5
夜が明けるまで繁華街を歩き回った後、ようやくタイガは解放された。
繁華街で現地解散した後、タイガは念のため尾行を撒くように歩きながら自宅に戻った。入団初日だからこそ、警戒をし過ぎるくらいでちょうどいいだろう。
自宅の鍵を開けて中に入る。朝の六時なのでさすがに父はまだ起きていないはずだが、タイガは足音を潜めて静まり返った廊下を歩く。フローリングがきしむ度に心臓が跳ね上がる思いがして、タイガは思わず笑ってしまった。父のことギャングと同じくらい恐れているのが、なんだか急にバカバカしくなってきたのだ。
足音を潜めて台所まで移動し、食い物を物色する。昨日の午後から飯を食っていない上、ギャング達に囲まれてずっと気を張っていたのもあって、さすがに腹が減ってしょうがない。すぐに食えるものをかき集めて、自分の部屋で飢えをしのいでから、ぐっすり眠るとしよう。
「朝帰りか。いい身分だな」
冷蔵庫をあさってる最中に背後から声をかけられ、タイガは背後を振り返った。
案の定、そこには寝間着姿の父が立っていた。眠そうな目でこちらを睨みながら、威圧するように腕組みをしている。
タイガは一瞬逃げるように目を背けかけたが、すぐに視線を父に戻した。
(これからギャングどもと渡り合わなきゃならないってのに、親父一人にビビっててどうする)
最悪機嫌を損ねて家を追い出されるとしても、ギャングのアジトに身を寄せるいい言い訳になる。
どの道自分にはまともな人生など残されていない。せめてアリスの依頼を達成し、犬飼を日の当たる場所へ連れ戻す以外に生きている価値などないのだ。くだらない恐怖心を克服するためにも、ここは戦うべきだとタイガは腹をくくった。
タイガが考えを巡らせている内に、父は蔑むような眼光で言ってくる。
「まさか朝まで練習してたわけでもないだろう? 次のセレクションで落ちたら終わりだと言ったのに、真面目に練習する気もないのか?」
「……うるせえな」
「何か言ったか? もっと大きな声で喋れ」
「うるせえな、って言ったんだ」
タイガが父の目を見てはっきり言うと、父の顔に驚きの色が浮かんだ。だがすぐに眉間にしわを寄せて、怒りで顔を赤くする。
「何のつもりだ? 私に逆らう気か? 養ってもらってるだけの寄生虫の分際で」
「確かに、俺はあんたに養ってもらってる身だよ。でも、あんただって俺をサッカー選手にするために投資しただけなんだろ? それに失敗したからって、いつまでも根に持ってやつあたりするんじゃねえよ」
「なっ……そんな口の利き方を教えた覚えはないぞ! 親に対する恩もないのか!」
「そんなもん、あるわけねえだろ!」
タイガが言い返すと、父は絶句したようだった。それに構わず、タイガは思い切り感情をぶつける。
「あんたは俺のこと、一度だって息子として扱ったことなんてないだろ! ずっとサッカー選手にすることだけを押し付けてきて、それ以外のことなんか何一つ教えちゃくれなかっただろうが! どうせ俺は、あんたにとってただの金儲けの道具だったんだろ!」
思っていたことをすべて吐き出し、タイガは全身が熱くなるのを感じた。溜め込んでいた怒りや不満、苦しみのすべてが、言葉にしたことで熱に昇華されたみたいだった。
肩で息をしながら、タイガは父の顔を見る。タイガを見る父の顔は、今までにないくらい悲しげな目をしているように見えた。
(なんだよ、それ……っ!)
今までさんざん人を押さえつけてきたくせに、息子に反抗された途端傷ついたような顔をするなんて、卑怯過ぎる。
タイガが何も言えずにいると、父はこちらに背を向けて呟くように言った。
「……一ヶ月以内に仕事を見つけて、家から出ていけ。もうお前の面倒は見きれん」
それだけ言って、父が台所を去っていく。その背中が妙に小さく見えて、タイガはなぜか胸が痛むのを感じていた。
一眠りしてから、タイガはアリスと会談したバーを訪れた。
まだ昼のため、正面の入り口には準備中の札が下げられていたため、タイガは裏口に回り込んだ。誰にも尾行されていないことを確認してから、裏口のドアを事前に取り決められたリズムでノックする。内側から鍵が開いたので中に入ると、女性のバーテンダーがすぐに鍵を閉めて、一言も発さずに開店準備に戻っていった。
タイガがバーのフロアのほうに移動すると、一番奥の個室でアリスが待っていた。
「やあ。まずは無事みたいでなによりだ」
タイガはアリスの正面に座ると、昨日の進捗をざっと説明した。すべてを説明し終えると、アリスは面白がるように目を輝かせた。
「まさか、梶も同じことを調べているとはね」
「これってやっぱ、梶本人は事件に関わってないってことなのか?」
「単純に考えるとそうなるね。だけど、相手はレッドデビルズを急拡大させた頭脳派だ。自分が行った証拠隠滅が完璧かどうか、他人を使って検証しているつもりなのかもしれないし、雑賀派に自分の罪を押し付けるつもりなのかもしれない。あるいは……こちらの作戦に気づいていて、わざと同じ調査をさせている可能性もないとは言えない」
「あえて泳がせて、あんたの存在をあぶり出そうとしてるってことか」
「あくまでも可能性の話さ。確証がない以上、ひとまずはこちらの予定通り調査を進めようじゃないか」
「いいのか? 俺がとちったら、あんたのところに飛び火するかもしれないんだぞ?」
「何をバカなこと言ってるんだい? 君を巻き込んだ時点で、そんなことは織り込み済みさ。そうならないための対策も、すべて君に叩き込んだ。その上で私にたどり着くようなら、それは私が梶に負けたってだけの話だよ。君が気にするようなことじゃない」
あっさりと言われ、タイガは逆に面食らってしまった。こんな風に信頼されて任される感覚が、なんだか妙に懐かしい気がした。
(ユースチームでサッカーしてた時だって、こんな風に信頼されたことはなかったかもな)
あの頃の自分は身勝手で、自分が活躍することしか考えていなかった。仲間に信頼されているというより、勝つために仕方なくパスが飛んできていたというのが実際のところだろう。そう考えると、本気で仲間だと思われることなど、サッカーを始めたばかりの頃以来かもしれない。
なんだか気恥ずかしくなって、タイガは鼻をこすりながら話題を変えた。
「雑賀派のほうはどうだ? あいつらもやばい連中ではあるが、人殺しみたいな重罪には手を染めたがらないタイプに見えたぞ」
「さて。それも演技の可能性もあるし、まだなんとも言えないね。レッドデビルズが本気で大事だからこそ、人を殺してでも梶からチームを奪い返したいと思ってる可能性も十分ある。梶の愛人を殺して脅しをかけるってのも、いかにもギャングっぽいやり口だしね。まぁ君のほうで状況を見ながら、間宮里穂の事件について話題にして反応を確かめてみてくれ」
「わかった」
タイガが答えると、アリスはテーブルの上に置いていた資料をタイガに差し出してきた。
「さて。それじゃ君への報酬として、犬飼和也についての調査報告を伝えておこう」
言われて、タイガは差し出された資料を開いた。
犬飼和也、十九歳。六歳まで大宮市の児童養護施設で育てられた後、資産家である犬飼家に引き取られる。六歳からサッカークラブに所属し、十二歳でプロサッカークラブのユースチームに加入。以来、プロチームのスカウトも注目する若手センターバックとして耳目を集めていたが、練習中の接触によりアキレス腱が断裂。ケガから復帰後にコロナ禍が起きてしまい、チーム練習の機会を奪われてプロ契約を不意にする。梶連次から直接勧誘を受け続けており、およそ二〇二〇年七月にレッドデビルズに加入。二〇二一年一月に幹部に昇格。
後半はほぼタイガも知っている内容だったが、前半の内容がタイガの目を引いた。
(犬飼のやつ、養子だったのか)
思いも寄らない事実にぶつかり、タイガは頭が真っ白になっていた。
――別に本当の親子ってわけでもないんだし。
犬飼の家を訪ねた時、犬飼の母親が漏らした言葉を思い出す。あれはそういう意味だったのか。そう考えると、彼女が犬飼を育てたことを『投資』と呼び、犬飼自身にまるで愛情も興味もなさそうだったことにも納得が行く。タイガの家では、実父ですらあの態度なのだ。養子ともなれば、扱いがもっとひどくなることは容易に想像がついた。
(俺のせいだ)
やはり、タイガが犬飼をケガさせたことが、彼が転落する大きなきっかけになってしまったのだ。ケガのせいで家に居づらくなって、犬飼はかねてから勧誘されていたレッドデビルズに身を寄せてしまったのかもしれない。
そう考えると、やはりタイガの罪は計り知れないほど重かった。
タイガが暗い顔をしていると、アリスは苦笑しながら声をかけてきた。
「落ち込んでるところ悪いけど、私の話にも耳を傾けてくれないかね? 大宮の児童養護施設って言葉、最近聞いた覚えがないかい?」
「……まさか」
「そのまさかさ。犬飼和也は間宮里穂と同じ児童養護施設で暮らしていた。犬飼が六歳、間宮が五歳の時までだね。それぞれのエリアの郵便局員の話を聞いたけど、犬飼と間宮は死ぬ直前まで手紙で連絡を取り合っていたようだね。警察が手紙の内容を確かめたみたいだけど、相当な親しさだったみたいだね」
「犬飼は殺人なんかしない!」
タイガがテーブルを叩いて立ち上がると、アリスはうるさそうに小指で耳を塞いだ。
「そんな大声を出さないでくれたまえ。もちろん、犬飼はとっくに警察の捜査を受けて容疑者リストから外されているさ。彼には鉄壁のアリバイがあったからね」
「鉄壁のアリバイ?」
「間宮里穂の殺害当時、犬飼は自分の代理人と会うために六本木にいたのさ。駅のホームの防犯カメラでも確認されたため、彼が間宮里穂を殺すのは不可能なんだよ」
「……そうか」
犬飼が殺人を犯していなかったという事実に、タイガは安堵のあまり大きく息を吐いた。
(もし仮に犬飼が間宮里穂を殺していたら、原因は俺だったんだろうな)
サッカー一筋で生きてきた犬飼が急に女に走ったとしたら、その原因はケガでサッカーを奪われたからだ。もしそんなことになっていたら、タイガは間接的に殺人の原因を生み出したという罪悪感に耐えられなかっただろう。だからこそ、犬飼に鉄壁のアリバイがあることに、タイガは心底安堵していた。
タイガの内心を知ってか知らずか、アリスは芝居がかった調子で肩をすくめた。
「なんにせよ、まだまだ情報が足りていないね。有力な情報を集めたら、また報告に来てくれたまえ」
「了解」
「一つだけ付け加えておくなら、梶以外のメンバーにも警戒したまえよ」
「どういう意味だ?」
「梶以外の誰かが間宮里穂殺害を手配して、梶本人は本当に何も知らずに調査報告を求める場合があるってことさ。その場合、君が本気で犯人を調査し始めたら、殺害犯が君を邪魔に感じて消しに来る可能性がある。くれぐれも警戒してくれたまえ」
そういう意味か、とタイガは素直にうなずいた。
間宮里穂は強姦殺人で殺された。つまり犯人は必然的に男ということになる。梶の周辺の幹部で言うと、犬飼はアリバイがあるし、二階堂は女なので犯人から除外される。つまり、警戒するとしたら最も暴力的で危険な男でもある猪原ということになる。あとは当然、雑賀派の人間も容疑者なので、うっかりタイガの目的がバレないように気をつけなければならない。
「サンキュ。色々アドバイスもらって、こっちのほうが助かったぜ」
「構わないさ。そのへんは持ちつ持たれつだよ」
「それでも礼は言わせてくれ。ありがとな」
タイガはもう一度アリスに礼を言うと、裏口からバーを出た。
(まだまだ潜入捜査はこれからだが、なんとかやっていけそうだな)
外はまだ昼で、裏口にも微かに光が差している。タイガは気合を入れるように両手で頬を張ると、暗い裏口から光指す路地へと足を踏み出した。
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