6

 犬飼家に押しかけた後、公園でいつも通りのトレーニングメニューをこなしていたら夕方になっていた。

 普段なら自宅付近のコンビニで食事を買って帰るところだったが、犬飼の動向を確認したい思いが強かったため、自然とナンギンのほうへ足が向かう。例によってボールをコインロッカーに預けてから、タイガは犬飼を探しながら街をぶらつくことにした。

 注意して見てみると、街には明らかにレッドデビルズと思しき若者達の姿が散見された。一人で歩いているものもいれば、複数人でたむろしているものもいる。巡回している警察官も彼らの存在には気づいているようだったが、若者達が犯罪を犯したという証拠もなく、赤い服を着ているというだけではレッドデビルズのメンバーだと断定することもできないため、手を出せずに行動を注視するだけに留めていた。

 繁華街を十数分ほど歩き回っていると、表通りから何本か奥に行った裏道で、犬飼がレッドデビルズの連中と一緒にいるところを発見した。

 犬飼は赤いパーカーにジーンズという姿で、窓のないのっぺりとした建物の入り口に立っていた。ジーンズのポケットに両手を突っ込み、相変わらずの無表情で建物に近づくものを威圧している。犬飼の周囲のチンピラたちも各々赤い服を身にまとって、建物の入口を塞ぐようにたむろしていた。犬飼も入れるとチンピラの数は五人。一見して物々しい雰囲気だったが、だからといって怖気づく理由もタイガにはなかった。

(今更、俺に失うものなんてない)

 タイガがまっすぐに犬飼に歩み寄ると、犬飼は視線だけをタイガに向けた。犬飼の周囲のチンピラは警戒心をむき出しにして、犬飼の左右に広がりながらタイガを威嚇してくる。

「おい、ランニングマン。ここに何の用だ?」

 チンピラの一人が問いかけてくるが、ランニングマンというのが自分だと気づくのに時間がかかった。ランニングウェアとランニングシューズで繁華街を歩いていれば、そう嘲られても仕方がないか。

 チンピラの問いかけを無視して、タイガは犬飼に視線を向けた。左右に広がったチンピラを視界の端で捉えつつ、タイガは犬飼に向かって言葉を投げる。

「よお、犬飼。また会ったな」

「二度と顔を見せるなと言ったはずだぞ」

「ご要望に応えて、マスクで顔を隠してやってんだろ」

「……バカが」

 犬飼はらしくもなく怒りをむき出しにして吐き捨てると、顎をしゃくってチンピラ達に指示を出す。犬飼の左右のチンピラがじりじりとタイガを囲むように動くので、タイガは連中全員が視界に収まるように後退する。

「なんだよ。ギャング名乗ってるくせに、一対一で俺を倒す自信もないのか?」

「吠えてろ。どっちにしろ、お前が無事にここを出られることはない。脚……腕の一本は覚悟しておけ」

 脚の一本と言いかけてやめたのは、彼なりの良心の現れだったんだろうか。いずれにせよ、タイガのことを無事に帰すつもりがないことは確かだった。

 犬飼が正面から近づいてくる。タイガはそれを待ち構えながら、犬飼に言葉をぶつけ続ける。

「教えてくれよ。お前がサッカー辞めてまでやりたかったことは、人を殴ったり骨を折ったりすることなのか? お前が積み重ねてきた十何年は一体何だったんだよ」

「……黙れ」

「文句があるなら、力づくで黙らせてみろよ」

 タイガが啖呵を切るのと同時に、犬飼が猛然と走り出した。ダッシュの勢いのまま、タイガの顔面に拳を叩き込んでくる。

 タイガはあえてそれを避けず、歯を食いしばって拳を受けた。予想以上に重い拳によって頬に鈍い痛みが走り、殴られた勢いでアスファルトの上を転がる。受け身を取って立ち上がるが、いつの間にか近づいていた犬飼が右脚で中段蹴りを放ってくる。とっさに腕でガードしたが、骨に響くような痛みにタイガは悲鳴を上げかけた。

 犬飼が追撃してくる前に、タイガはバックステップで距離を取る。犬飼はボクサーのようにファイティングポーズを取り、タイガの懐へ飛び込むタイミングをはかっている。他のチンピラもタイガを取り囲もうと距離を詰めてきており、このままだと袋叩きにされるのは間違いないだろう。

(今ならまだ逃げられなくはないが、袋叩きにされたら腕の一本くらいじゃ済まないかもな)

 犬飼は当然だが、他のチンピラどもまで殺気立った雰囲気を放っている。包囲されたが最後、意識を失うか無様に命乞いするまで殴り続けられるだろう。

(それがどうした)

 開き直るまでは一瞬だった。

 骨を折られようがどうなろうが、どのみちタイガの人生に大して影響はない。サッカーができなくなった時点で、タイガはすでに死んでいるようなものだ。この上どんなひどい目にあわされたとしても、あの時以上の絶望を味わうことはないだろう。

 なにより――自由に殴らせることで、犬飼がどれだけ本気でギャングをやっているかもわかるはずだ。適当に痛めつけるだけのぬるい覚悟なのか、知り合いだろうがきっちり落とし前をつけるくらい本気なのか。攻撃の深刻さによって、犬飼のギャングに対する本気度を測れるはずだ。

 タイガが腹をくくって、袋叩きにされる覚悟を固めた時――

 突然、どこからかパトカーのサイレンが響いてきた。犬飼とチンピラ達の動きが固まり、どうすべきか逡巡しているようだった。

 パトカーのサイレンは遠のくどころか近づいてくる。犬飼は聞こえよがしに舌打ちしてから、チンピラ達に視線で下がるように指示を出した。犬飼はタイガの胸ぐらを掴んでから、ドスの利いた声で脅しをかけてくる。

「今回だけは見逃してやるが、次はないと思え。今度見かけたら、本気で地獄を見ることになるぞ」

「へっ。警察に捕まる覚悟はねえってわけか」

「言っただろ。俺にはやりたいことが……やるべきことがあるんだよ。これ以上俺の邪魔をするっていうなら、本気で殺すぞ」

 殺すという言葉の重みに、タイガは背筋がぞっとした。犬飼は嘘をつくような性格ではないし、ハッタリなどを口にするタイプでもない。殺すと犬飼が言うのなら、本気で殺す覚悟があるということだ。

 タイガ自身のことはとっくに死んだも同然なのでどうでもいいが、犬飼に人殺しをさせたくはなかった。タイガは声を潜めて犬飼に答える。

「だったら、お前の目的を教えろ。どんなことだろうと俺が手を貸してやる。どうせ殺す命なら、有効活用したほうがいいだろ」

 予想外の返しだったのか、犬飼はわずかに動揺したようだった。だがすぐに無表情に戻り、冷たく突き放す。

「……お前の助けなんていらない。とっとと失せろ」

 つかんでいた胸ぐらを放すと、犬飼は再び建物の入口に戻っていった。

 もう少し揺さぶりをかけようかと思ったが、これ以上しつこくして、犬飼が傷害罪の現行犯で警察に捕まるようなことになったら本末転倒だ。あちこち痛む身体を引きずりながら、タイガはその場を離れることにした。

 タイガが路地を何本か曲がったところで、唐突にパトカーのサイレンが消えた。

(そういや、妙にタイミングのいいサイレンだったな)

 タイガが袋叩きにされる寸前でパトカーのサイレンが鳴るなんて、偶然にしてはあまりにもタイミングがよすぎる。まるで誰かがあの状況をどこかで見ていたかのような、絶妙なタイミングだった。そもそも、先程の路地はパトカーが入って来られるような広い場所ではなかったし、車道から覗き込めるような場所でもなかった。巡回中のパトカーが犬飼の暴行に気づいてサイレンを鳴らした、なんてことはありえないはずだ。

 だとしたら、あのサイレンは一体誰が、どこから鳴らしていたのだろうか。

「――あのサイレンを誰が鳴らしてたのか、気になるかい?」

 唐突に女の声に呼びかけられ――タイガは反射的に身構えながら、声のほうを振り返った。

 見れば、路地の角に隠れるように不審な人物が立っていた。黒いパーカーのフードをかぶり、黒いパンツはほっそりとした脚のラインにタイトにフィットしている。黒いマスクとフードのせいで、目の部分しか顔が出ていない ため、声と脚のラインがなければ女性だと判断できなかったかもしれない。背丈も小柄な男と同じくらいの身長で、一見しただけだと男女の判別は難しかった。

 タイガは警戒心をむき出しにして、彼女に尋ねた。

「あんた誰だ?」

「命の恩人に対して不躾だね。とはいえ、自分でも怪しい自覚はあるからしょうがないかな」

 自嘲するように言ってから、彼女は右手に持ってるブザーを掲げてみせた。

「さっきのサイレンはこれだよ。人を使ってさっきの状況を監視していたのだけど、なんだかきな臭い流れになっていたので介入させてもらったよ」

「……余計なお世話だって言いたいところだが、礼は言っておく」

「別にお礼が欲しくてしたわけじゃないから、気を遣わなくていいよ」

 彼女は飄々とした調子で言うと、タイガを手招きした。

「立ち話もなんだし、ちょっとついてきなよ」

「誰があんたみたいな怪しいやつに――」

「君が欲しがってる情報、私なら提供できるかもしれないよ?」

 黒尽くめの女は思わせぶりに言うと、こちらに背を向けて路地を歩き出す。彼女はなぜかタイガの目的を知っているような口振りだった。まったく信用ならない人物なのは間違いないし、本来ならついていくなど論外だ。

(でも、本当にあいつが何か知ってるんだとしたら、危険に飛び込む価値はある)

 タイガは数秒だけためらったあと、黒尽くめの女を追って走り出した。

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