第5話 イスカ③

 ■


 ルドルフから依頼票を受取ったヨハンは少年を一瞥し、そして再度ルドルフの顔を見て口を開いた。


「違えるなよ」


 ルドルフが頷くと、ヨハンは背を向けギルドを出ていこうとした。

 そんなヨハンの背に少年が声をかける。


「ね、姉さんの名前はマリーベルと言います! お願いします、姉さんを助けて下さい……っ」


 ヨハンは振り向き、そこで初めて少年に話しかけた。

「最善を尽くす」


 ■


 ヨハンは旅支度もそこそこに、馬車便をつかまえた。

 そして倍の運賃を渡し、アズラへ出来る限り早く向かってくれと頼む。


 更に道中は獣除けの術まで使い、できる限りの懸念を取り除いた。

 獣などはどうと言う事は無いが、それで万が一馬がやられたりでもしたら間に合うものも間に合わなくなる。


 まあ経費だけで銅貨5枚などはとうに超過しているし、認可冒険者への推薦だって確実に通るかどうかも分からない。最悪、依頼を成功させても報酬は銅貨5枚だけ、と言う事もありうる。


 それくらいはヨハンにも理解は出来ている事だったが、自分の意思で受けると決めたのならば、払える代償は全て支払ってでも遂行しなければならない、とヨハンは考えている。


 ■


 暫しの馬車行が続き、ヨハンはアズラの村へ着いた。

 そのまま村長宅へと向かい、事情を話す。

 旅の後だからといって休んでいる暇等は無かった。


 村長はヨハンの話を聞いて非常に驚いていた。

 どうやら少年がイスカまで来た事は預かり知らぬ事だった様だ。少年は行商の馬車へ忍び込み、単身イスカへと向かったらしい。


 銅貨5枚しか出さなかったのではない、子供1人の財産では銅貨5枚しか出せなかったという事だ。


 とはいえ、仮にルドルフが認可冒険者への推薦と言う札を出さなかった場合、ヨハンは少年の事情を知って居ても依頼を受けなかっただろう。

 そして、ルドルフにも手を掛けていた筈だ。


「マリーベルを……宜しくお願い致します」


 村長が頭を下げ、ヨハンに目に見えない何かを託した。

 特効薬の原料となる花は黒森の奥に咲いているが、村人ではとても採取しに行けるものではない。

 村長としても忸怩たる思いで居たのだ。

 かといって冒険者ギルドに依頼をするとなると非常な高額となってしまう。

 その額は滅多な事では手をつけてはいけない金にも手をつける必要がある程の額だった。


 その辺りの事情を少年は何も知らなかった。

 知らなかったからこそ、無謀にも依頼を出すという選択肢を取れたのだ。


 ヨハンは頷き、一言だけ答えた。

「最善を尽くす」


 ■


 ヨハンは我ながら語彙力がないなと思いながらも、まあそれしか答えようがないしな、などと考えていた。

 実際そうだ。

 最善を尽くす以外に答えようが無い。


 次に向かうのは黒森……ではなく、村長から聞いたマリーベルの家だ。


 もし既に死にそうだという事であれば、マリーベルの何か大切なモノ……本来の寿命だったり、身体の部位であったり、そう言うものを使ってでも延命させる積もりだった。病自体を術で癒す事は出来ない。


 なぜなら治療法が確立されてしまっているからだ。

 そういった病は概念として既に固まってしまっている。


 原因不明の謎の奇病……であるならまだヨハンの術でどうにか出来たかもしれないが、治療法が確立されている病なら法術の類ならばともかく、ヨハンの術ではどうにもならない。


 ■


 ヨハンはマリーベルに会い、その身に死の気配が絡みついている事に気付いた。


(体の衰弱もそうだが、心の衰弱が問題だ)


 体というのは栄養のあるものなり、間に合わせの薬を飲ませるなりで死に至るまでの時間稼ぎが出来るが、心と言うのはそうはいかない。

 そして心が弱りきってしまえば、体もまたそれに引っ張られてしまう。


「……そうですか、あの子が……」


 ヨハンが少年の事を告げると、マリーベルは寝床に横になったまま俯いた。

 声にも力がない。


 マリーベルは生来聡明で、だからこそ自身の病についての知識もあった。

 そう、マリーベルはもう半ば以上自身の生を諦めてしまっていた。


 そんな彼女にヨハンは淡々と言う。


「見た所、もって三ヶ月ももたないな。この冬は乗り越えられないだろう。しかし俺が依頼を遂行するまでには数日あれば十分だ。あなたは治る。森は危険だそうだな、魔物化した猿がでるのだとか。だが俺は視線1つで人間を石にかえる悪魔も殺したことがある。猿がなんだというのか。問題はない。だから悪化させないようにしっかり休んでいることだ」


 これは本当の事だ。


 ヨハンはかつて、悪魔と呼ばれる存在と対峙した事がある。その時はとある貴族の娘に憑依した悪魔を、中央教会の聖騎士達と協働して祓った。

 正しく、死闘であった。

 勇敢な聖騎士の幾名かは物言わぬ石像と化し、しかし最終的にはヨハンが術の根幹を看破し打ち破る事に成功したのだ。


「私……助かるのでしょうか……?」


 マリーベルがか細い声でヨハンに聞く。

 ヨハンは大きく頷き、少女の手を握った。


「当然助かる。最短で1日以内、遅くても4日、5日といったところだな。どうあれ1週間もかかるまい。消耗をさけ、養生をする。きつい労働をするとかではなく、しっかり数日寝ているだけで治る。簡単な事だ。出来るな?」


「は、はい!」


 病は気からという。

 これは迷信ではなく、実際にそうなのだ。


 他者を害するもっとも単純な呪いは、対象に自身が呪われている事を伝える事だ。

 例えば悪口。悪口を聞かされたら嫌な気持ちになるだろう。それが延々と続けば体調を崩す事もあるだろう。

 これが原初の呪いである。


 優れた術師はその逆も出来る。

 自身の言葉に説得力を持たせ、その気にさせる。

 どれだけの説得力を持たせる事が出来るかは本人の生き方が反映される。

 自身が確固とした信念に基き、誰に憚る事のない振る舞いをしていると自覚していればその分強い力が宿る。その効果は詐術と言うには余りに大きかった。


 事実、マリーベルはヨハンの言葉で心を励まされ、暫し容態が安定した。


 マリーベルは運がいい。

 もしもこれで少しも時間が稼げなかった場合、彼女の自慢の髪の毛は頭皮が見える程にばっさりと刈られ、触媒とされて延命の手段に使われていたのだから。

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