第10話

 隼は迷っていた。

 このまま山道を下りるか――舗装された道路へ戻るか――

 まさか帰りは送ってくれないなんて思わなかった。

 しかも裏口から締め出された。

 木戸を閉める時の椎葉の笑顔は、邪悪そうで、そのくせ良く似合っていた。

 裏口は山の中であった。下っていく視界には、好き勝手に伸びた木々と、堆積した落ち葉があるだけだ。

 隼は自分が屋敷に通され、源三郎と話しをした大広間から、この裏口までを頭に思い浮かべる。

 なんのことはない。塀に沿って歩けば、門にたどり着く。あの庭を思うと、かなり距離はあるが。

 隼の方向感覚に間違いがなければ、このまま山を降りれば電波塔に達するはずだ。そこから家へ向かう公道へ入れる。近道ではある。

(気ままに行くか)

 少し遠回りでも安全策を取った。

 隼はため息をつくと、学生鞄の肩紐を出してリュックのように背負った。

 塀を右手に歩き出した時、頭上で気配が飛び交った。

 鳥でもない。猿でもない。

 足下を通り過ぎる一瞬の影で判断すると、その大きさはヒトだ。

 この場合、『人間』という意味ではない。

 樹上を飛ぶという芸当が出来るヒト――

 答えは簡単に想像がつく。

 ここは天狗の領地なのだ。

 問題は彼らにどういう意図があるかだ。

 隼は気付かない振りをして塀の傍を歩いているが、気付かれていないとは思っていない。

 呼吸を整える。臍の下に気を溜める。

 気配の一つが急降下で迫った。

 隼はぎりぎりでかわす。

 背中の鞄すれすれを通って六角の棒が地面へと突き刺さった。

 黒い毛に覆われた容貌と翼――特筆すべきはその口だ。鳥のように湾曲した嘴があった。

 カラス天狗だ。

(とりあえず、ただの見送りではないってことね!)

 懐を晒すカラス天狗の内側へ、隼はすっと入り込んだ。

 波のような柔らかい動きで左腕を突き出す。

 掌が触れる瞬間に、内側のエネルギーを込めて一気に打った。

 後ろから引っ張られたようにカラス天狗が吹っ飛ぶ。

 隼はカラス天狗が置いていった棒を手にすると、山道へ踏み出した。

 急勾配を滑るように降りる。

 落ち葉が滑りを良くしてくれた。

 頭上を気配が飛んで追ってくる。

 さっき突き飛ばしたカラス天狗も、弛緩したまま滑っている。

 気を失っているようだ。

 進行方向には立ち木がある。

 隼は方向を変えて走ると、滑るカラス天狗を押さえた。

 勢いがつきすぎて、なかなか止まらない。

 六角の棒を地面に突き刺して制動をかける。

 落葉と土を割って速度が落ちていく。

 木の直前でやっと止まった。

 そのカラス天狗を確認する間もなく、隼は再び滑り降りだした。

 追ってくる天狗たちに殺意は感じないが、手加減も感じなかった。

 しかし、吸血鬼と二度遭遇した隼にとって、彼らは全く脅威となりえなかった。

 数度、空から打ち下ろしに来ていたが、隼も棒で受けてかわすのは容易かった。

 一人はかわされたことでバランスを崩し、空へ戻れずに木へと突っ込んだ。

 次いで急降下してきたカラス天狗の攻撃を受け流すと、そのまま地面へと落ちた。

 二度バウンドしていった。

 この間にも隼は滑り降りている。

 もう中腹辺りだろうか。

 急勾配を、バランスを取りながら時には走り、時にはスキーのように滑る。

 カラス天狗の残りは多くて四人。

 飛び道具が無い以上、いくら飛べようとも降りてきて攻撃するからには条件は一緒だ。

 いや。木立の間を抜けながら攻撃する方が至難の業であろう。

 それを狙って隼は、木々の間隔が短いところを選んでいるのだから、カラス天狗には不利と言えるかもしれない。

 攻撃回数が目に見えて減ってきている。

 下の方が明るくなってきた。間もなく林を抜ける。

 遠くに電波塔が見えた。その向こうは田畑で、民家も多くなる。

(人目のつく所にカラス天狗は出てこないだろう――)

 安心した――その時だ。

 影が降りてきた。真上から一直線に。

 手に持った芭蕉扇を振り回す。

 隼は横へと転がってかわした。

 影が執拗に追ってくる。

 カラス天狗ではない。白く細長い肢体が目の端で捉えられている。

 隼は棒を突き出した。

 影が跳ねた。

 突き出された棒を足場にして一蹴り、隼の頭上を回りながら背後へと着地した。

(その身長でよくやる!)

 隼は感心しながらも、棒を大きく回した。

 手加減なしの棒を、芭蕉扇が止めた。

 攻撃の余波が相手の黒髪を揺すった。

 マスカレードのように顔の上半分を覆っている面には、頭巾ときんが被され、天狗を模して鼻が長かった。

 晒されている口がニヤリと邪に歪む。

 こんな笑いをするのも、これだけのスタイルを持っているのも一人しかいない。

 二人は距離を取るように後ろへ跳び退すさった。

「さすが天城家期待の星――」

 天狗仮面――天城椎葉は胸を張った。

 着ている服は和服に似ているが、ノースリーブで、下は巻きスカートにも見える。足下も一本歯の下駄ならぬハイヒールだ。

(女子高生らしいといえば女子高生らしい――のか?)

 肩についている小さな羽は飾りのようだから飛べないはず。

 どうやって上空から来たのか。

「あなたも、やはりただの人間じゃないわね」

「残念だけど、おれは人間だ」

「人間がこんなに戦える?」

「父さん仕込みの拳法だ。父さんはもっと強かったよ」

「もっと追い詰めなければ、本性を出さないのかしら」

 椎葉は芭蕉扇を構えた。

 本性も何も、袖引き小僧では期待に添えまい。

 厄介な相手に目を付けられたものだ――と、隼はため息をつきながら棒を構えた。

 山の呼吸が二人に合わせて小さくなる。やがて静謐を湛え、対決者たちが次手を踏むのを待つのだ。

 天狗仮面は微動だにしないが、動いたと思った時にはもう攻撃は終わっているだろう。

 目で見ていては遅いのだ。

 隼は集中する――

 感覚が五感より鋭くなる。肌で空気を感じる。全方位に意識が広がっていく。微かな蠢きさえも読み取れる。小動物や昆虫の気配さえ掴めるが、今は正面へ。

 椎葉が動く気配。

 それを察した時、雄叫びが樹上から聞こえた。

 小さい姿はカラス天狗かと思ったが、それよりも小さかった。

 緑色で揃えたベストとスカート、革靴に山高帽、そして尖った耳――

 ラタヴィルであった。

 隼と椎葉の間に降り立った。

 既にその手には、持ち手の長い銀剣があった。

「ジュン、後はまかせろ」

 言うが速いか、ラタヴィルは剣を振り回した。

 隼は慌てて棒でガードした。

 刃と六角の側面が小気味良い音を立てる。

 ラタヴィルは意に介せず、椎葉に踏み出した。

 椎葉は少し退がっただけだ。

 刃はだいぶ前を通り過ぎて、一周して隼に向かってきた。

 また隼がガードする。

 ――と今度は、ラタヴィルは剣を振り上げた。

 上から来た刃の峰を棒で防いだが、ここまで来るとわざとじゃないかと思えてしょうがない。

 振り下ろした剣先に椎葉はいなかった。かなり奥まで距離を開けていた。

「残念。今日はここまでね」

「おのれ、逃げるか」

 追おうとしたラタヴィルの帽子を隼は上から押さえた。

 ラタヴィルの動きが止まった。

「今日は――ってまだ続ける気?」

「もちろん。あたしの気が済むまでね」

 椎葉は口元を怪しく歪めた。

 体格の良いカラス天狗が上からすう――と下りてきて、椎葉の腰を掴むと、再び空へと舞って行った。

 数羽の羽ばたきが遠ざかっていく。

(本当にやっかいな相手に目を付けられたな)

 気付くと、ラタヴィルが不服そうな目で見上げていた。

 隼の手で山高帽が押され、眉の辺りが変形しているせいかもしれない。

「なぜ止めた」

 ラタヴィルは言いながら頬を膨らませた。不服な気持ちはあったようだ。

「あいつらは倒しておける時に倒しておいた方がいい。特にあの女は危険だ」

 全く持ってその通り――隼は心の中で同意した。

 だが、口では戒める言葉を紡いだ。そうしないと、ラタヴィル自身が危険人物になりかねない。

 ラタヴィルは唇を尖がらせ、そっぽを向きながら歩いた。

 さっきの頬を膨らませる仕種といい、見た目の年齢に近いことをされると、波美のような誤解をする人がいてもおかしくない。

 山を降りた隼とラタヴィルは、電波塔を目指した。

 雑草が足下を鳴らす。舗装された道まで出ればバスが通っているはずだが、当分はこんな道が続く。

 ラタヴィルが憤慨しながら隼の前を歩いている。

「あいつら、ひとのことを付け回しおって」

「出歩くからだろ」

「しでかした失態を帳消しにしなければ、レプラコーンの未来は暗い」

「失態って、吸血鬼を倒せなかったことか?」

「吸血鬼を前にすくんでしまったことだ」

「それか――」

「だから目撃者を始末するのだ」

 ラタヴィルが隼を睨めつけた。

「おれのことかよ」

「――と思ってたんだけど、もっと前向きに」

「ほう」

「吸血鬼を倒してチャラにすることにしたのだ」

「それは良かったよ」

「それなのに、あの天狗たち。吸血鬼探しを邪魔しやがって」

「おとなしく、坂本さん家で待ってればよかったのに」

 そこだ――とラタヴィルが声を荒げた。

「そもそも、なぜジュンの家じゃなかったのだ?」

「いろんな意味で難しかった」

「今日はジュンの家に泊まるぞ」

「決定かよ――っていうか、そのためにおれを探してたのか?」

「違う。ジュンと一緒にいれば、やつがまた来る」

「やつって吸血鬼か?」

 ラタヴィルは頷いた。

「あいつはジュンを狙っている」

 さらりと凄いことを言う。

 確かに二日連続で遭っているが、狙われている――という観点はなかった。

 そもそも、あいつの目はラタヴィルを見てたよな……。

 陽が落ちてきている。

 刈り入れの終わった田が、湿ったような赤に染まっていた。

 仕事を終えた耕運機や天日に干されている稲穂の輪郭が夜に呑まれると、吸血鬼の時間だ。

 自覚はないが、もし狙われているとしたらまた遭うこととなる。

 そんな馬鹿な話はない――と思っていた。

 噂をすれば何とやらは、本当にあった。

 田畑はとっくに過ぎ、電波塔を左に回りこむ。右横には背の高い雑草が生い茂る原っぱがある。

 砂利道がじゃりじゃりと足元で鳴っていた。

 ここを抜ければ舗装された国道だが、影より濃い立ち姿が二人の行く手を遮った。

 三日連続の遭遇であった。

 日暮れを待っていたかのような登場だ。味方の日光は残滓も残さず消えていた。

 ほらね――口には出さないが、ラタヴィルが自慢げに笑う。

 山高帽に手を入れると、さっき使っていた銀の剣を取り出す。

 魔法というよりマジックのように、帽子から長い剣がするすると出てくる。

 幸い、隼もさっきカラス天狗から取り上げた棒を持っている。

(これで何とか決着をつける!)

 隼はそう思ったが――

 瘴気をまとったような輪郭の中で、赤い二つの光芒が隼たちを見ている。

 開いた目には獲物を見つけた歓喜の色があった。

 感じた身の危険に身体が思わず反応した。

 隼は棒を突き出すように構えていた。

 隣ではラタヴィルの剣先も、目に見えて震えている。

 当然だ――逆に隼は冷静になっていく。

 こんな人智を超えた存在。恐くないはずが無い。

 これ以上ラタヴィルに無理はさせられない。

 隼は、ラタヴィルのためにもここで倒すことを決意した。

 吸血鬼は無造作に立っているように見えるが、すぐにでも攻撃に移れる。

 椎葉と対峙した時は違う。彼女は天狗の血を引いていようと人間だ。動きを察知することは出来る。

 しかし彼は気負いも人間的な筋肉の動きも読めない。

 だからこそ、《魔人》だ。

(来る――!)

 六角の棒を握る手に力が込められる。

 しかしゴングは鳴らなかった。

 更なる闖入者がその動きは止めたのだ。

 バイクが近付いてくる。国道側から砂利道をこっちへ向かって――。

 吸血鬼の餌食にさせないためにも止めるべきなのだが、そのライダーは知って来ている――隼はそう感じていた。

 そこからバイクの人物が誰か、おおよその想像がついた。

 夜を切り裂くようなヘッドライトの明かりに、吸血鬼を照らす。

 骨ばった頬骨とせり出た鷲鼻が鬼相を伴って浮かんだ。後ろへ梳き流した長髪も風に踊り、何百匹もの蛇がうねっているようだ。

 獣じみた姿は、紳士と呼ぶには程遠いが、吸血鬼だ。

 バイクの運転手は降りるとヘルメットを取った。

 襟足がおかっぱの形にふわっと広がった。

 車体の横から日本刀を取り出すと、ライトをつけたまま近付いてきた。

 逆光だが、そんなに高くない身長とおかっぱの頭がシルエットは、隼が予想した通りの人物であった。

「また会ったな」

 誰に向かって言ったのか――

 赤垣は日本刀を抜き放った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る