第12話 ヴァラク③ 会敵

 ◆


「正面から1匹。左右からそれぞれ2匹。周り込んでいるのが3匹だ」


 ヨハンは周囲の者たちに向かって言った。


 正面から来るものは、派手な動きとともに唸り声や威嚇を交えながら迫る。

 ヨハンは左右に素早く目を配った。

 大回りに走りこむ影。


(正面は囮か。この相手はスラムのチンピラよりも賢そうだ)


 他の冒険者達も魔狼の意図を見抜いたようで、忌々しげに鼻を鳴らすもの、不敵な笑みを浮かべているもの、無表情のまま獲物を構えて待ち構えているものと様々な様子で佇んでいた。


 ヨルシカは剣を抜いた。

 細剣だ。

 軽快で素早いが脆い。

 魔狼の皮を突き通せるだろうか?


 ヨハンはやや疑念を抱いたが、次の瞬間にその疑念は消えた。正面から来る魔狼の踏み込みは浅く、おそらくは軽く牽制するつもりだったのだろう。しかしヨルシカは魔狼の浅い踏み込みを深く踏み込み、細剣を前へ投げ出すように軽く突き入れた。


 剣は魔狼の左眼を抉り、素早く引き戻された切っ先には貫かれた目玉が残った。ヨルシカは悶える魔狼に冷笑を浮かべ、引き抜いた目玉を踏み潰していた。


 ――お見事。残酷で強い冒険者の鑑だな


 ヨハンは心中でヨルシカに賞賛を捧げる。


 左右、そして後ろから回り込んでいた魔狼の足並みが乱れた。


 ここだ、とヨハンの霊感が囁く。


 ヨハンは手帳を取り出し、一輪の黄色蓬菊を左手の甲に置き、右手の人差し指と中指で押さえた。


 それはとある小国同士の小競り合いの跡地の土で育てた黄色い花だ。たいした規模の戦場ではないが、この数ならこの触媒で十分だとヨハンは思う。



 ◆


「加護を使う。身体能力向上、30秒」


 ヨハンが短く告げると周囲の冒険者たちは頷いた。

 余計な質問がないのはやりやすくて良いと思いながら、ヨハンは取り出した触媒を万力を込めて握り締めた。


 ヨハンは両眼を大きく見開き、総身に戦気を漲らせた。

 握り締めた手からは血が滴っており、触媒を鮮血で濡らす。

 血に濡れた拳をヨハンは眼前に掲げ、静かに呪言を唱えた。


 宣戦布告の加護。


 ――飛沫けよ血潮。いくさ火の、けぶる灰煙を仇に供ふ


 滴る血が熱され蒸気があがり、それが空気に溶け拡散し、その場の者達に染み入り肉体と魂魄を賦活する。


 これは30秒に限り、加護の対象者の戦意や身体能力、思考能力の全てを、その者の最も良い時期の状態へ引き上げるというやや特殊な加護だ。


 何もかもがうまくいく、自分にならやれるという万能感を感じる黄金の時が誰にでもある。

 この加護はその黄金の時を僅かな時間だけ取り戻すことができる。


 万能感に酔わせ狂戦士に仕立てるわけではなく、攻め際も退き際も、本人にできる限りの最善を尽くせる状態へ引き上げる。心も体も全てが完璧に仕上がった状態というのは人生でもそうあることではない。


 黄色蓬菊の花言葉は『あなたとの戦いを宣言します』というものである。


 ■


 SIDE:ヨルシカ


 ヨハンが術を使ったと思えば、急に視界が広くなる。

 頭が冷たいような、あるいは熱されているような。

 宙を舞う埃、砂粒の1つ1つまで認識できるような。

 魔物との殺し合いだというのに、恐れは感じない。不安も感じない。


 自分の体をどこをどう動かせばどんな結果が生じるかが分かる。


 私は後方へ駆け出した。

 まわりこんできた魔狼を迎撃するのだ。


 見れば、同じ小隊の冒険者達も駆け出している。

 まるで疾風のような速さだ。


 槍を構えた中年の男が魔狼に向けて突きを放つ。

 一撃ではない、一呼吸のうちに三段突き…いや、四段突き!

 引き槍の手が見えないほど素早く、中年の男は魔狼を葬り去っていた。

 中年男は自分の手で成したことであるはずなのに、眼をむいて驚いている。


 他の者も似たようなものだ。


 稲妻のような切返しで多段斬りを放つ男は魔狼を斬殺ではなく惨殺していた。魔狼のバラバラになった頭、手、足。血の匂いがあたりに広がるが、その匂いは戦意をことさらに増大させる。


 両の手の得物をまるで生き物のようにうねり、くねらせ、まるで舞のように振るう女がその動きを止めると、その瞬間に魔狼は全身から血を噴き出していた。


 私も術師からの身体能力向上の加護を受けたことがあるが、これはそういうものではない。

 身体能力向上は、あくまで身体能力のみが向上するのだ。

 上昇した能力に振りまわされることだって多々ある。

 最悪、能力は上昇したはずなのに弱くなってしまうことだってあるのだ。


 だがヨハンのそれは違う。

 手足が完全に自分の意のままに動く。

 自分はこうあるべきだ、こうありたいという動きが思うがままに出来る。


 今もそう。

 魔狼が体勢低く突っ込んでくるのを酷く冷静に見ている自分がいる。

 魔狼の目線、力の入れ方、空気の流れは次に自分がどう動くべきかを教えてくれる。


 私は剣を宙へ差し出す。

 そして魔狼は、その剣の切っ先に心の臓を貫かれて死んだ。

 剣をそこへ置いておけば、奴が飛び込んでくるとなんとなく分かったからだ。


 それぞれの冒険者がそれぞれ魔狼と対峙して、そのすべてを鎧袖一触に葬り去った。魔狼とはこんなものか?森狼のほうがよほど手強いのではないか?


 私がそう思っていると、不意に体がなんとなく重くなり、いや、元に戻り、それまで感じていた万能感は溶けてきえてしまっていた。

 体調が悪くなったというわけではない、

 だが、もう同じ事はできないだろうという予感があった。


「30秒たった。残敵もなし。お疲れ様」


 ヨハンが言う。

 魔狼狩りはまるで弱った野良犬を駆逐するかのようにあっけなく終わってしまった。


 ◆


 一行はギルドに帰還した。手際よく片付けた結果、彼らは討伐隊の内で帰還が一番早かった。

 ヨハンとヨルシカはギルドで少し話して、また機会があれば一緒にいこうと口約束をして解散した。


 ヨハンはそれなりの触媒を使ったが、その費用は報酬からまかなえたため、最終的には黒字になった。

 トラブルもない。

 誰もが自分の仕事を過不足なくしていたためだ。


 ともあれ無事に帰れてよかった、とヨハンは寝床に横になりながら考え、そしていつの間にか眠ってしまった。


 ・

 ・

 ・


 夢の中、ヨハンはどこかの部屋の中にいた。


 広々とした部屋に大きなソファが置かれている。窓際には鉢植えが並んでおり、風もないのに葉がそよぎ、やさしい音色を奏でている。


 ドアを叩く音がして、ヨハンは扉の方へ歩いていき、それを開いた。


 途端に冷たい風が入り込んでくる。

 しかしその寒風はまるで“目を覚ませ”と言っているような気配を風中に漂わせていた。


 ――この風は、北に吹く風


 ■


 翌日、目覚めたヨハンは昨晩みた夢について思案を巡らせた。


「警告。忠告。…そんな感じでは無かったが」


 まあいいか、とギルドへ向かった。

 騒がしいが朝のギルドなんてそんなものだろうと依頼掲示板を眺めているヨハンの肩が叩かれる。


 振り向けばヨルシカが笑顔で立っていた。

 表情は柔らかいが、瞳には懸念の色がさざめいている。


「やあ、ヨハン。おはよう。ところで聞いたかい?昨日結局帰還したのは私達ふくめて4部隊だけだったそうだ。9部隊中の4部隊だ」


 朝一番で聞くにしては余り明るい知らせではないな、とヨハンは思った。


 もう一つ。


 今朝までは特に厭な予感はなかったのだが、ヨルシカと顔を合わせたヨハンは何かピースが嵌る音がしたような気がした。


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