3

 同行中、犬飼は行き先や相手についての情報を一切口にしなかった。

 すでにすっかり夜になった大宮の繁華街を通り過ぎ、繁華街から外れた位置にあるビルに着くと、犬飼はようやく足を止めた。コロナ禍でビルのテナントがすべて撤退したのか、すべての階の明かりがついておらず、ほとんど廃ビルのように見える。ビルの入り口には赤いパーカーなどを着た男達がたむろしており、一見してレッドデビルズの拠点だということがわかった。

 犬飼がそのまま入り口に近づこうとするので、タイガは慌てて彼を呼び止めた。

「ちょっと待て。潜入始める前に、もうちょっと情報をくれよ」

 タイガの抗議に振り返ると、犬飼は冷たく突き放してくる。

「事情を話すかどうかは俺に任されてる。俺は話さないと決めた。自力でなんとかしろ」

「無茶苦茶だろ! そんなんでまともな調査なんかできるか! 大体、報告とか連絡はどうするんだよ」

「……ケータイを出せ」

 犬飼が面倒くさそうに言うので、タイガはスマートフォンを犬飼に渡す。アリスと接触していた履歴は事前に消しているが、データの消し忘れなどがないか気になって緊張してしまう。

 犬飼はタイガのスマートフォンを何度か操作した後、乱暴に突き返してきた。

「有力な情報を見つけたら、メッセージアプリのこのアカウントに連絡しろ。定期報告はこっちから時間と場所を指定する」

「おい、それだけかよ」

「下手に情報を知っているほうが危険だし、ボロが出る。流れに任せてうまくやれ」

「んなめちゃくちゃな……」

「嫌ならとっとと辞めるんだな。埼玉から逃げれば、さすがの梶さんも追っては来れないだろ」

 犬飼はそれだけ言うと、さっさとビルの入り口へと歩き始めてしまう。仕方なく、タイガは彼に従うことにした。

 ビルの入り口にたむろしていたチンピラ達は、犬飼を見ると警戒するように入り口を塞いでくる。中には鉄パイプやメリケンサックなどの武器を構え、露骨に威圧してくるものもいた。どうやら梶と対立する派閥というのは本当らしい。

 チンピラのリーダー格と思しきスキンヘッドの男が前に進み出て、犬飼を正面から睨みつける。正面から向かい合うと犬飼より身長もガタイもでかく、かなり迫力がある。その上、犬飼と同様に顔に感情が出ないため、不気味な怖さもあった。

「梶の犬が何の用だ?」

「お前らが生活できてるのは、誰が稼いだ金のおかげだ? お前らは、自分が梶さんの犬じゃないとでも思ってるのか?」

「……てめえ」

 犬飼の反論を聞いて、スキンヘッドの男の額に血管が浮き出る。一触即発の雰囲気だったが、犬飼はまるで気にした風もなくタイガを前に押し出した。

「お前らに人員を貸し出してやる。何度人員を補充しても、人が抜けていくようだしな」

「誰のせいだ。お前ら梶派が、うちから人を引き抜いてるんだろうが」

「どうして引き抜かれるか、真面目に考えたらどうだ? お前らのチームから抜けたやつに聞いたが、そっちじゃ出世も昇給も望めないらしいじゃないか」

 スキンヘッドの男が返す言葉を失って黙り込むのを見て、犬飼は無表情のまま踵を返す。

「用はそれだけだ。そいつは好きなように使え」

 それだけ言って、犬飼はさっさと路地の向こうへ消えていった。

(おいおい……勝手に険悪な空気にした上に、一人で置いていくなよ!)

 タイガとしては犬飼を呼び止めて苦情のひとつも入れてやりたい気分だったが、そんなことをすれば犬飼とタイガが親しい関係性なのだと誤解されてしまう。この状況でそんな誤解を受けたら、本気で袋叩きにされかねない。

 身を固くしておとなしくしていると、スキンヘッドの男がじろじろと値踏みするようにタイガを眺め回してきた。

「お前、名前は?」

「せ、仙堂タイガ」

「何ができる?」

「まぁ、肉体労働ならそれなりに」

「……あまり腕っぷしが強いタイプには見えないが」

「はあ。そうすかね」

 とりあえず曖昧な返事でお茶を濁していると、スキンヘッドの男は一旦疑問を棚上げすることにしたらしい。他のチンピラに話しかけてから、タイガをビルの中へと手招きする。

「ついてこい。ボスに会わせる」

「……うす」

 チンピラ達から好奇と警戒の入り混じった視線を浴びながら、タイガはスキンヘッドの男の後ろについてビルの中へ入っていく。ビルの中にもチンピラ達がたむろしており、タイガは非友好的な視線を感じながら彼らの横を通り過ぎた。テナントはいないのに電気は通っているらしく、スキンヘッドの男とエレベーターで一気に最上階まで上がる。

 エレベーターが止まってドアが開くと、目の前にオフィスフロアが広がっていた。オフィスフロアと言っても、フロアにデスクなどは置かれておらず、ほとんどだだっ広い空間が広がっているだけだった。フロアの奥のほうだけ照明がついており、窓は光が漏れないようにカーテンで固く閉ざされている。

 フロアのあちこちには、赤い服を着たチンピラが床に座って固まっており、やはり彼らもタイガにじろじろと視線を向けてきた。彼らの横を通ってフロアの奥に進むと、一人の男が大きなワインレッドのソファに座っていた。

 金色に染めた髪を短く切り揃え、気高い狼のような精悍さを感じる男だった。犬飼ほどではないがタイガより長身で、長く引き締まった手足をソファから投げ出している。着ている赤いスカジャンの胸元には、悪魔を模した刺繍が入れられていた。獣を連想させるところは猪原と似ていたが、猪原を攻撃本能のまま戯れに獲物を殺すライオンだとすれば、目の前の男は群れ全体のために群れを率いて外敵と戦う狼のような気品を感じた。

 タイガを先導してきたスキンヘッドの男は、金髪の男の眼前までたどり着くと、その場で深く頭を下げた。

「雑賀さん、お疲れ様です」

「魚住、そいつは?」

「犬飼が連れてきたガキで、仙堂です。うちに貸し出すとか言ってました」

「梶のところで拾ってきたやつか」

 金髪の男――雑賀は苦いものを飲む込むような顔をしてから、今度はタイガに視線を向けてきた。

「仙堂って言ったな。俺達が誰だかわかるか?」

「いや……ここに来た理由もよくわかってないんで」

「……そうか。そうだろうな」

 雑賀は苦笑してから、ソファから立ち上がった。タイガと視線を合わせて右手を差し出してくるので、思わずタイガも右手を差し出す。

 瞬間、雑賀の手が素早く動いて、タイガの右手の人差し指をつかんできた。骨を折るように指を折り曲げられ、タイガは激痛に悲鳴を上げそうになりながら左手で相手の右手を引き剥がそうとする。爪を立て、拳を叩きつけるが、無骨な手は万力のようにタイガの指を折り曲げたまま、微塵も動く気配がなかった。

 指の骨が軋む音と痛みを感じながら、タイガは雑賀を睨みつける。だが彼は動じた風もなく、タイガを静かに睨み返してきた。

「俺は雑賀恭介。レッドデビルズの創設者だ」

「な、んだと……」

「お前も梶がリーダーだと思ってるクチだろ? まぁ、今となっちゃそれも間違っちゃいないけどな」

「……んな、ことより、指を離せ……っ!」

「まぁそう急ぐなよ。こっちにも質問があるんだ。お前、梶からうちの偵察を頼まれたのか?」

「な、に……?」

「お前は梶派のスパイか、って聞いてるんだ。今すぐ答えたら、五体満足で帰してやってもいいぞ」

 雑賀は氷のように冷たい眼光で、タイガを見下ろしてくる。その瞳にはハッタリの気配などなく、死に行く虫を観察する学者のように冷徹にこちらを観察している。

(出会い頭にこんなことしてくるやばいやつが、本当に敵のスパイを見逃すわけがない)

 脳を貫く痛みに耐えながら、タイガは冷静に思考を巡らせる。ここで黙っていたとしても拷問が続くのだろうが、正直に吐いたら生きて帰れる保証すらない。第一、梶の命令を破ってしまえば犬飼の顔を潰すことになる。そうなれば今度は犬飼の命も危うくなる。自分のせいで犬飼の邪魔をするなど、タイガには到底耐えられなかった。

「……何の話だか、さっぱりわかんねえ」

「いいのか? そのまま黙ってるつもりなら、一本ずつ指を折っていくだけだぞ」

「勝手にしろ。こちとら、ここに来た時点で人生捨ててんだよ。何なら、俺の命も持ってくか?」

 タイガが睨み返すと、雑賀は口元に小さく笑みを浮かべて、ようやくタイガの指から手を離した。

 タイガはすぐに雑賀から距離を取ると、人差し指をゆっくり動かしながら状態を確かめる。痛みはまだ残っているが、幸い骨や神経に影響はないようだ。タイガがほっとして視線を雑賀に向け直すと、彼は再びソファに腰を下ろしていた。

「仙堂って言ったな? お前、なかなか根性あるじゃないか」

「あんたのお眼鏡にかなった、ってことでいいのか?」

「及第点ってとこだな。あんなんですぐ音を上げるようじゃ、梶派に脅されて簡単にうちの情報を吐いちまうだろうしな。うちのチームに入る最低ラインは突破したってところだ」

「……そりゃどうも」

「それで、お前はレッドデビルズに入って何がしたいんだ?」

 唐突な問いかけに、タイガはとっさに答えに窮した。本音を言えば何もしたいことなどないのだが、そんなことを言えるわけがない。犬飼を脱退させる話も、間宮里穂殺害犯の捜索についても当然言えない。タイガは必死に頭をひねって、自分なりのそれらしい理由をひねり出した。

「……家を出たいんだけど、金がなくて」

「金を稼ぎたいってことか。なら、うちに回されたのは貧乏くじだったな。悪いが、うちには稼げるような仕事はないよ」

「少しでも金がもらえるなら、仕事はする」

「いいだろう。なら――」

「ちょっと待ったっ!」

 雑賀の言葉を遮って、エレベーターのほうから一人の男が歩み寄ってきた。

 タイガとそう変わらない身長に、ぼさぼさの髪と無精髭の三枚目だった。赤いパーカーを着ているのでレッドデビルズの一員なのだろうが、雑賀や魚住と比べると迫力や怖さはまるで感じられない。彼はこちらの近くまで近づいてくると、雑賀とタイガの間に割って入るように立ち、タイガを睨みつけてきた。

「恭介! こんなやつ信用したらあかんぞ。こいつ、犬飼が連れてきたって話やないか」

「心配しなくてもまだ信用してないよ、テツ」

 雑賀が苦笑交じりに答えるが、それを無視して三枚目の男はタイガに詰め寄ってくる。

「おい、お前仙堂とか言うたな?」

「あ、ああ」

「お前、ホンマは梶のスパイやないんか? うちの弱みを握って、うちらを潰すつもりなんやろ? 恭介や魚住は騙せても、雑賀派参謀のこの猿渡哲男は騙されんぞ!」

 言って、三枚目の闖入者――猿渡が自分の胸をバシッと叩いた。喋り方も動きも大仰な男だが、言ってることは理性的でまともな印象を受ける。タイガは内心の動揺を隠しながら、猿渡に反論した。

「スパイって何のことだ? ここも同じレッドデビルズじゃないのか?」

「同じレッドデビルズ、だぁ? お前、ホンマに何も知らんのか」

「一体何の話をしてるんだ?」

 とぼけるタイガをしばらく観察してから、猿渡は雑賀のほうを振り返った。

「恭介、こいつは俺が預かるで。こいつの無知が演技かどうか、俺が見極めたる」

「それはいいが、あまりやり過ぎるなよ。また人手が減ったら困るからな」

「それはこいつの態度次第や」

 猿渡はタイガの肩を乱暴に叩くと、親指を立ててタイガについてくるようにジェスチャーする。

「行くで。俺がここでの仕事を教えたる」

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