第2話 水の都の放浪令嬢、ここにあり!②
「はぁっ……はぁ……あぁ。チッ、なんで私がこんな目に会うのよ……」
波のように押し寄せる人をかき分け、息を切らしながら走る女性が一人。彼女の名はリゼ。水の都セレジーに住まうそれはもうお偉い方に仕える従者だ。
リゼは立ち止まって呼吸を整えつつ、思わずと言ったように毒づいた。先ほどの旅人と女性との会話が嘘のような態度である。
実のところ彼女、外ずらが良いだけで本性は荒く、やさぐれの魔女であり、普段は猫をかぶっている。
「エリン……今日という今日は許さないわ」
憎々しげにエリンという名を呟く。続けて額から頬、顎に流れた汗を手の甲で拭い、再び走り出した。
ここロベリア王国において、貴族に仕えることのできる人々はある程度の身分を持っているのが普通である。貴族ほどではないが良い家に生まれ、良い教育を受け、いい仕事に就く、そんな身分。
同等の身分だったら組織で重役になったり、商売を始めて大金持ちになったりできる人もいるだろう。
しかし、貴族に仕えるというのは中々難しい。そもそも貴族家の数が一般市民に比べて圧倒的に少ないのだ。
従者の仕事を得るには狭き門をくぐる必要があり、必然と能力的・人格的に優れた人が厳選されるようになる。
しかし……
「あぁっ、クソ。エリンの奴、全然見つからないじゃないの! もういっそのこと、ほっぽり出してカフェにでも行ってしまおうかしら……」
リゼは人格が大変よろしくないようであった。今も仕えるご主人様を呼び捨てにし、挙句の果てには職務放棄を検討しだしている。
一般的に従者というのはご主人様に忠誠を誓い、ご主人様のことを第一に考えるものだ。有事の際には自分の命に代えてでもご主人様をお守りする、そんな対応だって求められる。
「――よし、決めたわ。あいつは猫、猫なのよ。自分勝手で気分屋。帰巣本能持ちだから満足したら屋敷に帰ってくるはず。私はカフェでくつろぎながら頃合いを見計らい、帰宅途中のエリンと合流。さもずっと一緒に居たという風に装えばいいのだわ」
リゼはご主人様への忠誠を一切感じさせることなく、早口で長ったらしいサボり計画を口にした。
「不思議よね。サボろう、って一度思ってしまうと気分が軽くなるわぁ」
リゼはカフェを探す為、優雅に歩き出した。
(なぜ私はヒール靴で走っていたのだろう。足を痛めるのに、バカみたい)
人の往来を避け、ストリートの端による。今さっきまで切れていた息は元に戻り、疲労が少しずつ抜けていくのを感じた。
それに加え、通りに面した様々なお店を見ていると、すさんでいた気分が癒されていく。
「ふふふっ」
リゼは笑みをこぼしながらよさそうな雰囲気のカフェを探していた。
そのまましばらく歩き続けていると、道幅が次第に広くなっていき、小さなお店が無くなっていく。代わりに大きな商店やお土産屋が目立つようになってきた。
するとリゼは開けた場所にたどりつく。
「あら、もう中央?」
リゼは思わずといった風に呟いた。
中央。そう呼ばれるのは水の都セレジーの代名詞、大噴水の広場のことだ。
セレジーをつなぐ通りのすべてがこの広場に集まる。逆に言えばこの広場がセレジーの玄関、ということだ。
広場からは、東西南北に四つの大きな通りが伸びている。リゼは今、北の通りを広場に向かって歩いてきていた。
「どうしようかしら……せっかくだからあまり行ったことのない通りを見てみるのも――」
「エリン様とお貴族様の決闘だぁ!」
男の興奮した声がリゼの鼓膜を突き刺した。
「…………」
まさに、寝耳に水。リゼは浮かれた顔を一瞬で不機嫌な顔に変化させる。忘れていた面倒くさいことを思い出し、気が重くなったのである。
しかも、先ほどの声の内容が本当ならば、非常に込み合った事態といえる。
ウチのご主人様が他の貴族と街中で揉めているのだ。いや、揉めるというのは優しい表現かもしれない。もし本当に決闘をしているのなら、どちらが勝利しようとも事後処理でドロドロの問題が起こるに決まっている。そしてその役を担うのは私なのだ。
「はぁ……マジ、許さないわよ」
リゼは底冷えするような低い声でつぶやくと、騒ぎのしている方へ歩き出した。
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