REQUEST19 暗闇の行軍

「……うん、大丈夫。この辺りには誰もいないわよ。気配もなし」



 虚空に現れた蒼白い渦の中から顔を出し、慎重に周囲の様子を窺ってから、術者のコノエが先頭になって地面に降り立つ。



「よいっと。ありがとな、コノエ」

「ん」



 コノエに転移霊術の【霊星門アストラルゲート】を使ってもらい、俺たちは一気に廃城の近くまでやってきた。

 転移の術は魔術にもあるが、俺とハクが使えないのでコノエに頼んだ。確か魔術名は【黒影転移フォレース・ウンブラ】だったか? ま、今はそんなこと別にいいか。


 今宵は月明かりを当てにできない夜だということもあり、ぶっちゃけ俺には周りの景色なんてほとんど見えちゃいない。

 だが、ここら一帯には木々が生い茂る森が広がっているはずだ。

 作戦会議の時にダニエラさんから地図を借りて確かめたからな。



「きゃっ!?」



 俺の後を追って転移してきた姐さんが、あまりの暗さに驚いて体勢を崩した。

 可愛らしい悲鳴は聞かなかったことにしておこう。



「おっと危ない」



 俺はすかさず姐さんの腕を掴んで、転ばぬようにと支える。

 姐さんがこうなってしまうのも無理はない。

 何ひとつ明かりのない場所っていうのに慣れていないからだ。

 まぁでも、いくらか暗闇の中で目を慣れさせれば多少マシになるだろう。



「姐さん大丈夫か?」



 しかし、たとえ目が慣れようとも昼間と同じように動くのはまず無理だ。

 俺たち人間族は自覚している。暗い中では、どの種族よりも劣っているということを。

 だからこそ、俺たちは子どもの頃から大人たちに、夜に出歩くのは危険だと教えられるんだ。



「すまない、助かった。月明かりさえないというのは、こうも不便なものなのだな。夜道には慣れているつもりだったが甘く見ていたよ」

「仕方ないって。周りに明かりが全くない状況ってのは姐さんも初めてだろうしさ。でも、少しずつ目も慣れてくると思うよ」

「そうか。……な、なぁガウェイン? その、よければなんだが……、オレと」



 表情まではわからないが、姐さんは俯いてゴニョゴニョと何かを言っている。

 だが、ちょっと声が小さすぎて聞き取れない。



「? ごめん姐さん。もう少し大きな声で頼む」

「あ、ああ。だからその、なんだ、つまりな……」



 俺たちがそんなやり取りをしていると、ハクが宝石のような青い瞳を光らせて近くに寄ってきた。



「ガーネット、目が慣れるまでハクと手をつなご?」



 ハクはにっこり微笑んで、姐さんの手を握った。



「……ありがとう、ハク」

「気にしなくていい。ガーネットには、コノちゃんがいつもお世話になってるから」



 二人はお互いに繋いだ手を見ながら、一言二言と言葉を交わして笑い合う。

 うんうん、仲良きことはいいことだ。


 少しだけ姐さんの声が引き攣っているようにも聞こえるが、たぶん照れているのだろう。

 姐さんが誰かと手を繋いでいるの見たことないしな。



「じゃあアタシは仕方ないからガウェインと繋いであげる♪」

「おい。俺は別に大丈夫だって」



 俺の隣にひょっこりと現れたのは、気配を消して近づいてきたコノエ。

 わざとらしく「こんこーん♪」と言いながら、ぐぐいっと身体を密着させてくる。

 いやいや、ちょっと待とうかコノエさん。一般的にそれは手を繋ぐ・・・・とは言いませんよ。



「……じー」

「…………」



 コノエの力が強すぎてされるがままになっていると、背筋に悪寒が走るような視線を感じる。ハクと姐さんからのものだ。

 この暗闇で二人の表情は見えない。が、少なくとも笑顔じゃないことはわかった。



「ど、どうしたんだよ二人とも。無言で近づいてこられても怖いんだけど?」



 一歩、また一歩と、距離を詰めてくるハクと姐さん。

 目には見えないプレッシャーのせいで、俺はこの場から動くことができなかった。



「――【生命の水アクア・ヴィテ】」

「ぶっふぉ!? つめてぇ!」



 感情が全くこもっていないハクの声が聞こえた瞬間、大きな樽をひっくり返したような水がこの身に降り注ぐ。



「ねぇ、だんちょ。何をそんなところで寝転がっているの? 早く行くよ」

「立てよガウェイン。オレたちに遊んでいる暇なんてないんだぞ」



 俺はずぶ濡れの顔を手で拭い、おそるおそる薄目を開けてみる。

 仲良く手を繋いだハクと姐さんが目の前に立っていた。

 今さらながら、ようやく暗闇に目が慣れてきたようだ。



「いやハクあのさ、いくらなんでもこの仕打ちは酷くないか!? まだまだ夜は冷えるん……」



 そこまで口にしたところで、俺は身動きが取れなくなってしまう。

 え、どうしてかって? 俺を見下ろす二人の目が怖かったからだよ。







 俺たちは声も出さず息を殺して、コノエを先頭に暗い森の中を進んでいる。

 向かっている場所は事前の予定通り、廃城を一望できる小高い丘の上だ。

 まずはそこから廃城の全貌を拝んでやろうということになっている。


 どこの警備が手薄で、侵入しやすいかを見るためにな。

 ちなみに今の並びは、コノエ→俺→姐さん→ハクという順になっている。

 夜目が効くコノエとハクに先頭と最後尾を任せている形だ。



「……やっぱりおかしいわね」

「ん? どうしたコノエ」



 急に足を止めたコノエが、ボソリと呟いた。

 目的の小高い丘はもう少し先のはずだが。



「ごめんガウェイン。ちょっとアタシは先に行くわ」

「お、おいおい。いきなりどうしたってんだよ?」

「ハク。こっちに来て二人を丘まで先導してやって」



 コノエはちょいちょいっと手招きをしながら、最後尾にいるハクを呼んだ。

 ハクは「うん」と答えて、姐さんと俺を追い越していく。



「コノエ待てって。せめて先に行く理由を教えてくれよ」



 今にも走り出しそうなコノエの手を取り、俺は説明を求めた。



「……わかったわよ。そんな怖い顔しなくたっていいじゃない」

「そりゃいきなり作戦を無視して、敵の拠点に突っ込んで行こうとしている奴がいればこんな顔にもなるだろ。怖い顔をしたつもりはないけどな」



 俺の真剣さが伝わったのか、コノエは両脚に入れていた力を抜いて。

 大きなため息をつくと、俺たちの方に振り返った。



「じゃあ手短に話すわよ。簡単に言うとね、あの気持ち悪い――名前なんだっけ? アタシが戦った男」

「オスヴァルトのことか?」

「そうそうそいつ。どういうわけか、城の中に気配を感じないのよ。だから実際にこの目で確かめてこようと思ったわけ。ハクも感じないでしょ?」



 コノエは腰を越えて伸びる長い金髪を掻き乱しながら、ハクに視線を向けて尋ねる。

 するとハクは、何かを探るように目を閉じた。



「……うん。ハクも感じない」



 それから十五秒ほどの沈黙を経て、目を開いたハクが耳をピクピクさせながら答えた。



「廃城にオスヴァルトの気配を感じない、か。でもさ、お前たち二人が揃って気配を感じないってことなら、わざわざ行って確認する意味あるか? オスヴァルトはあの場所にいないってことじゃね?」

「ん、普通のザコ相手ならそうね。けど今回は少し状況が違うわ。あのキモい男、なーんか変な感じがするのよ。気配は人間なんだけど人間じゃないような……うーん」



 珍しいこともあるもんだ。あの最強を自負する大精霊様が、今回はかなり慎重になっている。

 それだけオスヴァルトがとんでもない奴ってことか?



「これで納得した? 納得したならアタシは一足先に行くわよ」

「おう。そういうことなら了解した」

「そんな不安そうな顔しなくても大丈夫だっての。この辺りの魔物はアタシの殺気で追っ払っといたから、ハク一人でも問題はないはずよ。安心なさい」



 違う。俺のこの顔は、別に自分の身が心配だからというわけではない。

 コノエの途方もない強さはよく知っているし、オスヴァルトがどんな化け物だとしても負けることはありえないはずだ。


 だが、胸の奥底に嫌な何かが渦巻いている。

 コノエが本来の姿ではなかったとはいえ、一度の戦いで命を奪えなかった相手は、俺が見てきた中ではオスヴァルトが初めてだった。

 あれだけ悔しそうなコノエの姿を見たのも初めてだったのだ。



「? どうしたのよガウェイン。いきなり黙りこくっちゃって気味が悪いわね。お腹でも痛くなったの?」

「……いや、なんでもねぇよ。それより一人で勝手に突っ走るじゃねーぞ。あと油断するな」

「わかってるわよ。それじゃあ、またあとで合流しましょ」

「ああ、気を付けてな」

「誰に向かって言ってるのかしら? アタシは最強無敵のコノエ様よっ」



 コノエは最後にニシシと笑い、暗闇の中に消えていった。

 やかましい狐耳幼女がいなくなったことで、また辺りは静寂に包まれる。



「だんちょ。ハクたちも行こ?」



 コノエが消えていった方を無意識に眺めていると、隣に来ていたハクが声をかけてくる。



「そうだな。俺たちは計画通り、廃城の裏手にある丘に向かおう。姐さんも大丈夫か?」

「ああ。この暗さにもだいぶ慣れてきたからな」



 姐さんから返ってきたのは、落ち着いた声と頼もしい答え。

 転移してきた直後の可愛らしい姐さんはもうどこにもいない。



「よし。じゃあ先頭よろしく頼むよ、ハク」

「うん。はぐれないように、ついてきてね?」



 ハクは軽く握った小さな拳で、自分の胸をトンッと叩く。

 漆黒の中に浮かぶハクの青い瞳が、任せろと言わんばかりに輝いた。




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