5

 翌日の昼、タイガは家を出てすぐに繁華街にやってきた。

 奇襲の件をアリスに連絡するべきなのだが、いつものバーに彼女の姿はなかった。バー以外で連絡を取る手段もないため、タイガは仕方なくバーテンダーに言伝を頼んでから、当て所なく繁華街を歩き回っていた。

 コロナ禍のせいで相変わらず人出は少なめだが、少しずつだが街に活気が戻ってきた気がする。四月も終わりが近づいており、本格的な春の陽気に釣られて外出が増えてきたのかもしれない。

 行き交う人を避けるように歩きながら、タイガはぼんやりと考え事をしていた。

 ――君だって殺されちゃうかもしれないんだよ?

 腕にすがりついてきた初瀬の細い指を思い出し、胸が締め付けられるように痛む。

 彼女は今、無事でいるだろうか。ちゃんとタイガの言った通り、レッドデビルズやラウンジから離れて安全に暮らしているだろうか。家にいてもそんなことばかりを考えてしまうのだが、外に出てもこの有り様だ。彼女を思う度に胸が苦しくなり、頭の中から追い出そうとしても決して出て行ってくれない。タチの悪い病気のようだと内心で悪態をつきながら、タイガは繁華街を歩き続けた。

 切れ長の涼しげな瞳、ほっそりとしているが力強いタッチで鍵盤を叩く指、愛嬌があってころころと変わる表情――生い立ちも含め、彼女のすべてがタイガの心を掴んで離さない。事ここに至って、ようやくタイガは理解した。

(俺は、初瀬のことが好きなのか)

 人を好きになるという事自体、タイガにとっては初めてのことだった。

 これまではずっとサッカーに人生を注ぎ込んできていたため、同年代の女子とまともに話す機会などなかった。あの頃のタイガは一分一秒を惜しんでボールに触り、サッカーの試合を見続けてきた。それこそがプロになるための近道だと信じていたからだったが、サッカーの道が断たれたことで、ようやく年相応の感情を抱けるようになったらしい。

 初瀬のことが好きだとわかったところで、今のタイガには何もできることはない。レッドデビルズを潰して犬飼を抜けさせるという目標を果たすまでは、初瀬にアプローチすることも難しいだろう。もしタイガが接触しようものなら、それが原因で初瀬に危険が及びかねない。

(……でも、全部終わった後なら)

 犬飼をレッドデビルズから抜けさせ、レッドデビルズの幹部が全員警察に逮捕される――アリスと取り決めた目標がすべて達成できた後なら、何の遠慮もなく初瀬に会うことができる。

 そうと決まれば、今はすべてのエネルギーをレッドデビルズ壊滅のために注ぐべきだろう。

 二階堂殺害の影響で、梶派は幹部達の間に動揺と不信が続いている。雑賀派は梶派の動きを勝手に深読みして、近日中に梶派の本拠地に奇襲をかけるつもりらしい。「梶派が拳銃を仕入れて総攻撃を仕掛けてくる」という読みは完全に外れているが、結果的には雑賀派の動きは完璧に梶派の意表を突く形になるだろう。うまく行けば、タイガが何もしないまま、梶派と雑賀派で勝手に互いを潰し合ってくれるかもしれない。

(俺にできることと言えば、奇襲の場に居合わせて、タイミングを見て警察を呼ぶことくらいか)

 レッドデビルズがどうなろうと知ったことではないが、これ以上人死にが出ては気分が悪い。そうなる前に警察に介入してもらって、全員傷害罪の現行犯でしょっぴいてもらうのが一番理想的に思える。アリスが言伝を聞いてどう動くかはわからないが、彼女にしても取るべき対応はタイガとそう変わらないだろう。

 両派の抗争はどうにかなるとして、気になるのは間宮里穂と二階堂の殺害の件だ。

 結局の所、タイガは犯人を特定する有力な証拠や証人を何一つ見つけられなかった。間宮里穂殺しは一年も経っているため、アリバイを覚えている人間のほうが珍しい。雑賀派は間宮里穂が梶の愛人だったことすら知らなかったようだが、それも本当かどうかは断定できない。本当はその事実を知っていて、梶を挑発するつもりで殺したとしてもおかしくはない。猪原には間宮を殺す動機はないように思えるが、彼の傍若無人さを考えれば、そのくらいしてもおかしくないように思える。

 二階堂殺害の件は殺害時間がかなり絞られているが、いかんせん目撃者がいない。梶、猪原、犬飼の誰かが殺したと考えるのが一番自然だが、雑賀派の人間にも一応犯行は可能だ。

(全員が等しく怪しいが、全員の疑いに決定打が足りてないってところか)

 梶が捕まれば、否応なく二階堂殺害の事件について警察の捜査が進むだろう。正直もやもやはするが、タイガ一人での調査では現状の行き詰まりを打開できるとは思えなかった。

 思案を止めると、タイガはその場で足を止めた。無作為にぶらついた結果、繁華街を少し離れたあたりに出ていたようだ。繁華街の中でもキャバクラや風俗店が並ぶエリアと近いからか、あたりにはビジネスホテルやラブホテルが立ち並んでいる。

 タイガは何の気なしに周囲を見回して――見知った顔がラブホテルから出てくるところを目にして、思わず近くの物陰に身を隠した。

 ラブホテルから出てきたのは、長身の男と若い女性のカップルだった。両者ともに顔をマスクで隠してはいたものの、身体的な特徴がはっきりしているせいですぐに誰かわかってしまった。男は見慣れた赤いパーカーを着ており、服の上からでも分厚い筋肉の存在が見て取れる。女のほうは緩いウェーブを描く長髪を頭の後ろで束ねており、マスクの上から覗く切れ長の瞳が警戒するように警戒するように周囲を見回している。彼女はなぜか怯えるように身体を震わせ、何度も両手を開いたり閉じたりしていた。

(犬飼と初瀬だと……?)

 どういう取り合わせなのだと一瞬だけ疑問に思うが、すぐに理由に思い至る。

 ――一応言っておくが、あの女は無理だから諦めろ。

 初めてラウンジに来て初瀬を見かけた時、犬飼に言われた言葉を思い出す。この状況も踏まえれば、たどり着く答えなどひとつしかなかった。

(犬飼のやつ、初瀬と付き合ってたのか)

 そう考えると、色んなことに納得がいく。犬飼の言う「レッドデビルズに入ってやりたいこと」というのは、梶の手から初瀬を守ることだったのだろう。サッカーを離れてカラーギャングなどに身をやつしたのも、恋人を守るためだと考えると納得がいく。ピアノの演奏で梶に見初められた初瀬が、梶の愛人として使い捨てられないように、レッドデビルズの内側から目を見張らせる。確かにそれはサッカーを続けながらできることではないし、タイガが協力できる類のことでもなかった。

 タイガはその場にうずくまると、深い溜め息を漏らした。

「……ったく。そういうことなら最初から言ってくれよ」

 おかげで、タイガは告白する前に失恋するハメになってしまった。

 全身を包み込む脱力感に抗う気さえ起きず、タイガは物陰で一人じっとうずくまったままでいた。行き交う人々の奇異の視線は感じるが、さすがにこのご時世で病人のような人間に声をかけてくるものはいなかった。

 しばらくそのままでいると、次第に周囲が騒がしくなってくる。いつの間にか周辺の人の数が増えていることに気づき、タイガはようやく立ち上がった。

 見れば、犬飼達が出てきたラブホテルの周りに人だかりができていた。建物の入口に警官と思しき男達が立ち、野次馬が中に入らないようにバリケードテープを張っている。

(どういう状況だ、これは?)

 タイガは失恋のショックを忘れて立ち上がると、人だかりに近づいていった。人だかりの中に猿渡がいるのを見つけると、小声で尋ねる。

「おい、どうしてあんたがここに?」

「なんや、お前もここにおったんか。えらい偶然やな」

「そんなことより、この騒ぎは一体……」

「ちょっとここから離れよか」

 言われるがまま人だかりを出ると、猿渡は物陰から人だかりを眺めながら答えてくる。

「どうも、ラブホの中で殺しがあったみたいやな」

「殺人事件ってことか」

「ただの殺人やないで。警察が無線でしゃべってるのを聞いたけどな。どうも殺されたのは、長身で赤い髪をした、スーツ姿の男らしいで」

 猿渡がそう言ってにやりと笑うので、タイガは背筋に寒気が走るのを感じた。

「その特徴って、まさか……」

 タイガが言葉を濁すのに、猿渡は不気味なほど愉快そうな笑みを浮かべて言った。

「あぁ。どうやら殺されたのは、あの梶連次みたいやな」

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