第4話
自分は妖怪の末裔。そして有名な吸血鬼にまで遭っている。
それなのに、妖精の存在は眉唾扱いをしている自分がいた。
手の平サイズの人型で、昆虫のような薄い羽根が背中にあって、鈴のような音を立てながら飛ぶ――これが隼の妖精のイメージ。
ま、それが全部ではないか――と、即座にイメージを払拭。
緑の少女改めラタヴィルを伴い、土手の斜面を下りた。
平らな面へ降り立つと同時に、その容姿をもう一度見直す。
耳が確かに尖っている。
これは気のせいではなかったようだ。
隼には見えていたが、言われてみれば他の人には認識されていなかったようだ。
これほどの奇抜なファッションを無視するのは難しい。
帽子から剣を出すマジックのような現象もある。
よし――と、隼はラタヴィルを妖精と認めることにした。
山高帽を含めても隼の胸までもない少女を引き連れ、遊歩道へ進む。
遊歩道周辺の草は短く刈り込まれ、足を踏み出す度、乾いた硬い音を立てた。
「リールさんは――」
「ラタ。愛称はラタだ」
「それで呼べと?」
ラタヴィルは頷いた。
愛称とはいえ、下の名前で呼べと言われたことと同意だ。
躊躇はある。しかし相手は外人。自分で呼べというなら抵抗も少なくなるから不思議だ。
では遠慮なく――
「ラタは吸血鬼を追っているのか?」
「目撃情報をたどったら日本に着いた」
夕刻はとうに過ぎ、もはや宵の口に入っている。
かろうじて見えている川も、もう間もなく夜闇に包まれ、音だけの存在となるだろう。
誰もいない遊歩道を、隼は高架線へ向かって歩き出した。
隣にラタヴィルが並ぶ。
「もしかしてヴァンパイアハンター?」
「去年からな」
冗談のつもりだったのだが、肯定された。
しかも経歴がかなり浅い。
「吸血鬼って史実通り、十字架が苦手なの?」
「何だ、それは?」
もしかしたら――と試してみたが、隼の勘は当たったようだ。
夕方とはいえ、お日様のある時間に吸血鬼が出歩くはずがない。それなのに隼を吸血鬼と断定した。
つまり全く吸血鬼の知識がないのだ。
史実はフィクションのように語られているが、妖怪モンスターの類いの常識は真実に近い。
そこから考えれば、
「要は勉強不足だ」
と、隼は小さく呟き、ため息をついた。
十分ほど歩くと、遠くに高架線が見えた。
上り電車が通り過ぎていく。
方角的には元の商店街へ戻っている。
右側の土手向こうには、先ほどの国道が走っていた。
しかし川が平行なのは、土手がコンクリートに固められた護岸壁に変わる所までだ。その辺りから土手の向こうはバイパスとなる。
このバイパスは下っていき、先ほどの国道の下を通る形で交差するのだ。
「吸血鬼を倒せば、良い金になるの?」
「無粋な。金なんかのために命を賭けるものか」
「というと、誇りのため?」
踏み込んで訊くと、ラタヴィルが微妙に口ごもる。
「ん、まあ……なんだ――」
「復讐?」
「お家事情だ」
途端にスケールダウンした。
川と遊歩道の境の草が、背の高いススキに変わり、沈黙をさわさわと揺すった。
「とにかくここまで追い詰めたんだ。あと一息、頑張るんだ!」
「標的間違えておいて、追い詰めた――はないんじゃない」
「なんだと」
「おれを間違えたじゃないか」
「それは――……悪いと思ってる……」
「今までも勘違いとかで、まともに吸血鬼と戦ってない――とかね」
ラタヴィルが綺麗な半円を描く目で隼を見た。
アーモンドのような形が大きく見開かれている。
図星だったようだ。
「今度こそ決着をつけてやるからな」
声が裏返った。
(この件はもう触れない方が良さそうだ――)
隼は話題をすり替えることにした。
「日本語上手いね」
「日本に来ていた妖精に教えてもらったのだ」
すり替え成功。ラタヴィルの消沈した感情が浮上してきたようだ。
「日本は狙い目だからな。必死で勉強したのだ。二十年位前に」
「日本に来ていた妖精? 狙い目? 二十年前?」
色々突っ込む要素はあったのだが、訊き返す暇はなかった。
ラタヴィルが足を止めていた。
問いに答えるためではない。
その理由は隼にも分かっている。
正面――高架線の下に、影が仁王立ちになって行く手を遮っていた。
昼間なら高架線の鉄組が詳細に見えるくらいの位置だが、今はもうシルエットのみで存在している。
そのシルエットが落とす影の中で、闇が人型に切り取られていた。
赤い光芒が二つ浮かぶ。
(吸血鬼だ――)
昨晩に引き続いて再会するなんて、どんだけ世界狭いんだよ――と、見えない誰かを罵っても始まらない。
隼の中では『逃げる』の一手しか思い浮かんでいなかった。
後は、『一人で』なのか、『二人で』なのかの違いだ。
さっきは隼にあしらわれたが、本当の敵を前にラタヴィルの本当の能力が開花、戦闘力がアップ――なんてことになれば、一人で逃げても罪悪感は少ない。
そんな期待を込めてラタヴィルを見る。
脅えた目が隼を見返してきた。
目だけではなく口も大きく開き、膝もがくがく震えている。
吸血鬼を前に圧倒されているのだ。
ほぼ人間の隼でも感じ取れるプレッシャーだ。妖精のラタヴィルになら、この感覚はまともに受けたら、押し潰されてしまうのは当たり前かもしれない。
『一人で逃げる』はなくなった。
どうやって二人で逃げる――隼が頭を切り替えた刹那、吸血鬼が動いた。
雑居ビルを飛び越えられる脚力だ。十数メートルの距離は一瞬で詰まる。
狙いは――
隼ではない。
ラタヴィルだ。
右横の少女へ飛び込ぶのと、吸血鬼の左の裏拳が唸りを上げたのが、ほぼ同時であった。
当たったらラタヴィルの頭が吹っ飛ぶくらいの腕力が、隼のすぐ上を通り過ぎた。
風圧でさえ、皮を剥ぎ飛ばしそうなほどだ。
ラタヴィルを抱えたまま隼は地面すれすれで、無防備に腕を広げた吸血鬼と交差する。
ほぼ無意識であった。
倒れ、浮いた状態から、左足を振り上げた。
靴底で吸血鬼の顎を押すように。
――と、吸血鬼の身体が宙へ舞うように吹っ飛んだ。
人皮を被せた岩のような感触を足に感じた瞬間、隼も弾かれるように地面へ落ちていた。
ラタヴィルを抱えたまま背中を地面に打って、一度バウンドし、意識が飛びかけた。
今、気を失うわけには――と、痛みを無視し、すぐに立て膝で起き上がった。
吸血鬼は地面へ落ちた所であった。
ざん――と音を鳴らし、バウンドして更に元いた方へ飛んでいった。
ラッキー打に近かったが、いわゆるカウンターだったのだ。
これでダメージを与えられれば逃げ切れる――
そんな隼の期待は脆くも崩れ去る。
二度目に地面へ打ち付けられた瞬間、跳ね返らず、びたっと立ち上がったのだ。
勢いを無理矢理止めたため、大きく反り返っている。細身の二本脚で反りに耐え、ぐうっとバネ仕掛け人形のように身体を起こした。
(ダメージなしかよ――)
赤い目が歓喜に灯った。
何故かは分からないが、そう感じた。
腕の中のラタヴィルは気を失っていた。恐らく、吸血鬼が迫った時点で意識が飛んでいたのだろう。
気楽なヴァンパイアハンターだな――そんな愚痴くらい許される状況だ。
二人で助かる道を思案する。
もし『あれば』の話しだ。
自虐的で廃退的な考えしか浮かばなかった。
ざり……ざり……吸血鬼が砂を鳴らして近付いてくる。
その時、高架線から降ってくるように、もう一つの影が下りてきた。
毛先が扇形に広がった、おかっぱ頭のシルエットがまず目に付いた。背丈や細身の身体から少年かとも思ったが、醸し出す雰囲気が大人だ。
手には日本刀が持たれている。
「オレは
影が名乗った。
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