第11話 ヴァラク③ 魔狼


移送馬車に乗っている彼らは、魔狼出没の報告が多いとされるヴァラク北西の赤砂荒野へ向かっている。

彼ら以外にも、いくつかの小隊が向かっているはずだ。

現地に着いたが何もなかったため、虚しく無駄足に終わった…そういう事も珍しくはないがしかし、彼らの場合はんな心配は必要ないようだ。


なぜなら、点在する岩陰に隠れるように、獣らしき影がちらちら見えているからだ。


おそらくは偵察であろう。

狼は、それが魔に染まったものであっても、社会的な性質が抜けているわけではない。


それぞれの個体にはそれぞれの役割が割り振られている。

そして彼らは自分たちの役割に忠実だ。

そのため、はぐれということは考えにくい。


つまりは…



馬車からヨハンが外の一点を指差して言った。


「見えるか?ヨルシカ。あれは恐らく魔狼の偵察だろう。備えておけよ。相手は襲撃のタイミングを窺っているぞ」とヨハンは言った。


ヨルシカは目をこらして外を見た。


「なあヨハン、魔狼というのは森狼などとはどう違うんだ?いや、資料などは読み込んだが、イマイチ実感がわかなくてね」


ヨルシカの質問にヨハンは少し長くなると前置きして口を開いた。

その口元にはなにか本人でも自覚しない程度の喜色が滲んでいる。

彼は術師だし知識を披露するのが楽しいのだろうな、とヨルシカは思い、ヨハンの言葉に耳を澄ませた。


「取り込んだ魔力にもよるが、個体差が非常に大きい。森狼も個体差はあるだろうが、その比ではない。ヨルシカ、君は剣をつかっていいものとして、その剣技を持たない6歳になったばかりの子供と戦って殺せるか?君を侮辱しているわけではない。つまり、そういうことだよ。ピンの魔狼とキリの魔狼では、それほどの差があるということだ。強力な個体はとことん強力だ。有名な例では、200年前に存在が確認された月魔狼フェンリークだろうな。月神の加護を受けたとされるその個体は、眷属を引き連れ、7つの街と15の村を滅ぼしたとされている。まあそこまで強大な個体は滅多にいないだろうがね... とはいえ、油断はしないことだ」


魔狼とはそこまで厄介なのか…とヨルシカは慄然とする。

ただ、ヨハンの表情はどこか悪戯めいている。


きっと油断をしないように警告しているのだろう。

ヨルシカは「脅かさないでくれよ…」とボヤいたが、ヨハンとしては油断するよりは警戒してくれるのならば、それに越したことはない。


「注意すべき点はあるかい?」とヨルシカが真剣な表情でヨハンに尋ねた。


ヨハンは頷いた。


「連中が襲ってきた場合、容易く殺せると思ったならば深追いはするな。罠の確率が高い。逆に、今攻め込むのは難しいと思ったなら踏み込め。一頭で襲いかかってきた場合、それは誘いだ。誘引されるなよ。追っていった先には十中ハ九群れが待ち構えているぞ」とヨハンは言った。


しかし、一番大事なのは、とヨハンは続けた。


「ナメられないことだ。ビビるな。君に絡んでいた傭兵共と同じだ。弱味をみせればカサにかかってくるぞ。心理的優勢を取られると厄介だ。殺れるときは出来るだけ無残に殺せ。目玉を剣の切っ先で抉りだし、首を搔っ切って引き千切ってしまえ。君が恐ろしい存在だとやつらに知らしめるんだ。そうすることで連中の足は竦み、得意の機動力には翳りが出るだろう。食いついてくる牙には迷いが混じる。そうなればもはや魔狼ではない、ただの野良犬だ」



この青年はどこか物騒な雰囲気が漂っている、とヨルシカは思った。


さりげなく周囲を見渡せば、他の冒険者たちは、引いた様子はあるものの、口出しはしていない。

もし誤った情報があれば、それは小隊の命に関わることなので、すぐに口出しするだろうとヨルシカは考える。


ヨハンの言っていることは正しい。

魔獣の類を相手取る時は、概ね気勢で優越されないことが肝要である。


ヨルシカ自身、銀等級でも上位の冒険者であるため魔獣を相手にするのは初めてではない。

しかし魔狼は初めてであったのでやや気負うものがあったことは否めなかった。


「無残に殺せ」というヨハンの言葉に、ヨルシカ苦笑を浮かべながらも“やるだけやってみよう”と腹を括る。


そして、時を置かずにヨルシカは自身の肌に刺すような殺気を感じた。それは人間のものではなく、もっと荒々しいものだった。


ヨハンが言う通り、襲撃が近づいているようだ。周囲の冒険者たちも、刺々しい雰囲気を漂わせている。

隊全体の雰囲気が臨戦のそれにかわる。

それはまるで、毒性を持つ生物が危険を察知し体色を瞬時に変容させるような光景を想起させるものだった。


馬車が停止する。

冒険者でもある御者が交戦の場をそこに決めたということだ。岩や木も少なく、地の面も荒れていなかった。


皆が馬車から降りる中、ヨハンがヨルシカの横に立って言う。


「来るぞ」

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