第2話

「犯人は吸血鬼よ、絶対」

 豪語する声が、戻ったはずの隼の日常を揺るがせた。

 次の日、休み時間の教室で、偶然耳に入ってきた会話だ。

 本音を言えば、偶然ではない。

 休み時間を潰すように本を読む――フリをして会話に耳を傾けていた結果だ。

 変態じみていて、あまり公表は出来ないことだが、彼女の声を聞くのは隼の日課であった。

 彼女とは《あこがれの君》のことで、吸血鬼の名を出した声の主である。

 《あこがれの君》こと坂本波美さかもとなみを、隼は中学の時から知っている。

 クラスは別だったのだが、恋心を抱いて三年は経つ。

 事あるごとに偶然を装って姿を見に行っていた中学時代。

 高校生の今は、同級生へランクアップしている。

 教室にいるだけで、その動向を見守れるのだ。こんな幸運はない。

 立派なストーカーだな――と自嘲気味に思っても止められなかった。

 波美は美人ではないが、シンメトリーでまとまった顔付きも、女の子前面押しではないのに女子力高めの性格も、全てが隼の好みにドストライクであった。

 《あこがれの君》というのは、隼とは腐れ縁の橘千尋たちばなちひろがつけたあだ名だ。当然の如く、隼と千尋の間でしか通らないものであった。

(それにしても――)

 隼は困ってしまった。

 ここ数日に連続殺人事件が起こっていることは隼も聞いていた。

 『口が噛み千切られ――』とか、『血を全て吸われ――』とか、『遺体はミイラのようで――』など、断片的な情報や噂でしかなかった。

 そこから吸血鬼を導き出した波美の推理は、見事にオカルト寄りで、日常からは大きく外れたものであるが、当たっているから始末に悪い。

(あの吸血鬼が一連の殺人犯だ――)

 隼もそう思っている。

 一時間目が終わったばかりの休み時間。

 まだ朝の気だるさから抜けきっていない空気が、教室だけではなく廊下からも漂ってくる。

 男子女子と交互の列に席を配し、波美は隼の隣の列だ。位置的には二つ後ろに座っている。前の席に友達がいるので、自席で休み時間を過ごしている。

 つまり緩やかな喧騒を縫って、波美の声を耳にするのは容易いということだ。

 しかも場所を移動する必要もない。

 そんな幸せの時間に、隼は時々自分を御し難くなる。

 犯罪的に――ではない。

 彼女の会話のほとんどはオカルト系だ。

 時々オカルト過ぎて、周りを困らせるほどに。

 隼もオカルトが好きだから、聞いていて楽しいのだが、間違った解釈が耳に入る度、口を出したくなるのだ。

 会話に参加するわけにはいかない。

 ぐっと堪えてきた。

 恥をかくのが目に見えているからだ。

 《あこがれの君》の前では、色々な意味で気後れして、二の足を踏んでしまう。

 第一の理由。

 それは『緊張』だ。緊張により会話がおぼつかなくなるのだ。

 最後に話したのはいつだろう――?

 すぐ思い出せる。

 三日前、三時間目の休み時間だ。

 『四月なのに暑いね』という波美に対し、『うん』――それだけであった。

(他に言葉があるだろうに!)

 三日経った今も、隼は悔やんでいる。

 そして第二の理由。

 それは隼本人がオカルトだからだ。

 妖怪の末裔がオカルト好きでも問題はないだろうが、『幽霊はいるか、いないか』――なんて談義はナンセンスに思えてしょうがなかった。

 結局、接点は会話の盗み聞きという一方通行のコミュニケーションで留まっていた。

 今回も賛同するわけにいかず、隼は聞き流すことにした。

 ところがだ――

「ねえ、由美子、一緒に調べてくれない?」

 波美はウキウキとした口調で言った。

(なんと――?)

 対照的に、隼は心で唸った。

 犯人を追うということは、吸血鬼と遭遇する可能性を示唆している。

 波美が正解を知るのは自分の死と直面した時だ――なんて冗談にもならない。

 迷いに迷った。

 かける言葉をシミュレートし、戻ってくるであろう言葉を連立させた。

 その中には、目も当てられない内容も含まれている。

 心のダメージを想定しておくのだ。どれだけ辛辣な返事でも耐えられるように。

(よし――)

 隼は意を決して、本を閉じた。

 偶然耳に挟みました――そんな面持ちでその会話に割り込んだ。

「坂本さん。それは危険だから止した方がいいよ」

 隼を見て、波美の動きが止まった。

 前の席で振り向いていた彼女の相方――由美子も隼を見たが、不愉快そうな表情が浮かんでいる。

 どんなに繕っても、会話の盗み聞きはバレバレだ。

 更に女子トークへの割り込み――ともなれば、引かれて当然だ。

 隼は、早くも声をかけたことを後悔していた。

「どうして?」

 問う波美の声は硬い。どういう感情を抱いているか、そこからは読み取れない。

 切り出した以上、責任を取ろう――と、隼は続けた。

「だって、吸血鬼かどうかはともかく、猟奇殺人なのは確かじゃないか。女の子がそんな危険を冒しちゃダメだよ」

 ここまでが隼の限界だった。

 澱まずに答えられた自分を褒めたかった。

 しかし、会話は止まっていた。

 言い終わって隼は目を逸らしてしまっている。

 波美の様子が見えないことが、逆に恐怖であった。

 教室は静まり、廊下から漏れてくる生徒たちの声が静謐を強調した。

 し~~んが痛い。

 もう『何でもありません』と口走る寸前であった。

「じゃあ、君を調査隊員に任じます」

 波美の声が止まっていた時間を動かした。

 急にいつもの休み時間の騒々しさが戻る。

 静けさは精神的なものだったらしい。

(良かった、良かった――)

 隼は安心した。

 同時に、言葉が思考を追ってくる。

(調査隊員って何だ――?)

 意味が分からず、疑問を一声で返していた。

「へ――……?」

 それに対して波美は、

「わたしはダメでも、君なら良いでしょ」

 と、当然という口調で言った。

「おれなら良い理由が分からないけど」

「だって拳法の達人なんでしょ」

「なんでそれを――」

 学校では明かしていない事実だが、それを知っている人物に心当たりがあった。

 一人だけいるのだ。

 視線を犯人に移す。

 千尋だ。

 彼女と隼の関係を一言で表せば『腐れ縁』だ。

 親が知り合いだったことから、幼い頃より見知った仲である。

 それだけならまだしも、強力な縁は、幼稚園から高校一年生となった今でもずっと、同級生として隼と千尋を繋げている。

 ここに男女としての甘酸っぱい出来事が加味されれば、『幼なじみ』と称してもいいのだろうが、残念ながらムダに付き合いが長いという関係でしかない。

 つまり、他の男子には『メガネ巨乳』というカテゴリーで人気があろうと、千尋は隼にとっては扱いがぞんざいな『腐れ縁』なのだ。

 当然千尋も隼を男と見ておらず、かなりオープンであった。

 というか、パーソナルエリアへの侵入が不躾過ぎて、身体だけではなく、心にも接近し過ぎる傾向があった。

 片想いの相手に気付かれてしまったのもそのせいだ。

 しかも、余計な世話を焼いたりするのが厄介で、どうやら隼の情報を横流ししているようだ。

 隼の視線に気付き、にいっと口元で笑った。

 でかしたでしょう――メガネを掛けたタヌキ顔はそういう表情をしていた。

 今すぐに小一時間ほど説教してやろうかと思ったが、波美の声がそれを引き止めた。

「とにかく相手は吸血鬼だから、気を引き締めて」

「あ――……はい」

「今日から調査をよろしく。報告は毎日してね」

 目の端で千尋が、自席から振り返り、親指を高く上げた。

 千尋に対しての怒りが限界へ達したせいで、波美への返答は曖昧なものになってしまった。

 授業開始のベルが鳴った。


 かくして、なし崩し的ではあるが、隼は波美と《吸血鬼調査隊》を組むこととなった。


 その名前は後から波美が決めたもので、隼には全く意見を求められなかった。

 何をする集まりなのか――。

 大した説明もなく、今もよく分かっていない。

 ただ、隼が事件へ再び関わらざるを得なくなったという事実が、ここにあった。

 しかし吸血鬼との遭遇は忌避すべきだ。今度も見逃してもらえるとは限らないのだから。

 波美との繋がりが切れるのは忍びないが、やり過ごした方が良いと勘が告げている。

 ということで、

(ただ現場を巡って『何もなかった』と報告して、満足してもらおう)

 隼はその程度に考えていた。

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