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 翌日の昼、タイガは自室のベッドに腰掛けながら、以前犬飼に教えられた調査報告用の連絡先に連絡を入れてみることにした。

『間宮里穂が睡眠薬を買っていた売人について情報が欲しい』

 メッセージアプリで質問を送ると、すぐに返事が来た。

『何故だ?』

『間宮里穂と外部との貴重な接点だ。直接犯行に関わった可能性もあるし、そうでなくても犯人の協力者の可能性はある』

『ちょっと待て』

 そのメッセージの後、数十分ほど待たされてから答えが返ってくる。

『三十分後にこの店に行け。調査の進捗確認がてら、二階堂がお前の話を聞きに行く』

「二階堂が……?」

 犬飼の返事に思わず疑問が口に出る。てっきり犬飼が来るものだと思っていたが、どうやら彼もそれなりに忙しいらしい。二階堂と一対一で話すのは初めてだが、他の相手では引き出せない情報を引き出せる可能性はありそうだ。

 タイガは気持ちを切り替えると、急いで家を出る準備を整えた。

 犬飼から指定のあった店は、大宮駅の西側にあるカフェのようだった。時間的にギリギリなので、いつものランニングシューズを履いて走っていくことにする。

 カフェに着いたのは予想通り時間ギリギリだった。中に入って二階堂の姿を探すと、一番奥のテーブルに陣取っていた。まだ昼だからか、今日は赤い服を身に着けておらず、シンプルな白いシャツと黒いパンツの組み合わせだった。耳にはシンプルだが洒落たイアリングをつけており、彼女を知らない人間が見たらただの女子大生にしか見えないだろう。相手はタイガが来たことに気づいたようだったが、何のリアクションもせずにコーヒーを飲んでいた。

 タイガが向かいの席に座ると、ようやく二階堂はタイガに視線を向けた。

「まずは調査の進捗から話して」

 促されるままに、雑賀派に潜り込んで得た情報を報告する。とは言ってもろくに調査は進んでいないので、報告する内容などほとんどない。雑賀派が梶派に敵意を持っていること、梶を追い出して雑賀派の復権を狙っていること、チームの理念的に殺しや強姦などの重犯罪に手を染めるとは思えないことくらいだった。

 だが、そんなことは二階堂も承知していたのだろう。微塵も表情を変えずにタイガの調査報告を評価する。

「まぁそんなところだろうと思ってたわ」

「調査が遅くてすみません」

 タイガが殊勝ぶって頭を下げてみせると、二階堂はコーヒーを一口飲んでから言った。

「勘違いしてるようだから言っておくけど、まともな調査なんて時間の無駄よ。あなたが調べて見つかるようなら、警察がとっくに犯人を見つけてるはず。あなたが任されてるのはそんなことじゃないはずよ」

「どういう意味ですか?」

「リーダーは雑賀派が怪しいと思ってる。雑賀派が間宮里穂を殺したという証人や証拠を見つけられれば、どんな形であっても問題ないはずでしょう?」

「まさか、俺に証拠や証言を捏造しろって言ってるんですか?」

 タイガがはっきり問いただすと、二階堂は聞えよがしに嘆息してきた。

「私がそう言ってるわけではないわ。リーダーの意図をもっとちゃんと想像しろって言ってるの。あんまりもたもたしていたら、危ないのはあなたのほうなのよ?」

「心配して頂いてありがとうございます」

「あなたのことなんてどうでもいいのよ。私達はいつまでもこんな問題にかかずらっていられないの。他にもやるべきことは山程あるんだから、さっさと片付けたいだけ」

 ばっさり切り捨てられ、タイガはちょっとした反抗心が湧いてきた。形式上、今のタイガは梶と雑賀双方の庇護化にある存在だ。多少無茶をしたところで、二階堂が手を出すことはできないだろう。

 一度だけ深呼吸してから、タイガは覚悟を決めて二階堂に尋ねた。

「二階堂さんは、真犯人を見つけてやりたいとかは思わないんですか? 強姦殺人なんて女の敵だし、間宮里穂がかわいそうじゃないですか」

 タイガの不躾な質問に、二階堂は一瞬だけ胸が痛んだように顔を歪めた。だがすぐに表情を消すと、冷たい声音で切り返してくる。

「どうでもいいわ。哀れだとは思うけど、私とは関係のない女だもの」

「へえ。そうなんですか。俺はてっきり、間宮里穂は梶さんの愛人なんだと思ってました」

 アリスから聞いていた情報をさらっと持ち出すと、二階堂はぎょっとした顔でタイガを見据えてきた。彼女が判断に迷っている隙に、タイガは畳み掛ける。

「おかしいと思ったんですよね。梶さんが雑賀派を潰したいってのはわかりますよ。自分に敵対する連中が大手を振って活動してるのなんて、目障りでしょうからね。でも、雑賀派を潰すために間宮里穂の事件を利用するのは不自然だと思うんですよ。だってもう一年近く前の事件ですよ? 今更そんなのを持ち出すより、梶さんならもっと簡単な潰し方が思いつくんじゃないですか? 大体、一年近くも時間をかけて殺害犯を探すなんて、いくらレッドデビルズが関わってる事件だとしても不自然でしょ。梶さん直々に俺みたいなのを使うほど真剣に調査してる状況を考えると、間宮里帆があの人の愛人だったんじゃないと納得いきませんね」

「そこまでにしておきなさい」

 二階堂はタイガの言葉を遮ると、スマートフォンを取り出してどこかに電話をかけた。小声で何事か話し合った後、スマートフォンを下ろして忌々しげな目でタイガを睨んできた。

「……リーダーから許可をもらった。いいわ、ちゃんと説明してあげる」

 ようやく、レッドデビルズ側が持っている間宮里穂殺害の情報を得ることができる。タイガは興奮を抑えながら、二階堂の話に耳を傾けた。

「あなたの予想は当たっているわ。間宮はリーダーが囲っていた愛人の一人で、その彼女があんな形で殺されたことにリーダーは怒り狂ってる。犯人がわかったら、それこそただじゃすまないでしょうね。でも、それと同じくらい雑賀派を潰したいのも本気よ。それを同時に実行して、すべての問題を一気に片付ける。あなたはそのためのピースの一つなの」

「雑賀派に犯人がいれば、そうなるかもですね」

「かも、じゃないわ。雑賀派の中に犯人がいるの。それを絶対に探し出しなさい。でなければ、先にあなたがリーダーの怒りをぶつけられることになるわ」

 露骨な脅しにも、タイガの心は微塵も動かなかった。

(こいつら、今更俺から何が奪えるつもりでいるんだ?)

 本当に大事なものなど、とうに失っている。この上、目を潰されようが腕をもがれようが足を切り落とされようが、タイガの人生に何も変わりはない。

 タイガは急速に気持ちが冷めるのを感じながら、更に情報を引き出すことにする。

「事情はわかりました。でも、梶派に犯人がいることだって考えられるでしょう?」

「うちの派閥の調査は、リーダーを中心に徹底的に行われたわ。うちに犯人がいるなんて考えられない。それとも、リーダーの調査に不備があったとでも?」

「全部の調査を梶さん自らがやったわけじゃないでしょ。情報を集める手足の中に犯人が混ざってたら、リーダーに伝わる前に事実が捻じ曲げられてる可能性がある」

「私達が信用できないって言うの?」

「可能性がゼロじゃないって言いたいだけですよ」

 タイガは前置きしてから、二階堂に本題をぶつける。

「間宮里穂に睡眠薬を売っていた人物について教えてもらえますか? なんなら、またリーダーに確認を取ってもらっても大丈夫ですよ?」

「……わかったわ」

 二階堂は射殺さんばかりの眼光でタイガを睨んでから、質問に答える。

「間宮は高校時代のいじめから、ギャングの愛人になって急激に生活が変化して、不眠症になっていたわ。それを聞いたリーダーが、間宮に眠剤を与えるように私に指示したの」

「つまり、あなたが売人から眠剤を買って、間宮に渡していたと」

「チームの女性の管理は私の管轄だからね。別に彼女の使い走りだけをやっていたわけじゃないし、他の部下に彼女の面倒を任せていた日もあるわ」

 他の部下というのは当然、二階堂が管理しているキャバ嬢か風俗嬢のことだろう。そのあたりからレッドデビルズの重犯罪の情報が引き出せるとは思えないし、彼女達の中に間宮里穂殺害犯がいるとも思えない。会ってもあまり有力な情報は得られないだろう。

 やはり追うべきは売人のほうだ。タイガは素早く判断すると、質問を重ねた。

「眠剤を買った売人とは、どこに行ったら会えますか?」

「言っておくけど、その売人は一度も間宮に会ったことはないし、間宮の家の場所も知らないわよ?」

「それはわかってます。でも、そいつが雑賀派に情報を漏らしていて、雑賀派の誰かがあなたの後をつけて間宮の自宅までつけていた可能性もなくはない」

 雑賀派の連中には悪いが、口からでまかせに利用させてもらう。とにかく強引にでも情報を引き出して、レッドデビルズ壊滅のための準備を整えなくては。

 二階堂は再度深い溜め息を漏らしてから、名刺大のショップカードをテーブルに置いて、独り言のように言った。

「……ナンギンの外れのバー。バーテンに『二階堂の紹介』と言えば話が通じるわ」

「助かります」

 タイガがショップカードを取って席を立とうとすると、すかさず二階堂が警告してくる。

「あなた、あまり深入りしないほうが身のためよ。間宮とリーダーの繋がりを暴いたことで、あなたの立ち位置は今まで以上に危険になってる。これ以上余計なことに首を突っ込んだら、今度こそ消されるわよ」

「どうせ調査が進まなくても消されるんでしょ? だったら、何もせずに死ぬより何かなしとげてから死にたいっすよ」

「それでリーダーの逆鱗に触れるとしても?」

 二階堂があまりにしつこいので、タイガは思わず彼女に質問を返す。

「そんなに梶さんが怖いんですか? それなら、どうしてあの人の側についてるんです?」

「……決まっているでしょう。怖いから、あの人の敵には回りたくないのよ。言っておくけど、あなたもリーダーを敵に回せば地獄を見ることになるわよ。レッドデビルズに加入した以上、チームを抜けることすら裏切りになる。あなたは居場所を手に入れたつもりかもしれないけど、そんなものここには微塵もないわ。あなたはもう、死ぬまで奴隷として生きるしかないのよ」

 二階堂は言って、引きつった笑みを浮かべる。彼女の脅しの言葉は、どこか自嘲しているようにも聞こえた。

(猿渡も言ってたな。梶は恐怖と金で人を支配するって)

 タイガがそうであるように、二階堂もきっとレッドデビルズという檻に囚われてしまった人間の一人なのだろう。もしかしたら、犬飼もそうなのかもしれない。

 だが、タイガとしては梶が非道な人間であればあるほど都合がよかった。

(梶がクズであればあるほど、俺自身が被害者になった時に、梶を刑務所にぶち込む証人になれるからな)

 タイガは暗い決意とともに、二階堂に背を向けてカフェを後にした。

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