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タイガはカフェを出てから、すぐに二階堂に教えられたバーへ足を運んだ。
外観からしてもひどく寂れたバーで、入り口のドアには準備中の札が下げられているが、タイガは無視して店内に入った。内装も外観と同じくらい古ぼけており、防犯カメラの類が置いてないところから、お世辞にも繁盛している店には見えなかった。初老のバーテンダーはこちらの入店に気づくと、前日の酒が残っていると思しき赤ら顔をこちらに向けた。
「悪いけど、まだ準備中だよ」
「二階堂の紹介だ」
二階堂から伝えられた言葉を伝えると、バーテンダーは手振りでカウンターの端に座るように促してきた。タイガが席に座ると、バーテンダーはカウンターに水を置いてから尋ねてくる。
「あの姉ちゃんから連絡はもらってるが……あんた、このへんじゃあまり見ない顔だな」
「新人の仙堂タイガだ。そういうあんたもレッドデビルズの一員なのか?」
「こんなオヤジがカラーギャングに入れるはずないだろ? 鷹尾組の松谷だよ」
鷹尾組というのは、確か梶がパイプを持っているヤクザのことだ。梶の資料に書かれていたことが事実なら、金のためなら何でもする危険な極道だったはずだ。もっといかつい連中だと思っていたが、松谷はヤクザの組員には見えないほど、ごく普通のくたびれた中年男にしか見えなかった。
こちらの反応を見て考えが読んだのか、松谷はにやにやしながら話しかけてきた。
「ヤクザには見えないくらい冴えないな、って思ったんだろ?」
「いや、そんなつもりは」
「嘘つかなくてもいいよ。これでも二十年以上もヤクザやってんだ。お前みたいなガキの考えくらい見抜けるさ」
松谷は自嘲するように笑ってから続ける。
「年々、暴対法の締め付けが厳しくなってるからな。俺みたいな下っ端は、一見してヤクザだとバレないほうが重宝されるのさ」
「はあ……」
タイガが曖昧に相槌を打っていると、この話題に興味を持っていないことに気づいたのか、松谷は早速本題を切り出してきた。
「それで、今日は何を所望で?」
「間宮里穂って女を知ってるか?」
「間宮って言えば、あの西川口の強姦殺人事件の被害者か?」
「ああ、その間宮だ」
タイガがうなずくと、松谷は思い出すように宙空を見上げた。
「うーん……テレビで顔を見たことはあるが、あんな感じの娘がうちに来た覚えはないな。そもそも、うちの組のもんかレッドデビルズ以外の未成年が来てもブツを売れるわけないし、俺の客じゃなかったと思うぜ。誰かを仲介に使ってたってんなら話は別だが」
「二階堂が仲介人だった。彼女が薬を買っていた時期はいつ頃だ?」
「去年の三月くらいだったかな。確か、梶の指示ってことで睡眠薬を買いに来て、それから何度かうちに来てたな。確かに言われてみれば、あの強姦殺人以来うちには来てないな……あの事件でヤクの売人が警察に狙われたから、事件のほとぼりが冷めるまで接点を減らしてただけかと思ってたが、二階堂があの子と関係あったんなら納得だわ」
松谷は間宮のことを本当に知らなかった様子だが、それが演技かどうかなどタイガには判別がつかなかった。もう少し探ってみたいところではあるが、松谷とタイガでは騙し合いの年季が違い過ぎる。まともにやりあって相手の本音を引き出せるとは思えなかった。
(とりあえず聞くべきことを全部聞き出して、情報の正誤判定はアリスに任せることにするか)
腹をくくって方針を決めると、タイガは松谷に疑問をぶつける。
「間宮里穂殺害にレッドデビルズが関与してるって噂があるらしいが、あんた何か知らないか?」
「さあ。レッドデビルズの連中とそんな世間話することもないしな。ただ間宮里帆の殺害現場に違法入手した睡眠薬があったって報道を聞いて、ヤクザかレッドデビルズが関わってんのかもなとは漠然と思ってたわ」
「あんたのところは、警察に捜査されなかったのか?」
「まぁ、うちは基本紹介でしか新規客は取らないからな。その分稼ぎは少ないが、下手に売上増やそうとして当局に捜査されて、この店が潰れるほうがまずいからな」
「そんなに大事な店なのか?」
「言っとくが、思い入れがあるとかそういうんじゃねえぞ? この店はうちの組の持ち物で、売上額とかでマネーロンダリングしてんだよ」
「マネーロンダリング?」
「簡単に言うと、違法な方法で稼いだ金を、さも合法的に稼いだように偽装する作業のことだな。これをやらねえまま大金を動かすと、税務署とかがすぐ嗅ぎつけて来て税金徴収ついでに逮捕されるってわけだ。ここが潰れちまったらその作業に影響が出るから、俺は指詰められるだけじゃ済まないだろうな。お前も、もし情報漏らしたりしたら組のモンに消されちまうから、気をつけろよ」
松谷の答えに納得しつつ、タイガは別のことを考えていた。
睡眠薬ならレッドデビルズでも取り扱っていたはずなのに、どうして梶や二階堂は松谷から睡眠薬を買って間宮里帆に与えていたのか……松谷の話を聞けば納得だった。レッドデビルズの売人は梶にとって切り捨て可能な部品に過ぎないが、松谷はヤクザにとっても梶にとっても絶対に潰させてはいけない売人だ。松谷から買っておけば情報が漏れることはないし、警察に捕捉されることもないと確信できたからこそ、梶と二階堂は松谷を使うことに決めたのだろう。
「二〇二〇年六月十五日の深夜、あんたはどこで何してた?」
「間宮里穂が殺された日のことか? 去年のことなんか覚えてねえよ。この店は木曜定休日だから、それ以外ならここで働いてたはずだぞ」
言ってから、松谷は何か思い出したように視線を宙に向けた。
「……そういや、六月十五日は月曜だったよな?」
「確かそうだったと思うが」
「前の日の夜なら、確か二階堂と一緒にいたわ」
「何だって?」
思わぬアリバイにタイガが思わず聞き返すと、松谷は下卑た笑みを浮かべながら話を続ける。
「いや、実は二階堂が客になって会う機会が増えてから、一時期かなり親しくなってな。一回だけ店番を別のやつに任せて、彼女とホテルに行ったことがあったんだった。確かそれが六月十四日だったはずだぜ」
「何時頃だったか覚えてるか?」
「二十三時にホテルで待ち合わせて、そのまま次の日の朝まで泊まったはずだぜ」
「どっちかが長時間部屋を出たりしなかったか?」
「俺は何本か缶ビール飲んだ後寝ちまったけど、二階堂は俺が朝起きた時も部屋にいたぜ。解散してからあのニュースを見て、バタバタしてる内に会う機会がなくなったもんだから、すっかり忘れてたわ」
松谷の言うことを信じるなら、松谷も二階堂もお互いにアリバイがあるということか。
(そもそも、こんな冴えないおっさんが二階堂と寝たってのが胡散臭いけどな)
松谷は控えめに言ってもくたびれた中年で、二階堂は街を歩いたらそれなりに男の目を引く美人だ。人の嗜好はそれぞれだとは言え、二階堂がわざわざ松谷を相手に選ぶとは考えにくい。松谷の証言の信憑性を確かめるため、タイガはもう少し話を深堀りしてみることにした。
「それにしても、あの二階堂を落とすなんて凄いな。さてはあんた、相当モテるんじゃないか?」
「そんな風に見えるか? 俺もよくわからんが、あっちのほうから言い寄ってきたんだよ。カラーギャングに入るようなやつってのは少なからずファザコンの気があるもんだから、たまたまその嗜好に刺さったのかもな。俺も二階堂をいい女だと思ってたし、据え膳食わぬはってやつよ。今も美人だが、あの頃の二階堂はもっとボーイッシュな感じで俺好みだったしな。ほら、これ見てみろ」
言いながら、松谷はスマートフォンをいじって当時の二階堂の写真を見せてくる。
写真の中の二階堂は確かに今より幼さが残っており、今の落ち着いた美人という雰囲気とは違っていた。髪を男のように短くしてワックスで無造作に固めており、化粧っ気も薄く、服装もユニセックスな感じで女性らしさをあまり感じられないものだった。耳には両刃斧型の特徴的なピアスをしており、タイガの知る二階堂とはかなり印象が違って見えた。
「確かに今とだいぶ印象が違うな。ちなみに、いつ頃から言い寄られてたんだ?」
「よく覚えちゃいないが……寝る一ヶ月くらい前からかな。その頃から雑談が増えたり、よくボディタッチしてくるようになってた気がするな。それでこっちも気分がよくなって、年甲斐もなく積極的にアプローチするようになったわけよ」
「それ、俺に言ってよかったのか?」
「口止めはされたが、いい女との夜を自慢するなってほうが無理だろ?」
松谷はそう言って下卑た笑みを浮かべたが、タイガにはそれが真っ当な感覚なのかどうかわからなかった。
ともあれ、二階堂と松谷のアリバイは確かなようだ。これ以上二人の情事の話を深堀りしても仕方がないし、こんなことを梶に報告しようものなら、梶に殺される前に二階堂に殺されそうだ。タイガは別の話題を振ってみることにした。
「あんたが二階堂に売ってた薬って、どういう薬なんだ?」
「別に、そこらの医者が普通に処方してる一般的な睡眠薬だよ。フルニトラゼパムって言って、即効性が強いからデートレイプドラッグとしても使われてる強力な睡眠薬さ。常用すると依存症になって、薬なしじゃ眠れなくなっちまうのが難点だな」
「デートレイプドラッグ?」
「サシ飲みしてる女をお持ち帰りするために、飲み物に混入させて意識を奪うためのドラッグだよ。一時期めちゃくちゃ流行ってたんだが、二〇一五年にはフルニトラゼパムが改良されてな。飲料に混ぜると飲み物が青く染まるようになって、そういう用途では使いづらくなっちまったらしい。おかげで売上も落ちて困ったもんだぜ」
松谷の嘆きを無視して、タイガは別の質問を投げる。
「依存症になるって言ってたが、二階堂が薬を買ってたペースはどうだったんだ? 依存症になる危険性があるようなペースだったのか?」
「そんなのは知らんよ。例えば一ヶ月に十日分の薬を売ってたとして、買った直後の十日間に毎日薬飲んでたら、依存症になっててもおかしくない。逆に三日に一日なら依存症になってなくてもおかしくない。そういうもんだろ?」
松谷の言ってることは理解できたが、それを承知で違法に睡眠薬を売っているこの男の神経は余計に理解できなくなった。
いずれにせよ、聞くべきことはだいたい聞けた気がする。タイガは席から立ち上がると、松谷に礼を言ってバーを出た。
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