第9話

 相変わらず青年の表情には大きな変化はないが、こちらに歩み寄って来たかと思えば、そのまま影の中に沈むように消えていく。

別に邪魔にはしていないのに。

なんだか拗ねているみたいだ。


あとから、1人の老婆が木の杖をついて、ゆったり部屋へ入って来て、すぐに、こちらに向かって深く頭を下げる。

花恋も立ち上がって、老婆の隣で改めてこちらにきちんと頭を下げる。


「…神君、60年、いや70年ぶりで…再びお会いできるとは…たいへん嬉しゅうございます。」


「いや、俺、そんなに生きてないです…。まず、その、神君っていったいなんなんですか?」


老婆はくしゃくしゃな顔を極限まで伸ばして目を見開く。


「……長い話しになりますが、よろしいでしょうか?」


大きく頷いて、覚悟を決めたのに、花恋が顔を上げて明るい声色で


「そうだ、おばば様、お茶をしながらどうです!?私がお茶を用意して来ます!」


そんな提案をするから、つい、笑いたくなってしまって、顔が緩んでしまった。


「……花恋……神君には1つでも失礼があってはならないのだよ…。」


花恋には、老婆の言葉は全く届いていないだろう。だって話しの途中で部屋を弾丸のように飛び出して行ったんだ。

代わって老婆が、また申し訳なさそうに頭を下げる。

そんなに頭を下げられる理由もわからない。


「あの、お構いなく…。全然、気にしていませんから。むしろ、久しぶりに賑やかで楽しかったです。」


老婆が下を向いたまま隠すように苦笑いしていたのを見逃せなかった。


どうしたらいいか、こういう時こそ隣にいてアドバイスしてくれたっていいのに。

どうして肝心な時に…

自分の影に目を落として心の中で嘆いた。

 少しして、花恋が時代劇に出てくるような小さな朱色のお膳を持って来て、その上にいい香りのする知らないお茶と煎餅に似たお菓子を、不思議な模様の入った綺麗な白い陶器の器に入れて丁寧に並べて出してくれた。

そこまでしてくれたのだし、一緒にいても構わなかったのに、老婆に追い払われるように部屋を去って行った。

1段高い位置に座るように促されて素直に従って、老婆の話しを聞く。

そういえばずっと食べたり飲んだりしていなかったと思い出して、すぐに出された物を口にしたのだが、味がしないというか…砂でも食べているみたいで美味しくないというか…香りはとってもいいのに、どうしてだろう。


徐々に知らされる自分自身の真実、世界の真実が、全部全部嘘のようだった。


やっぱりこんなの夢の中の出来事でしかないんだ。


信じられない、信じたくない、信じてはいけない。嘘だ、嘘なんだ。


自分に背負わされた、酷烈な運命…。


助けを求めるように影を覗くが、青年は姿を出してくれない。

そもそも、どうして、こんな大事な事を最初に教えてくれなかったんだ?


そうだ…そうだ…そうなんだ、そう思っている。


      逃げたい。


目を閉じると、すぅっーと、意識が消えていく。

転がって闇におちていく。


倒れそうになった身体を、影から上半身だけ出して、青年がタイミングよく支える。

闇に落ちたはずなのに、耳には会話がぼんやり入ってくる。


「……早く全てを、取り戻さなければ、中途半端なままヒトの部分が残っていては、さぞ辛かろうに…それに………貴方様も、古の命により、自分からは決して神君には言い出せない。元は神君の一部なのだから、仕方ないとはいえ…。」


「朱雀が近くにいます…。主神君がこちらにいる事を伝え、連れて来ていただければ…。」


「……地上に出れば、確実に戦争に巻き込まれる。死者が出るのです。」


「主神君の為でも、出来ないと?…最期まで役に立ってこそでは?」


「……確かに我々の元々の存在理由はそうでしたが…。」


「逆らうのであれば、すぐに、あちらの新しい人間と同じように、摘み取ってしまうまでです。主神君のご意向はご存じのはず。」


「……覚悟はできておりますが……。」


「ならば、言い訳は不要なのでは?」


音が無くなる。


消えていく…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る