第3話
失血死による猟奇殺人は、一昨日に二件、昨日にも二件と、驚きの早さで起こっている。
噂はそれ以上の速度で浸透していた。
一女子高生が知っているくらいだ。情報は溢れていて、隼でも簡単に入手できた。
犯罪現場は、道路拡張の工事現場、スーパー裏の従業員駐輪場――これが一昨日。
マンションの非常階段下、雑居ビルの屋上――これが昨日だ。
時系列にすると雑居ビルの屋上が最新の現場で、死亡推定時刻は午後六時。つまり、隼が遭遇した時の被害者ではないことが分かる。
『只者ではない人』は上手く逃げ切れたのかもしれない――と、隼はほっとした。
あのくらいの猛者でなければ、逃げ切れないのだ。自分では逃げ切れる自信がないため、早々に調査を終わらせようと思い立った。
全ての現場で、まだ警察が現場検証しているため、全く近付けなかった。
近付けない理由は警察ではなく、野次馬の方にあった。
周囲を覆う人だかりのせいで、ブルーシートが僅かに覗けるくらいだ。
オカルト好きはこんなにも多いのかと隼は辟易したが、自分もその一人に過ぎないのだ。
萎えた気持ちを抱えたまま、次の現場へ移動する。
しかし、これほどの猟奇事件ならば、警戒が促されるはずなのに、全くそういう情報は耳にしていない。
(よほど戒厳令を出すのがイヤなのだな)
警察のプライドが垣間見えた気がした。
相手が吸血鬼では気をつけようがないのだが――……隼はふと閃いた。
「もしかして犯人が吸血鬼と知っている?」
口にしてみたが、そんなバカなと思う自分と、否定しきれていない自分を持て余すだけであった。
隼は一番直近の遺体発見現場へ到着した。
さすがに、ここも野次馬だらけであった。
アイドルの出待ちにも見えるが、オカルト絡みの先入観からか、空気の澱み方が異質だ。
現場は角地のくすんだベージュ色の雑居ビル、見立てでは築二十年ほどだ。四階建てで、看板によると四階は空きテナントらしい。
その屋上で死体は発見された。出入り口には鍵がかけられていたという。
犯人だけなら隣のビルから侵入できるだろう。
なら被害者はどうやって連れてこられたのか?
犯人と一緒に来たという可能性は高いが、現場には争った形跡はなかったという。
となると、犯人が虫の息の被害者を連れて来た結論になるが、疑問は戻る。
どうやって被害者を抱えたまま屋上へ侵入できたのか――だ。
そして、犯行後、犯人はどこから逃げたのか――。
(と、まあ、周囲の会話から拾ってみたが……)
人間には無理だが、吸血鬼なら可能な犯罪であった。
現場一厚い人の輪をかきわけて行っても、これ以上得るものは何もないだろうと、隼は調査を終了することにした。
自転車から降りてもいない。
だが『来た』という事実に代わりはない。
何もありませんでしたという報告も、嘘ではないから気が楽であった。
(坂本さんとの接点がこれで喪失するってのが残念だな――)
輪を遠巻きに見ていると、同じく外れた位置に立つ人物に気付いた。
身長は小学低学年並みの女子だが、子供ではない。
勘ではあるが、隼はそう思った。
蛍光グリーンのベストとスカート、同じ色の山高帽という派手さに、誰も気が付かないことも気になった。
夕陽の残滓があるとはいえ、まだ太陽が沈みきっていないのだから、彼女が吸血鬼のはずがない。
その結論から気が楽になり、正体を確かめたいという興味へ転じていた。
その子が隼の視線に気付いた。
間延びした表情が引き締まる。
不躾に見過ぎたから――というわけではない。
隼を推し量るような目には、照れや不快は含まれていない。
ギラギラしたものが感じられた。
そんな視線を残しながら彼女は踵を返す。
緑色の背中が川の方角へと歩き出した。
隼は、馴染みの酒屋に自転車を預けると、その緑色を追った。
国道は帰宅ラッシュの時間帯だ。下り車線のみが混み合っていた。
高い建物のない国道は、夕日が直に照らしてくる。
ヘッドライトでは夕闇に勝てない時刻であった。
この濃い橙はすぐに空気と溶け合う。ヘッドライトが勝てば夜だ。
緑色の山高帽は、橙に滲むように浮き上がっていた。
国道をしばらく進んでいると、空気が涼やかになった。
川が近い証拠だ。
隼の住んでいる街は川が多く、どこを歩いても川へ行き着く。
この国道も、今は川と平行に進んでいるはずだ。不確定な言い方は、隼が歩いている位置からは見えないことを意味している。
国道沿いにはドライバー目当ての飲食店が並んでいるが、立地的に駐車スペースがだだっ広い。歩道から店まで優に十メートルは離れ、川は建物の更に向こうにあるのだ。
金網が境界線となっているが、国道と川は地続きにはない。金網のすぐ下は土手になっており、その土手の分の高低差が発生していた。
つまり、距離と高低差――これが川への視界を奪っているのだ。
道は緩やかに、しかし大きくカーブして、一キロほど先で右へ曲がっていく。
今は平行に並んでいる川を跨ぐことになるのだ。
(どこまで行く気だろう?)
隼は小さい背中を見ながら思った。
このまま川を渡って隣町まで行くつもりか。
尾行というほど本気で尾行はしていない。
彼女は隼がついて来ていることを知っているからだ。
それでも逃げる素振りも、尾行を撒く素振りも見えないからには、近いうちにアクションがあるはず。
心の声が聞こえたわけではないだろうが、山高帽のシルエットが歩道を逸れていく。
もはや緑色というより、夕陽色に見える少女は、ゴミだらけの駐車場へ入っていった。
向かう先には、一階のみの店舗がぽつねんと立っている。
斜陽に押しつぶされ、窓の中は真っ暗で、看板も沈黙したままだが、前衛的なスプレーの落書きを無視すると、かろうじて元がラーメン屋だったことが分かる。
駐車場を渡り切り、彼女は迷いもなく、元ラーメン屋の裏手へ入っていった。
国道からは全く見えない位置だ。
誘われてるな――隼は思った。
普段なら危うきには近寄らない隼だが、緑の少女には危険なものは感じなかったせいか、興味を抑え切れず、その誘いに乗ることにした。
空き缶や紙くずが散乱する駐車場へ足を踏み入れる。
自分のテンションが異常であった。
《あこがれの君》と初めてまともに会話したせいか、それとも接点ができたことが嬉しかったのか――普通の男子高校生の高揚が認められる。
なんて、他人事のように分析していた。
こういう思考自体が異常なのだが、それを抑制する間もないまま、建物まで達していた。
店の裏側へ回る。
左側には金網フェンス、右側は薄汚れた壁が一メートルほどの隙間を作っていた。通用口も見え、休憩時間に従業員が煙草を吸ってくつろいでいるのが容易に想像できた。
フェンスは奥側で行き止まりになっている。
緑色がその手前でこちらを向いて立っていた。
両手を組んだ偉そうなポーズで、不敵な笑みまで浮かべている。
やはり子供ではない。胸の膨らみでは判別はつかないが、顔つきと雰囲気は大人のそれだ。
よくよく見れば、外人であった。
だから大人っぽいのかもしれないが、幼女のサイズで少女の顔付きだ。
上を向いた鼻も、くりっとした目も、線の細さはなく、成熟し切った作りをしていた。
山高帽から溢れる髪の毛は背中まで伸び、夕陽にきらきらと輝かせていた。
気のせいか、耳が尖っているようだ。
「来たな、吸血鬼!」
緑色から流暢な日本語が聞こえた。
――でも意味は分からない。
「吸血鬼――って、おれのこと?」
「他に誰がいる」
「いないから訊いてる。おれが吸血鬼なはずないだろ」
「気配を消しているアタシを見抜いてるじゃないか」
「気配――? 消えてなかったぞ」
「吸血鬼のくせに愚弄するか」
「へ?」
会話は成り立つが、時折置いていかれる。
「どう言えば伝わる?」
山高帽を外すと、顔がにやりと歪んだ。
「アタシの鼻はごまかせないよ」
言うや、山高帽へ手を突っ込んだ。
手を引き出すと、剣がするすると現れた。
持ち手の柄が長い剣だ。更に刀身も長い。薙刀のようでもあり、槍のようでもあり、どれにも属さない武器であった。
「というか、帽子に入る長さじゃないだろ」
緑色の小さい少女は帽子を被り直すと、剣を構えた。
ギラギラした目で、覚悟しろ――と言った。
「違うって言ってるでしょ!」
「吸血鬼は皆そう言うんだ!」
ざっと音を鳴らして、緑色が迫る。
「そんな訳あるか!」
隼は毒づくと、金網フェンスへ跳んだ。網に足を掛けつつ、フェンスの柔軟さを利用し、更に上へ跳ね、ラーメン屋の屋根に飛び乗った。
高所からの視界を一瞬で把握する。
金網の向こうには川――
その川岸から原っぱが広がり、遊歩道を経て、草の生い茂る土手がフェンスまで続いている。これは記憶通りだ。
緑色のジャケットを揺らし、少女は勢いに乗せて金網を駆け上ってきた。
隼は、彼女が頂点へ達するより先に、屋根を蹴って跳んだ。
山高帽の遥か上を、フェンスごと飛び越える。
長剣の切っ先よりも高く弧を描き、斜面へ着地した。
背の高い草を掻き分け、片足を踏ん張ってスピードを殺し、土手の途中で制動をかけた。
隼に踏まれた草が抗議するように、青臭さを空気に混じらせた。
追ってくる気配に、隼が振り向くと、
「きゃああああ」
悲鳴と共に、紫色の空から小さい影が降ってきた。
隼は思わず受け止めていた。
それほど重くはないが、落ちてきた衝撃を分散させるために重心を落とした。
それでも少しだけ、その姿勢のままずり落ちた。
落ち着くのを待って、隼は自分が受け止めたものを見下ろした。
想像はついていたが、緑色に包まれた小さな少女であった。眼をつぶり、身を縮こまらせた状態で、隼の両腕に収まっている。
(どうしよう――)
対処に困ってしまう。
お姫様抱っこで動けずにいると、山高帽の下で、目がゆっくりと開かれた。
位置的に目が合うのはしょうがない。彼女の頭が一生懸命に状況を把握しようとしている。
「吸血鬼のくせに!」
はっとした表情の後、顔を真っ赤にしてそう言った。
意味はやはり分からない。
「違うって言ってるでしょ」
隼の弁解は全く彼女に届かなかった。
緑の少女は暴れた挙句に、隼の胸を突き飛ばして跳び降りた。
着地すると同時に、土手の上側へと距離を取った。
「覚悟しろ!」
構えたその手には何もなかった。
あれ――? あれ――? と、少女は辺りを見回し始めた。
夜は暮れの時刻を急速に通り過ぎる。
あっという間に影が濃くなった土手での探し物は、容易ではない。
次第に泣きべその表情へ転じていく。
そうなると、見た目に合った幼女の顔付きになってくる。
隼は小さくため息をつくと、頭を巡らせた。
さっき彼女が飛んできた時、右側へ光る何かを捉えたことを思い出した。
草をかき分け、土手の斜面に沿って右へ向かった。
十メートルほど離れた場所で、ススキらしい群生に埋もれた刀剣を見つけた。
隼がそれを持って戻ると、ふてくされた表情の少女は、同じ所で待っていた。
長い柄の先端を彼女に差し出す。
持ってみると、その長さを実感する。
柄の刀身側を持っているが、まだかなり残っていた。拳五つ分の長さだ。
緑の少女は、隼と剣を交互に見返し、逡巡した後にやっと受け取った。
「本当に吸血鬼じゃないのか?」
「何を根拠に――」
「お前から血の臭いがするんだ」
「血――?」
隼は腕の匂いを嗅いでみる。嗅ぎ慣れない香りが鼻をくすぐった。さっき受け止めた時についた、少女の香りだ。
エキゾチックな上、攻撃的であり、それでいながら柔らかさが混じり合って、意識が飛びそうに……いやいや――頭を振って思考を戻す。
今朝だってシャワーを浴びているし、着ている洋服も違うが、『血』から連想できるのは昨晩のことしかない。
「昨日遭ったからかもしれないな」
少女が山高帽に刀剣を収めていく。
さっきも見たが、不思議な現象であった。
三十センチの高さがある帽子だが、一メートル越えの剣がするすると消えていく。
帽子を被り直すと、少女は会話を戻してきた。
「誰に会ったのだ?」
「吸血鬼にだよ」
緑の少女は驚きの表情を隼に向けた――が、すぐにくしゃくしゃと顔を歪め、ついには笑い出した。
「――どうした?」
「お前のような子供が、吸血鬼に遭遇して無事なわけがなかろう」
と、笑いながら言う。
背の差は無視し、見た目で判断すると、自分とほぼ同年代の子に、『子供』と言われるのは納得できなかった。
「君は――」
「ラタヴィル・リール」
「え――?」
「アタシの名前だ」
「そう――なんだ」
抗議するつもりで切り出した言葉だったのに、自己紹介で返された。確かにまだ名乗ってもいなかった。
「おれは袖篠隼」
「ジュンか。よろしくな」
「いきなり呼び捨てかい」
「アタシは見た目通りの妖精だからな。丁重に扱った方が良いぞ」
「妖精?」
「レプラコーンという種族だ」
と、妖精を名乗る緑の少女――ラタヴィル・リールは胸を張った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます