第4話 イスカ②


水樽への補充を終えたヨハンは依頼票にサインを貰い、ギルドへと戻った。

するとどうにも騒がしい事に気付く。

見れば、見知らぬ少年が何か切迫した様子で受付の親父に訴えかけていた。


「お願いします!!姉さんが、姉さんが…!」


親父はまるで、目の前の真っ白なパズルを15分以内で解かないと給料を半分に減らすと言われたような表情をしている。

要するに困りきっていると言う事だ。


ヨハンはそんな光景を見て思った。

(よくわからないが肉親がなにかの危機に瀕しているのだろう。大変そうだな)


周囲の冒険者達も複雑そうな表情をしているものの少年に手を貸そうとはしなかった。

(つまり、困難さに比して碌な報酬を提示できなかったという事だろう)


関わる義理も無ければ義務もなし、とヨハンは少年の横を素通りし、親父に依頼票を渡しながら言った。

「依頼は完了だ。あの手の依頼は歓迎だ、またあれば受けるぞ」


そういって報酬を受取り、ギルドを去ろうとする。

だがそんなヨハンの上衣の裾を掴む小さな手があった。


「お、お願いします、姉さんを…姉さんを助けてください…」



対するヨハンの態度は冷淡なものだった。

掴んだ手を叩き落とす…とまでは流石にいかないが、離しなさい、とだけ口にするヨハンを少年は涙の浮かんだ目でじっと見つめた。


ヨハンはため息をつき、ギルドのカウンターへと戻っていく。

それを見た少年は表情を明るくさせるも、またすぐに暗くなった。


「ギルド内で個人間の契約を勧誘する行為は違反だろう。さっさとギルドで依頼の仲介手続きを取るなり、放り出すなりしてくれ」


そんなヨハンをギルドの親父は苦虫を噛み潰す様な表情で見つめた。

親父にはヨハンが一分の隙も無い正論を語っている事は分かっている。

分かってはいる…分かってはいるのだが…

黙り込む親父は、やがてゆっくりと口を開いた。

苦渋という飲みものが本当にあるのなら、それをガブガブと飲み干した後の表情であった。


「ヨハン…イスカへ来たばかりのお前にこんな事を頼む筋合いはないのかもしれんが…依頼を受けてやってほしい」


ヨハンは鼻白んだ様子でそれを聞き、内容と報酬は?と尋ねた。


「イスカから北方へ、馬車便で2日程の場所にアズラという村がある。そこの村の娘さん…そこの少年の姉が質の悪い流行り病に罹った。その病を癒す薬は、アズラの近くにある黒森という森林の奥に咲く花だ。これを採取してもらい、アズラの薬師へ渡してほしい。報酬は……銅貨5枚だ。それに、俺が個人的にお前に恩を感じるだろう。今後、色々と便宜を図ってやれるかも知れん。だが断わるならば…俺はお前が良識ある冒険者としては認めない、かも知れん」



ギルドの受付をしている親父…ルドルフは情に厚い男だ。

元船乗り、嵐で船を失い、生還して…海が怖くなった。

だが仕事をしなければ生活はできない。


そんなルドルフは友人から冒険者になる事をすすめられた。

ルドルフは元船乗りと言うだけあって力は強い。

そしてタフだ。

力強くタフであるなら冒険者として日々の生活を送る程度の金を稼ぐ事くらいは出来る。

ルドルフはそうした。


そして意外な程の適性を見せたルドルフは瞬く間に中堅の冒険者へと成り上がる。

そこでルドルフは冒険者を引退し、ギルド職員となった。

冒険者として誠実に、堅実にやってきたルドルフ、町の者から兄貴分と慕われてきたルドルフをギルドは歓迎した。


冒険者稼業は大きな危険を伴うが、職員ならばそれほどでもない。

彼が危険を厭い安全を追い求めたのは、結婚をしたという事も影響したのかも知れない。

そして妻が子供を産んだというのも影響したのかもしれない。


ともあれギルド職員となったルドルフは、本人なりに公平・公正に働いてきたのだ。

少なくとも今日この日までは。


急に現れた少年の依頼はルドルフの基準からしても困難なものだった。

困難な依頼には高額の報酬を。

当たり前の理屈である。


問題は少年にはその当たり前の報酬が出せないと言う事だ。

それも銅貨5枚。

こんな子供にとってはそれなりの額なんだろうが、そんなものは何の釈明にもならない。


そんな依頼、普通なら断わる。

だが情に厚いルドルフには出来なかった。

ルドルフにも子供がいる。

息子、そして娘。

自身の命に勝る子供達。

そんな子供達の影を、依頼を持ち込んできた少年に見てしまった。



ヨハンは鼻で笑った。

全く話にならなかったからだ。


アズラも黒森も知っている。

病に効くという花の事も知っている。

だが黒森には猿が魔物化した魔猿が多く出没するのだ。

猿というのはただでさえ人間を凌駕する身体能力を持つ。

小型のそれでさえ大人の男の手を握り潰す程の膂力がある種もいる。

そんなものが魔物化すれば、その脅威はどれ程のものかを知らない親父ではないだろう。


「銅貨5枚。そして貴方が恩に着る、か。俺の事を情に訴えれば平気で危地へ飛び込む間抜けだと思ってるのか?貴方は、いや、お前は俺を舐めてるだろう。ウルビスからイスカに来たばかりの新顔、前パーティはそれなりに名前が知られているパーティ。依頼を遂行するだけの能力はありそうだ、と。そして、新米なら今後のギルドでの活動を盾にすればハイと頷くとでも?そうだな、長年イスカで活動している冒険者に頼むというのはやりづらいものな。俺の経歴上、すぐにイスカを去りそうだから脅しまがいの依頼を強要しようとしたのか。ところで俺には家族がいてな、ヴィリという口が悪い女…メスガキなのだが、彼女が言っていたんだ。舐められたら殺せと。俺もそう思う。なあ、何かないのか?お前が俺に恩を着るだけじゃなく、俺が依頼を受けるに足るものだ。何か積んでくれ。さもないと……」



ルドルフの中堅の冒険者としての生存本能が大音量で警報を鳴らした。

答え方を間違えると死ぬという事が分かった。

周囲の冒険者達も助けにはならないだろう。


「……ッ!報酬は増額できん!!少なくとも、ギルドの規定では職員が個人的に金を出すことはできない。だが……こ、この様な悪条件でも依頼を受け、子供の家族を救うべく尽力したということならば、信頼できる冒険者として……イスカの、認可冒険者として推薦する事が出来る!」


それを聞いたヨハンはドロドロとした殺気を収め、何か考える様子でルドルフの目を視た。やがて1つ頷き“受けよう”とだけ答えた。


認可冒険者。

これは要するに、この冒険者の人品は町が責任をもって保証しますよ、というものだ。

普通は長年真面目に冒険者として働いてきた者が推薦される。

推薦はほぼほぼ素通り…とまではいかないが、推薦した者に信用があれば大体は通る。


これは単なる名誉称号ではない。

例えば金を借りるにせよ、限度額が優に5倍は変わる程の社会的な信用度が変わる。

少なくとも、この依頼に適性とされる報酬を倍にした所で認可冒険者という称号の価値には至らないだろう。2倍が5倍でも10倍でも同じだ。


だからヨハンはルドルフの提示を是とした。

むしろ、非常に自分を買っているものと判断した。


ヨハンの“家族”である連盟のとある術師は言う。

「彼は連盟でもっともちょろく、俗で、敵にまわしたくは無い術師ですよ」と。

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