第3話 イスカ①

 ■


 それからヨハンは港町イスカへと向かった。

 特に目的があって旅をしているわけではない、心の赴くままに世界を放浪しようとヨハンは考えている。


 それに、とヨハンは焼いた魚とエールを夢想した。

 港町と言うだけあってその手の食材は質がいい。


 馬車で揺られる事暫し。

 イスカへとたどり着き、ギルドの冒険者証を見せ、町へと入っていった。

 町並みは特にどうということもない普通の港町だ。

 海に面している為、やや磯臭い。

 町行く人々は日に焼けた者が多かった。

 特に男性は船乗りが多く、体つきも良い者が多い。

 だからイスカは治安と言う意味では多少物騒な面もある。

 なにしろ喧嘩っ早い者達が多いからだ。


「とりあえず宿を探すか。昔はこれを怠って野宿した事もあるからな……」

 ヨハンの脳裏に未熟だった頃の過日の記憶が蘇る。


 ■


 宿探しは何という事もなく済んだ。

『潮騒亭』だ。

 宿の名前と言うのは、その土地の特色にちなんだ物が多い。


(潮騒の如くうるさい……と言うわけではないだろう、多分)


 それでも若干不安になりながらも潮騒亭で一晩明かすが、幸いにもうるさくて眠れない……と言う事はなかった。

 やや鬱陶しかったのは隣室の者が春を鬻ぐ女性を部屋に呼んでいた事だったが、港町ならば仕方あるまい、とヨハンは自分を納得させた。


 例えば戦を生業とする者が多い町等では内鍵と外鍵がそれぞれ二つずつあったり、魔術都市等では鍵を無理やり開けようとすると攻勢魔術が起動したり、宿一つとっても都市の特色が出るものだ。


 それらは全てレグナム西域帝国の都市なのだが、帝都ベルンではどうなのかというと意外にも何の特色もない普通の宿が多かったりする。


 ■


 翌朝目覚めたヨハンは朝は宿でゆっくり過ごした。

 イスカの朝は極めて早い為、ヨハンが起きる時間には大分落ち着いてはいるが……


(何も急ぎの旅と言う事でもないからな)


 窓を開けてシーキャットのにゃあにゃあと言う鳴き声を聞きながら触媒を眺めて朝を過ごした。

 ヨハンは草花を触媒とする術を佳く使うが、雑に扱っていると乾燥で砕けて散ってしまう。

 手帳には適度な湿度を保つ術をかけてはいるが、術と言うのは一度かければ恒久的に維持されるものでもない。


 ■


 昼過ぎ頃になってようやくヨハンは行動を始めた。

 食事を済ませ、ギルドへ。

 町は朝の喧噪が収まり、平時と言っても良い位であった。

 雲一つない青空にヨハンは目を眇める。


「陰鬱で暗い気分でないと良質の術が使えないのだがな」


 ぼそりと呟くヨハンの言葉は冗談でも何でもない。

 だが別に上等な理由があるわけでもない。

 単にヨハンが曇り空が好きというだけだ。

 だが、所謂連盟式の術と言うのは本人の心持ちなどが術の出来にも多少関わる為、それなりに気にする者もいる。


 ギルドへ入るとその場の冒険者達の目が一瞬ヨハンへと向くが、各々はまたすぐ依頼掲示板を眺めるなり仲間達と何やら相談をしたりし始めた。


 ヨハンは真っ直ぐ受付のカウンターまで足を運ぶ。

 そこには命知らずの冒険者達を死地へと誘う美貌の受付嬢が……居なかった。

 低級の冒険者程度ならば殴り殺してしまえそうな逞しいガタイの中年親父がどっしりと鎮座している。


(珍しいな。冒険者ギルドの受付嬢は大体女性なんだが。その方が男共は喜んで死にに行くからな)


 そんな事を思いながらも用件を伝える。

 ウルビスから移動してきた事。

 こちらで活動する事。

 期間は特に決めている訳ではない事。


 この町移動の報告と言うのは、別に義務ではない。

 だが、この様に報告しておくと当人の足取りが追いやすくなる。

 すると何がメリットかと言えば、不慮の事故に遭った時等に救援を出してもらいやすいのだ。

 デメリットは特にないが、強いて言うならば犯罪を犯して追われている者等は報告はお勧めしない……と言う事位であろうか。


 手続き自体はすんなりと済み、ギルドの親父から"どんな依頼を受けたいか"と質問される。

 これもまた珍しい。

 依頼掲示板で本人が選んだものをギルドが受け付けて……と言う流れが本流なのだが、まあこのギルドはそういうやり方なのだろう、とヨハンは望む依頼を伝えた。


「なるべく命の危険がないものがいいな」


 特に金に困っているわけでもないヨハンとしては至極当然な要求だった。

 それならなぜ冒険者稼業等をするのかといえば、それは彼の一種の哲学というかポリシーによる所が大きい。


 ──仕事とは車輪に似ている。動かしていなければ錆びつく。そして再び動かそう思った時、必要以上の力が要るのだ


 要するに、無職のままだと精神が腐って仕事し無ければいけないと思った時には苦労するぞ、と言う事だ。


 だがそれを後ろで聞いていた他の冒険者は揃ってヨハンを嘲笑した。

 冒険者が命を惜しんでどうするんだ、と。

 それも一理ある。あるのだが……


 ヨハンはそんな嘲弄にも構わず、酒場の水樽の補充の依頼を受け、ギルドを出て行った。


(……2人か)


 ■


 ギルドを出たヨハンは酒場へとは向かわず、薄暗い路地へ入っていった。

 お世辞にも治安が良いとは言えない場所だ。

 かがみ込み、石をいくつか拾い、先へ進む。

 気配が追ってくるのを確認しながら奥へ奥へと向かっていく。


 やがて、少し開けてはいるものの、それ以上はどこへ行くことも出来ない行き止まりへとたどり着いた。


 ヨハンは広場の中心で足を止め、ゆっくりと振り返る。

 視線の先には2人の冒険者の男。


 足元から頭までじっくりと眺め、ヨハンが口を開いた。


「おはよう。恐喝かい? 一応先に言っておく。逃げるなら追わない。得物を抜いたら殺す。だが君達が俺を殺すつもりまではない、というならそれなりに斟酌してやろう」


 ■


 ヨハンの言葉を聞いた冒険者達は揃って口元を歪めた。


「それはこっちのセリフだぜ。兄さん。アンタ術師だろ? この距離でまともに戦えるのか? 殺す積りはねぇが、触媒を置いていきな。宝石とか持ってるんだろう?」


 ヨハンはその言葉を宣戦布告と見做し、おもむろに投石した。

 狙いは目だ。

 怯むのは一瞬だが、その一瞬と言う刹那の時間は近接戦闘では命取りになる。ヨハンは身を低くして、冒険者の一人の腰から下へ組み付き、押し倒した。

 もう1人はまだ唖然としている。

 この一事を持ってしても彼らの業前の低さが窺えた。


 ヨハンは掌で鼻を叩き潰すように打撃を加えた。


(後頭部と地面に隙間をあけておく事が肝要だ)


 ハンマーと金床戦術と言う、古くはレグナム西域帝国の一都市、闘都ガルヴァドスのコロッセオで闘う闘士達が編み出した技術である。

 打撃の衝撃と地面への激突の衝撃の両方を加える事で、より効率的に人体を壊せるのだ。


 ヨハンは組み付いた男が脱力したのを確認し、次は立ちすくんでいる方へ駆け寄ると、蹴り上げる。

 何処を? 

 勿論男にとって非常な重要な器官をだ。


 跪き呻く男の腹を更にヨハンは蹴り上げた。


「水に濡れ、凍え震える小鬼を見たら君はどうする。俺の師……ルイゼ・シャルトル・フル・エボンはこう言った。腹を蹴り上げ、更に弱らせなさい、と。俺も同感だ。敵手が弱っている時は様子等見たりせずに一気呵成に攻めたてるべきだ」


 そんな事を話ながらもヨハンは男の顔面を蹴り、腕を踏みつけ、指を踵でガンガンと踏みつけていた。


「酷いとおもうかい? でも君らは俺の触媒を奪おうとした。術師にとって触媒とは命綱だ。つまり君らは俺を殺すつもりだった……という事か?」


 ヨハンの質問に、このままでは殺されると勘違いした冒険者が答えた。

「こ、こ、殺すつもりなんてねえよ! そんなことは! ただ、金を、とろうと……しただけで……やめてくれ、もう……やめてくれ……痛いんだ……ほ、骨が折れちまって……」


 ヨハンは眉を顰め、やや怒りを浮かべながら男に言い返した。

「君は俺の手際を疑うのか? 骨なんか折るわけがないだろう。痛めつけているだけだ。君らも俺がおとなしくしていれば痛めつけるだけで済ませてくれる積りだったんだろう? だから俺もそうしている。大人しくしておけ。悪い様にはしない」


 悪い様にはしない、と言いながら暴力を振るってくるヨハンに、男は完全に気圧されてしまった。


(こ、こいつ頭がおかしい……っ!)


 男は頭を抱えてヨハンの暴力をひたすら耐え忍んだ。

 もはやどちらが被害者で、どちらが加害者だかわからなかった。

 やがてヨハンは加害を止め、男の肩に手を置いて口を開く。


「報復はやめておく事だ。数の暴力と言う言葉がある。もし君達が数を揃えて俺を襲ってきた場合、俺は君達を殺す。逃げても追って殺す。身を隠せばレグナム西域帝国の貴族とのコネを使ってでも見つけて殺す。ああ、そうだ。君達の財産を半分だけ頂いておこう。俺からカツアゲするつもりだったのだろう? 本来は全て頂くのだが、治療費として残しておいてやる。俺は家族から甘い、甘いと言われているのだがね、情けは人の為ならず、と言うじゃないか。良かったな、俺が優しい男で」


 報復の件は忘れない様に、と言い残しヨハンは去っていった。

 男は倒れ伏す悪友の様子を見るが、幸いにも生きてはいるようだ。


 男は自身の身体も確認するが、本当に痛みだけを与えられたと知って、今後町で見かけたらすぐに逃げようと誓った。


 ■


 ヨハンは路地裏を出ると酒場へと向かった。


「ギルドから水樽の補充の依頼を受けました」


 ヨハンが酒場の主人へそう告げると、主人はヨハンを店内へ招き入れた。


「ええと、5樽あるんだ……出来るだけでいいから頼めるかな?」


 ヨハンは頷き、上衣の物入れから青い石を取り出す。

 これは青晶石の原石だ。

 高級な物でも珍しい物でもない、川でも海でも、水のある場所ならどこでも見つかる石である。

 加工すると脆いが透き通った青い宝石となる。

 ただし、時間経過で濁ってしまうので宝飾品としての価値は無い。


 ヨハンはそんな石を握りしめ、口を開いた。


「砂漠で旅人は飢え、乾き、倒れ伏す。意識は虚ろに、今際の際に視たものは」


 協会式の術で水を生んでも良かったのだが、ヨハンは敢えて連盟式の術を選んだ。青晶石はオアシスにもあり、こういった触媒は使い勝手が良い。


 ヨハンの詠唱が終わると、空だった水樽にたちまち水が満ちていった。

 酒場の主人は鼻をひくつかせる。

 不思議な芳香……と言うわけではないが、満たされた水から何か本能に訴えかける様なものを感じるのだ。


「何か害があるわけではないが、この術で生み出された水は……そうだな、例えるなら砂漠で彷徨い歩き喉がカラカラになった者にとって、水が満たされた杯はどう感じるか、という事を考えてみてほしい。さぞや魅力的に映るだろう。この水は本能の一部にそういった印象を与える。といっても、この水少し美味そうだな、くらいの印象に過ぎないが」


 それをきいた酒場の親父は喜び、ヨハンに食事をご馳走した。

 この酒場はそれからしばらく、客足が途絶えなかったという。

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