第三章 転落

1

 レッドデビルズに潜入して一週間が経っていた。

 タイガはいつも通り、夜の繁華街を猿渡達と歩いていた。シマのパトロールとは言うものの、実際はそうそう物騒なことが日常的に起こるものでもない。ヤクザやよそのカラーギャングが攻め込んでくるなんてことが日常的にあるわけもなく、せいぜい酔っ払いのケンカを止めたり、粋がってカツアゲをしている若者を脅かして追い返す程度のこと以外、特にすることはなかった。

 今日もやはり大した事件は起きず、同行しているチンピラ達も歩きながら雑談に興じている。タイガとともに行動するのも一週間が経ち、タイガ自身何も不審な行動も起こさず真面目に仕事に励んでいたため、チンピラ達から向けられていた警戒心もかなり薄まっているようだ。猿渡もチームの気が緩んでいるのはわかっている様子だったが、特に叱ったりもしていなかった。

 タイガは歩きながら、一緒にパトロールしているチンピラ達の会話に聞き耳を立てていた。

「こないだ合コン行ったんだけど、最近レッドデビルズってだけで妙に女からモテるよな」

「わかるわ。ムカつくけど、これって梶の影響でもあるんだろうな」

「あー……梶派は金持ってるからなぁ。けど、あっちの収入と比べられるときついよなぁ」

「いい女は金かかるからな。俺らが高望みすると、金だけ吸い取られて破滅するぞ?」

 前を歩くチンピラ達が談笑しているのを聞いて、タイガはチャンスだと思って猿渡に話しかけた。

「女って言えば、あんたら幹部はやっぱりモテるのか?」

「あ? まぁ恭介は創設者やし、俺は古参の幹部やからな。若い女ってのは悪い男が好きなもんやし、昔から女に困ったことはないで」

「じゃあ、三、四人くらい愛人抱えてたりするのか?」

「アホ言え。そんな梶派みたいなことするか。うちら雑賀派にそんなただれたやつはおらんわ」

「へえ、梶派はそんな感じなのか」

「なんや。梶派が羨ましいんか? 雑賀派に囲まれてる真っ最中にええ度胸しとるやないか」

「ち、違うって。ただ、梶派のこと詳しいんだなと思っただけだよ」

 タイガが慌てておだてると、猿渡は腰に手をやって胸を張ってみせた。

「当然や。『敵を知り、己を知れば、百戦してあやうからず』ってやつやな。どんなことでも情報は大いに越したことはない」

「じゃあ、梶派の幹部の愛人事情とかも詳しいのか?」

 タイガが下世話な好奇心満々といった顔を作って尋ねると、猿渡は呆れつつも興が乗ってきた様子で話し始めた。

「さすがに今の愛人の情報までは知らんで。ただ、梶の昔の愛人についてなら色々知っとるわ。あいつはあの顔やからいくらでも女をコマせるんやが、かなりの飽き性でもあってな。大抵の女は一年も経たずに飽きて捨てる上、飽きた女は風俗やらキャバクラやらに流して金稼ぎの道具にしてたわ」

「うわ……えぐいことするな」

「せやろ? あいつが入団してから作った風俗店やキャバクラに、どんだけあいつの元愛人がいるか……しかもそのほとんどが、毒親から逃げてきた家出少女やら、奨学金返済のために梶を頼った女子大生だったりするんや。弱者を搾取しおってからに……ホンマ、あいつはレッドデビルズの面汚しやで」

 猿渡が忌々しげに語るのに、タイガは神妙にうなずいてみせた。

 確かに、梶連次という男について噂を聞けば聞くほど危険な男だと認識を改めさせられる。人を物としか思わず、自分の利益のために徹底的にしゃぶり尽くす。雑賀派が持っている梶連次のイメージはそういう男のようだ。タイガの初対面の印象もその認識にかなり近いので、猿渡の梶に対する嫌悪感を否定する気にはなれなかった。

 タイガは間宮里穂の情報を聞き出すために、更に踏み込んでみる。

「でも、梶にも本命みたいなやつはいたんじゃないのか? この女を奪われたら絶対に許さないっていう女が」

「どうやろな。梶の心の中までは知らんけど、あいつが一人の女に固執するとは思えんけどな。ただまぁ、ギャングのボスが愛人を他のやつに奪われるっていうのは最悪の醜聞や。自分の愛人を奪われて何もやり返さないんなら、ギャングのメンツ丸潰れやからな。女への愛着とかはともかく、仕返しは必ずするやろな」

「ギャングのメンツ、か」

 梶がタイガに間宮里穂殺害犯を探させているのも、真犯人にきちんと報復したいからなのだろう。雑賀派のせいにして強引に事を収めることだってできたはずなのに、わざわざ真犯人を調査しているのは、裏で誰かに「梶の女を強姦殺人したけど報復されなかった。やつは間抜けだ」と思われるのも耐えられないということなのだろう。ギャングのメンツを守るという以上に、梶のプライドの高さが窺えるような気がした。

「それじゃ、もし梶の愛人が殺されたりなんかしたら、真犯人は相当ひどい目に合わされるんだろうな」

「突拍子もないこと言うなぁ。まぁせやろが、梶の女に手を出すようなバカが梶派にいるとは思えんし、うちのとこの連中は罪もない女を殺すほど過激じゃない。現実的に考えりゃ、そんなことはまず起きへんやろ」

 猿渡の反応を見ると、彼は間宮里穂が梶の愛人だったということは知らないようだ。自称参謀の彼がそうである以上、雑賀や魚住達も同様と見ていいだろう。

(まぁ、これも演技の可能性はあるけどな)

 タイガがそこまで考えていると、猿渡が思い出したように付け加える。

「あー……そう言えば、一人だけ梶の女に手を出してもおかしくないやつがおったな。梶のボディーガードやっとる猪原ってのがおるんやけどな。そいつがえらいおっかない男なんや。レッドデビルズのメンバーなのに、梶の言うことも恭介の言うことも聞かん。やりたいことだけやって、欲しい物は奪い取る。そんな感じで、とにかく傍若無人で誰にも縛られない男なんや」

「そんな危ないやつ、梶はよく野放しにしてるな」

「野放しにしたくてしとるんとちゃう。あいつを止められるやつなんてどこにもおらんてだけや。あいつはとにかく強すぎるんや。生半可なケンカ要員じゃ、十人がかりでもあいつは止められん。うちの最強戦力の恭介と魚住が組んで戦っても、あいつに勝てるかどうか。とにかく、異常なまでにケンカが強すぎるせいで、誰もあいつに文句を言えんのや」

「そんなやつを幹部にして、よくチームを乗っ取られずに済んでるな」

「実はもう、猪原に乗っ取られてるんかもしれんぞ? もしくは、猪原は猪原で今の状態に満足しとるのかもしれんな。あいつ、チームを仕切るのなんて絶対向いとらんし。チームの運営を梶に任せて、自分はある程度自由を与えられつつ、梶の側近だからそれなりの金は稼げる。まぁ特に不満はないんちゃうか。それに……ああいう危険分子を、いつまでも梶が放置しとくわけがない。どうせ裏で何か対策を仕込んどるんやろ。梶派はうちと違って、仲間や言うても忠誠心も何もない連中の集まりやからな。あいつらが空中分解しないでおれるんは、梶への恐怖心と金への執着で繋がっとるからに過ぎん。梶かて当然、猪原のことを一ミリも信用してへんやろな」

「なんか、虚しいチームだな」

 猿渡のご機嫌取りのためのコメントだったが、半分以上は本心でもあった。誰も信用せずに、全員を敵だと思う――まるでユースチームにいた頃の自分のようだ。

 そんなタイガの思いに気づいた風もなく、猿渡は機嫌をよくしたようだった。

「せやから、あいつらは絶対にぶっ潰さなあかんねん。誰も信用できず、金と恐怖心に縛られながら、人から奪うことだけを考える……そんなもん、本来のレッドデビルズの理念とは真逆やからな」

 気分がよくなって口が滑らかになったのか、猿渡は思い出したように続ける。

「そう言えば、梶についてはもっとやばい噂もあったわ」

「今までも結構やばい噂だったけど、まだ上があるってのか……」

「あぁ。あいつ、ヤクザともパイプを持ってるって言ったやろ? そのツテで違法薬物とか眠剤も卸してもらってるみたいやけど、他にも色々卸してもらってるものがあるみたいやで。例えば……拳銃とかな」

「拳銃って……マジで言ってるのか?」

「噂やから、信憑性なんて知らんわ。ただ、あいつなら持ってても不思議じゃないやろ? 猪原みたいな厄介者に裏切られた時とか、うちら雑賀派が奇襲をかけた時とかに、自衛の道具は必要やろうしな」

「確かにな」

 答えつつ、タイガはふと思い出した。

(確か、間宮里穂の自宅には違法に入手した睡眠薬があったんだったな)

 もしかしたら、梶派と繋がりのある売人なら、間宮里穂殺害について何か情報を握っているかもしれない。タイガははやる気持ちを抑えて、猿渡に質問をぶつける。

「あんたもしかして、梶派と繋がってる売人の情報とかも知ってるのか?」

「んなもん知ってたら、とっくに警察にタレ込んでるわ。レッドデビルズの名前で違法薬物の売買なんかしよってからに、けったくそ悪い」

 それを皮切りに、猿渡は梶派に対する愚痴モードに入ってしまった。

 タイガは彼の愚痴に適当に相槌を打ちながら、売人の情報を得る方法について考えを巡らせていた。

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