第175話 劣等感

「……ナディーヌ様、行きましょう」


チラッと見ただけだけど、見るからに三下のチンピラ感ある輩って感じ。


関わってもろくなことにならなそうなので、ナディーヌさんの手を引いて出口へと向かうことにした。


「は? なんだよ無視かよ。知らねえ仲じゃねえだろ? 話があんだよ、ちょっと聞けよ」


んー、なんか学園とかで学級クラスが同じだったとか、そんな感じか? 流石に侯爵との家の繋がりでこの態度はナシだとは思うし。


一応、手を引くナディーヌさんの様子を窺うと、案の定というか、決して声をかけられて嬉しいといった表情ではない。


口を固く結んで何かを我慢しているようにも見える。


……まあ、やっぱりこのまま無視して出るのが正解だろうな。


「おいテメェ、待てって言ってんだろ!」


え? 侯爵令嬢に手を出すつもりなの? なんか追ってくる足音聞こえてるけど。


どう見ても、侯爵より上の位……王族や公爵家の人間には見えないんだけど、末席に位置するとかそういう?


まあ、手出ししようとしたら、豚令息と同じ流れに──


「ふざけんなよ、このデブがッ! 待てって言って……」


…………あ?


今この人に、何て言った?


俺は思わず視界に身体強化をかけ、それと同時に全身にも身体強化をかけ振り向いた。


少し距離はあるが、出口までには追いつかれる程度の位置に、その輩はいた。


本当は、その腐ったことをぬかす口を粉砕して二度と喋れないよう、舌から声帯まで引き抜いてやりたかったが、こんな奴の唾液で手を汚したくもない。


俺はその場で格納門をそいつの足元へと開き、重心にしている左足へと手を伸ばして、骨を壊さない程度の速度になるよう上へと跳ね上げてやった。


僅かに浮きはじめる身体を確認したところで、その少し先の壁際に巨大な花瓶があるのが目に入った。


せっかくなので、前のめりへ崩れていくその軌道を、さらに左から押してやり、壁方向に向かうよう修正してあげることにする。


あまり時間をかけられないので狙いは適当だけど、あのデカい図体の玉なら転がって無事にストライクしてくれるだろう。


俺は格納門から腕を引き抜き、同時に視線を元に戻しつつ、身体強化を解除した。


徐々に戻っていく速度と共に、後ろから聞こえる叫び。何かにぶつかる音。どう考えても値段がしそうな花瓶の派手に割れる音。


「行きましょう、今のうちです」


それらの音にナディーヌさんが思わず足を止めて振り返っていたけど、無理やり俺はその腕を引いて出口へと向かった。


◇◆◇


「ええと……先ほどのは、ビンス様が?」


馬車へと戻ったところで、流石に無関係とは思ってなかったのか、ナディーヌさんが訊いてきた。


「……さあ、どうでしょう。派手に転んでいたようでしたが、あんな失礼なことを言う輩に天罰でも降ったんでしょう」


正直、頭に踵落としでもキメて地面に接吻キスさせてあげたかったけど、あの身体強化中って重力も短時間の間ではそこまでかからないから、上下方向の制御が難しいんだよね。


この前の試験みたいな、近接戦闘なら割と何とでもなるんだけど、ある程度の距離を移動しようと地面を蹴ると、数mをバレエダンサーのように飛び跳ねる羽目になってしまったりする。


その欠点が発覚してから、あれこれ試行錯誤した結果として発見したのが、格納門との組み合わせだった。


【空間収納】と身体強化は相性がいいらしく、干渉して頭が痛むこともない。


その場から移動する必要もないので、遠隔で何かを仕掛けるには割と強力な道具ツールになるわけだ。


…………さて。


さっきの件について、俺は聞くべきかを考えあぐねていた。


正直、事情を知っておきたいという気持ちはあるけど、わざわざナディーヌさんに先ほどの不快な出来事を思い出してほしくはない。


そんなことを考えている間に、しばらく会話が途切れてしまっていた。


「……あの、ビンス様」


その沈黙を破ったのは、ナディーヌさんの方だった。


「その……やっぱり女性は、痩せている方が魅力的でしょうか……?」


え、そんな話?


…………いや、違うか。


恐らくは、彼女にとっては先ほどの出来事と地続きで、重要なことなのか。


うーん、どんな返答をするべきか、悩んでしまう。


俺にとっては本心から、『痩せているから魅力的』なんてことは確実に『無い』とは言える。


だけど、『そんなことはない』とか『そのままでも魅力的』だなんて言っても、言葉が上滑りしてしまって、単なる気休めにしか受け取られなさそうなんだよなぁ。


恐らく彼女にとって、体型のことはずっと言われ続けてきたことで、劣等感コンプレックスになってしまっているんだと思う。


だから、表面的な言葉だけでは、間違った伝わり方をしてしまいそうな気がする。こちらがどんな意図で言ったとしても。


今日たった一日過ごしただけではあるけど、彼女は優しく包容力があって、無駄に媚びを売ったり、相手を操ろうとしたりする人じゃないとは思った。


そういった人に、本心であることを伝えたいのであれば……こちらも、誠実でなければならないんじゃないだろうか。


これは、不安そうにこちらを窺う彼女の求める答えではないかもしれないけれど……俺のためにも、彼女の考えをただす必要があるんだ。


「ナディーヌさん」


「……はい…………えっ?」


俺は、狐の仮面へと手を添えると、ゆっくりと外した。


彼女の説得のためには、こちらの表情を見てもらうべきだと思ったのだ。


「そんな、他人に好かれるために痩せようだなんて思わなくていいです。貴女はそのままで魅力的なんです。その姿に惹かれる人がいるんです」


たとえ単なる性癖だと蔑まれようとかまわない、俺はモデルだスレンダーだなんて、細い体型を良しとする価値観には同意しかねる。


ふくよかでぽっちゃりで、抱きしめた時の幸福感があるような体型こそが、俺は好きなんだ……!


別に腹に極端なくびれなんてなくていい、むしろ多少の段があるぐらいがいい、その質感にこそ美しさがあることがなぜ解らないのか。


乳や尻に肉があることは殊更に強調し、しかし腹の肉は否定する、その欺瞞に気づいてこそ新たな世界が開けるというのに……!


その背中に、太腿に、質量があるというその事実こそが、魅力を最大化する。


もちろん、過ぎたるは及ばざるが如しという言葉があるけれど、それにしたって世の細身礼賛は過剰に過ぎる。もっと太さを許容するべきじゃないのか。


「過去に何を言われてきたのか、周りからどう思われてきたのかは分かりませんが、私は貴方が、ナディーヌさんのその姿が可愛らしく魅力的だと思っています。ですから、どうか言葉の裏を読んだりして、痩せるべきだなんて思わないでください」


彼女はきっと、父親である侯爵からも、あわよくば家に引き入れてほしいと言われているだろうし、このお見合いまがいの街案内の意味も理解しているだろう。


だから、きっとこちらが言葉だけで伝えた程度では、誤解して痩せなければと思ってしまうはずだ。


まして、あのクソ下衆野郎が言い放った言葉の後だ、思考はそちらに引っ張られるに違いない。


……思い出したら、アレはもっと徹底的にやってやるべきじゃなかったかと怒りが込み上げてきた。格納門でもくっつけておいて、家ごと潰す(物理)べきだったんじゃないか。


あんなゴミ屑の言葉ひとつで、神の与えし至宝とも言える理想のお姉様の輝きに、曇りひとつでも出てしまったとしたら、末代まで祟ったかのように見せかけて消し去らねば気が済まない。


ナディーヌさんには、あの優しげで幸せに美味しいものを食べ、微笑みを浮かべる姿こそが似合っている──


「…………え?」


思い出し怒りに沈んでいた意識を彼女のその表情に戻したところ、その瞳からは涙が溢れていた。


「あっ……ごめ、なさい…………! 私、そんなの、言われたの、本当ッ、初めてで……ッ」


◇◆◇


「……すみません、取り乱してしまって」


手布ハンカチを取り出し、涙を拭って落ち着いた頃には、馬車は既にルクレール邸のある通りへと曲がろうとしていた。


「こちらこそ申し訳ないです、泣かせてしまうつもりなんて無かったのですが……」


「いえ! あの、本当……嬉しかったので。あんなに私の……この太った姿を肯定してくれる人は、今まで誰もいなかったですから」


……正直、そこがおかしいんだよなぁ。


だって、初代勇者様ことスケさんは【暴食】のために、普段から肉を貯めて貯めて戦場に向かっていった英雄であるはずなのに。


ヴァル氏だって、ちょっと過剰かなってぐらいにその姿を溺愛して、絵画にまで残し、戯曲の配役としてその姿を模した役者で世に広めたはずなのに。


どこかで、常識改変のスキルでも使った馬鹿者でもいたんじゃないだろうか。


「……あの、でもさっきのは、気休めとかそういうのではないですからね?」


本当、でもやっぱり多少は減量を……なんて思われたら、こちらこそ泣いてしまう。


「はい、わかってます。それがたった1人であっても、魅力的だと言ってくれる人がいるなら、その人の可愛いと言ってくれた姿を……少しだけ好きになれそうですから」


……うん、やっぱり、ナディーヌさんにはこの前向きポジティブな笑顔が似合うし、どうにも惹かれるんだよなぁ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る