3

 雑賀の演説の後、猿渡がフロアに集まったメンバーを複数のチームに分割し、ラウンジを二方向から奇襲することになった。

 五十人の襲撃メンバーを二つに分け、それぞれ正面と裏口から突撃する。雑賀と猿渡は正面、魚住は裏口から突入するチームの指揮を執り、タイガは正面から突撃するチームに配属されることになった。

 隙を見計らって携帯で警察に通報しようかと思ったが、正面突撃するメンバーがじろじろとタイガを監視してくるため、携帯をいじる隙などない。そのまま身動きがとれないまま、あっという間に奇襲開始の時間になってしまった。

 薄暮の闇に紛れながら、タイガ達正面突撃組はラウンジの正面付近に陣取っていた。五人一組のチームに分かれ、それぞれがラウンジの正面入り口を俯瞰できるように、路地の陰に隠れている。

 ラウンジの入り口には梶派の連中がたむろしており、おそらく中で行われている会合の警護のために呼び出されたのだろうと容易に想像がついた。詳しい事情は聞かされていないのか、警戒はしているようだがあまり緊張感は感じられない。人数もせいぜい十数人程度で、意表を突けば簡単に制圧できそうだった。

 十八時になると同時に、雑賀が動いた。彼が足音を潜めて物陰から飛び出すと、物陰に潜んでいた他の雑賀派連中も一緒にラウンジの正面入口に向かって突撃する。タイガも他の連中に押し出される形で前に進み出た。

 物々しい足音に気づいたのか、正面入口を守っていたチンピラ達がこちらを振り返った。だがその時には、雑賀は梶派の連中の近くまで迫っていた。彼らが散開して戦闘態勢を取る前に、雑賀はダッシュの勢いのまま地面を蹴って、一番手近なチンピラの顔面にドロップキックをお見舞いする。雑賀は両手も使って着地した後、雄叫びすら上げずに他のチンピラに殴りかかっていく。

 梶派の連中が騒ぎ出す前に、タイガ達も雑賀に追いついた。雑賀派と梶派が入り乱れて殴り合う中、タイガも襲いかかってくるチンピラをかわしながら、犬飼がいないか目線を動かし続ける。ざっと見渡しただけで犬飼らしき体格の男はおらず、やはりラウンジの中にいると見て間違いなさそうだった。

 意表をついたこともあって、あっという間に梶派の連中を叩きのめすことに成功する。梶派の逃亡者が出ないよう奇襲をかけた内の十人を正面入口に残すことになり、雑賀や猿渡を中心として迅速にラウンジ内へ突入するチームが編成されていく。タイガも躊躇なくラウンジに突入するほうに志願した。

 受付を抜けてラウンジに入ると、フロアは照明がついておらず真っ暗になっていた。雑賀を先頭に警戒しながらフロアの中に入っていくと、突然フロア全体の照明がついた。

「よお、犀賀派のアホども。遅かったじゃん」

 挑発的な猪原の声が背後から響き、タイガ達は一斉に振り返った。

 先程入ってきた正面入口への道を封鎖するように、猪原率いる梶派のチンピラ達が立っていた。その数ざっと三十人ほどで、いずれも警棒やメリケンサックなどで武装している。視線を巡らすと、裏口の方から侵入してきた魚住達も同じように、犬飼率いる梶派の集団によって退路を塞がれていた。

 雑賀は拳を構えることすらせず、無造作に猪原の前に歩み出た。

「えらい歓迎ぶりじゃないか。俺達が奇襲をかけるのなんか、とっくに予想済みだったってわけか?」

「俺がそこまで頭回るわけないじゃん。ただ知ってただけだよ」

「内通者がお前に情報を流してた、ってことか」

「ご明察」

 雑賀派の視線がタイガに集まってくるが、タイガは無視して雑賀と猿渡のほうを注視していた。雑賀は微塵も表情を変えなかったが、猿渡は動揺して犬飼のほうに視線を向ける。猪原は目聡くその反応に気づいたようだった。

「猿渡とか言ったっけ? 悪いね、あんたの計画の邪魔しちゃって。でもこっちも命がかかってるからさ」

「な、何の話や」

「しらばっくれても無駄だって。あんただろ? 犬飼をスパイとして抱き込もうとしたのは」

「何のことや」

「犬飼から全部聞いたよ。あんた、あいつから雑賀派に鞍替えしたいって相談を受けて、梶派の情報を横流しさせてたんだろ? それ、全部連次の作戦だから。あんたらに用済みのメンバーや拠点の情報をつかませて、適当に襲撃を仕向けてガス抜きさせてやってただけだよ。大体、うちの人間が雑賀派に協力するわけないじゃん。俺らみんな、金が欲しくてレッドデビルズに入っただけなんだからさ」

「……クズどもが」

 猿渡が忌々しげに吐き捨てるが、猪原は微塵も痛痒を感じた様子もなく雑賀のほうに視線を戻した。

「それで、どうすんの? 人数的にもこっちのが有利だし、あんたらに逃げ道はない。絶体絶命ってやつじゃない? あんたが大人しく投降するなら、他のやつは見逃してやってもいいけど?」

「猪原、あまり俺達をなめるな。ここにいる全員、死ぬ覚悟ならとっくにできてる。ぐだぐだしゃべってないで、とっととかかってきたらどうだ?」

「本気でやる気なんだ。ホントにバカなんだね」

 猪原は嘲るように言ってから、ポケットに突っ込んでいた右手を宙空に掲げた。それを振り下ろすと同時に、背後の部下に号令をかける。

「やっちまえ」

 梶派のチンピラが一斉に動き出す。各々に武器を構え、雑賀派の集団に向かって一心不乱に突撃してくる。雑賀派の連中も応じるように突撃し、フロア中のあちこちで激しい乱闘が始まる。

 出遅れたタイガを除けば、雑賀と猪原だけが乱闘から取り残されていた。彼らは互いに近距離で睨み合いながら、お互いの出方を伺っている。

 先に動いたのは猪原だった。雑賀の前に踏み込むと、瞬時に拳を構えて腰を落とし、低い体勢から雑賀の腹に拳を放つ。

 雑賀はバックステップでそれをかわすと、猪原の顔面に鋭い蹴りを放つ。だが猪原はたやすくそれを回避し、再び雑賀の懐に入り込む。鋭いジャブが雑賀の全身に乱れ飛び、雑賀はなんとか腕を持ち上げて防御するが、手数で完全に押されている。たまに反撃を繰り出すが、猪原に簡単にガードされてしまう。

 雑賀のケンカの腕は決して悪くないが、猪原相手ではさすがに分が悪い。このままでは、数分と持たずに猪原が雑賀を叩きのめしてしまうだろう。

(このまま決着がついちまったらまずい)

 犬飼がどういうつもりかはわからないが、タイガの目的は変わらない。犬飼をレッドデビルズから抜けさせ、警察に捕まらないように逃がす。それ以外に、タイガは自身の罪を贖う方法を知らなかった。

 このまま雑賀が倒されてしまったら、犬飼をレッドデビルズから引き戻す機会は失われ、いつか犬飼はレッドデビルズの幹部として警察に逮捕されることになる。タイガ自身がどうなったとしても、それだけはなんとしてでも避けなければならない。

 タイガは瞬時に決断すると、犬飼のほうへ走り出した。

 犬飼は魚住と殴り合っているところだった。体格のよい二人は腕力では互角のようだったが、タフさではわずかに魚住に分があるようだ。互いに激しく拳と蹴りを応酬しているが、魚住の動きや表情には微塵もダメージが感じられない。格闘の最中に犬飼がこちらに背を向けた隙に、タイガは彼の背中に前蹴りを叩き込んだ。

 予想外の方向から攻撃をくらった犬飼は、思い切り前方によろける。魚住が驚いたようにこちらを見るが、タイガは有無を言わせず彼に叫んだ。

「魚住、雑賀を頼む!」

 それだけで魚住はこちらの意図を察したようだった。犬飼をタイガに任せると、雑賀と猪原のケンカに割り込むために走っていく。

 走り去っていく魚住を見やってから、犬飼はようやくタイガに視線を向けた。相変わらず感情の乏しい瞳には、暗い悲しみが宿っているように見えた。

「まさか、こんなところまでのこのこ来るとはな」

「まだお前の答えを聞いてないからな」

「見ればわかるだろ。ここにいる時点で、俺はレッドデビルズを抜ける気はないってことだ」

「なら、その理由を教えろ」

「お前にそんなことを教える義理はない」

 犬飼は取り付く島もなく切り捨てると、拳を構えてタイガに肉薄してくる。重い拳が唸りを上げて襲ってくるが、タイガは腰を落としてそれをかわす。その勢いを利用して全力で地面を蹴り、タイガは犬飼に腰に体当りする。

 さすがにサッカーで鍛えてきただけあって、犬飼の身体はタイガの体当たりではびくともしない。すぐに距離を取ろうとするが、犬飼の蹴りが腹に直撃してタイガの身体は吹き飛ばされた。

 床を転がってから上体を起こすが、犬飼はすぐそばまで走り寄ってきていた。立ち上がるまもなく襟元を掴んでくると、更に壁際に投げ飛ばされる。

(クソ……俺じゃ相手にならない)

 当たり前だが、犬飼とタイガでは体格が違い過ぎる。筋肉量からしても犬飼のほうが遥かに上で、まともに殴り合って勝てるわけがない。

 タイガが唯一犬飼に勝っているのはスピードだが、サッカーで鍛えた犬飼の反射神経なら、タイガのスピードにも容易に対抗できる。

 犬飼が乱闘の合間を縫って接近してくるのを見ながら、タイガは立ち上がって必死に頭を回転させる。

(俺の目的は犬飼を倒すことじゃない。警察が来る前に、犬飼をここから連れ出すことだ)

 タイガは周囲に視線を走らせると、すぐ近くに裏口への通路があるのに気づいた。犬飼がこちらを追ってきているのを確認してから、タイガは裏口のほうへ走り出す。

 通路に入ってから背後を振り返ると、期待通り犬飼も後を追ってきていた。タイガは裏口の出口近くまで走ってから、ようやく足を止めて犬飼を振り返った。

 犬飼は数歩分間合いを取ってから、通路の途中で足を止めた。問答無用で殴りかかってこなかったことで、タイガはようやく彼の意図に気づく。

「お前、まさか俺を逃がすためにわざと通路に追い込んだのか?」

「何の話だ」

 犬飼はごまかすが、タイガはすでに確信を得ていた。

「お互い同じことを考えてたんだな。だとしたら話が早い。とっととここから逃げるぞ」

「俺はここから逃げるわけにはいかない。俺はもう取り返しがつかない。お前も俺を助けようなんて考えはとっとと捨てろ」

「お前が何をしたのかくらい、俺はもう知ってる」

「……何?」

「二階堂と梶を殺したのはお前なんだろ」

 犬飼は逡巡するように視線をさまよわせてから、タイガに視線を戻して睨みつけてくる。

「何を根拠にそんなことを」

「今日の昼、初瀬と一緒にラブホテルから出てきただろ? たまたま近くにいて見ちまったんだよ。その後、そのホテルでどんな騒ぎがあったかはお前も知ってるだろ?」

「お前、殺人鬼を助けるつもりか? そんなことしたら、お前も罪に問われるぞ」

「そのくらい、とっくに覚悟してんだよ。いいから黙って俺に付き合え。それとも、二人揃ってここで警察にパクられるほうがいいか?」

 犬飼は舌打ちすると、タイガの胸ぐらを掴んで通路脇の部屋に押し込んだ。スタッフルームらしき室内には大きめの窓があり、犬飼は窓に向かってタイガを突き放した。窓の外は裏路地になっており、ラウンジの中に出入りしている人間にしかわからない非情脱出口のような形になっていた。

「……そこからなら、雑賀派の包囲をかいくぐって逃げられる」

「包囲されてることまで知ってるのか」

「雑賀派にここを襲わせるように仕組んだのは俺だぞ。そのくらい想定済みだ」

 犬飼とともに窓から外に出ると、タイガ達は足音を潜めてラウンジから離れた。ラウンジから出た時点で、パトカーのサイレンがラウンジの方へ近づいているのが聞こえてくる。どうやら、誰かがラウンジでの乱闘を警察に通報したらしい。アリスの顔がとっさに思い浮かんで、タイガは彼女の周到さに舌を巻いた。

 雑賀派の連中に気づかれることもなくラウンジから離れると、無人の裏路地でようやく犬飼は足を止めた。街灯がぽつんと照らす下で、犬飼は苦い顔でラウンジのほうを眺めていた。

「なんだよ。まだケンカに参加したいっていうのか? 今戻っても警察に捕まるだけだぞ」

「どのみち同じことだ」

「何?」

「お前と違って、俺の顔は雑賀派にも梶派にも知れ渡ってる。お前が警察にパクられることはないだろうが、幹部の俺が捕まらないわけがない。遅いか早いだけの違いだ」

「……なら、俺がお前を逃してやる。東京、いや大阪にでも逃げれば流石に追ってこないだろ」

「警察をなめるな。俺が二階堂と梶を殺したことは、警察もすぐに嗅ぎつけてくる。やつらが殺人犯を簡単に逃がすわけがない」

「じゃあ、お前はこれからどうするつもりなんだ」

 犬飼は何かを答えかけて、口をつぐんで路地の端に目をやった。釣られてそちらに目をやると、路地の向こうから見知った二人の女性が歩いてくるところだった。

「初瀬に……竜宮司?」

 見慣れない取り合わせに、タイガは思わず間の抜けた声を上げていた。

 アリスは初瀬を連れて街灯の下まで歩み寄ってくると、芝居がかった調子で両手を広げた。いつも通りの黒尽くめの服装もあって、翼を広げたカラスのように見えて、タイガは彼女の存在がひどく不吉なものに見えた。

「お初にお目にかかるね、犬飼君。君にとっては不都合だろうけど、役者が揃うように手配させてもらったよ」

「……誰だ、お前」

「竜宮司アリスという、しがないトラブルシューターさ。レッドデビルズの幹部の耳にも名前が届いてないなんて、私もまだまだだね」

「一体、俺達に何の用だ」

 アリスのマイペースさをいなしつつ、犬飼は警戒心をあらわにして威嚇するように尋ねる。

 だがアリスは微塵も動揺した様子もなく、犬飼の眼光を受け止めた。

「犬飼君、君の考えてることはもうわかっているよ。でも、私としては君が地獄に落ちるのをみすみす黙って見過ごせない事情があってね。余計なお世話と思いつつ、説得させてもらいに来たよ」

「お前に俺の何がわかる」

「言ったろう? 何もかも、もうわかっているのさ」

 アリスは一呼吸置いてから、真相を語り始める。

「まずはすべての発端から話そうか。間宮里穂を殺したのは、二階堂英梨だったんだろう?」

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