7
女が向かったのは、まだ開店前のバーだった。
勝手知ったる様子で地上一階のバーに入ると、女は店員と何事か話した後、店の一番奥の個室に入っていった。タイガも後を追って個室に入り、女と向かい合うように椅子に座る。女性のバーテンダーが水を置いて去っていくのを見届けてから、黒尽くめの女は話を始めた。
「ようやく落ち着いて話ができるね。まずは簡単に自己紹介しようか」
言って、女はフードを脱いでマスクを外した。
フードの中から艷やかな長い黒髪がこぼれ出し、マスクの下の白皙の美貌とあいまって、タイガは一瞬言葉を失ってしまった。年齢は自分より二、三歳ほど上だろうか。目には好奇心がギラギラと燃え滾っており、口元には面白がるような笑みが浮かんでいる。まるでクリスマスプレゼントを前にした子どものような表情で、タイガはチンピラに囲まれていた時とは違う緊張に襲われた。
「私は竜宮司アリス。このあたりでトラブルシューターのような仕事をしているものだよ」
偽名かどうか判断に迷う名前だが、おそらく追及してもかわされるだけだろう。タイガもマスクを外して自己紹介することにした。
「俺は」
「ああ、君のことは知っているよ。仙堂タイガ、十九歳。埼玉のサッカーユースチームに所属していたが、十七歳の時にトレーニングで靭帯を損傷し、八ヶ月の離脱。復帰と同時にコロナ禍になり、そのまま十八歳の年齢制限を超えてユースチームを退団。現在は自主トレーニングをしながらセレクションに向けて準備中、だろう?」
「……どうして俺のことを知っている」
黒尽くめの女――アリスを睨みながら、タイガはドスの利いた声で尋ねる。威嚇したつもりだったのだが、アリスにはまったく動じた様子がなかった。
「そりゃあ興味が湧くに決まってるじゃないか。目下、大宮で最も注目を集めているレッドデビルズの最も新しい幹部、犬飼和也。彼について情報収拾していたら、同じように犬飼について調べたり、本人にケンカを売る人物が現れたんだ。こっちとしては、調べなければ職務怠慢の誹りを受けるレベルだよ」
「職務って、あんた犬飼を調べてどうするつもりだ?」
「レッドデビルズは大宮のトラブルそのものだ。トラブルシューターとして、彼らのことを調べておくのは当然だろう? いざ連中が何かした時、情報が足りなくては動けないからね」
「……犬飼に積極的に危害を加えるつもりはない、ってことか?」
「彼が一般市民に対して何かしない限りは、ね」
アリスはにやりと笑って牽制してから、好奇心むき出しの眼差しで疑問をぶつけてくる。
「君は面白いね。君がプロの道を閉ざされたのは、犬飼のせいでもあるんじゃないのかい? それなのに、彼を恨むどころかかばおうとするなんてね」
「俺と犬飼のケガは、俺の不用意なプレーが原因だ。犬飼に責任はない。それより、プロの道が閉ざされたってのは何の話だ?」
「君、パニック障害でボールが蹴れないんだろう?」
親にも告げていない真実を突きつけられ、タイガは思わず驚愕で目を見開きそうになっていた。
「……何のことだ?」
「犬飼のことを調べていると言っただろう? 最近犬飼に接触した君のことも、もちろん調査済みだよ。いつも大宮公園でトレーニングをしているようだけど、ボールを蹴る練習はあまりしていないようだね。ウィンガーなら筋トレなんかよりボールを触る練習のほうが重要だと思うけど、そうしないのには何か理由があるはずだ。走り込みはできるのにボールが蹴れない理由……ぱっと思いつくのはパニック障害くらいかな」
「人のトレーニングを観察するなんて、よほど暇なんだな」
「私が暇なんじゃなくて、暇な人間が日本には山ほどいるってだけの話だよ。特に今はコロナのせいで失業者が増えてるからね。素人探偵なんて雇い放題さ」
彼女にとって、この街全体が情報収集のためのセンサーというわけか。おそらく、同じ方法を使って中華食堂の洗面所で犬飼と接触したことや、今日の朝に犬飼の自宅に押しかけたことも知っているのだろう。
敵に回すと厄介だが、味方にできるなら頼もしい人物ではありそうだ。この会談が最終的にどこに行き着くかはわからないが、タイガの中で俄然この会談の重要度が高くなっていた。
回りくどいのは苦手なので、タイガはいきなり核心に触れる。
「それで、あんたは俺に何の用なんだ?」
「君にひとつ提案をしてみたくてね。私達、協力して事に当たってみないかい?」
「どういう意味だ?」
「まず、君の目的について私なりに推測させてもらったから、間違っていたら言ってくれたまえ。君は犬飼和也に重傷を負わせたことに責任を感じている。そして自らのサッカーの道が閉ざされたことで、犬飼に夢を託し、せめて彼にはサッカー選手として大成して欲しいと願うようになった。つまり君の目的は、犬飼をレッドデビルズから脱退させ、サッカーの世界に連れ戻すこと、といったところじゃないのかな?」
「……まぁ、そんなところだ」
「それなら、私達の利害は一致する。私の目的はいくつかあるけど……簡単に言ってしまえば、レッドデビルズを潰すことが最大の目的さ。そのために色々嗅ぎ回って、連中を警察に引き渡せるように調査内容を取りまとめているわけだよ」
想像していた以上に大きな目的に、犬飼は思わず身震いした。
「本気か?」
「冗談でこんなことを言う人間に見えるかい? だとしたら心外だな」
「……本気だとしたら正気じゃない。今日だけでも、街の中でレッドデビルズの人間を何十人も見たぞ。それをたった一人で壊滅する気かよ」
「君が協力してくれれば、一人じゃなくなるんだけどね」
「二人になったところで、大差ないだろうが。だいたい、なんで俺なんだ? あんたの言うように、素人探偵を雇えばいいだけの話じゃないのか?」
「金で動くやつは当てにならないよ。倍の額を積まれたら、裏切ってこちらの情報を売るだろうからね。そんな連中に私の素性を教えるのは自殺行為さ」
アリスは目を細め、口元に三日月のような不穏な笑みを浮かべる。
「その点、君は信頼が置ける。君はまるで死を恐れていないみたいだよね。レッドデビルズの連中に囲まれているのに、逃げずに袋叩きにされようとしていたね? 犬飼がどこまで堕ちてしまったのか、自分の身体で試そうとしていたんだろう? まったく、頭がどうかしてるとしか思えない。犬飼をレッドデビルズから抜けさせるためなら、君は悪魔にだって魂を売り渡せる男だと思ったよ」
「ただ単に、逃げそこなっただけだったらどうすんだ」
「それならそれで、私の判断が間違いだったということさ。その報いが私に来るのは当然のことだ」
アリスは平然と言い切ってから、話を先に進める。
「協力の条件は至って単純。私は君に軍資金と、私の力でかき集めた情報を渡す。代わりに、君には危険な任務を受けてもらうことになる」
「危険な任務?」
「レッドデビルズに潜入してもらって、連中の犯罪の証拠や証人を集めてもらうのさ」
アリスの回答に、タイガは自分の耳を疑った。
「あんたバカか? 俺はついさっき、レッドデビルズと揉めてるんだぞ? そんなやつがどうやってレッドデビルズに入るっていうんだ」
「そこは工夫次第だよ。要は連中を認めさせればいいんだ。方法はいくつか考えてあるさ」
「もし連中にスパイだとバレたら、俺はどうなるんだ?」
「さあ。よくて半殺し、最悪の場合拷問にかけられた後どこかの山にでも埋められるかな。あ、拷問されても私のことはバラさないでおくれよ。もし私の存在がバレてしまったら、犬飼を脱退させようという君の意思を継ぐものはいなくなる。そうなれば、犬飼はレッドデビルズとともに地獄の底まで転落することになるだろうね」
「……めちゃくちゃなこと言いやがるな」
だがそう言われると、確かにアリスを裏切ることはできなくなる。この女が信用できるかどうかは別として、こいつを敵に回せば意趣返しに犬飼を陥れることもありうるということだ。そう思わせることも含めてアリスの狙い通りなのだろうが、それでも犬飼に重傷を負わせた人間の責任として、彼を犠牲にするようなことは避けたかった。
タイガが黙っていると、アリスは一方的に話を進めてくる。
「もう少し具体的な話をしようか。君に集めてもらうのは『レッドデビルズの幹部が重大な犯罪に加担した』と証明できる証拠や証人になる。具体的な例を言えば、殺人や強姦や加重暴行、強盗に誘拐、各種詐欺に違法薬物の売買といったところかな。何件か有力な情報は得てるんだけど、罪状を確定させられる証拠まではつかめてなくてね。そのあたりの調査を君にお願いしたいんだよ」
「おい。それって完全に潜入捜査の類じゃねえか。警察の仕事だろ」
「警察がレッドデビルズに潜入できると思うかい? レッドデビルズの構成員は古参でも二十五、六歳って話だ。警察や麻薬取締官なんてすぐにバレるか、年齢で足切りを食らって門前払いだね。仮に潜入できたとしても、公務員の彼らが犯罪組織の深層部まで潜り込めるとは思えない。カラーギャングに入る以上、犯罪行為と無縁ではいられないからね」
「……要約すると、警察にもできない仕事を俺にやらせようとしてるってことか」
「そうとも言うね」
アリスは澄ました顔でうなずいてきやがった。
「安心したまえ。この件については、警察の人間とも連携を取っている。最終的にレッドデビルズの連中は警察に任せることになるだろう。君が協力してくれるなら、君と犬飼だけは逮捕を免れるようにこちらで調整するとしよう。まぁ彼がすでに重大な犯罪に手を染めてしまっていたら、話は別だがね」
「警察と連携って、マジなのか?」
「もちろん大マジさ。これでも私は、このあたりじゃちょっと有名でね。何度か警察を助けたこともある。そのツテで結構便宜をはかってもらってるのさ」
さて、と前置きしてから、アリスはテーブルに両肘をついて指を組んだ。
「現段階で教えられる情報はここまでだね。ここから先は、私に協力してくれるという約束がないと話すことはできない。つまりこれ以上聞いたら、君はもう引き返せなくなるということだね」
「俺が協力を断った場合、どうなる?」
「さてね。私と君のチキンレースが始まるだけじゃないかな。君のほうが速く目的を達せられれば、犬飼はレッドデビルズを脱退して逮捕されることもない。私のほうが速く目的を達したら、犬飼はレッドデビルズもろとも逮捕されて前歴を背負うことになる。まあその場合だとこっちも遠慮の必要がないから、犬飼がレッドデビルズを抜けてても彼を逮捕するかもしれないけどね。日本サッカー界は、前科者にどのくらい寛容なんだろうね?」
「そんなの、横暴だろ」
「横暴なもんか。レッドデビルズに所属している以上、犬飼は間違いなく傷害罪には問われるべき立場の人間なんだ。それを見逃すだけでもありがたいと思って欲しいくらいだよ。だいたい、彼はレッドデビルズの幹部なんだよ? 彼が部下に下した命令だって、彼の罪なんだ。それから逃れようなんて考え自体が、本来甘ったれた考えなんだよ」
厳しい言葉を叩きつけられ、タイガは思わず口を噤んでいた。
アリスの言う通り、犬飼はすでにギャングという名の犯罪者に身をやつしてしまっている。それを救おうという発想自体が甘いのは重々わかっている。
(それでも、俺はあいつを助けなくちゃならない)
あのケガさえしなければ、犬飼がレッドデビルズに入ることなどなかったはずだ。犬飼が犯罪者に転落するきっかけを作ったのは、間違いなくタイガなのだ。
その罪から逃げ続けて生きることなど、タイガにはできなかった。
「ひとつだけ約束してくれ」
タイガが口を開くと、アリスは先を促すように片眉を持ち上げる。
「もし俺が潜入捜査をしてるとバレて、レッドデビルズの連中に殺された場合も、犬飼のことだけは助けてやってくれ。それだけ約束してくれるなら、拷問されようが殺されようが、俺は絶対に口を割らない」
最悪の苦痛なら、もうすでに味わっている。サッカーができないという苦痛で、自分が生きながら死んでいっている自覚もある。この上、身体の何が壊されたところで、自分の心が動くとは思えなかった。
「……やっぱり、君は私の見立て通りだね。完全にどうかしてる」
口から出た言葉とは裏腹に、アリスは心底楽しそうに口の端を吊り上げていた。
「いいよ。約束する。君が死んだら、犬飼のことはなんとかしよう。犬飼本人が君を殺しでもしない限りはね」
「なら、せいぜいあいつにだけは殺されないように注意するわ」
タイガが軽口を返すと、アリスは満足気にうなずいてからテーブルの呼び鈴を鳴らした。すぐにバーテンダーが個室に入ってくると、二つのファイルケースをアリスに手渡す。バーテンダーが個室を去るのを待ってから、アリスは片方のファイルケースをタイガに差し出してきた。
「それじゃ、早速本題に入ろうか。まずはこれに目を通してもらう」
タイガはファイルケースを受け取ると、中の書類を確認する。
「これは……」
「覚えているかな? 一年近く前に、西川口で起きた強姦殺人があっただろう? これはその件の捜査資料さ」
タイガは捜査資料を読み進めながら、当時ニュースで報じられた内容を思い出していた。
二〇二〇年六月十五日。新型コロナウイルスにまつわる様々な情報が飛び交い、まだ人々の混乱が続いていた時期に、そのニュースは世間を騒がせた。
西川口のアパートで、十七歳の少女が殺害されているのを発見。殺害された少女の名前は、確か間宮里穂といっただろうか。
死亡した間宮の傍には使用済みのコンドームが捨てられており、首には索条痕が残されていた。警察は『強姦された後に紐状のもので首を絞められて殺害された』ものとして、西川口を中心に徹底的な捜査網を敷いたらしい。だが少女は児童養護施設の出身であり、親や兄弟などの家族関係は一切不明だった。間宮は十六歳の時にいじめを苦に高校を退学し、児童養護施設を強制退所させられていた。その後どうやって生活していたのかは不明だが、少なくとも死亡当時は殺害現場であるアパートに住んで暮らしていたようだ。
当時飽きるほど見た、間宮里穂の顔写真を改めて見る。高校入学以降の写真が残されていなかったため、中学時代の卒業アルバムの写真だけが、生きていた頃の彼女の姿を残していた。育った環境が悪かったせいか、黒髪は無造作に伸ばされていてどこか陰気な印象を与える。だが顔立ちは決して悪くはなく、むしろ美人の部類に入りそうだった。切れ長の涼しげな瞳は大人びた魅力を匂わせ、細い鼻梁と薄い唇も含め、顔のパーツ一つ一つが整っている。髪を整えて化粧をすれば、見たものの印象を大きく変えそうな顔立ちだった。
アパートは保証人なしの物件であり、間宮がどういう仕事をしていたのかも、間宮にどういう交友関係があったのかも不明だった。そのアパートには他にも脛に傷のあるものが多く住んでおり、警察は彼らの協力を得るのにかなり苦戦を強いられたらしい。警察はアパートの他の住人、高校時代のいじめ実行犯、大宮の児童養護施設の関係者を徹底的に捜査したようだったが、結局コンドームに残っていた精液と一致するDNAを持つ男性は見つからなかった。また、間宮の自宅には保険証がないにも関わらず、睡眠薬の錠剤が置いてあった。フルニトラゼパムという睡眠薬で、処方している近所の病院にも診療履歴はなかったらしい。当局は間宮が違法な手段で薬物を入手していたという線でも捜査したようだったが、売買には正体不明の仲介人がいたらしく、違法薬物の線でも捜査は行き詰まってしまったようだった。
結局捜査は難航して迷宮入りしてしまったが、世間はそれを許さなかった。『コロナ禍で自宅に引きこもっている女性宅を狙った悪質な犯行』として連日報道され、ワイドショーやニュース番組で女性コメンテーターが民衆の恐怖を煽り立て、警察の不甲斐なさをこき下ろしていた。
確か、まだ犯人は捕まっていなかったはずだが……嫌な想像が頭をよぎり、タイガは捜査資料から顔を上げた。
「まさかこの事件、レッドデビルズと関係あるのか?」
「私と警察はそう見てるね」
あっさりとうなずかれ、タイガは軽くめまいがした。
レッドデビルズは、すでに殺人にまで手を染めていたのか。それも未成年の少女の強姦殺人という、卑劣極まりない殺人に。
(この件に犬飼が関わっていたら、さすがにアリスも犬飼を見逃してはくれないだろうな)
最悪の想像に身震いするが、タイガは記憶の糸を手繰り寄せてなんとか気力を取り戻した。
犬飼の母親――彩花の話では、犬飼がレッドデビルズのような服装をし始めたのは、二〇二〇年の夏頃からだった。間宮里帆殺害は同年の六月なので、犬飼がこの事件に関わった可能性は低いはずだ。
タイガは一度だけ深呼吸をして冷静さを取り戻すと、アリスに疑問をぶつけた。
「あんたはなぜ、この事件にレッドデビルズが関わっていると思うんだ?」
「簡単な話だね。間宮里穂はレッドデビルズの中心人物の愛人だったからだよ」
アリスはもう一つのファイルケースをタイガに差し出した。タイガはパンドラの箱を開くような気分で、ファイルケースを開いた。
中の書類には、梶連次という男のプロフィールが綴られていた。梶連次、二十四歳。東京の有名私大に通っていたが、脱法ドラッグ騒動を起こしたサークルに所属していたことで、三年前の二〇一八年に退学処分。その後すぐにレッドデビルズに加入し、レッドデビルズの渉外担当として辣腕を振るうことになる。梶の加入後にレッドデビルズは劇的な成長を遂げ、メンバーの数は三倍以上に膨れ上がり、地元ヤクザと繋がって太い収入源を築き上げた。現在も立場上はレッドデビルズの幹部という役職だが、実質的なリーダーとして警察からマークされているようだ。
なんでも、金のためならどんな悪事にも手を染める『西城会』系の『鷹尾組』とパイプを持っており、違法薬物の売買を始めとして、風俗店や会員制ラウンジ、キャバクラの運営など手広い事業で金を荒稼ぎしているらしい。当然、梶本人は違法な事業には直接関与せず、あくまで会員制ラウンジの経営者として自身の収入を巧みに資金洗浄している。
添付された顔写真には、燃えるような赤い髪をした男が写っていた。整った顔立ちに人好きのする笑顔を浮かべており、一見するとただの優男にしか見えない。
(そう言えば、烏丸が犬飼の病室を見舞った時に見かけたのも、赤髪の男だったな)
こんな優男が強姦殺人を指示したり、街のチンピラを仕切っているなんて、タイガにはとても信じられなかった。
「なあ。本当にこいつがレッドデビルズの幹部なのか?」
「そこに書いてあるだろう? そいつは幹部どころか、実質的なリーダーだよ」
「こんなやつがヤクザとのパイプを持ってたり、チンピラをまとめられるなんて信じられないんだが……」
「だろうね」
アリスは一度同意してから、質問をぶつけてくる。
「悪魔は天使の姿を借りて現れる――って言葉を知ってるかい?」
「なんだそれ」
「新約聖書の一節さ。悪人が悪事を仕掛ける時、『自分は悪人です』なんて顔で近づくと思うかい? 油断させて近づいてから、一撃で相手の急所をつき、すべてを奪い取る。それが本物の悪人のやり口ってことさ。梶はまさにそういうタイプの悪人だね」
「優男にしか見えないのも、梶の作戦ってことか」
「それだけじゃないけどね。梶連次は渉外担当から実質的なリーダーまで、二年で一気に駆け上がった。そんなことができたのは、梶にカリスマ的に人を惹きつける能力があったからこそだ。大学を中退しただけのチンピラがヤクザとパイプを作れたのだって、普通に考えれば只事じゃない。今じゃ金の力もあいまって、レッドデビルズの創始者よりも遥かに多くの部下を抱えてるって話だし、油断してたら君も足元をすくわれるよ?」
アリスの話を聞いて、とにかく梶が危険な男だということはわかった。
「それはいいとして、どうして間宮里穂が梶の愛人だなんて断言できるんだ? ニュースじゃそんな報道されてなかったぞ」
「警察がそんな重要な捜査情報を漏らすわけがないだろう? 間宮里穂のアパート付近には防犯カメラがなかったから、さすがに彼女のアパートに梶が出入りしている姿が目撃されたわけじゃないけどね。間宮里穂が亡くなる前まで、月に数回の頻度で、梶の経営する会員制ラウンジの社用リムジンが西川口に向かっている姿が確認されている。それが間宮里穂が亡くなった途端、その車は西川口には一切立ち寄らなくなった」
「つまり間宮が死んだから、梶は西川口に寄る用がなくなったと?」
「私と警察はそう考えている。さすがに根拠が薄弱すぎるし、言い逃れだっていくらでもできるから、このことを理由に梶に事情聴取はしてないけどね。下手に警戒されて雲隠れでもされたら困るからね」
どうやら、警察の捜査状況はよほど厳しいらしい。アリスのような得体の知れない女に協力をあおいでいる時点で、予想していたことではあったが。
アリスは芝居がかった調子で両腕を広げた。
「私達はこの強姦殺人を糸口にして、レッドデビルズの幹部連中を一網打尽にしたい。実行したもの、指示を下したものを特定して幹部の身柄を押さえ、組織全体の犯罪行為をすべて吐かせる。もちろん、それ以外の重犯罪の情報が得られれば、それもぜひ教えて欲しい。幹部連中を一掃して組織自体を無力化すれば、代わりのものが立ったとしても組織をまとめきることは不可能。いずれにしてもレッドデビルズは空中分解するというわけさ」
「まぁ、理屈はわかったよ」
「それじゃ、これから具体的な潜入の心得についてレクチャーしようか」
アリスが本格的に講義を始める前に、タイガは間宮里穂の顔写真にもう一度視線を落とした。
その切れ長の瞳の奥に、深い深淵が広がっているような気がして、タイガは彼女の瞳から目が離せなかった。
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