第2話
バイトを始めて二週間経過。
八月上旬、天気快晴。
戦況報告。
驚くことに私、天宮夏歩は生きています。生き延びております!
十二時の厨房は本当に戦場だった。
外まで溢れる客、鳴り止まぬ注文のベル、料理はまだかと催促のクレーム、跳ねる油、すべる床、積み重なる食器の屍……以下省略。
レストラン内は家族連れやカップルが楽しそうに会話を弾ませているなか裏の厨房では怒声に罵声の弾丸が飛び交っている。
「なにやってんだ早くしろ!」
「オーダー通ってないじゃねーか!」
「まだ天ぷら揚がってねェのか!」
「麺は伸びちまうからすぐ提供しろや!」
「厨房を走るんじゃねェ!!」
「てやんでぇ!!」
「こんちくしょう!!」
こんなかんじ。
でも人間って不思議でどんな変化にも対応してしまう生き物。
二週間すると私はこの戦場でも戦力になることが可能になるほど成長。
洗い場専門を卒業し、勤務内容にレジ打ちにオーダーが追加される。
できることが増えるって嬉しいよね。
最近はそんな私を見て先輩たちも背中を任せてくれる。態度も心なしか柔らかくなった。
店長もそれを見てニヤリ、と怪しく笑っていた。
まあ店長だけはまだ怖いのだが。
***
さらに一週間経過。バイトを始めて三週間目に突入。
そしてお盆休み突入。
しかし本日は雨が降っており客足は少ない。
通常より少ない業務に物足りなさを覚えながらテーブルを拭いていると、店長から集合の合図がかかった。
「お前ら喜べそして震えろ」
店長の号令がかかり厨房に全員集合。
雨のせいか店長の髪はいつも以上にクルクルまるまっている。
もしかして天パ?
「なんとこの度あの有名なご利益満載のあの寺、
オォ、と厨房がどよめく。
かくいう私も驚いた。
馬路満寺といったらご利益百パーセントを謳う超有名観光スポットだ。そんな大御所からコラボの誘いをもらったのだ。
これは売れに売れまくる。
その予感に誰もが固唾を飲んだ。
皆の反応に店長は満足そうに頷き、
「そこで考えたのがこれだ」
店長は新しく書き替えたメニューを皆に見せる。
「明日からの新メニュー『イケナイ精進料理』だ」
つんのめりそうになった。続けて目に入ったメニューのイラストを見てよろけた。
そこにはサングラスをかけた坊主が豹柄の袈裟を着て精進料理がのったお膳を抱えている。
その風貌から『ヒャッハーッ!! 肉なし料理いと旨し! 』と叫びそうな雰囲気満点。
お坊さんがスキンヘッドのその道の人にしか見えない。
「……」
どうしてそっちベースにのせてしまったのか。
私の反応と異なり他の先輩社員たちは「すげェ」「ヤベェ」「売れるしかねェ」と唸っている。
彼らの琴線には触れている。
「さらに『いたずら子坊主のぜんざいセット』も新メニューに追加した」
こちらぜんざいと抹茶がついたセット。
メニューにはいかにも悪そうな顔でぜんざいをすする小坊主のイラストが描かれている。
だからどうしてそっちベースにのせちゃったの!?
「マジ卍……」
思わず口からこぼれた。
意味はよう知らん。
***
バイトを始めて四週間目、一ヶ月が経過。
事件は突然起きた。
午前十時。私は開店前の掃除をしていた。
「掃除完了」
客席の汚れを吸い込んだ雑巾は真っ黒になっていた。
そこで用意したのが漂白剤入りのバケツ。
「これにつけて待てば真っ白よ」
床に置いてあるバケツに雑巾を投入しようとした時、
「あ、ぬいぐるみがズレてる」
客席と客席の間にある小さな棚。
そこには真っ黒なまるいフォルムの悪魔のぬいぐるみが置いてある。
「あらら、デビルくん傾いちゃってるよ」
彼の名前はデビルくん。
ファンシーランドのキャラクターでウサポンたちのライバル……だった。
だったというのは最近園内でぱったり見ないから。
「怖かったもんな。園内を歩く等身大のデビルくん」
あのリアルな悪魔感の着ぐるみは今でも目にしたら怖いと思う。
「ぬいぐるみにすれば可愛いんだけど……怖いから出なくなっちゃったんだね」
向きを真っ直ぐにしようとすると予想以上に手触りが滑らかでぬいぐるみが手から滑り出す。
「あ」
デビルくんは棚から落下。
まるいフォルムのぬいぐるみは勢いよく床をバウンドすると自らバケツの中へ飛び込んでいった。
ぼちゃんっ。
バケツには水が張っていた。
しかもそのバケツって、さっき雑巾の汚れを落とすために使った……漂白剤入り。
「……」
崖から突き落とした犯人が被害者の遺体を確かめる動作でバケツのなかを覗き込む。
すでにデビルくんは斑模様になり、白の面積はみるみるうちに増えていく。
「……」
私は静かに天を仰いだ。
涙が溢れだしてくる。
「何やってる。天井にユニークな染みでも見つけたか?」
「てててて店長」
肩ごしから覗くように店長が声をかけてきた。
そしてバケツの中の被害者と目が合った。
変わり果てた真っ白な悪魔のつぶらな瞳はびしょ濡れでまるで泣いているようだった。
「お、おまえ……」
店長は膝から崩れ落ちた。
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