第6話 まずは、一手。

「それで? 倒れていたご自身の副官に見舞いも寄こさず、さらには顔も見せずにはく尚書令しょうしょれい殿と遊んでいらした東守衛の将軍様は、いまさらどの面下げて私に仕事を頼もうっていうんです?」

「いやーすまんかったて。なんせ急用だったもんでなあ。そう拗ねるな、あとで酒を奢ってやるから」


 あれから、りゅうぜんを除く一同は兵部舎に戻っていた。

 問題のりくたんは、ばんれいえいが抱えて、医務官のところへ連れて行った。白雷はくらいりょう、そして東砦の守衛を務める将軍・こうは、もう一人の、協力を仰がなければならない人物のところへと足を運んでいた。

 宰相と四人の将軍が協力することは前提としても、まずはこの人物を丸め込まなければ始まらない、というのが白雷の言である。

 そうしてやってきたのが兵部事務室。そこには十日にも満たないうちに溜まった書類の山と格闘している、兵部事務責任者――本来は高埜直属の副官であるきょうがいた。

 姜里は黒檀色の髪を神経質なまでにきっちりと結い上げ、涼やかな目元の温度をさらに下げる鋭い視線で三人を射抜く。顔色をみるかぎり、やはり病み上がりなだけあってまだ本調子ではないようだ。そのためであろうか、いつも以上に眉間にしわを深く刻み、不機嫌を隠そうともせず己の上官を叱責している。


「ただでさえ東砦からの報告も遅れていて、貴方がちゃんと仕事をしているのか怪しいと言われ続けているんですよ。副官をしているこっちの身にもなっていただきたい」

「悪かったって、そう言うなよう。なあ頼む。お前の腕を見込んで、な?」

「調子のいい甘言で落とそうったってそうはいきません。何年貴方に付き合ってやってると思ってるんですか。その程度でほだされませんよ。まったく、ただでさえ書類が溜まってるんですから、馬鹿も休み休み言ってください」


 そう言い放って、姜里は筆を置いて立ち上がった。

 処理の済んだ書類を手にそのまま部屋を出て行こうとする彼の背中へ、白雷が声をかける。


「まあまあ。お待ちください、姜里殿。これはあなたにとっても悪い話ではないと思うのです」

「……どういうことでしょう?」


 怪しむような目つきで振り返った彼に、白雷は懐に手を入れ、あるものを取り出した。

 それは手のひらサイズの小さな巾着袋だった。


「なんですか、これ」

「見ての通り、お守りですよ。あなた、これ必要でしょう?」


 巾着袋を開けた白雷は、中に入っていたものを手のひらに出して姜里に見せた。

 どうやら黒曜の宝珠らしい。生成りの組紐に、独特の形状に彫られた黒曜石の飾りが埋め込まれるように結び付けられている。

 一見すればこの国でよく見かけるお守りの一種だ。持ち主の精神力を研ぎ澄ませ、危険の察知や回避に長けるという言い伝えがある黒曜石。産出地は少ないものの、この国にもそれなりに出回っている。

 しかし、姜里は首を傾げてそれを睨んだ。


「確かに、私も護身用に持っておりますが。なぜこれを、白尚書令が持っておいでで?」

「さすがにご存じのようですね。そう、これは黒曜石に特殊な加工を施して、よりその効力を強めてあるもの。……あなたがご自身の体質故に、必ず身に着けておかなければならないもの、ですよね?」


 姜里は目を細めた。

 この男はどこまで知っているのか。

 白雷の言葉は事実だった。

 姜里は生まれながらに、不治の病を患っている。それはこの世界にいるどんな医者にも治せない――厳密には、病という呼び方も相応しくない、知るも語るも恐ろしいとさえ言われているものだ。

 だから彼は常に、肌身離さずその首に下げているものがある。

 それが、黒曜の宝珠。

 そのなかでも姜里が使っているそれは、身につけてさえいれば、あらゆる邪気を祓う力を持つという代物だが、同時に邪な心を持つ者の手に渡れば、たちまち恐ろしい呪いを周囲に振り撒くという曰く付きの品でもあった。

 一般的な黒曜のお守りでは姜里の体質に対抗することはできない。そのため、それほどの曰く付きを使わなければならない姜里は、定期的に内に溜まってしまうものを浄化する必要がある。その際、しばらくのあいだを手放さなければならない。

 そして、彼はそのあいだ、考えるのも恐ろしいほどの体験をしているときく。


「ちなみに、どちらでそれを?」

「ぼく、こう見えてもそこそこ顔が広いもので」

「…………」

「ああ、しかし、貴方は高将軍以外、たとえ主上の勅命であっても固辞するほどの強い意志をお持ちの方。私がお願いしたところで無駄でしたね。――ああ、残念、あなたのためになればと、せっかく入手しましたのに……このまま処分しないといけないなんて」


 わざとらしく宛てつける白雷。姜里は無言のまま、その手にある巾着をひったくるように奪い取った。

 そして、一度深く息をつくと、諦めたように肩を落とす。


「わかりました。自分にできることであれば、協力いたします。ただし、高将軍にはあとで一杯奢っていただきますからね」

「ありがとうございます、姜里殿! では、早速なのですが、あなたにやってもらいたいことについて――」


 それから白雷と姜里は打ち合わせを始め、高埜は手持ち無沙汰な様子でそれを見守る。

 そんななか、ひとり事情がわからない威遼が隣に立つ高埜に声をかけた。


「姜里は、それほどまでにのか?」

「あー……悪いっちゅうか、な。もともと、ありゃあ体質であって、治るようなもんじゃない。それに尚書令殿の言う通り、いまからするのはあいつにしかできないことだ。下手すりゃあいつの命にも関わることなんだが……」


 高埜はちらりと白雷を見やった。


「俺も詳しいことは知らん。だが、なんでも、石の力をより強く引き出すことができるとかなんとか。だからまあ、その」


 ようは、だ。


 白雷が姜里に頼んだ仕事。

 それは彼のもつ体質と、使っているその石を用いて、陸淡に溜まったを吸い出すというものだ。


「なるほど。ならば、お前はお前で忙しくなるのか」

「おう。なんせは、俺があいつを守ってやらにゃならん。万が一でも怪我させたら、それはそれはまずいことになるからな。その間は、俺は王都から動けん。――ま、東砦はしばらく暇だ。部下どもにも任せてあるし、せいぜいこっちも頑張るとするか」


 そう言って、高埜は苦笑を浮かべる。威遼はその肩をぽんと叩いて労った。

 二人の将軍が話している間にあらかたの打ち合わせが終わった二人が戻ってくる。


「――今のところは以上ですね。何か質問は?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございました、白尚書令。さて、お帰りになる前に、ひとつ確認しておきたいことが」

「なんでしょう?」

「この件は、内密に進めていただくということでしたが、他にも協力していただく方がいらっしゃいます? たとえば、陛下や宰相閣下、など」


 姜里はちらりと威遼を見て、それから恐る恐る、という風に尋ねた。

 すると白雷は微笑み、首を横に振る。


「たしかに陛下も宰相様も関わっておられますが、あなたのことについては伏せてあります。もともとあなたの体質それについては、できるだけ広まらないほうがいいことですからね。安心してください。この場にいる我々以外に、このことを知っている人はおりませんよ」

「そうですか。なら、よいのですが」


 姜里はほっとしたように息をついた。


「では、私はこれで失礼させていただきます。あ、そうだ。私がいない間のことは、高将軍に訊いておいてください。高将軍のほうには、私の方から指示を入れておきますので」

「はい、よろしくお願いします。あともうひとつだけ、よろしいでしょうか?」

「どうぞ」

「もし私が、その、ときは――どうなさるおつもりで?」

「その心配はいりません。そのために、高将軍もついてきてくださっているのですよ」


 即答する白雷の言葉に、高埜が肩をすくめる。


「まあ、そういうわけだな。ちゃんと成功させるから、お前は大人しく寝ておけ。心配と不安はお前の大敵だろ?」


 高埜は姜里の頭を撫でながら、諭すような口調で言った。

 それに目を細める姜里の様子を見て、威遼は彼が高埜を慕っている理由がわかる気がした。


(高埜は面倒見の良い男だからなあ)


 威遼は高埜を見る。どこか照れくさそうな表情をしていた。彼には多くの弟妹がいるせいか、年下の者に対する態度が自然と柔らかい。同期である威遼自身も、高埜に世話になった覚えがある。

 きっと彼は目の前の青年に対しても同じように接してきたのだろう。

 白雷は満足げに二人を見つめ、それから威遼に向き直った。


「では、陸将軍のことはお二人に任せましょう。万禮殿は不服を示されるかもしれませんが、あの方にはまだ西砦の守備をお願いしなければなりません。そして」


 ふっ、と、その顔が冷たく鋭利なものに変わる。


「今回の件に関しては、私に一任されています。たとえ皇帝陛下であっても、やり方に口出しはさせません。皆様もどうか、心得られますように」


 それは、氷のような声音だった。

 威遼の背筋にぞくりと悪寒が走るほどの、冷えた空気が漂う。

 その殺気にも似た気配に気圧されながらも、威遼はぐっと拳を握った。


「承知しました。尚書令がそうおっしゃるのであれば」


 そう答えると、白雷は再び元の柔らかな雰囲気に戻り、小さく頭を下げた。


「ええ。もちろんこれは私の独り言ですから、気にしないでくださいね」


 その言葉の意味を理解するよりも早く、白雷は踵を返す。

 そのまま振り返ることなく部屋を出て行く背中を見送った後で、威遼は大きく息を吐いた。

 彼の意を真に理解しているのは、二人の将軍でなく、姜里だけであった。

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