第14話 ヴァラク⑤ オルドの老騎士
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階上から降りてくる偉丈夫を見たヨハンは、それがラドゥその人であることを即座に理解した。
人となりなぞ目をみれば分かる。
その中年男の瞳は理知的な光をたたえ、かつての騎士としての誇りと、現在の自分への自責の念とが混じりあった複雑な色をしていた。
(オルドが滅びたのは彼のせいではあるまいに)
ヨハンはそう思い、同時に羞恥にも似た感情を覚えた。オルド王国を滅ぼしたのはヨハンのかつての同胞だからだ。
──“パワー・リッチ”ラカニシュ
連盟術師2名をその身の内に取り込んだ男はオルド騎士団、及びレグナム西域帝国の討伐軍の合同軍と相打った。
帝国としてはオルドを吸収するのにちょうどよかった…とは一言では言えまい。
結局オルド騎士団と帝国の討伐軍ではラカニシュを討伐することができなかったのだから。
彼らはラカニシュに封印を施し、大きな地脈が流れている北方領域に封印した。
ヨハンを含む“連盟”の術師達は、再びラカニシュが復活したならば今度こそ“家族”の手で引導を渡してやりたいと思っている。
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全身からほとばしる精気により、ラドゥの白髪はまるで銀髪に見えるほどに色艶があった。
ヨハンもこういう風に年を取りたいと思い、膝をつく。
彼らしくもない態度だと、ヨハンを余り知らない者は言うだろう。
だがヨハンを知るものならば、というより…連盟を知る者ならば、連盟の術師がオルドの騎士へ一定の敬意を払うのは不思議ではない事だった。
「連盟の友。サー・ラドゥ。拝謁できて光栄です。仮初の永遠に魅入られ、我らが同胞を貪りし忌なる魂喰らいを屠った偉業。我々はその恩を決して忘れません。此度のヴァラクの危機、微力ながらこの私も杖を合わせましょう」
◆
ヨハンの態度に真っ先にダッカドッカが喚いた。
「おいおい!ヨハン!いきなりどうしたァ!?確かに兄貴は凄ぇ人だけどよ!」
凄くうるさいダッカドッカの事はヨハンに黙殺される。だが、その場の傭兵達もまたヨハンの態度にはいぶかしげな視線を向けていた。
「…“連盟”の外道術師にしては殊勝じゃないか」
“左剣”のジョシュアがヨハンに言い捨てた。それを聞いたヨハンは、顔だけジョシュアの方を向いて言う。
「口を慎め。俺が頭を下げているのはラドゥであってお前らじゃあない。だからお前がその言葉を吐くのは不適切だな…」
ヨハンの言葉に、ジョシュアは倦んだ目で“慎まなかったら?”と尋ねた。
左手は腰に当てられている。
ヨハンは俯き、次の瞬間。
ジョシュアがその場から跳ね、後方へ飛んだ。
ジョシュアの表情が険しく歪み、さっきまで立っていた場所を睨みつけ、ついでやはり膝をついたままのヨハンを睨みつけた。
「…貴様」
ジョシュアの低い声には多分な殺気が込められている。
そんなジョシュアにヨハンは口元だけで嗤いながら言った。
「どうした?脚が引き千切られるとでも思ったか?突然植物のツタが床をぶち抜いて、お前の脚に絡みついたりする幻でも視たのかい?」
ひゅう、と誰かが口笛を吹いた。
──やれやれ!この距離で剣士とやりあって勝てると思ってやがるぞ!
──殺し合いはまずいな、お前ら!素手で殴りあえよ!
──おいおい、術師サマには分が悪すぎねえか?
傭兵たちが二人をはやしたて、ラドゥも何も言わない。ダッカドッカに至っては自分も混ざりたそうにしている始末だ。
“右剣”のレイアだけは呆れた様子で二人を眺め、そして口を出した。
「ジョシュア、先にアナタから挑発した癖に、貴様…じゃないわよ。彼は別に入団希望者というわけではないのだから、試しなんか不要だわ。“連盟”の術師を名乗っただけである程度保証されているようなものよ。連盟を騙った者がどうなるかくらいは有名な話だから知ってるでしょう?…ヨハンさん、弟がごめんなさいね」
レイアに取りなされたヨハンは頷くが、その立ち居振る舞いから感じるものは、弟の方よりも一枚、二枚は上だろうという予感だった。
(準備もなしに真っ当に殺りあえば敢え無く殺されるだろうな)
「あら、戦力評価?」
「ああ。サー・ラドゥの力量に不服はないが…他の者たちの事は知らないものでね…だが、少なくとも君とは正面からはやりあいたくはないな」
それを聞いたレイアは目の端に少しばかり挑発の色を浮かべて言った。
「ふうん、じゃあ何でもありならどちらが勝つかしら」
レイアがそう問うと、ヨハンは他意を感じさせない様子で答える。
「俺だ。サー・ラドゥを含め、何でもありならこの場の者たちを一鐘音以内に皆殺しにできる……少し言い過ぎたな。準備をさせてくれれば、と付け加えさせてくれ」
◆
その場の空気がどろりと変質する。
ラドゥ傭兵団の団員達は自分達の事ならなんと言われようが我慢…できるとはかぎらないが、しろと言われればできる。
だが、彼らが敬意を向けるラドゥを軽侮されたとあっては話が別だった。
友好的だったレイアまでもがピリピリとした雰囲気へと変じている。
──ひ、ひひ。そうかい?なら、試してみるかい?
ヨハンの背後からかすれた声が聞こえた。
“カジャの兄貴!”と誰かが叫び、ヨハンはその時初めて背後に誰かが立っている事に気づいた。
「カジャ…“背虫”のカジャか」
斥候、それも上級斥候と呼ばれる者たちは凄腕の暗殺者と同一視される。
そんな彼らに背後を取られると言う事ほど剣呑な事は余りない。
だがヨハンは構わず、ラドゥを正面から視た。睨みつけているのとは違う、しかし視線には不可視の力が込められている。
それを真正面から受け止めたラドゥは薄い笑みを浮かべながら口を開いた。
「言うじゃないか。だが若い者はそうでなくてはな。ところで、連盟の術師なら杖に名を戴いているだろう?命を預けあう事になるのだ。教えてくれないか?」
ラドゥの問いかけに、ヨハンはゆっくりと立ち上がり、懐に手を差し入れる。
その振る舞いにそれまでにぎやかだった周囲の傭兵たちが静まりかえった。
臨戦態勢すれすれの戦気を放出する傭兵たち、カジャは物理的な殺傷力を持ったかと錯覚するほどの殺気をヨハンの背にぶつけている。
そんな中で、ヨハンはゆるりと懐から何かを引き抜いた。それは…
「…花?」
レイアがぽつりと呟いた。
ヨハンが取り出したものは淡い紫色の花弁だった。
人差し指と中指で優しくつままれた花弁は、ひらりひらりと宙を舞いながら床に落ちる。
宙を舞う花びらを注視し、追うのは案外に難しいのだが、その場の者たちは僅かな時間花弁に気を取られ、動きを追い、そして気づく。
宙を舞う花弁がみるみるうちに枯れていく事に。
瞬間、その場者たちはヨハンに対する敵対心がふっと晴れたように感じられた。
「極東からわたってきた植物でしてね、グィボシといいます。花言葉は“落ち着き”。今この場に必要なものでは?…そして、杖の銘は見ての通り。我が銘は"枯花"(かればな)…私は…俺は、これまで色々な者達から喧嘩を売られてきた。剣士、魔術師、斥侯、チンピラ、貴族、魔族、悪魔。しかし最期は皆枯れていったのです」
剣士と口に出した所でヨハンが横目でジョシュアを見た。
ぴくり、とジョシュアの頬がひくつく。
沈静化した敵愾心が再び燃え上がったかのようだった。
それを見てラドゥは苦笑する。
「物騒な銘だ。しかし今はそれが頼もしい。所であの一瞬で全員に術をかけたのか?危険な真似をするものだ。銘に違わぬ術師の様だな。よし、手を借りよう。調査隊を編成する。三方へ。私、ダッカドッカがそれぞれ一隊を率いる。君は最後の一隊を率い北へ向かえ」
ラドゥはギルドの受付嬢から地図を手渡されると、それを広げ地図の一点を指し示す。
「北西の赤砂荒野から北東を流れる失せ川まで洗ってくれ。危険があれば対処。対処できねば撤退。情報を持ち帰る事を優先してくれ。出発は明朝。一の鐘の後すぐに」
そして、とラドゥはつづけた。
「優先順位は情報、命。君は極力生き残る事。だが君の命を使わざるを得ない時は、手段を選ばず脅威へ痛打を与えよ。最悪土地が死んでも構わん。調査が完了し、脅威への対処が済んだ時は報酬を出す。満月草の夜露に三晩浸した処女の側髪でいいか。女の方は既に殺されてしまっていたが」
ヨハンは頷いた。
報酬に不服はない。
「話が早くて助かる。よし。ダッカドッカ! 後の仔細は任せる。私は町長殿の元へいく」
それじゃあな、と手を振りさっていくラドゥを見送ると、ダッカドッカがドスドスと駆け寄ってくる。
バンバンバン! と背中や肩を叩いてくる巨漢に辟易しながら、ヨハンたちは調査隊の振り分けを進めていく。
振り分けだけではなく、物資の調達なども人を走らせ、あれやこれやと片付けていった。
ダッカドッカは意外にも細やかな調整なども得意のようで、ヨハンは少し驚かされた。
(チンピラを半殺しにしながら紳士紳士と叫ぶ得たいの知れない男だったのだが、さすがに有力な傭兵団の副団長を任されるだけはあるか)
■
夜半。
振り分け諸々が済み、一同は解散した。
宿への帰路、ヨハンは酒場の明かりに目を奪われるが後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、そのまま帰った。
ヨハンは基本的に受けた依頼には忠実でありたいとおもっているので、"仕事"の前日に酒を飲んだり女を買ったりする事はしないのだ。まぁ、基本的には、だが。
夜が更け、ヨハンはぐっすりと眠り込む。
──その夜、ヨハンは赤い月が中天を煌々と照らしている夢をみた
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