第8話

 大きな口であくび――

 その度に魂も抜けてるんじゃないかと思えるほど眠くなる。

 さすがに授業中は控えているが、休み時間は耐えられない。

「何? 夜遊び?」

「ある意味ね」

 千尋はそれだけで納得してくれた。

「由起子さんと優ちゃんね」

 千尋は空いている隣の席に座った。

 さすがにつきあいが深いだけあって、全てを理解している。

 誤解のないように説明すると、隼と千尋は幼馴染という肩書きで繋がっている。

 幼稚園からずっと同じクラスだ。

 小学校時代の、二年ごとにあるクラス替えをも乗り越えた。

 だから《腐れ縁》の方がしっくりくる。

 橘家とは家族づきあいもあり、男子と女子の垣根は無いに等しい。

 だから、泊まりに来たこともあるから、由起子の晩酌と優の宵っ張りは、千尋にとって周知の事だ。

 ご飯の後、優のテレビゲームの相手をさせられ、それを由起子が後ろで見学しながら、時々酌を隼に要求する。

 いつ終わるとも知れずにつき合わされ、ふ――と急に二人は寝室へ引っ込むのだ。

 隼は後片付けをしてから床に就く。

 次の日の朝。仕事へ行く由起子はともかく、単位を取ればいいだけの大学生の優まで、隼よりも早く出て行くのだ。

 世の中の七不思議だ。

 これは千尋も同意してくれる。

 また誤解を受けないように補足しておくと、彼女の泊まりの目当ても隼ではなく、由起子と優だ。これに関して、隼に異論はないし、歓迎すべきことでもあった。

 その日だけは隼は解放され、早く寝ることが出来る日なのだから。

 ところが、最近はお泊まりも減り、夜の自由も減っていた。また来て欲しいところだが、さすがに大っぴらには誘いづらい。恋人なんて思われたら大変だ。

 これも補っておくと、千尋が器量が悪いとか、好みじゃないとかの問題ではない。

 ただ単に、女子として見られないというだけだ。

 濃い眉とどんぐり眼、中学から掛け始めたメガネ。

 意外と男子には人気があるらしい。

 だが、隼に言わせると、千尋には《あこがれの君》に勝てる要素はない。

 唯一勝っているのは胸だけかもしれない。

(うん。二回りは大きい)

 隼は伸びをしつつ、ちょっとだけ横目でとその『二回り』を見る。

「うまくいってる? 《あこがれの君》とは?」

 隼はひっくり返りそうになった。

「おま――、お前――」

 引きつった声に千尋はまた笑った。

 千尋は隼の波美への想いを知っている。

 《あこがれの君》と名付けたのは千尋だ。

 千尋の肩越しに波美と目が合う――が、ものの数秒で目を逸らされた。

「あ~~あ……」

 一部始終を見ていた千尋が言った。

 お前が言うな――と隼は心で毒づく。

「頑張ってね、吸血鬼調査隊」

 隣の席の生徒が戻って来たから、千尋は小声で言うと去って行った。

 その背中を見送って、周りに分からない程度にため息をつく。

 吸血鬼調査隊――千尋には男女の楽しい校外活動程度に見えているのだろう。

 もちろん隊長である波美もそう思っているに違いない。

 だが、その初日が濃すぎた。

 隼を吸血鬼と勘違いしたラタヴィルに襲われ、本物の吸血鬼と二度目の遭遇を果たし、更には《あかなめ》の末裔である赤垣まで現れた。

 命からがらに逃げてきたのだ。

 とてものほほんと調査なんかしてられない――。

 それが本音だ。

 隼にとって大事なのは家族だ。あの二人に危害が及ぶことは避けたい。隼に何かあって彼女たちを悲しませることもしたくない。

 ならば手を引くことが一番なのだ。

 しかし、そうすると波美が自分で動くかもしれない。

 あの吸血鬼相手では、普通の人間なら一瞬で勝敗を決してしまう。

 元々波美が吸血鬼に遭遇しないように、隼が矢面に立ったのだ。今更引き下がるわけにもいかないし、波美を守るためにはこのまま続けるしかない。

(ならばどうする――?)

 結論は出ている。

 吸血鬼を退治するのだ。

 そうすれば波美も家族も安全だ。

 隼の勘では、赤垣は吸血鬼を倒せていない。

 共闘も昨晩の様子からは無理だと判断できる。

(そもそも、あの人は何なのだ――?)

 答えが出ない疑問は終了。

 吸血鬼撃退法を思案する。

 授業中を使い、放課後まで考えたが、一人では難しいという結論は出た。

 味方になりそうなのは、レプラコーンのラタヴィル・リールだけだ。

 戦力的には微妙なのは否めないが、彼女は元々吸血鬼狙い。隼の提案を受け入れやすいであろう。

(となると――)

 ちらっと波美を覗き見る。

 本日は波美から声をかけてこない。元々教室で会話したことはないのだから、これが当たり前だ。

 昨晩話したのがある意味初めての会話かもしれない。

 内容はともかく、《あこがれの君》と話した事実だけでご飯三杯もいけそうであった。

 好きな相手と言葉を交わすという行為は、心のオアシスになるな――……じゃなくて、ラタヴィルのことだ。

 隼は何度目かの思考の脱線を元に戻した。

 ラタヴィルの様子を聞きたかったが、波美に声をかける暇もないまま授業は終了し、放課後になった。

 教室を出た隼を波美が追ってきた。

 横に並ぶが何も言わない。不機嫌なオーラがにじみ出ている。

 声を掛けなかったことを怒っているのであれば、それは隼のせいではない。避けていたのは波美の方だ。

 隼はそう感じていたが、本当は違うのであろうか。

(え~~と――)

 隼は掛ける言葉も探せないまま、昇降口へたどり着いた。

 下駄箱は男女で一つ分離れているから、一旦別行動。

 で、外へ出ると、また横に並んだ。

 門へ向かって一分――左手に野球部のグランドが見えてきた頃、やっと波美は口を開いた。

「さ、報告を――」

 声には、やはり硬さがある。怒っているようだ。

 機嫌を取るためにも良い報告をしたいが、吸血鬼に遭遇したけど何とか脱出できました――なんてことは言えない。

「収穫はなし――あの女の子だけ」

「そう。捜査範囲を広げてみようか?」

 隼は頷いた。

 授業中を使って範囲は設定済みであった。川を境に以南、そして商店街から工場地区へかけての一帯で、日中は人が近寄らない場所を探すつもりであった。

 日が傾くまで――と時間を設定したが、夜までに戻れない不測の事態が起こった時の事を考えると、ラタヴィルの力を頼りにせざるを得ない。

「そういえば、あの子は起きてた?」

「知りません。袖篠くんを彼女には会わせません」

「え――どうして?」

「小さい子が好きなの?」

 ラタヴィルは背が低いだけで、隼たちより遥かに年上だ。

 それは波美には通じないだろう。

 質問への返答ではないが、ラタヴィルの情報を引き出すために、

「だって現場にいたんだから、もしかしたら事件に関係しているのかも――って思ってさ。更に深読みすると、彼女が犯人かも――」

 と言ってみた。全く考えていない理由だが、嘘も方便と割り切る。

「昨日、袖篠くんが意見を変えたのは、そう思ったから?」

「もちろん――。他に何かあった?」

 え~~と――と、今度は波美が言いよどんだ。

 言いあぐねていた言葉は、門が近くなった頃、やっと出た。

「袖篠くんは――ロリコンかもって思って――」

 それは考えてなかった。

 というか、普通はそうなるか――。

 今日一日――いや、昨晩からそう思われていたとは、痛恨の事態であった。

「全然違うよ――」

 隼はやっとそれだけを言った。

 波美は何も答えず、うん、うんと頷いていた。

「そういえば、あの子が吸血鬼の可能性があるって言ってたわね」

 そこまでは言ってないし、昨晩会った時に『吸血鬼じゃない』と言ったはずだが、なかったことにして隼は頷いた。

 波美は携帯電話を取り出すと、自宅へ掛けたようだ。

「――あ、吉原さん? 昨晩の子は? え――、何? どういうこと?」

 波美が困った表情で隼を横目で見た。

 ラタヴィルが何かをしでかしたようだ。

 それは想像がついた。

 電話を終えて、携帯電話をもったまま波美が

「あの子、いなくなったって――」

 そう言った。

 それは予想外であった。

「探しに行ってくる」

 波美の返事を待たずに隼は走り出していた。

 失念していた。

 ラタヴィルの目的は吸血鬼なのだ。

 昨日会ったばかりだが、じっとしているような人ではない。

 一対一で勝てる相手ではないことも身を持って知ったはず――なんて思っていたのが甘かった。

 ここ最近まともに思考が働いていない。

(早く見つけて止めないと!)

 当てがあるわけではないが、とりあえず土手へ行ってみようと考えていた。

 門まで一気に走った。

 だが、そこまでであった。

 そこで隼は腕を掴まれ、立ち止まることとなった。

 え――と思っているうちに、隼より高い視線が顔を寄せた。

「袖篠隼?」

 背の高い女性――いやまだ高校生だとは思うが、大人びた印象がある。

 頭一つ背が高い。

 綺麗な弧を描く奥二重瞼と、控えめな鼻と口がバランス良く、上品な顔立ちをしていた。

「そうですが――あなたは? というか、今急いでるんですけど」

 そう言うと、彼女はにやりと笑った。

 とても堅気には思えない笑みだ。

 波美が追いついた。

 どうやら走ってきたようだが、歩いてても変わらないような時間差であった。

 開口一番、

天城椎葉あまぎしいはだ」

 と言った。

 隼の腕を掴んだ背の高いこの女子の名前だと思うが、波美が知っているとは思わなかった。

「知り合い?」

「女子高生モデルよ」

「そうなの?」

 隼は隣の女子――天城椎葉へ同意を求めたが、むっとした表情を浮かべただけであった。

 実に分かりやすい子だ。

「まあ、女子雑誌がメインだから知らなくて当然だがな」

「有名なのに。本当に知らないの?」

「うん、あんまり――というか、全然――」

 に――と椎葉が笑った。

 さっきの笑顔より恐い。

「用があるので来なさい」

 手を引っ張られ、連れて行かれる。

「だから、急ぎの用事が――」

「レプラコーンの彼女なら、大体の場所は把握してるわよ」

 椎葉は隼だけに聞こえるように言った。

 言葉を失った隼はそのまま黒塗りの自動車に乗せられた。金持ちが乗るような長い車体だ。

 袖篠くん――と波美の声がドアに阻まれる。

 ゆっくりと自動車が動き出す。

 隼は後部ウインドウで遠ざかる波美の姿を見る。

「彼女?」

「違いますよ」

 でしょうね――椎葉の声が嘲るように聞こえた。

 後部座席は向かい合うように座る。

 テレビドラマとかで悪人が乗るような自動車――ま、これは隼のイメージだ。

 正面に椎葉が、進行方向に背中を向けて座っている。

 脚がかなり余っているようだ。そのくせ目線は隼より下だ。

 身長差が全て脚ということらしい。

 地味に傷ついた。

 とはいえ、隼は気を取り直した。

「なぜ、レプラコーンの居場所を?」

「まず、そこから訊くのね」

 隼は答えない。

 椎葉には得体の知れなさがある。

 走る隼の腕を掴まえただけで窺える。

 ただの女子が、全速力の男子を簡単に捕らえられるはずがない。

「詳しくは、あたしのおじいちゃんに聞くのね」

「おじいちゃん?」

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