#30 退魔の赤百合
魔物は、平原の東側から観測された。
帝国軍が目指すリリザ村ではなく、山岳の麓、バッフェンの森の方角から、帝国軍の野陣の横合いを突くような形で襲来している。
かなりの大群だった。遠目には、真っ黒いかたまりが、じわじわと平原を埋め尽くしつつ接近してきているように見える。
総数は、ざっと眺めただけでも千体を下らないであろう。
「中型の亜人種のみで、大型種の姿は見えません。ゴブリン、コボルド、オークの姿を確認しております。ですが様子がおかしく……隊伍もなにもなく、ただ一斉に、同じ方角へ向かって押し寄せてきている感じで」
「……それは奇妙だな」
見張り兵らの報告を受け、エカは眉をひそめた。
この世界における、一般的な魔物の知識として――緑色の肌を持つ小人のゴブリン、二足歩行の猪のような見た目のオーク、同じく二足歩行の犬に近い外見のコボルド――などの中型亜人種は、単体での身体能力は一般的な人類と同等、知能は獣と人類の中間というところである。
いずれの種族も高度な社会性を持ち、基本的に集団で秩序正しく行動する。
報告が事実ならば、その秩序が崩壊した状態で、亜人種の大群が一斉に移動していることになる。さながら、巣穴を追われたアリやハチの群れでもあるかのごとく。
エカ・ファウルは、魔物との戦闘経験と討伐実績によって帝国軍の千人将となった。いわば魔物討伐の専門家だが、そのエカにして、これは未知の状況だった。
――そもそも、いまエカ率いる帝国軍が野陣を構えている平原は、帝国ではなく、既にシンティーゼ王国の領内である。
帝国軍も、近年、付近の地形調査を進めてはいたが、いまだ現地の詳細情報には通じていない。わけてもバッフェンの森は、有名な賊の根城ということで、帝国軍もあえて近付かず、手持ちの情報は乏しかった。
魔物の群れがやってきた方角からみて、そのバッフェンの森に、何らかの異変が生じているらしいとは推測できる。
「事情はわからぬが、考えている場合でもないな。迎え撃つぞ。まずは私が出る」
「は……千人将どの、自ら?」
「魔物退治は、私の仕事だ」
言いつつ、エカは剣を手に、立ち上がった。
「ハンターリリィを召集しろ。他の部隊は、準備が済み次第、陣を出て、後から合流せよ」
エカの下知はすぐさま全軍に行き渡り、完全武装の騎兵隊百名が、いち早く陣前に整列した。
全員、華やかな赤い鎧甲に身を固めた、若い女性兵。
エカ・ファウル直属の百人隊、ハンターリリィ。魔物討伐に特化した装備と戦技を擁し、女性のみで編成された、帝国でも唯一無二の異色の部隊である。
「みな揃っているな! 行くぞ!」
エカ・ファウルは、颯爽とハンターリリィの隊列の前に馬を躍らせ、赤いプレートアーマーに、炎が舞うような赤マントを華麗にひるがえしつつ、佩剣を抜き放った。
「続け! 突撃!」
馬蹄猛然と土煙を巻いて、エカは先陣を切り、魔物の群れの正面めがけ、まっすぐ飛び込んでゆく。
おおうっ、と、潮のごとき喊声をあげつつ、ハンターリリィの赤い陣列がエカに続いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
平原の真っ只中に、人魔の列がぶつかりあう。
たちまち白刃閃々と戦場に舞い、血風が渦を巻いた。
魔物側も、原始的な石斧や棍棒など振りかざして、奇声喚声をあげつつ、猛烈に反撃してくる。
一部のゴブリンのなかには、小さな火球を飛ばす攻撃魔法を繰り出す者もいた。
それらの反撃をものともせず、ハンターリリィの隊列は左右に展開し、魔物の前進を正面から受け止め、打ち叩きはじめた。
「蹴散らせ!」
馬上、エカが叱咤を放ちつつ、手近なオークの一群へ斬り込んだ。エカの剣先は暴風のごとく前面の敵を薙ぎ払ってゆく。
この勢いに当たりうる者もなく、見る間にオークの群れは切り刻まれて、死骸の山となり果てた。
それに続く麾下の隊員らの活躍も目ざましい。
彼女らの赤い鎧甲は、たんなる派手な飾りではなかった。帝都の武具工房がハンターリリィ専用に仕立てた特注品であり、低レベル攻撃魔法の威力を減衰、無効化する「LV2祝福」という防御スキルが付与されている。
槍や刀剣などの専用武器にも、命中と同時に魔物の身体能力や防御力を減少させるスキル「LV2退魔」が付与されていた。
さらに、隊員個々に魔物の習性や戦法を熟知し、状況に応じて適切な戦術を使い分ける。対魔物戦闘に限れば、帝国屈指の練度を持つ猛者の集まりである。
――われら帝国に咲き誇りし、退魔の赤百合。
それがハンターリリィの隊是であった。
その赤い隊列の進むところ、平原に馬蹄とどろき、刃は風を巻いて血煙を呼び、魔物の断末魔が草木を震わせる。
とはいえ、ハンターリリィは百人隊。対する魔物の大群はゆうに千体を越え、規模にして十倍以上もの戦力差。
やがて、後から後から続いてくる魔物の列が、数にものをいわせて、次第に包囲の環を形成し、ハンターリリィの隊列を押し包むように圧迫しはじめた。
「さすがに、この数は――」
「なんの、まだまだいける」
「所詮、連携も取れていない烏合の衆だ。分断して、各個撃破につとめよ」
あまりの大群に、少々血に倦んだ隊員らが、剣槍を振るいつつ、ため息を洩らす。
「こういうとき、あの伝説のSSランクハンターがいてくれれば」
「ああ、剛刃のギザン……だったか」
「帝国最高の魔物ハンターといわれた男だな。だが、近頃は行方不明と聞くが」
「なんでも、身内が誘拐されて、脅迫を受けたとか……」
「本当か? 帝国の至宝に、なんということを。いったいどこの誰が」
「奴隷商がらみだって。それ以上のことは、魔物ハンターギルドも把握できてないみたい」
そう雑談のごとく語らいながらも、彼女らの手はまったく止まっていない。なおも刃を血に染めて、群がる魔物を蹴散らし続ける。
そうするうち、やがて後方から、大きな鬨の声が湧き起こった。
ようやく他の部隊が出撃してきたらしい。
出遅れていた六隊、総勢六百余の兵力が一斉に突撃を開始したのである。
「殲滅だ!」
「突進せよ!」
「遅れたぶんを取り戻せ!」
部隊長らが口々に叱咤を飛ばし、兵らは喊声とともに長槍を繰り出す。
後続六百の編成は大半が歩兵。それゆえ移動速度は遅いが、着実に魔物を撃ち減らしながら前進し、包囲網を外側から侵食し、突き崩して、ほどなくハンターリリィと合流を果たした。
「千人将どの、ご無事で!」
「当たり前だ! そら、まだまだいるぞ! 狩り放題だ!」
「根絶やしにしてやります!」
エカの周囲に、配下の部隊長たちが集結してくる。あのイグネオ・ラストールも、馬上槍を押っ取り、銀鎧をきらめかせつつ駆け寄せてきていた。
七隊は刃を揃え、あらためて前進を開始した。さながら巨大な大矛が砂礫を砕くように、たちまち魔物の群列を正面から粉砕してゆく。
ここに形成は逆転した。さしも魔物の大群も、ついに帝国兵に背を向け、北へ北へと逃走しはじめた。
「追撃せよ! 一匹たりとも逃すなっ!」
エカの指揮のもと、帝国軍はすばやく隊列を組み直し、追撃戦に移った。
魔物の群れはすでに当初の半数以下にまで減っている。それでもなお数百という規模が、一斉に雪崩を打って北方へと逃れつつあった。
帝国軍の追撃も急だったが、命からがら逃げてゆく魔物を捕捉するのは、そう容易ではない。
その魔物たちが逃げ走っている方角。
よりによって、その先にリリザ村がある。
――これは少々、まずいことになるかもしれない。
内心、エカは焦りをおぼえはじめた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
戦いなんてくだらねえぜ! 俺の瓜を食え!(LV89ハーヴェスト)
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