第32話 蛙と蛇⑮
「牧場主を使ってメメーをけしかけさせた甲斐があったね」
「……」
そう思うでしょ、リゼ? と何ともない風に首をかしげているエリンを前にして、私は引きつった笑みを浮かべる。
こいつ、エグいことさせるなと思ったのだ。
メメーは金になる動物。肉も毛も、骨だって有効活用できる。有体に言えば金のなる木だ。
それをフロッガーの群れにけしかけるとは、この牧場にどれだけの損失を出させるつもりだったのか。考えると頭痛がしてきた。
しかし、ある意味人を率いる者としてみれば正しいのかもしれない。何を取って何を切るか。
損得を見極め実行する。今回はメメーであったが、時には人を切り捨てることもあるだろう。
いざという時に躊躇するようでは、水の都の頂点には立てないのではないだろうか。
おっと、牧場主が近づいてくる。
騒ぎが収束したのを察したのだろう。フロッガーの餌食になったのは気の毒なことだ。そしてエリンに迫られたのも不憫に思える。
こいつは歩く災害。いや、常時発動の設置型火炎魔法だろうか。
よし、そんな気の毒な牧場主を私が労ってあげよう。向こうも侯爵令嬢には話しかけずらいはずだ。
いつも通り、外面モードの笑顔を張り付けて頭を下げる。
「メメーの件、感謝します。褒美については――」
「ひぃッ……」
何だそのおびえた顔は。
「……褒美の件ですが」
「ひやぁッ、すいませんすいません………」
牧場主は化け物を見るような目を取り繕えず、悲鳴と共に尻もちをついた。立ち上がらせようと私が一歩進むと、牧場主が後ずさる。
「……」
外面以前に、既に目の前で素を出しまくっていたわね。
都では奔放な令嬢に仕える苦労性の魔女、という設定になっている。都の男の子の初恋を奪い、女の子の永遠の敵である美女、という設定もあった。
しかし、今回の一件で主に悪態をつくという真逆のイメージを見せつけてしまったのだ。ビビられるのも無理はない。
だが癪に障るものは障る。それに噂を流されでもしたらたまらない。こいつはしっかり言葉で、説得しないと……
「私の指示を完璧にこなしてくれたね。主として鼻が高いわ」
険悪な空気を醸し出した私を止めるようなタイミングでエリンが口を挟んでくる。
ここで丸め込まれるほど軟ではない。しっかりとこいつには落とし前を……
「カルクさん、ウチの従者がごめんなさい。とても、めちゃくちゃに怖いけどね、悪い人じゃないの」
「何を……」
「で、ね」
変なことを言うんじゃないと口を挟みかけたが、続いたエリンの言葉に口を閉じる。
「協力の褒美についても話したいのですが、まずは先に……」
エリンが侯爵令嬢らしく、貴族の雰囲気を纏わせている。先ほどまでの、牧場主に謝罪をしていた女の子という感じは霧散していた。
珍しいこともあるのだなと思ってしまう。
「フロッガーの一件について一からすべて教えてくださる!?」
水杖を放り出し、牧場主に迫ったエリン。水杖は泥に塗れている。
そんなことだろうとは思ったわ。
前に積まれた大量の書物によって開けることの叶わない日除け。
机の上、床、そして棚の中まで書類で溢れている室内。
それら全てが王国の重要事項であるはずなのだが、その事実を感じさせないほどに雑に扱われてしまっている。
現に今も部屋の主は居眠りをしながら、枕にしている書類の束によだれを垂らしていた。
「所長、お茶をご用意いたしました」
ノック、そして主の返事を待たずに扉を開ける従者。床に散らばる書類には目を向けず、普通に踏んで主の元へ。
薬用の容器に入ったお茶を机に置き、主の肩を掴んで力強く揺らす。
「……所長はやめてくれないかね。レジィちゃんでいいのだが」
のそっと体を起こし、よだれを袖で拭ったレジィが言う。
「……レジィ様」
「硬いね、君も」
「所長よりかは」
従者は短く答えてレジィに背を向ける。お茶は届けたので用は済んだと言わんばかりだ。
「アハハァ、そりゃぁそうだ」
レジィは外面で話す時よりも底につくような声色で笑って従者を見送る。
「……おや」
レジィはふと気が付く。よだれのついた書類を手に取って確認した。
「エリンワース、そしてリゼ。今頃はどうしているのだろうね」
うつむきかみ殺すようにクツクツと笑い、もう一度口を拭う。
「そこで満足しないでくれ。君にはもう少し育ってもらう必要があるからねぇ」
レジィはよだれのついた報告書を火魔法で灰にし、立ち上がった。
「楽しみだ。楽しみだよ、エリンワース嬢。アハハ……ァ?」
勢いよく立ち上がったことで右手が薬用の容器に触れたらしい。机の上の書類がお茶でぐちゃぐちゃになった。
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