REQUEST25 呪紋

 激しい戦闘が始まってから、かれこれ五分以上は経過している。

 しかし、いまだにコノエの悪鬼羅刹は、ブレンに傷を負わせるまでは至っていない。

 明らかに押しているのはコノエだけれども、その重く鋭い斬撃はことごとく防がれている。



「どうした小娘。その程度で吾輩に勝てると思っているのか?」



 余裕さえ感じるブレンの挑発に、コノエは何も答えない。

 ただただ獣のような唸り声を上げて、悪鬼羅刹を猛然と振るい続けていた。

 金色の尻尾もすでに三本目が顕現しており、手加減しているわけではなさそうだ。


 確かに、あのブレンとかいう大男は豪傑だ。

 高い身体能力と手数で攻め立てるコノエに対して、無駄のない洗練された動きで上手い具合に渡り合っている。

 奴の強さは敵ながら認めざるを得ないだろう。

 だが、



「どうしてそんなに焦っているんだ。コノエ」



 俺には、それでもコノエが頭一つ分ほど優勢に見える。

 ブレンの強さは多少高く見積もっても、姐さんと同等か少し上ぐらい。

 これはあくまで俺の印象だけれども、オスヴァルトの方がもっとバケモノじみていた。

 いつものコノエなら、尻尾三本でも余裕で勝てるはずだ。俺が知っているいつもの・・・・コノエならな。



「おいコノエ! 敵の前で余裕ぶっこいてんじゃねぇ!」



 ダメだ。やっぱり今のコノエには目の前の敵しか見えちゃいねぇ。

 俺の声も聞こえてねぇみたいだし、これは少しまずいかもしれん。

 しかし、だからと言って今の俺にはどうすることもできず、しかたなく黙って観戦に戻るしかなかった。



「はぁああああッ!!」



 コノエは重い斬撃でブレンの体勢を崩し、ガラ空きの背後を取る。

 そして膨大な霊力を大剣に注ぎ、【羅刹一閃らせついっせん】をブチかます準備に入った。



「喰らえッ! 羅刹いっ……」

「な――ッ!? おいおい、マジでどうなってんだ!?」



 あとわずか数十センチメートル。

 霊力を帯びた大剣がブレンを切り裂かんとしたところで、また・・コノエは糸が切れた操り人形みたいに動かなくなってしまう。



「はっはっは! どうした小娘よ。もう疲れたのか? 動きがぎこちないぞ」



 動きが止まっていた時間はほんの一瞬だが、それだけあればブレンには十分すぎた。

 コノエが止まっているうちに体勢を整え、すぐさま反撃を繰り出し、形勢を逆転させる。



「くッ! お前、また妙な術を……!」



 コノエは苛立ちを隠そうともせず、否、隠す余裕もなく片眉を跳ね上げる。

 やはりコノエの動きがどう考えてもおかしい。不自然すぎる。



「疲れたのなら、無理せずその場で休んでいるといい。吾輩が一瞬であの世に送ってやる!」



 ブレンはそう言って、もう一度、独特な構えを取る。

 大きく広げた左の掌を眼前に突き出し、片手半剣を高々と頭上に掲げた。

 ……ん? そういえばコノエの動きが止まるのは、決まってあいつが掌を突き出した時じゃなかったか?



「これで終わりだ。小娘」



 そんなことを考えているうちに、再びコノエの動きが止まる。

 だが、ブレンの掌を注視していた俺は、"あること"を見逃さなかった。

 籠手に描かれたタトゥーが、ほんの一瞬、かすかに光ったことを。



「その首、貰い受ける!」

「――チィッ!!」



 意識を取り戻したコノエは、小さな身体を投げ出し、首元に迫る刃を寸でのところで躱す。



「……ほう。今のは討ち取ったと思ったのだがな。いやはや、信じられぬ反応速度だ」



 しかし、完全には躱しきれなかった。

 片手半剣の切っ先が首の薄皮一枚を斬り裂き、出血がツゥと細い線を描く。

 あと数センチ傷が深ければ、コノエは重傷を負っていただろう。

 いくら大精霊といえど頸動脈を掻っ切られたら終わりだ。



「ならば、これはどうだ! その無理な体勢では逃げられぬだろう!」



 コノエの顔面に狙いを定めて、ブレンの強烈な拳が襲う。

 この状態ではコノエも回避することはできない。



「く……ッ!」



 辛くも悪鬼羅刹の剣身で防ぐが、その一撃の威力までは殺せなかった。

 殴り飛ばされたコノエは、地面に叩きつけられながら転がっていく。



「コノエ!」



 俺はコノエを受け止めるため、瞬時に進行方向を見極めて走り出す。



「――ガハッ!?」



 なんとかコノエを抱きとめることには成功したが、勢いそのまま一緒になって壁に衝突した。

 背中を強打したせいで、一時的に呼吸がしにくくなる。



「はぁ、はぁ……、コノエ、大丈夫か?」



 けれども、俺の苦しみは決して無駄ではない。

 俺という存在が衝撃を緩和する緩衝材になって、コノエのダメージは軽減できたはずだ。



「…………フンッ。これぐらい大丈夫に決まってるでしょうが。最強無敵のコノエ様よ? アタシは。助けてもらわなくたって楽勝だったし」



 尖った八重歯を見せながら、コノエが無邪気に笑う。



「はいはい、お前ならそう言うと思ったよ。で、ここからが本題だ。時間がない」

「? 何よ」

「まず一つ訊きたいんだが、お前はどうして何度も戦いの最中に止まっていたんだ? ほんのわずかな時間だとしても、戦いの途中にボケーッと突っ立ってるなよ」

「はぁ? いきなり意味わからないこと言ってんじゃないわよ。アタシはずっと動き回ってたじゃないの!」



 やはりな。こいつ自身は止まっていた・・・・・・っていう実感がない。

 コノエの話を聞いて、俺の立てた仮説が正しいことを確信した。



「いいや、違う。俺にはお前が大事なところで何度も足を止めて、自ら危ない状況を招いているように見えた」

「……どういうこと?」

「たぶんお前から見たら、ブレンが瞬間移動しているように感じただろう。今の今まで目の前にいたのに、気がついたら後ろに立っていた、とかな」



 コノエは目を見開いて、「ええ、そうよ」と答える。



「やっぱな。あいつの掌――いや、籠手に描かれたタトゥーはお前も見ただろ?」

「あの趣味が悪いのでしょ? 見たわよ。……まさか、アレが?」



 コノエは俺と会話を続けながら立ち上がり、着ている黒い和服についた汚れを払う。

 その際に小さな声で「うあ゛っ、何か所か破れているじゃない。最っ悪だわ」と愚痴っていた。



「でも、あの男が魔術を発動した感じはしなかったわよ?」

「たぶんあれは"呪紋じゅもん"と呼ばれるものだろう。もとより魔力を媒介としていないんだから、魔術を発動した気配は感じないさ」

「ふーん……呪紋ね。でも、どうしてアンタはその呪紋とやらにかからなかったのよ」

「それは正直わからん。ただ、もしかしたら何か発動条件があるのかもしれん。術者と相対する一人にしか術をかけることができない、とかな。ま、これはあくまで俺の推測だから自信はあまりないんだが」



 俺たちの会話を邪魔するように、ギンッ! ギンッ! と鋭い音がして火花が明滅する。

 前方から飛んで来た二本の投擲ナイフを、コノエが悪鬼羅刹で弾いたのだ。



「そんなにお喋りがしたいのなら、あの世に行った後にするといい。吾輩が二人仲良く送ってやるぞ」



 ブレンは隠し持っていた投擲ナイフをさらに二本取り出して投げると、俺たちに向かって駆け出した。

 板金鎧の重みを感じさせぬ軽やかな足の運びで、ぐんぐんと速度を上げて迫ってくる。



「あの野郎、もう来やがったか」



 俺は「チッ」と舌打ちをして、凄まじい速さで距離を詰めてくるブレンを睨んだ。

 コノエは俺の前に立ち、新たに飛んで来た投擲ナイフを危なげなく防いで、



「……悠長に話している時間はなさそうね。で、対策は? アンタのことだから、もう何かしら考えてあるんでしょ?」



 顔だけ後ろに向けると、ニヤリと笑みを浮かべる。



「ん? まぁ、対策ってほどのもんじゃないけどな」

「いいから早く教えなさいよ」

「わかったわかった、教えるっての! 要は、あいつのタトゥーを見なけりゃいいのさ」

「……は。そんだけ?」



 気のせいだろうか。俺を見るコノエの視線が急に冷ややかになった。

 だが、こっちとしても冗談を言ったつもりは微塵もない。



「ああ、そんだけだ。けど、よく考えてみろ。タトゥーを見なけりゃいいって言葉にすると簡単に聞こえるが、これが意外と意識しないと難しいんだぞ? 特にお前のように戦い慣れしている奴は、急に目の前に左手を突き出されたら、どうしても無意識に目で追っちまうからな」

「んー、言われてみると確かにそうかも。意識しないと見ちゃうわね」

「あれはそこをついたものなんだ。相手を惑わせるための独特な構えと、派手な見た目のタトゥー。初見殺しの戦術としては、かなり優秀だと思うぜ」

「初見殺しねぇ。了解、わかったわ」



 コノエは大きく息を吸い込むと、三本の尻尾で俺の頬をペチペチッとやる。

 これでお礼のつもりだろうか。少しくすぐったい。



「それじゃ、あの鎧男をかるーく片付けてくるわよ。ガウェインはここでアタシの勇姿でも眺めてなさい!」



 身体の内側に抑えこんでいた膨大な霊力を、コノエが少しずつ解放していく。

 ドス黒い霊力が小さなその身を包みこみ、どこからか風が立ちはじめる。



「おう。って、もういねぇし!」



 俺が一言返そうと思った時、もうそこにコノエの姿はなかった。

 残っているのは、髪を撫でるそよ風だけ。



「やっちまえ。コノエ」



 ギィンッ!! という金属が擦れる音が響いた。

 俺はすぐさま音が聞こえた方に顔を向ける。



「お前の勇姿、しっかりと見ているからな」



 そこには、剣を交わらせるコノエとブレンの姿があった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る