第五章 悪魔は天使の姿を借りて現れる

1

 ――梶連次が殺された。

 予想もしてなかった出来事に、タイガは思わず思考が停止してしまった。

 そんなタイガを尻目に、猿渡はどこかに電話をかけながらタイガに指示を出してくる。

「お前、俺の代わりにここに張って情報を集めといてくれんか? 夕方には代わりのモンを寄越すから」

「あ、あぁ」

 タイガが答えると、猿渡は電話をかけながらその場を去っていく。その背中を見送るのと同時に、何者かがタイガの傍に近づいてきた。タイガがそちらに顔を向けようとすると、鋭い声で制される。

「こっちを向くんじゃないよ」

「その声……お前、アリスか?」

「ご明察」

 短く応じると、竜宮司アリスは強引に話を続けてきた。

「君も梶連次殺害を聞きつけてここに来たのかい?」

「いや……たまたまここにいたら、いきなり騒ぎになっただけだ」

「ふうん。じゃあ君は、梶を殺した犯人がホテルを出ていくのを見たかもしれないね」

「それは……」

 一瞬、ラブホテルを出てきた犬飼と初瀬の姿が頭をよぎる。そんなわけないと思いながら、タイガはその連想を捨て去ることができなかった。

 タイガが言葉を詰まらせていると、アリスは冷徹な声で告げる。

「犯人が誰なのか、君ももう気づいたんじゃないのかい?」

「……も、ってことは、あんたも気づいてたのか」

「当然さ。君の集めてくれた情報のおかげで、とっくに当たりはつけていたとも」

「あんたは、一体誰が犯人だと思ってるんだ?」

「決まっているだろう? 犬飼和也だよ」

 氷のように冷たい断定に、タイガは自分の心が凍りつくのを感じていた。頭が真っ白になって何も考えられず、口もまともに言うことを利かなくなってくる。

「そ、んな……どうして」

「理由は私の口から言うわけにはいかないね。君なりに考えるか、本人に聞きたまえ」

「そ、そうじゃない。どうして、あいつが犯人だなんて言い切れるんだ?」

「明白じゃないか。二階堂殺害時、梶はカフェに、猪原はパチンコ店で時間を潰していた。二人とも防犯カメラがある場所にいたようだから、当然こっちで防犯カメラの映像をチェックさせてもらったよ。二人ともちゃんと証言通りの場所にいたので、二階堂を殺害するには時間が足りない。雑賀派の連中も繁華街にいたようだけど、彼らは防犯カメラがオフになっていることなど知らなかったはずだ。そんな状況で殺人なんてバカな真似をするはずがない。第一、二階堂を殺すのが目的なら、自宅とかに一人でいる時を狙って襲撃をかけるほうがよっぽど安全で確実だ。梶を挑発するのが目的なら幹部を殺すだけで十分なはずで、わざわざ本拠地にいる時を狙う必要はなかったはずだ」

「……容疑者はそれだけじゃないだろ」

「ん? ヤクザや尾白由紀のことを言ってるのかい? ヤクザが猪原にのされたのは、二階堂殺害のほぼ直前だろう? 意趣返しにしては迅速すぎるし、二階堂に睡眠薬を仕込むだけの時間的余裕があったとは思えない。尾白由紀は入退室を梶達に監視されていたから、当然殺害は不可能。初瀬美香という可能性も考えたかもしれないけど、彼女に二階堂を殺すのは無理だ。二階堂は薬を盛られた状態で受付にいたんだ。仕事への責任感が強い彼女は、当然眠気があっても受付を離れないだろう。つまり、二階堂は受付で眠っていたはずだ。遺体がトイレにあったのは、犯人が少しでも発覚を遅らせようとしたからだろう。二階堂は女性とはいえ、背は高めでそれなりに重いはずだ。初瀬の細腕で、眠っている二階堂を移動させられるとは思えないね。更に言えば……君は二階堂の遺体を発見した時、フロアの床が綺麗だったと言っていたじゃないか。猪原は君の返り血を浴びて靴が汚れていたから、彼が犯人ならトイレ近くの床には血の跡が残っていたはずだ。そうでないということは彼は犯人ではありえない。梶にはそもそも、死んだ二階堂を抱えて受付からトイレまで運ぶ筋力はない。防犯カメラを確認するまでもなく、犯人は犬飼しか考えられなかったよ」

 タイガは胃がずしりと重たくなるのを感じた。

「どうして、今の今まで俺に黙っていた?」

「そんなこと、君もわかってるんじゃないかい? 君にそれを伝えたら、君はレッドデビルズへの潜入調査より犬飼のほうを優先していただろう? けど前にも言った通り、私は犬飼が殺人のような重罪に手を染めている場合、彼を見逃すつもりはない」

「それをわかってて、どうして俺にそれを教えたんだ?」

「今日の君の話を聞いて。犬飼の本当の目的がわかったからかな」

 アリスの言う意味がわからず、タイガはすがるように疑問をぶつける。

「どういう意味だ」

「君もよく考えてみたまえ。なぜ犬飼はレッドデビルズに入ってまで、二階堂と梶を殺そうと思ったのか。彼がプロ入り確実とまで思われていたサッカーを捨てて、こんな世界に飛び込んだ理由は何なのか」

 アリスは物陰から出て、ようやくタイガの正面に回ってきた。見慣れた黒尽くめの姿に黒いマスクとキャップをかぶっており、彼女はどこか悲しげな瞳でタイガを見つめてきた。

「それから、依頼は今この瞬間を持って終わりにするよ。報酬は後で支払うから、君はここで手を引きたまえ。そして、これからどうするかよく考えるといい」

 それだけ言うと、アリスは路地の向こうへと歩き去っていった。

 彼女の去っていった方向を見ながら、一人取り残されたタイガはすでに覚悟を決めていた。

(俺のやることは変わらない)

 犬飼の真意を確かめ、彼を助けられる道を探る。そうする以外、タイガは犬飼への借りを返す方法を思いつかなかった。

 スマートフォンで犬飼に何度かメッセージを送ってみるが、まったく返信がないどころか既読すらつかない。電話をかけてみても繋がる気配すらないので、タイガは苛立ち混じりに電話を切った。

(くそ……あの野郎、もうどこかに逃げやがったのか?)

 いや、それはない。アリスが犬飼を逃がすわけがない。少なくともアリスは犬飼の潜伏場所か、犬飼の次の行動を先読みしているということだ。

 だが、タイガがアリスに渡した情報の中にも、アリスからもらった情報の中にも、潜伏先のヒントになるような情報があったとは思えない。

(なら、アリスは犬飼が逃げないと確信してるってことか?)

 二件もの殺人を犯して、逃げる気がないなんてことがありうるのだろうか。その行動を合理的に説明する術が、タイガが持っている情報の中にあっただろうか。

 答えはいまだに見えてこないが、タイガの中で一つだけはっきりした。

(犬飼がまだ逃げてないなら、俺もレッドデビルズを抜けられない。とりあえず、今まで通り猿渡の指示に従って動いて、奇襲の日に犬飼と接触する)

 危険な賭けだが、現状それ以外に犬飼と連絡を取る方法はなさそうだ。ひとまず猿渡の指示に従って、夕方までここで梶殺しの情報を集めるしかない。

 タイガは物陰から足を踏み出すと、犯罪現場に集まった人だかりのカオスの中へ飛び込んだ。

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