです」

「なるほど」


 白雷の説明に、なんとなく腑に落ちる部分があった。

 劉全が言っていた、靑娥が北砦に現れたときの言葉は、そういう意味であったのだ。


「彼らは正当な仙人ではない。正しい仙人でない以上、彼らが仙人として生きるためには、どうしても自分以外の力が必要になる。そこで彼らは、自分が作り上げた尸解仙を己の傀儡とすることで、その力を奪い、己が燃料にするのです。もちろん、傀儡にされた尸解仙にも自我はあります。けれどそれは、あくまで魂の器に残った残滓に過ぎない。その身体を動かすための、ただの駆動力なんです」


 白雷の言葉を受けて、張が言う。


「それで、今回の騒動の原因というのが、その『作られた』尸解仙だということですね。北砦を襲ったという謎の集団は、靑娥が手掛けた傀儡であると」


 張の確認の言葉に、白雷は小さく首肯する。


「正直なところ、いくら靑娥でも、五千もの尸解仙を連れているとは考えにくいので、幻術でそう見せていた可能性のほうが高いでしょう。しかし、もし本当に五千人もの尸解仙がいたとしたら――」


 そう告げる彼の顔には、いつにない緊張の色が浮かんでいる。

 彼の声音は、どこか悲壮感すら漂わせているようだった。


「間違いなく、この国は滅びます」


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