第5話 偽貴族、アルバート①
エリンは怒りで顔を歪ませているアルバートの前に出ると、さらにもう一歩踏み込んだ。
アルバートの気迫は凄まじく、周りにいる住民は気圧されてしまっている。しかし、エリンはそのような様子をおくびにも出さず、むしろ勝気な笑みを浮かべていた。
――実際のところ、本当に気圧されていないのだろう。恐怖を感じることもなく、この状況を楽しんでいる節さえある。
「貴様、どういうつもりだ」
アルバートは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、左腰に差した剣の柄に手をかけた。そして言葉を続ける。
「俺が剣を抜いたら、お終いだぞ」
「さぁ、どうかしら?」
エリンは大げさに肩をすくめて見せた。その様子にアルバートの目がより一層鋭くなる。
実際、アルバートの言っていることは正しい。二人の距離は既に剣の間合いであり、油断できない状態になっていた。むしろエリンが危ないまである。
柄に手をかけているアルバートに対して、エリンは帯剣すらしていない。
じゃあどうするのか。一般的に剣の間合いにおいて、剣を使わずに勝負をするためには徒手空拳の心得が必要になってくる。
しかし、エリンには素手で戦う能力がない。武器は私と同じく魔法一本だ。
この状況下――目と鼻の先に相手がいるこの距離感では、エリンのような魔法使いが剣士に勝つことは非常に難しい。
それはなぜかというと、魔法を発動する前に斬りかかられてしまうからだ。剣の間合いで魔法使いに詠唱の猶予を与えてくれる剣士はそうそういない。
「調子に乗ったその言葉、忘れるなよ。絶対に後悔させてやる」
アルバートは我慢ならなくなったのか豪快に剣を抜くと、見せびらかすようにして正面に構えた。
ぬらりと輝く剣を前にして、ガヤガヤと騒ぎ立てていた野次馬の中から悲鳴が上がる。
無理もない、と思った。私だって驚いたのだ。一般市民には刺激が強い光景だろう。しかし、私と野次馬では驚きの種類が違うかもしれない。
野次馬は野ざらしになった剣とそこから想像できる惨状を恐れ、驚いた。
私は往来で貴族が貴族に対して剣を抜いたことの意味を知っているからこそ、驚いた。
アルバートは脅しのつもりで柄に手をかけたのだと思ったのだけれど、まさか本当に抜いてしまうとは……
「アルバート。貴族が剣を抜くことの意味、分かっているのかしら?」
エリンは信じられない者を見るように目を見開くと、大げさに口に手を当てて見せる。
「侯爵家風情が偉そうにモノを語るからだ。貴様こそ常識を学びなおしてくると良い」
汚物を見るような視線をエリンに向けるアルバート。しかし、エリンはどこ吹く風で言葉を返す。
「その言葉、そっくりそのまま返すから。痛い目見たくなかったら今すぐ私に頭を下げること。その後はしっぽ撒いて逃げて当主様に泣きつきな!」
エリンの言っていることが理解できなかったのか、数舜沈黙していたアルバートだったが、みるみるうちに顔を真っ赤に染めると唾を飛ばす勢いで叫ぶ。
「先ほどからの生意気な言葉、もう我慢の限界だ。貴様の首、斬り落としてくれる!」
アルバートが放つ殺気が高まるのを感じた。剣の柄をぐっと握り、腕の血管が浮かび上がる。
「エリン様!」
エリンの「大丈夫だから」という言葉が頭をよぎるが、そうも言ってはいられない。本当に死なれてしまっては困る。
私は咄嗟に右手を前に突き出すと、手のひらに魔力を集中させた。
「俺はアルバート・カイベルク。貴様を討つ者の名だ、忘れるで――」
「
私の茨の魔法が発動するより数舜も前、剣の間合いにいるのにも関わらず詠唱を終えたエリンが魔法を発動させた。
強烈な魔力がエリンを中心にして放出され、放射状に広がっていく感覚。私はそれを肌で感じ取った。それと同時、エリンの魔力にあてられた私の茨の魔法が
「うっ……ごほっげほっ、かはっ」
突如目の前に現れた暴発煙を吸い込んだことによって、激しくせき込んでしまう。最後には胃を逆流する気配に襲われ、
……暴発煙の味を味わうのは久しぶりだ。
魔法の練習を始めたころは、記憶の奥底に味を刻み込まれるくらいまで魔法を暴発させたものだったが、久しくそんなことはなかった。
不純物が混ざり雑味のついた魔力を直接取り込むような不愉快な味と感覚は、いつ体験しても辛いものがある。
「――それよりも、エリン様! エリン様!」
暴発煙を手で振り払うも、思ったように煙が消えてくれない。焦れた私は苦手な風魔法を発動した。
そよ風のような風魔法によって、暴発煙が流されていく。それと同時、エリンの声が聞こえた。
「いっちょ上がり!」
その後、暴発煙はほどなくして完璧に消え去った。視界がクリアになった私の目の前には、私に向かってサムズアップをしているエリンと、水の触手で身動きを封じられて地べたに転がっているアルバートがいたのだった。
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