第11話

 隼は一人で帰宅の途についていた。

 疲れていた。

 帰って、すぐ横になりたい――そう思っていたが、このままでは眠れそうになかった。

 色々なことがあった。

 天城一族という天狗たちとの遭遇。彼らから聞いた『吸血鬼の姫と、七人の吸血鬼』の情報。そして帰り道のカラス天狗との戦いからラタヴィルとの再会。それも束の間――再三の吸血鬼との遭遇。

 それがついさっきだ。

 電波塔の足元で吸血鬼を相手に戦ってきた。

 ラタヴィルと赤垣が一緒であった。

 一緒だっただけで共闘したわけではない。

 せめてラタヴィルが協力してくれれば勝てたかもしれない。

 だが、ラタヴィルは赤垣も敵視し、結果、攻撃が散漫なものとなった。

 赤垣もそんなラタヴィルを斬ろうとする。

 邪魔をする者もためらわず斬り捨てる――そんな両刃のような攻撃性も、吸血鬼には発揮できずにいた。

 そして隼は、ラタヴィルを吸血鬼や赤垣から守るのに必死で、全く役に立っていなかった。

 そんな不協和音な攻撃でも吸血鬼を追い詰めた。

 赤垣の剣技が確実に斬り弱らせ、ラタヴィルの大技も当たり始めた。

 追い詰めることができていながら、互いに譲ることのない戦法は、あと一歩の所で決め手に欠けた。

 そんな隙だらけの戦いから、吸血鬼は逃走を始めた。

 追おうとしたラタヴィルを隼は止めた。

 罠の可能性があるから、深追いせずに次を待った方が良い――と。

 ラタヴィルは納得しかけていたのに、バイクの赤垣が追い越していった時、火がついたように追跡を再開してしまった。

 さすがにバイクには追いつくことはないだろう――と高をくくっていたら、ラタヴィルは高台に上がり、帽子からハングライダーを取り出すと風に乗った。

 剣を帽子から取り出すのを見ておきながら、そんなものまで入っていることを想定していなかった。

 ラタヴィルは空中を飛んで、吸血鬼と赤垣を追って行った。

 全くの油断に、隼は一人きりになった。暫く探してみたが、みつからなかった。

 吸血鬼に返り討ちに遭っているかもしれない。

 赤垣に斬られた可能性もある。

(どちらにしろ、寝覚めが悪すぎるだろ)

 帰り道は憂鬱なまま。疲労も輪をかけ、嫌な想像しか浮かばなかった。

 今度は会えないかも――背中に氷を入れたような思考を拭いきれないまま、家へたどり着いてしまった。

 由起子と優には心配をかけたくない。杞憂を振り払うように深呼吸をする。

 玄関を開けたのは着いてから五分後のことであった。

「ただいま」

 返事は無い。

 今日は二人ともいるはずだが、迎えがこない。

 隼はリビングへ向かった。

 笑い声がする。由紀子と優の声はよそゆきだ。

 お客さんか――と頭を傾げる。

 近付くにつれ、相手の声も分かってくる。

 分かるからこそ、ガラス戸を開けるのを、もの凄くためらってしまう。

 曇りガラスなのだから、逡巡しているのが向こうから丸見えだ。

「オ帰り、ジュン」

 妙に作ったイントネーションが戸の向こうから聞こえた。

 苦笑しながら、隼はドアを開けた。

 テーブルの向こうに、ラタヴィルが座っていた。

 彼女を囲むように、母と姉が両脇に立っている。

 いや、目が恐いよ――昨晩予想したように、二人は迷い込んできた子猫を捕獲しようという表情であった。

 学校で留学生と知り合い、ラタヴィルはその留学生の妹ということにした。留学生を訪ねた時に懐かれて、一人で訪ねてきた――という設定だ。

 家族が一人増える前に、隼はラタヴィルを連れて、早々に自分の部屋へと引き上げた。

 隼の部屋は二階。階段を上がってすぐの四畳半だ。

 入って左側にベッド、右側に机とイス、その間を抜けて正面に窓がある。

 本棚が二つ、ベッドの奥に一つ、机の横に一つだ。

 ベッドの上にも窓があって昼はかなり明るい。夏は直射日光に晒されるが。

 ラタヴィルはベッドに座り、窓際に背を預けた。

 隼はイスに座ってラタヴィルと向かい合う。

「――でラタ。吸血鬼は捕まえられたのか?」

「ムリ。あいつ、速い」

「だろうね――」

 ラタヴィルが言うように、吸血鬼は隼を狙っているのであろうか。一度めは偶然だが、三度も会うと狙いが自分なのでは?――と、さすがに不安になる。

 それよりも――隼は大きくため息をついた。

「何でおれの家を知ってる?」

「臭いを辿った」

「んな、わけあるか!」

「鼻、良いのだ」

 そこまで言われて否定は出来ない。事実、ここへ来ることが出来たのだろうし、天城家の山で合流できたのも、そのおかげなのだろう。

 なんせ妖精の一種だ。そんな能力があってもおかしくない。

 ということで、話題を変える。

「ラタは、吸血鬼の力を狙っているのか?」

「テングたちから聞いたのか?」

 隼は頷いた。

「『ラグナロク事件』と七人の吸血鬼のことを――」

「――倒せば、その力を手にすることができるのだ」

「そんなもの、どうすんのさ」

 力なんて不要だ。そう思っている隼にとって純粋な疑問であった。

「モンスター界じゃ、小人族はその非力さに虐げられてる。跳ね返すだけの力が欲しいのだ」

「戦わなくても道はあるんじゃないの?」

「あるわけない。ジュンには分からないんだよ」

「そう――かもしれないけど」

 人間世界でも力の差はいろいろある。金だったり、地位だったり。

 モンスターの世界はもっと物理的なものなのかもしれない。

 弱さに泣いたことが、隼以上にあったのだろう。

 共感は出来ないが、理解は出来る。

「それに、強い方がお婿を選びやすい!」

 ラタヴィルの声には確信が込められていた。

 それが一番の本音のようだ。

 おれの『理解』を返せ――隼は心で毒づいた。

 結婚のために強大なモンスターに戦いを挑む精神は、呆れを通り越して感心した。

「未曾有のお婿不足なのだ」

「さいですか」

 対応が心なし疎かになる。

 そういえば、川原での会話で、日本語を学んだ理由に『日本は狙い目』とあったが、もしかしてそれも『お婿探し』のことかもしれない――隼は考える。

 なるほど、『お家事情』だ――。

「つまり吸血鬼を狙うのは諦めないってことか」

「もちろん――」

 おーい――と、緊張感のない女子の声が階段を上がってくる。

 誰かはもう分かっている。勝手に部屋まで上がれる女子は一人しかいない。

「なんか用か、千尋」

 隼はドアも開けずに声を掛けた。

 平行移動してきた視線がラタヴィルで止まる。

 あ――やばい――何か知らないが、やばい――気がする――。

 隼はドアへ走った。

 鍵をかけようとした――手は空を切っていた。

 ドアは既に開いたところであった。

「おーす」

 千尋が入ってきた。

 ――と、すぐメガネの奥で目が丸くなった。

「本当に天城椎葉あまぎしいはだ」

「え?」

 隼は千尋の視線を追って振り向いた。

 奥の窓枠に椎葉が座っていた。おしとやかに微笑んでいる。

 絶対作り笑いだ。

 そんな椎葉を、ラタヴィルがベッドの上に座って睨んでいる。全く迫力はないが。

「でしょう。袖篠くんの交友関係は侮れないのよ」

 隠れて聞き続けてきた声が、自分の生活空間に響いた。

 油の切れたブリキ人形の動きで、ドアへ向き直る。

 千尋の後ろで、何故か自慢げに語っているのは、坂本波美さかもとなみであった。

(どうしてここに――?)

 突然の流れに思考がついていかない。

「あれ。その子も見つけたんだ」

 どうしてここへ来たのかを考えるより先に、ラタヴィルと一緒にいる言い訳を考えなければならなくなった。

 脳をフル回転しながら振り返る。

 千尋の肩越しで、波美が首を捻っている。

 こんな散らかっている部屋を波美に見せるわけにはいかない。一男子高校生として使える理由だ。

 そうだ、それを理由にできる。

 部屋を閉めて追い出して、その間に言い訳を考えよう。

「さあ、どうぞ、どうぞ。汚い所ですが――」

 千尋がそう言って、波美と共に入ってきた。

 お前が言うとこじゃねえ――隼は心で毒づいて、千尋を睨んだ。

 しかし千尋はスルーで、奥へと。

 お邪魔します――波美も通り過ぎる。

 作戦失敗。ほんの数分で女子が三人増えていた。

 こうなると人口密度が限界を超えてしまう。

 ついでに隼の思考回路も限界を超えた。

 ベッドにラタヴィルが座り、窓際に椎葉、学習イスは波美が使っている。床でベッドを背もたれにしている隼の隣に千尋が並んで座っていた。

 視界には波美の健康そうな足が普通に入ってくる。

 見ようと思わなくても見てしまうのだから、これは許される――隼は自分に言い聞かせていた。

 恋人と浮気相手がブッキングして修羅場になるとは聞いたことがあるが、これはそれに近いかもしれない。

 誰も恋人ではないから、隼以外は全く修羅場ではない。

 一人は妖精だし、一人は妖怪の末裔で敵意ある相手だし、一人はただの幼なじみだ。

 唯一恋人であって欲しい人は平然として、部屋を見回している。興味深そうに目が爛々としているのが、部屋の主としては恐い限りだ。

「あんまり見ないで欲しいんだけど――」

「ごめん、ごめん。男子の部屋が珍しくて――」

 千尋はその様子をにやにやと見つめている。

 攻撃の対象とするならこいつしかいない――。

「えーと、どういうことかな?」

「坂本さんにばったり会って、君が高校生モデルとデートへ出かけたとか。あの甲斐性なしがありえないよと、一緒に確かめにきたのさ」

 さらりと酷いことを言ったぞ――。

 『もう用が済んだんだから帰れ』と目で訴えるが、『でかしたでしょ』と千尋は得意顔で笑っていた。

 目の端でも椎葉が笑顔で全員を見ている。

(いや、女子って恐い)

 四人の女子に囲まれるという、憧れていたハーレム状況ではあるが、今は勘弁して欲しい。

 何とか切り崩したいのだが、どこから帰せば上手く解放されるか。

 隼は作戦を練る。

 椎葉だ――隼は思い至る。

 まずは椎葉をなんとかすれば良い。元々呼ばれていない人物だ。

 何をしに来たかは気になる所だが、有益な情報でさえ、この閉塞感から解放されるなら全く惜しくない。

 椎葉を帰せば、目的が無くなるから波美も帰る。

 それも惜しい気がするが、この際だ。

 波美がいなければ、こっちのもの――千尋を叩き出して完了だ。

 おっと、ラタヴィルが残った。

 彼女はどうするか――?

 ラタヴィル自身、泊まる気満々だ。きっと母親と姉なら了承するだろう。そして隼をリビングに追いやり、このベッドをラタヴィルに与える。

 そこに隼の安息は無い。

 ならば、千尋に押し付けるに限る。押しかけられたら、押し付けることも可能なのだ。

 幼なじみは分け与えられるのが強みだ――隼はそう解釈している。

(では、作戦開始――)

 気付くと窓際に椎葉がいない。

 机で波美と二人でノートやら写真やらを見ている。楽しげだが、気が気じゃない。何かを見つけて笑っている。

 すごい気になるが、千尋も隣にいなかった。

 ベッドに乗って、ラタヴィルを撫でている。

 かわいい――とか言っているが、君より年上だぞ。

 ラタヴィルが、『なんとかしろ』と目で訴えている。

 気を取り直して……作戦開始――。

「天城――くん。そろそろ帰る時間では?」

 普通に考えて九時過ぎだ。女子がうろついていて良い時間ではない。

 なかなか良い滑り出しだ。

 隼は心でほくそ笑む。

「平気。車だから」

 撃沈。

 こっちが平気じゃないんだが――。

「おじいちゃんが心配するよ」

「袖篠くん、天城さんのおじいちゃんに会ったことがあるの?」

「公認の仲なの」

「な――」

 椎葉の口元が小さく歪んだ。本性を出した――ほんの少しだが。

(わざとやってる――)

 墓穴を掘ってしまった。

「へえ――」

 冷たい響きの声が背中に刺さった。

 振り向くと千尋の目が軽蔑の色に染まっている。

 味方じゃないのか、お前は――。

「それよりも、車でお出迎えなんて、すごいですね」

 それよりも――か。意外と波美は平気そうだ。

 少し焼きもちを焼くかと思っていた自分が格好悪い。

「そうだ。お家まで送りましょうか?」

「いえ、歩いた方が近いですし――」

 ちらりと時計を見たようだ。

「確かに、もう遅いんで帰りましょう」

 波美に言われると、なぜか寂しい気がした。

 波美が立ち上がると、千尋も無言でベッドから下りた。

 どうやら怒っているようだ。つーんと顔を背けてドアへ向かった。

(お前に怒られる覚えは全く無い!)

 隼は色々ダメージを受けて、頭がグラグラした。

「あたしはもう少しいようかな――」

 椎葉は、何万と言う男性が虜になりそうな仕草で、隼に身体を密着させてきた。

 背中で隼の胸へ寄り掛かり、頭を隼の肩口へ預けた。

 椎葉の端正な顔がすぐ側にある。

「吸血鬼についての情報――聞きたくない?」

「明日聞きます」

 小声に対し小声で隼は答えた。

「おじいちゃんが待ってますよ」

 あなたが一番先に帰って欲しい――言外に込めて隼は大きめに言って、背中をドアへと押した。

 その肩越しに、冷ややかな感じの波美と千尋が立っていた。

 え、どうして――隼が驚いていると、波美が笑顔でラタヴィルへ言った。

「ラタヴィルちゃん、今日もお姉ちゃん家においで」

「ラタ、ジュンが良イ」

(なりきってるな)

 隼が感心していると、波美が追い討ちをかけた。

「このお兄ちゃんの側にはいない方が良いからね」

「どういうこと?」

 隼の質問は答えられることがなかった。

 波美はラタヴィルの手を引いてドアへ向かった。

 すれ違い様にラタヴィルが目で助けを求めた。

「その子がいたいって言うんだから、良いんじゃないかな――」

「ダメです。この子の安全はわたしが守ります」

「え、どういうこと?」

 隼は同じことを訊いたがやはり答えはなく、千尋と波美は階段を下りて行った。

 ラタヴィルは悲壮な表情を浮かべて手を引かれて行った。

 階段で三人を見送り、部屋に戻ると、椎葉の姿は消えていた。

「一体、何しに来たんだよ!」

 一人だけになった自分の部屋で、その声は寂寥感を増すだけであった。

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