水の都の放浪令嬢~至る所に首を突っ込んでいるけれど、まだ大事にはなっていないはず~

桃波灯紫

水の都の放浪令嬢

第1話 水の都の放浪令嬢、ここにあり!①

「ひょっ!?」

 自分でも驚いてしまうくらいの素っ頓狂な声を上げた私。その勢いのままガバッと隣に視線をやれば、


 そこには……


「ふしゅぅ~~~」


 悪鬼がいた。


「こいつ、完璧にライン越えたっ、ライン超えたぁああ!? 奥歯ガタガタ揺らしてあげるから歯ぁ食いしばりなよ! あんたのケ――」


「それ以上はいけません! 我慢を……貴族令嬢として、どうかっ」


 さようなら、私の愛しい消化器官たち……








「はぁ、はぁ……エリン様! どこにいらっしゃいますかぁ!?」

 今日もロベリア王国、水の都セレジーに一人の女性の叫び声がこだまする。彼女の声からは焦りの感情が読み取れ、息切れの具合からは疲れが感じ取れた。


 その様子、発言からして探しているのは彼女がお仕えする方だろうか。もしかしたら高貴な貴族、ということもあるかもしれない。


「エリン様! どこですか~エリン様ぁ」

 辺りをきょろきょろと見回しながら小走りをする女性。間違いなく面倒事のはずなのに、行きかう都の人々はそれに構わず、彼女の真横を通り過ぎていく。


 まさに、何も異常は起こっていない。私たちが特段意識すべきことではない。といった感じだ。


 しかし、客観的に見れば、様付けで呼ぶ方を探す女性。つまり、彼女は従者の可能性が高く、彼女自身もそれ相応の身分を持っていると思われる。


 そのような人が焦って街中を動き回っているのだ。もし話しかけられでもしたら面倒事に巻き込まれるのは必至。


 一般市民の中にそのようなことを望む人いないだろう。面倒事の気配を察知すれば、いち早くその場から離れて自分の身を守る。意識が低い人でも遠巻きに眺めるくらいの対応はするはずだ。


 しかし、水の都セレジーの住人はそうではない。


 今も彼女は人の波に逆らって進み、かき分け、主を探し続けている。


 そんな中、遠巻きに眺めている人たちの中で一人が疑問を持つ。彼は「さっきから気になっていたんだが……」と前置いて隣にいた人に話しかけた。


「どうしたんだい、急に?」

 声をかけられた女性は恰幅がよく、食材が入ったカゴを持っており、家計を牛耳るお母さんといった風貌の女性だ。困惑している男性に向かって人の良い笑顔で応える。


「あれは……その、いいのか?」

 男性もまだ困惑で考えがまとまっていないのだろう。つっかえた上に要領のない曖昧な質問を飛ばす。


 女性はそんな様子の男性に目を合わせて沈黙。しかしすぐに笑いようにして声をあげた。


「……あぁっ。お前さん、セレジーに来てまだ短いのかい?」


「ちょうど今日、検問所を抜けて都に入れたんだ。旅人なんだが、ここまで入るのに時間がかかった場所は初めてだ」

 男性……もとい旅人は疲れをにじませた声でそう言った。


「旅人さんかい! じゃあ無理もないねぇ」


「無理もない? どういうことなんだよ、それは」

 旅人は思わずといった風に声をあげてしまう。


「まぁ、大したことじゃないさ。あの光景は私たちにとって日常茶飯事、っていうだけだよ」

 女性はそれだけ言うと視線を件の女性に向けた。旅人もそれに倣う。


「「あっ」」

 女性と旅人の声が重なる。続けて二人は顔を見合わせた。


 なぜなら、件の女性がまっすぐこちらに向かってきているからである。


 瞬時、旅人は面倒事に巻き込まれたと思った。長年の経験からこういった時はろくなことにならないとわかっている。自分でも珍しく引き際を過ったと後悔した。


「お、おい……逃げっ」

 旅人は質問に答えてくれた親切な女性を連れて逃げようと思いそちらを見るが、女性はなんと「こんにちは~!」と言って手を振っているではないか。


 しかも、自らが驚愕で固まってしまっている間に件の女性が目の前まできてしまった。ぎょっとした目を彼女に向けてしまう。


 女性は暗い色をしたマーメイドスカートのドレスと、同色のとんがり帽子を身に着けており、一見して魔女のようだ。


「と、突然すいません。エリン様を……はぁ、どこかで、見かけませんでしたか?」

 息も絶え絶えの様子である女性。膝に手をついて体を休めつつ、肩で息をしている。旅人はその様子を見て思わずゴクリとつばを飲み込んだ。


「リゼ様、今日もご苦労様だねぇ」

 件の女性はリゼという名前らしい。様付けをされていることからも身分がうかがい知れ、旅人は警戒心からか無意識に一歩後ろに下がった。


「皆様には度々ご迷惑をおかけしまして、大変申し訳なく思っております……」

 リゼは幾分か落ち着いた息遣いで女性に謝罪の弁を口にすると、続けて深く頭を下げた。旅人はリゼの声を聞いてずいぶんとハスキーで艶めかしい声色をしていると感じ、思わず視線を注いでしまう。


 余談ではあるが、旅人はハスキーな声の女性が大変好みであった。


「気にしなくていいさね! 私たちは毎日エリン様のお陰で楽しくやれてるんだから!」

 女性はリゼに対してきやすい態度で接しており、様付けしてるのに? と旅人の疑問を重ねていく要因になっている。


「そう言ってもらえると助かりますが……」

 リゼは申し訳なさそうに、弱弱しく、そう口にして顔をあげた。続けて目つきを鋭くすると、「エリン様はすぐに静かにさせますので……」と底を叩くような低い声を発した。


 旅人はようやくここでリゼの姿をしっかり見ることになった。旅人は至近距離でリゼと相対し、その姿を網膜に焼き付ける。


「お、おぉ……」

 旅人の情けない声が喉から洩れる。しかし、それも致し方ないことだろう。


 リゼのすらりと伸びて世界樹の木々と思えるような手足や、豊満さと健康を感じさせる筋肉が同居した体付きに高い身長。こと身長においては周りの男性よりも高く、頭一つ分かそれ以上抜き出ており、長い手足と相まって芸術品とさえ見える。


 もちろん、美貌も体付きに負けておらず素晴らしい。宝玉のように大きい赤い瞳、高い鼻や発色の良い唇。さらに、それらを引き立てるのはカールしたローズレッドの長髪だ。それを一つに結ぶと右肩から前におろしている。


 それらに加え、困り顔で眉尻を下げている様子は旅人に相当の衝撃を与えたようだった。


「あの……こちらは?」

 リゼがそんな旅人の様子に気が付き、思わずといった風に目を向ける。


「そ、その……お、れは……」


「旅人と言ってたね。……ほら、リゼ様にしゃきっと挨拶!」

 女性はそういって未だ固まったままの旅人の尻を叩くが、旅人は硬直したまま突き刺さった棒のように動かない。リゼはそれを見て薄く微笑む。


「ようこそ、水の都セレジーへ。楽しんでいっていただけると嬉しいです」


「……は、はひゃい!」

 それだけ言って再び硬直した旅人。それを見て女性は呆れたように首を振り、リゼは先ほどと変わらない微笑を浮かべた。


「――話を戻しましょうか。エリン様をどこかで見かけませんでしたか?」

 息を整えたリゼは先ほどまでの慌てた様子からはかけ離れた落ち着きを見せ、頬に手を当てると首をかしげた。その様子は美貌にマッチした色気を醸し出す。


「ごめんなさいねぇ……。私も何も知らなくて……」

 女性は申し訳なさそうに謝罪を口にした。その後続けた言葉を尻すぼみになってしまう。


 二人の間に数舜だけ沈黙が訪れ、再びリゼが口を開きかけた時、リゼのすぐ後ろを走り去った二人の男たちのしゃべり声が耳に入った。


「エリン様が決闘してるらしいぜ!」


「なんだその面白そうな話は!? これは見逃すわけにはいけねぇ」


「「……」」

 リゼはものすごい勢いで声がした方に振り返る。そしてすぐに視線を女性と合わせ、二人して沈黙した。


「……ご協力、ありがとうございました。では、私はあの人たちを追うことにしますね」

 リゼは女性からの「頑張りなよ!」という言葉にうなづくと、旅人に頭を下げてから男たちが消えた方へ走り出した。


「エリン様ぁ~! いたら返事をして下さぁい!」

 何度もエリン様と呼ぶ声が辺りに響き渡る。先ほどまで醸し出ていた色気は消え失せ、何とも言い難い苦労人感が滲んでいた。


 リゼの背中が人ごみに消えていく中、比例して呼び声も遠くなっていく。姿も声も消えたころ、やっと旅人が動き出した。


「えっと、あれは……」


「あれは名物さね」


「名物?」

 女性の言葉をオウム返ししてしまう旅人。


 それも無理はない。女性はあのリゼという魔女と、そのご主人と思われるエリンが名物と言っているのだ。


 旅人の至極当然な疑問に女性は、さもこれが常識であるといった風に笑う。続けて「そうかそうか、あんたは旅人だったねぇ」と口にした。


「ようこそ、水の都セレジーへ。ここは放浪令嬢のおひざ元だよ」


「放浪……令嬢?」

 女性の言葉に旅人はただ困惑した表情を浮かべることしかできなかった。

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