急・後編 回顧
あれは3年ぐらい前かな。僕がまだ26で、彼女が24だったから。僕には好きな人がいましてね。あ、これ別に面白い噺とかじゃなくて、まあ、人情噺?それも違いますかね。まあ、いいでしよう。その人は
僕は一実に惹かれた。向こうもだった。楽しかったなあ、あの時は。今じゃ、糞にも満たない稽古も、まるで一瞬だった。あの清時さん、いや、まだ左凪か。年は向こうが上だったけど、先に弟子入りしたのは僕が先だった。父の財布から、万札をくすねていたのを父が感付いた時。あそこから、全てが狂っていった。左凪のことを少し可哀想に思った僕は、庇ってあげた。その場は一旦終わった。僕ももう何もない。だけど、左凪は破門になった。僕は許してあげるように父に説得しようかと思った。だけど。左凪は出ていく前に、僕のところに来た。あの時の感謝を伝えてくれた。そして、心配しなくていいって言ってくれた、僕の心を見透したのかな。でも、そうと来たら、わざわざ出しゃばったことをする必要はない。だから、僕はいつもの生活に戻った。噺して、一実と楽しく過ごして。んで、父はさ、酒癖がちょいとばかり悪かったんだ。或る日、自分の出番が終わったら、さっさと呑み飲めたんだ。そのときは、一実が付き添いで荷物持ちとかやってたんだ。嗚呼、一実の高座名は、「いちじく」だったかな。まあいいか。ウチに付いた時にさ、
『円禄が私達の方を見る。』
お後が宜しいようで。
『本当に落語が上手い人は高座から消えていくと言う。もう、噺が現実に展開されて、噺の情景しか見えないのだ。』
二上さん、この墓地に一実のお墓があります。私の代わりに、行ってくれませんか。
「え、嗚呼。はい。わかりました。」
頼みましたよ、あ、僕は元気になった、って伝えておいて下さい。
「…」
「じゃ、行きましょう。」
芝浜警部の手が岸柳の肩に置かれる。岸柳達は暗闇に消えていった。
「ここか…」
約束の通り、私は例の墓地へ行って、線香と花をお供えした。
「まるで、円游は登場人物に取り憑かれたようだと思いましたが、死神の時は円禄に、男の時も同様に、本当に取り憑かれていたんですね。」
帰りの電車で、心の中で言ったつもりが、口から出てしまったようだ。一つ空けて隣の人が不思議そうな顔でこちらを見ている。
「では、越後屋さん、取り調べを始めます。」
あの時の若い刑事さんだ。何だろう。
「あのー、刑事さん。」
「もう既に噺終わってますよ?」
死神 緑川神威 @hrdream
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