第19話 成れの果ての赤月

 ◆


 ヨハン


 俺たちはソレが残していったと思われる痕跡を追い、道無き道を進んで行く。

 血の匂いが濃くなっていく。

 ヨルシカを見ると、やや青褪めた様子であるもの目にはまだまだ力があった。

 ラドゥは勿論傭兵たちも不敵な様子だ。

 士気は十分か。


 ラドゥが足を止めた。


 前方にはやや拓けた広場のような空間が広がっている。

 “小休憩でも取りますか? ”等とは言うまい。

 まあ、全てが終わってからなら取っても良さそうだが。

 全員分休むだけの広さはある。


 だが、そのためにはアレが邪魔だな……


 ■


 それを見たラドゥは激昂するでもなく、慟哭するでもなく、ただただ凪いでいた。

 

 赤い、辛うじて狼のように見えるソレ。

 魔狼の形をしたモノを赤黒く脈打つナニカが覆っているかの如き異相であった。


 ヨルシカが、歴戦の傭兵達もまた表情を凍りつかせる。

 だが動揺は一瞬だ。

 彼らもまた歴戦の猛者、即座に体勢を立て直す。


 ラドゥが背負った大剣を一息に引き抜き、前方に向けて勢い良く振り切る。


 ボトッと何かが音をたてて地に落ちた。

 赤く太い触手だった。

 先端は鋭く、白い針のようなものがついている。


 迫り来る音無しの死を、ラドゥは見事に見切り、その禍々しい先端を切り裂いたのだった。


 触手の根元は、と見れば怪物の背から伸びている。

 魔狼は確かにその身を魔に浸してはいるが、断じてこの様な真似はして来ない。


 ラドゥの表情が険しくなり、身体が自然と力む。

 だが連盟の術師…ヨハンは違った。 


「サー・ラドゥ。その白い針のようなモノは恐らくは骨ですね。動物のモノではない。人のそれでしょう。ふ、ふふふ。化け物の癖に人間の身体を使わねば殺人1つ出来ないというのは何とも情けない事です。その様な出来損ないはさっさと始末しましょう」


 侮蔑混じりの声を発したのは連盟の術師ヨハンであった。

 相変わらずの毒舌にラドゥの緊張が解け、口の端が苦笑で歪む。


 ひとしきり化け物を小馬鹿にした後、術師ヨハンは何かを歌い上げ、赤い小さい花を一輪ずつ双子の傭兵へ渡していた。

 別れの手向け、と言う訳ではあるまい。

 彼はもっと性格が悪い。


 ラドゥは柄でもなく神らしき何かへ祈った。

 ━願わくば、彼の性格の悪さが憎き仇を死に至らしめん事を。


 ■


「アレはこちらが突っかけるのを待ってるのでしょうね。ドグ、君が最初に突っ込むんだろうが、あの手の怪物は強力な反撃手段を持っているだろうから気をつけろよ。…それはともかく、仕掛ける前に軽く仕込んでおきましょうか」


 ヨハンの気軽な語調に、ラドゥは“仕込み?”と怪訝そうな表情を浮かべる。


「ええ、仕込みです。おい、貴様。俺に喧嘩を売った長髪の剣士」


 ヨハンが語調を変え、粗雑な様子でジョシュアに声をかける。

 だがジョシュアは疎ましそうな様子でヨハンをにらみつけるばかりだ。


「なんだその目は。やるのか?まあいい、生き残ったら喧嘩を買ってやる。だが耳を貸せ。秘策がある。…ああ、それとレイア殿も話を聞いていただきたい」


 ヨハンはジョシュアの返事を待たず、二人を呼び寄せ何事かを呟き、表情を変えたジョシュアとレイアに何かを手渡した。


「強力な術ではある。だが、使いどころが限られるのでね。触媒代は全て終わったら返してくれ。効果はちゃんとある。俺の手際は長髪が知っているだろう?」


 ヨハンが言うと、ジョシュアは苦々しそうに表情を歪めた。

 ジョシュアはヨハンの言葉に答えることはかったが、彼の表情が何よりの答えであった。


 ・

 ・

 ・


「何を話していたのだね」


 ラドゥが尋ねるが、ヨハンは“秘するが花という言葉もあります”だけ答えて取り合わなかった。


 ■


 ラドゥが手をあげる。

 親指と人差し指を立て、ハンドサイン。

 親指は自分を意味し、人差し指は対象の後方という意味だ。


 背虫のカジャの気配が消えた。


 同時に、左右から傭兵達が切り込む。

 双子の剣達者、左剣のジョシュア、右剣のレイア。

 正面からはジョシュア、レイアには劣るものの、タフで粘りのある戦いを得意とする盾剣士ドグ、そしてラドゥ。


 後方にはラドゥ傭兵団きっての射手、“星穿ち”フェンバオと魔術師のマフゥがおり、彼は既に魔術行使の準備をしていた。


 ヨハンとヨルシカは遊撃として行動する。

 傭兵団の連携は洗練されており、ゆえに部外者が連携に割り込めば不協和音となる恐れがあるからだ。


「君の事は私が守ってあげるよ。見知った仲だしね」


 ヨルシカが軽い様子でヨハンに言い、ヨハンは苦笑を浮かべる。


「助かる。しかしあの怪物は確かにちょっと強そうだが、ダッカドッカがアレに敗れるというのは考えづらいな。その辺の銀等級冒険者程度では不覚を取るかもしれないが、俺の目から視てもダッカドッカは金等級の域に達している。アレとダッカドッカが戦えば俺の見立てでは後者が勝つが…するとマトモじゃない相手ということか。何がマトモじゃないのかな?少し視え辛いんだ、“色々と”重なっている。ヨルシカ、それとフェンバオやマフゥも達人だろうから知っているだろうが、マトモじゃない奴とマトモに殺りあえば大体負ける。つまりは…ははぁん、種があるんだな。自慢じゃないが、俺はそういうのを暴いてぶち殺してやるのが大好きでね」


 ニタニタと戦場を眺めるヨハンの口元には僅かな笑みが浮かんでいた。


「おい、連盟の術師、お前も何かしろよ…」


 フェンバオはけだるそうに、そして呆れながら言うが、そんな様子で引き絞る弓は空間ごと纏めてきしませているかのごとき異音を立てていた。


 そして出血。

 フェンバオの両の腕は血管は切れ、腕のそこかしこからは出血が見られる。


「無駄だ、フェン。俺は昔、連盟の術師と仕事をしたことがある。ラドゥに雇われる前の話だが。まあ大概な性格をしていたよ」


 マフゥが陰気な声で言うがヨハンは黙殺し、フェンバオに返事をする。


「分かっているさ、フェンバオ。だが機を見ている。そして考えているんだ、奴の始末の仕方をな。君は素晴らしい弓手だが、アレを簡単に殺れるとは感じていないだろう?達人だからな、なんとなく分かるはずだ。そういうのを殺れるように仕立てる、それが俺の仕事だと思っている。所で君のそれすごいな。星穿ち?確かに星でも落とせそうだ。そこに至るまでに磨いてきた業の煌めき、眼福と言っても過言ではない」


 それを聞いたフェンバオは、あっそ、と言いながら妻手を離した。



 ■


 後背から唸りをあげて迫る気配を察知したドグは大声で叫んだ。


「フェンバオの嚆矢だ!敵は体勢を崩すぞ!ジョシュア!レイア、頼んだぞ!団長!“溜めて”ください!俺があいつの攻撃を受け止める!」


 盾剣士ドグが大盾を構えて突っ込み、ラドゥがドグの後ろから剣を構えて突き進む。


 ドグは“体勢を崩す”と言ったが、それだけでは済まなかった。

 フェンバオが放った一矢は、秒速1300メートルの速度で赤魔狼に突き刺さると同時に小規模な魔力の爆発を起こし、赤魔狼の頭部を吹き飛ばしてしまった。

 膨大な魔力と体力を費やすが、その一撃は飛翔する竜種をも地に叩き墜とすと謳われている。


 しかし、その場の誰も表情を緩めない。

 首無しの巨狼からはいまだ衰えぬ殺意の滾りが迸っていたからだ。


 ・

 ・

 ・


 ドグが盾ごと突っ込む。シールドチャージ。

 全力疾走する二頭立ての馬車に衝突した際と同じ程度の運動エネルギーが赤魔狼に叩きつけられた。

 いくら魔狼といえども通常個体ならばそれで轢死する所だが…


 ──お、重いッ!


 ドグが表情を歪める。

 まるで数十、いや、数百もの魔狼の群れと押し合いをしているような手ごたえをドグは感じた。


「ドグ!!下がれ!」


 ラドゥが叫ぶが遅かった。

 赤魔狼の全身がどろりと溶けたかと思うとドグを吞み込んでしまった。


 ドグという男は盾剣士というだけあって、盾に並々ならぬ愛着を寄せている。この世界では思いの丈に見合った力というものが与えられるために、ドグの盾の護り、あるいは盾を使った攻撃というのは非常に強力だ。だから赤魔狼の攻撃といえども、ドグが本気で盾を使って防ごうとしたならば難なく受け止められるはずであった。


 しかし、相性というものはある。

 要するに、液状化しての攻撃というのは盾を迂回してしまうために、ドグとは相性が悪いのだ。


 ドグを包み込んだ液状の赤魔狼は、瞬時にその身を再び固形化した。その瞬間に、ドグは赤魔狼の体内で押しつぶされ、ひしゃげ、当然の如く死んだ。


 フェンバオに頭を吹き飛ばされたはずの赤魔狼は固形化と同時に頭部を再生した。

 その口は耳まで裂け、釣りあがっている。

 嘲笑っているのだ。


 そこへ左剣のジョシュアが赤魔狼の狂相にも怯まずその腹に長剣を突きいれた。


(再生も無限ではないだろう)


 ジョシュアはそう考えた。


 しかし、貫いた腹部の傷口から赤い触手が生えてくる。

 それはジョシュアの眉間めがけて素早く伸びた。


 軌道は眉間、受ければ即死。

 それをジョシュアは頭を振る事で回避した。

 触手の先端がジョシュアの頬を抉り、生来の美麗な相貌が血に染まう。


 しかしジョシュアは怯むことなく大剣の切っ先を赤魔狼に突き立て、左腕から魔力を流し込んだ。

 螺旋状に回転する魔力だ。

 それは彼の得物に伝わり、ジョシュアの大剣は死の回転掘削機と化した。


 “穿ち”と名づけられた彼の魔剣は、ジョシュアの魔力操作が続く限り回転を続ける。魔力を物体に伝導させて操る業はダッカドッカの薫陶による。単純威力ならばラドゥ傭兵団随一の破壊力を持つのがジョシュアの魔剣であった。彼に勝る破壊力を出せるのはラドゥその人の秘剣しかない。


 しかし代償もある。剣を握るジョシュアの掌は摩擦により時間とともにボロボロになっていく。


 だが、そんな彼の魔剣も赤魔狼相手にはやや勝手が違うようであった。


「…ッ硬い!」


 ジョシュアが呻いた。

 高速回転する大剣は赤魔狼の腹部に食い込んではいる。

 しかし食い込んでいるだけで貫く事は出来なかった。

 金属のように硬質なわけではない、極めて高反発の肉に包み込まれたかのような感触は、ジョシュアをして経験したことのない斬り味であった。


 動きを止めたジョシュアに赤魔狼が巨腕を振り上げ、爪を突き立てようとする。すかさず離れようとするジョシュアだが、先ほどの頬への一撃が骨に伝わっていたようで、一時的な脳震盪を起こして素早い動きができない。


「ジョシュア!」


 ジョシュアへの致死の一撃を受けたのがレイアだった。

 長剣の切っ先を振り上げられた巨腕の手首に軽く突き込み、引っ掻く様に逸らした。そればかりか、軌道をずらされた赤魔狼の引っ掻きは、自身の脚を傷つけてしまう。


 赤魔狼がレイアを僅かに見遣ったかと思うと、腕が二つに、いや、四つに裂け二閃の死の軌跡が左右からレイアに襲い掛かった。


 レイアは冷や汗を流しながらも、左から迫る二閃の片方に狙いを定め、剣先を引っかける。僅かな力を込め、それを裂けたもう片方の腕に衝突させると、軌道が変わり、それは右方から迫る攻撃に衝突し…結果としてレイアはただの一度の攻撃とも言えない突き一つで、左右合わせて四閃の攻撃をしのぎきってしまった。


 ■


「一人死んじゃったか。援護に行きたいけれど、少し難しいかな」


 ヨルシカは呟き、瞬き程の間に三度の突きを放ち、赤い人形は両の腕と頭部を弾けさせ、どろりと形を崩した。


 ヨハン、ヨルシカ、フェンバオ、マフゥは遊んでいたわけではない。先行するラドゥ達を援護しようとしたが、それを阻む者達がいたのだ。


『唸れ、回り、捻り、殺せ!』


 マフゥが両の掌を掲げ、まるで何かを捻るかのような動作をする。

 すると赤人形達の周辺の空間が渦巻き、赤人形達の肉体が引き千切られた。


「あれは魔術というよりは念動…原初の力だな」


 ヨハンがぼそりと言い、首吊り花の花弁を風に舞わせた。


「過ぎ去りし楽しき日々、家族の愛、仲間との絆。全てを失い、孤独に沈む君に残された救い。垂れる縄の輪よ。ゆらり揺れる弧に君は最期の微笑みを思い浮かべる」


 これはヨハンがヴァラクにたどり着き、チンピラ染みた傭兵に絡まれた時、先に手を出させてヨルシカもろとも縊り殺そうと考えた際に使おうとした魔術である。


 効果としては至って単純で、敵対者の精神を汚染し、道具があればその道具を使って、道具がなければ自身の手で自主的な絞殺を促すというものであった。


 惨い魔術にも思えるが、精神汚染の段階で被術者は自殺に救いを見出すようになるため、その点を鑑みれば人道的な術と言える。


 ただ、この術は精神汚染が必須となるために、心が強い者や極めて鈍感な者には効果を及ぼさない。もちろん意思を持たない存在に対しても。


 ゆえに、赤人形という意思を持たぬ殺戮人形にもヨハンの術は効くことはなかった。


「やはり意思がないか。では──」


 ヨハンは外套のポケットから小さい赤い石を取り出して放り投げた。投石術…とはとてもいえないアンダースローからの投石は、当然赤人形には何ら痛痒を与えない。

 石の悉くは赤人形の胴体に呑み込まれてしまう。


 ──炎衝・閃


 だがヨハンが短く唱えると、赤い石は赤人形の体内で激しく燃え上がり、短く激しい閃光をあげて小爆発を起こした。


 この世界の魔術は様々な体系が存在している。

 魔導協会の協会式魔術がもっとも有名だ。

 だが中央教会と呼ばれる組織では法術と呼ばれる魔術を教えており、ヨハン達連盟の魔術師はいかなる体系にも属さない特別な魔術を扱う。ちなみに植物を触媒としての呪術は連盟術師特有の魔術というわけではない。


 マフゥが扱ったモノは分かりやすく言えばサイコキネシスである。

 人の意志や思考だけで物体を動かす、形状を変える、あるいは他の物理的な影響を与えるとされる超自然的な能力であり、この大陸では“原初の力”と呼ばれていた。


 いずれにしても共通するのが、“想いを力を成す”ことであり、術体系は様々あれど、それらは所詮プロセスが違うだけで、求める所は一致しているのである。


 そして“〇衝”、と始まる魔術は比較的新しい魔術体系に属し、協会式魔術のように紡ぐ詠唱に事象発現の想いを込めるのではなく、言葉そのものを事象と直接的に結びつけた実戦的な魔術であった。


 協会式魔術と比べて、詠唱時間は極短で、しかし魔術の発現規模は協会式ほどではない。また、触媒の消費が激しいため長期戦には向かない。


「液体生物なのかな?いや、生物ですらないのか。何の液体だ、とは考えるまでもなさそうだ。血だな、どう考えても。さて、しかし誰の血なのだろう…ところでフェンバオ、先の一撃は見事だったが、一発でヘタれるのはどうなんだ?」


 ヨハンが言うと、フェンバオは苦笑いを浮かべながら座り込んでいた。フェンバオの周囲をヨハン、ヨルシカ、マフゥが囲んで彼を赤人形達から護っている。


「いやあ、済まないな、それとさっきの言葉は撤回するよ、連盟の術師殿。守ってくれて助かる。だが…」


 フェンバオの言葉が陰を帯びた。


 マフゥが苦々しく吐き捨てながら言う。


「ああ、数が多すぎる。斃しても斃しても、増え続けていくからな。急所の概念がない。放置もできん。今はまだ余力があるからいいが、こいつらは一体一体がそれなりにやるぞ。ぬるい攻撃をしようものなら反撃されて手傷を負う」


 ヨハンはちらりとラドゥ達を見て言った。


「あっちもあっちで大変そうだ。特性はこの人形共と同じか」


「そうだね、それにしても狼か。そういえば月魔狼フェンリークの話をしてくれたっけね。あいつとどっちが強いのかな?」


 ヨルシカがややげんなりした様子で言った。

 疲労はまだ大丈夫なようだが、剣に付着したねばつく血液のようなモノを厭な顔をしながら振り落している。

 この血液のようなものも問題で、得物の切れ味を著しく低下させるのだ。


「フェンリーク…、か。なるほど。魔狼の消失。不死性…のようなモノ…血か。血は確かに呪術的な利便性に長ける。だが魔狼の血というのは…ああ、いや、まて。魔狼の血だけじゃないのか、奴が取り込んだのは」


 ヨハンがブツブツ言いながら赤人形の攻撃…腕を硬化させた振り下ろしの一撃を半身になって避けた。

 ヨルシカがすぐにその個体を切裂いてバラバラにしてしまう。


 ──中々の太刀筋だ。あれならば…


 ヨハンはヨルシカの評価を更にあげて、一つの閃きを得る。


「ヨルシカ、マフゥ、フェンバオを護るついでに俺の事も少し護ってくれよ。ちょっといいことを思いついたんだが、少し段取りがいるんだ。ああ、そうだ、マフゥ。君のその見事な念動で俺の左手をへし折ってくれないか?ヨルシカは刃物が得物だし、フェンバオはヘタれている。自分でやるのも良いが、加減が難しくてね」


 ■


 レイアには剣の天稟があった。

 とにかく眼が良かったのだ。


 例えば巨岩を前にしても、どこを突けばそれを崩せるかが一目で分かった。急所…勘所といってもいい、そういうものが良く分かる。だから赤魔狼が様々な方向からレイアを八つ裂きにしようと触腕を振るおうと、そのどこをどうすればどうなるかが分かってしまう。降り注ぐ矢の雨を、剣の一本で数本弾き飛ばすだけで数十、あるいは百に届くかのような矢に影響を与えて回避してしまうなんて真似も彼女には難しい事ではなかった。


 ──ジョシュアの“穿ち”でも貫けなかった

 ──なら、団長のアレしかない

 ──団長は?まだ?


 背後から伝わる裂帛の闘気からは、もう少しで“成る”とレイアに思わせる凄まじいものだった。


 ラドゥの秘剣はジョシュアのそれを遥かに凌駕するが、溜めの時間が膨大だ。


 レイアは雨の様に降り注ぐ連撃を丁寧に、丁寧に捌いていった。

 時間を稼げばラドゥがどうにかしてくれると信じて。


 ・

 ・

 ・


 ──まだ、もう少し持ちこたえられる


 レイアの集中力は針の様に尖り、赤魔狼のあらゆるアクションに精密に対応していった。


 だがその精密行動は突如として停止する。

 なぜなら…


「と、義父さ…ん」


 呆然と呟くレイアの前に立つのは血の似姿。

 勇猛な戦士、ダッカドッカ。


『ず、ずまねぇな、れいあァァ…お、れ、ぐわれぢまっだ…よ、ひゃ、ははは、は』


 真っ赤な人型は、その肌の色以外正確にダッカドッカの容貌をコピーしていた。だが声は水におぼれているかのようにくぐもっている。

 は当然ダッカドッカ本人ではない。

 しかし、それでもレイアの動きは一瞬停止してしまった。


 あ、とレイアは上を見上げる。

 眼前に一本の、先端に硬質な白い骨の針を持った触手が迫って…

 走り込んできたジョシュアがそれを頭部で受けた。


 ジョシュアとレイアの視線が交わる。

 それはほんの僅かな時間だったが、その瞬間に交わされた二人の想いは千の言葉を費やしても余りあるものであった。


 レイアの喉がひゅっと鳴り、息が詰まる。

 しかし得たいの知れない妖気が速やかに思考を正常なものへ強制的に戻した。レイアの脳裏に不景気面した術師の青年…ヨハンの顔が浮かんで、消えた。


『良いか、長髪、そしてレイア殿、これは相死相愛の呪いという。愛し合う二人の最期の復讐の誓いだ。──相手は強敵。であるなら死を覚悟する場面もあるだろう。もちろんそれを凌げるのならばそれが一番いい。しかしそれが叶わない時もある。どちらかが死に、復讐を誓うだろう?復讐が叶うならばいい。だがかなわなければ?無為に死んでいくのか?それは厭だろう。…だから……の時は、……しろ。分かったな。しかし、この術はお前たち二人の死を前提としたモノだ。発動されることがないことを願うよ。特に長髪。俺はお前が嫌いだが死んでほしいと思うほどでもない。せいぜいお前の愛する姉に男が出来たらいいなと思う程度だ。くやしさで眠れぬ夜を過ごすお前のツラを肴に酒を呑みたいよ』


 ・

 ・

 ・


 愛する双子の弟が脳をぶちまけて死ぬ様を横目で見たレイアは、尋常な手段では敵わぬと判断する。

 そして、ならばやはり尋常ならざる手段を取るべきだ、とも。


 ──どの道、ジョシュアがいないなら生きている意味はないのだから


 レイアは静かな声でラドゥへ告げる。

 ──もう一呼吸、時間を作ります


 ラドゥは頷き、同じ墓へ入れよう、と答えた。


 レイアはニコリと微笑むと、それではお先に、と駆けていく。

 そして、近付くやいなやおもむろに剣を放り捨て、両手を左右へ広げる。

 触手は当然彼女の全身を貫くが、彼女を貫いた部分と同じ箇所の穴が赤魔狼に空いた。


 剣達者が全力を込めた一撃でも有効なダメージを与えられなかった赤魔狼であったが、突如空いた全身の傷孔を見つめると


 “────ッ!!!? ”


 声に成らぬ絶叫をあげた。


 連盟の術師ヨハンが彼等双子に施した相死相愛の呪い。


 起動条件は2つ。

 愛する者を殺される事。

 愛する者を殺した憎き仇に自分が殺される事。


 愛する者を殺された者が、己の何もかもを捨て去ってでも復讐を誓った場合のみ起動できる報復の呪い。


 愛は障害を乗り越え成就させるものと相場が決まっている。

 従って、この報復の呪いは相手が如何なる防御策を講じてようと、その一切を無視して自らを害した相手に同じだけの報復を為す。


 レイアは全身を貫かれてなお即死には至らなかった。

 最期の力を振り絞り、這いずる。

 そして愛する弟の死骸の傍まで行くと、その手を握ってから死んだ。



 ・

 ・

 ・


「…馬鹿め」


 ジョシュアとレイアの惨死を見たヨハンは苦々しそうに呟く。


 ■


 ラドゥは赤魔狼の身体が生まれる触手の雨を捌く事で手一杯となっていたが、ジョシュアとレイアが生み出した痛撃は赤魔狼の攻め手を確かに緩める。


 2人の勇敢な傭兵が作り出した絶好のチャンスをラドゥが見逃す筈もなかった。


「おお!」


 ラドゥは叫ぶと大剣を大上段に振りかぶり、赤魔狼の頭部目掛けてその頭蓋を叩き割らんと一閃させた。

 傷を負い怯んでいた怪物はしかし、その両手を掲げ剣を受止める。

 極めて硬質で、しかし弾力のあるなにかに刃を立てているような感触をラドゥは覚えた。


 だが


 ラドゥの大剣が細やかに震動する。

 震動は波が押し、引くが如く独特のリズムで剣を伝わっていく。

『はつり』と同じだ。

 物体を切り裂くのではなく、高速震動をもって物体を叩き壊す。


 海はその波を持ってして長い年月をかけ岩礁を削りとるというが、重き波のラドゥがかけるのは長い年月ではなく瞬間であり、削り取るのは岩礁だけではなくあらゆるモノを削り取る。

 重量級の大剣がズブズブと赤魔狼の腕に食い込んでいく。


 堪らず赤魔狼の全身が波打ち、液状化の兆候を見せた、その時。


 背虫のカジャがぬらりと赤魔狼の背後に現れ、その背に鋸のような形状の特殊なナイフを突きいれた。


 弟のようであったジョシュアが、密かに想いを寄せていたレイアが死んでも一切動かず、じっとチャンスを待っていた。

 だが、決して何も感じていなかったわけではない。


 カジャの目は恨みと憎しみで血走っている。

 あらゆる負の情念を込めた短刀が、ゾブリと音を立て赤狼の体へ沈み込んだ。


 ■


 背虫と呼ばれるナイフの名手が突きこんだ短刀は何の抵抗もなく赤魔狼へ沈み込んだ。

 何の抵抗もなく。

 当たり前だ、液状化しつつあるのだから。

 しかし、その液状化がにわかに沈静化した。


 カジャがニタリと笑う。

 彼の短刀からは“凝固剤”が滴っていた。

 刃に溝が彫られており、これは毒を伝わらせやすくする為の溝で、暗殺者の類がよく使う形状の短刀であった。


 凝固剤というのは、主にスライムや水精といった液状生物を仕留める時に使うもので、場合によっては人間相手に使うこともある。

 液体を凝固させる、すなわち血液を凝固させられるというのは生物にとって致命的な現象だからだ。

 毒物に耐性があるモノは多くとも、血液の凝固に耐性を持つモノというのはそうそういない。


「血腥ぇ、な、ひひっ…でもよぅ、ちちち、血のバケモノなら、堪らんだ、ろ?くくくく、苦しんで、し、し死ねッ!」


 急速に固形化していく赤魔狼の肉体を前方からラドゥが、後方からカジャが削っていく。


 カジャの短刀が凝固した赤魔狼の体内で蛇のようにうねり、内部をズタズタに引き裂いていった。


 カジャは言い方は悪いが殺しに慣れている。

 自身の刃が刺したモノの命に届いているかいないか、それくらいは分かる。


 そんなカジャの感覚は確かに一つの命を吹き消したのを感得した。

 熟練の斥候のバックアタックは、確かに一撃で赤魔狼の命の一つを吹き消したのだ。


 ──こ!殺した!殺した!


 表情がどろりとした喜びで歪むカジャだがしかし、すぐに愕然としたものになった。


 ──馬鹿な! 確実に殺したはずだ!


 カジャの掌は吹き消したはずの命の炎が、更に勢いを増して燃え上がるのを感じていた。

 先ほど液状化を防いだにもかかわらず、再び液状化の能力を復活させ、背から伸びる悍ましい肉の触手がカジャの両腕に食い込んでいく。


 肉に侵食されながらも、カジャの頭は疑念に満ちていた。


 ──なぜ死なない?いや、殺した。なのに蘇った…のか?


 ──死ぬには死ぬ、だから不死ではない。俺は複数の命を感じた。複数の命、消えた魔狼、調査隊!…そ、そうか


  ──嗚呼!ダッカドッカ…あんたが削ってくれたんだな


 カジャは空いた手で予備のナイフを取り出し、それを首に当て叫んだ。

「だだだ団長! 奴は、命を喰う!魔狼も、調査隊も!奴が喰った!でででも!ダッカドッカが削ってくれた!だだだから!」


 ラドゥが頷いたのを見て、カジャは己の首を搔っ切った。


 肉を取り込むなら、命を吸うのなら、どうせ己は死ぬのだ。ならば命の源泉たる血を一滴たらず流しつくしてやろう。

 カジャの、最期の抵抗であった。



 カジャが事切れたのを見たラドゥは剣を引き、後方へ駆け出す。


 ■


 ヨハン



「ヨハン。奴は命を盗む。肉を食い、血を吸い、自分の命へと変えている。無限の命をもつ訳では無い。不死身でもない。命は使えば失われる。しかし、死体を取り込むことで補充が出来るようだ」


 駆け込んできたラドゥがそんな事をいってきた。

 彼と、その仲間たちに深く感謝する。


 俺はぐちゃぐちゃに崩れた肉の塊を見やる。

 肉の塊はやがて狼の姿を取った。

 魔狼を模した怪物は、遠めからでも嗤っている事が分かる。

 俺たちを嗤っているのか。

 自分が食い殺した連中をあざ笑っているのか。

 しかしなるほど、やはりお前は狼の姿を取るのだな。


 ラドゥから聞いた事、奴の行動……これらを知ってようやく奴というモノの本質が見えた。

 相手の正体が分からないとどうしようもないのだ、こういうのは。

 勇敢な戦士達がいなければ、そしてコイツが度し難いほどの低脳でなければ敗れていたかもしれないな。


 ヨルシカが俺の前に立つ。

 俺を護るつもりでいるのだ。

 かわいそうに。

 護るつもりでいたら、これから頼むことが少しやり辛いかもしれないぞ。

 気持ちは嬉しいが。


「ありがとう、ヨルシカ」


 §§§


 ────ッ


 よくわからない何かが断続的に聞こえて来る。

 嗤っているのか。知能は高そうだ。

 それにしても、なぜこいつは勘違いをしているんだろう? 


 俺はヨルシカにあることを告げ、腕をおさえて前へ進んで行った。


「憧れの存在に近づけて楽しいか? 野良犬。だがお前はフェンリークにはなれない」


 フェンリークの名を出すと赤魔狼はあざ笑うようなナリを潜め、敵意に溢れた様子で俺を睨みつけてくる。

 目玉もないくせに偉そうな犬だ。


「お前の姿、能力。お前はフェンリークになりたいんだろう? 冷たい月の牙、月魔狼フェンリークに。だからどんな姿を取れるにもかかわらずその姿を取り続けるんだろう? お前が命を増やそうとするのは、月の在る夜は絶対の不死性を誇っていたフェンリークのそれへの憧れだろう?」


 だが、と俺は続けた。


「でもお前1匹だけじゃ大した事ができない。だから喰ったんだろ? 仲間を。仲間を食い散らし、それでも飽き足らずに今度は人間様を食い散らした。本来はそんな事したって命の嵩なんぞ増えないのだが……。真摯なる思いは力となる。お前に作用している力はある種の呪術なのだろうな。そうだな、名づけるならば月の呪いか。良かったじゃないか、野良犬。憎い人間を食って命を増やして、仲間を食って命を増やして……それで? 近づけたのか? 美しく強いフェンリークに。近づけていないよなあ、野良犬。お前はそんなにも醜く、臭く、忌まわしい。おかしくないか? お前は命をいくらでも補充できるのだろう? ならそれはもはや不死と同じではないか。それなのになぜフェンリークに近づけない? 答えを教えてやろう。お前が間抜けだからだ。頭が悪いんだ。フェンリークの上っ面だけを見て、その生き様を見ようともしなかったド低能の犬コロよ、なぜ間抜けなのか教えてやろう」


 俺は手帳を取り出し、月下樹の葉を取り出す。この行動は息継ぎも兼ねている。雷衝の逆流の影響で肺活量に悪影響が出ている。


 だが赤魔狼は全身これ殺気という様相で俺へ瞳の無い目を向けていた。

 怒っているのか? 襲ってこないのは、お前がなまじ知恵が回るからに相違あるまい。仲間を殺された俺たちを嗤うほどの知恵があるほどの魔であるならば、俺の言葉はわかるだろう。


「フェンリークは、その多くの眷属と共にヒト種へ敵対をした。しかしなぜ彼女は……ああ、フェンリークは雌だ。まあいい、とにかく彼女がなぜヒト種へ敵対したのか分かるか? 簡単だよ、仲間を養うためだ。仲間に、家族に、友に飯を食わせるために人と敵対したのだ。200年前は大飢饉があったそうだからな。食料が足りなかったんだろう。俺が言いたい事が分かるか?」


 ニタァ~っと嗤いかけてやる。

 特に理由はない。

 嫌がらせだ。


「お前の出来損ないの不死性を担保するのは、お前の“フェンリークになりたい”という願いが呪術へと昇華したものなのだが、そのフェンリークはお前と違い、仲間を、友を守る為に戦った。お前とは逆の生き方をしているよな。さて、ここで疑問なのだが、お前、その呪術を使い続けることでフェンリークに近づけると思うか?」


 いいや! と俺は叫び、笑う。

 低脳のあまりに愚かな勘違いが本当におかしかった。


「はははははははは!! 馬鹿め!! 大馬鹿め!! ならない! ならないよお前! お前が呪術を使えば使うほど、お前はフェンリークとは違う、おぞましい化け物へ変わって行くのだ! お前は最初から間違っていたのだ! お前は不死になりたいわけじゃないんだろ? フェンリークになりたいんだろ? はァ──ははははははは! どうした、震えて。怒っているのかな? ふ、ふふふ。怪物殿よ、そこまで呪が進行しているならば、もうお前はやりなおすことすらできないよ、俺たちを殺しても、お前はずっとずっとそのままだ。哀れな、フェンリークどころか魔狼にすらなりきれぬ世界の逸れモノよ。いつかフェンリークのように美しく強くなれると信じていたかもしれないが……ふふふ、無駄な努力、おつかれさん」


 俺が言いおえるのと同時に、赤魔狼は絶叫をあげながら襲い掛かってきた。


 “GIAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!! ”


 赤魔狼は俺の傷ついた腕に食いついてきた。

 分かっていた。

 憎い俺が傷をかばっているのだ。

 そこを攻めたくなるよな。

 お前は化け物だが、魔狼でもある。

 出来損ないだが。


 なら弱味を狙いたくなるよな。

 俺の腕が欲しければくれてやろう。


「ああ、なるほど。餌をより美味くするために俺に傷つけさせたのか」


 マフゥが呆れたように呟いた。


 §§§


 連盟の術師ヨハンの腕に赤魔狼が食いついたその瞬間に、ヨルシカが疾風のごとく駆け寄り剣を一閃させた。


 赤魔狼を狙ったものではない。

 狙うは、ヨハンの腕だ。

 予めいわれていた部分を正確に切断した。


 赤魔狼は腕に噛み付き、咀嚼し、飲み下す。


 ヨルシカの脳裏に、ヨハンがギルドでつかっていたある術が思い起こされる。


 異変はすぐに顕れた。

 異臭だ。

 度し難い程の。


 赤魔狼の動きが止まる。

 両の手を広げ、愕然とした様子で眺めている。

 赤魔狼の手のひらから煙が立ち上っていた。


 §§§


「やあ! 間抜けな怪物。低脳の野良犬殿。不思議か? 何が起こっているか教えてやろう」


 俺は喜んで赤魔狼へ話しかけた。

 もっとも相手はそれどころではなさそうだが。


「仮初とはいえど不死たるお前ではあるが……痛いだろ? 苦しいだろ? 今。そうだろうな。なぜならお前は疑念を抱いてしまったからな。己の不死の根源たる呪いに。お前の体は今、内から腐り爛れていっている。沢山血と肉を取り込んだ醜い身体が、内側からドロドロと腐っていっているんだ。なぜかって? それは俺が自分の腕に腐り血の呪いをかけていたからさ! 本来のお前であるならば、こんなものは跳ね除けていただろう。不死なのだから! でも、なあ……くっくっくっく……」


 俺の前で赤魔狼の身体がみるみるうちに変色していく。


「術師の先輩として教えてやろう。術とは世界を騙し、改ざんし、自らのルールを敷く者だ。必要なのは己への絶対的な信頼だ。世界のルールより、自分のそれが優越するのだと、そう心から信じられないものに術は使えん。然るに、お前はどうだ。自らの存在意義を見失ったお前に術の神は微笑まない。もうお前は不死ではないよ。ただの、腐りかけた野良犬さ……サー・ラドゥ!」


 さすがにこのままラドゥを蚊帳の外に置いたらヴァラクに帰還後打ち殺されかねない。


「……ああ、しかし本当に君は話が長いな……だが感謝する」


 ラドゥが苦笑しながら大剣を構えなおし


 悶え苦しむ魔狼の成れの果てを


 とろけた頭部めがけて一刀両断に振り下ろした。

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術物語 埴輪庭(はにわば) @takinogawa03

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