#29 千人将は当惑する


 ラコニア帝国軍千人将エカ・ファウルは、大いに当惑していた。


 つい先日、イグネオ・ラストールの百人隊が「黒い悪魔」によって壊滅させれらた、との急報が、帝国軍拠点スリガナ砦にもたらされた。


 事態を重くみたアンディー・オーホル将軍は、若き女性士官エカに調査を命じた。


 エカはただちに直属百人隊「ハンターリリィ」を軸とする兵力七百を率いてスリガナ砦を発ち、リリザ村へ向かって、街道を北上していた。


 その途上である。


 帝国軍の旗幟を掲げた五十人足らずの小部隊が、足並み整々と南下してきて、エカの部隊と真正面からいきあった。


 部隊を率いているのは、他ならぬラストール伯爵家三男、イグネオ・ラストール。


 既に死亡したと聞かされていたラストールが、どういうわけか、部隊ごと帰還してきた――エカは驚愕し、急いで街道脇の草原に天幕を張り、対面の席を設けた。


 天幕内で実際に当人と向き合い、事情を聞くうち、エカの驚きは、当惑に変わっていった。


「リリザ村にて、我らが、悪魔様……ヤタロー様へ矛を向け、返り討ちにあったのは事実です。しかし、ヤタロー様は大慈悲の心をもって、愚かな我らを生かしてくださいました。罪業を償え、そのために生きよ、と……あの御方はおっしゃいました」


 饒舌に、かつ熱に浮かされたように、諄々と自身の体験を語るラストール。


 その様子は、エカがよく知るイグネオ・ラストールとは別人のように見えた。


 伯爵家の威光を振りかざすばかりの、傲岸不遜な貴族子弟。そんな以前の面影は、いまや微塵も感じられない。


 言い回しこそ、貴族らしく仰々しいが、物腰柔らかく、表情も穏やかで、まるで憑き物が落ちたかのように、温和かつ生真面目な雰囲気を漂わせていた。


「我らは、ヤタロー様が与えてくださったこの生命を、今後は世のため人のため活かしてゆくべしと、その具体的行動を語らい、まずはラコニアとシンティーゼ、両国の開戦を食い止めることこそ、我らのなすべき急務との結論に達しました。ゆえにこの際、私の口から直接、オーホル将軍へ訴え申さんと、かくは帰参の途についたものであります」


「……は?」


 世のため人のため?


 開戦を食い止める?


 そのために帰還してきた……?


 エカは、開いた口がふさがらぬという態で、しばしテーブルの向こうの青年を、呆然と眺めやった。


(どうなっている。コイツは、本当にあのイグネオ・ラストールなのか……?)


 以前のラストールならば絶対に口にしないであろう物言いを、水の流れるごとく滔々と語っている。


 あまりの変容ぶりに、エカは背筋に寒気すら覚えた。


 偽者などではなく、本人であることは間違いないが、いったいどんな経験をすれば、こうまで人が変わるのか――。


「いささか、こちらにもたらされた情報と、齟齬がある。何があったか、もう一度最初から、順を追って聞かせてもらいたい」


「承知しました」


 ラストールはうなずき、あらためて供述した。


 リリザ村において、ラストール隊はヤタローなる人物と遭遇したという。


 ヤタローは、常人ではありえないほど邪悪で禍々しい気配をまとっていた。まさに悪魔としか形容しようのない真っ黒な外見で、強力な魔法を操り、ラストール隊を一方的に打ち倒している。


 しかし、その見ために反し、無闇な殺生は好まないようで、ラストール隊のほとんどの者は、ただ気絶させられただけだった。


 その後、ヤタローは、自害せんとするラストールらを押しとどめ、「生きて罪を償え」と丁寧に諭し、去っていった……。


「遺憾ながら、十数人、行方不明者が出ておりますが、詳細は小官も把握しておりません。おそらく、ヤタロー様ではなく現地住民の反撃に遭い、死亡したものと推測しております」


「そうか……なんとも不思議な経験をしたものだな。貴官らは」


 納得しがたい点は多々あるが、いま実際にラストールは生きて目の前にいるし、部隊の人員も、多少の行方不明者はあるにせよ大半は無事だという。エカとしては、一応、この現状を受け入れざるをえない。


(……確かめる必要がありそうだ。私自身の目で)


 エカは、あらためてリリザ村へ赴く必要性を強く感じた。


 話を聞く限り、ヤタローという「黒い悪魔」は、六十名からなるラストール隊を単身で壊滅させている。その武力は人間とも思われない。人畜無害というわけではなさそうである。


 ヤタローとの戦闘の直後から、すでにラストールらが自身の行為に強い罪悪感をおぼえ、自害しようとまでしていた……という点も、腑に落ちない。


 ラストールらは、何らかの状態異常に陥っている可能性がある。さもなくば、こうも以前と人が変わっている理由に説明がつかない。あるいはそれこそヤタローの仕業であるかもしれない。


 だが一方で、ラストールらの自害を思いとどまらせ、全員に「生きて罪を償え。後のことは自分たちで話し合え」とまで諭して、帰還させている。


 そうしたヤタローの行動や言動は、「黒い悪魔」どころか、善人の印象すらある。


 ヤタローとは実際のところ、何者なのか? いかなる目的で動いているのか?


 人か魔か。善なる存在か、それとも、より深い闇を内包する邪悪か。


 なにより、帝国にとって障害となる可能性があるか否か。


 是とならば、放置してはおけない。いかなる手段を用いても排除する必要がある。


 そのあたりを、自分の目で正しく見極めねばなるまい――。


「そのヤタローは、いまどこに?」


「ヤタロー様の所在について、我らは存じておりません。あれから日数も経っていませんし、まだリリザ村から、さほど離れてはおりますまいが、それも確かなことは申せませぬ。我らには、到底はかり知れぬ御方ゆえ……」


 ヤタローの現在地について、ラストールはそう証言した。なにせ人間離れした存在であるため、現在地や方角はおろか、まともに街道を進んでいるかどうかすら一切不明である、と。


 ともあれ、エカとしては、まずリリザ村へ赴き、そこでヤタローに関する証言なり、何かしらの手がかりを掴む。それ以外に、やりようはなさそうである。


「ラストール卿。貴官らは、このまま砦へ戻ると言っていたが……」


「はっ。先もお話をしましたように、オーホル将軍へ直訴を申し上げたいと」


「……その前に、こちらを手伝ってはもらえまいか。私も、会ってみたいのだよ。黒い悪魔に」


 エカは、ラストールらを、このまま砦に帰すべきではない、と判断していた。


 ただでさえ、現在は開戦に向けて様々な作戦を展開中である。この状況で、帝国の重鎮たるラストール伯爵家の子息が、国境の戦備を預かるオーホル将軍へ直訴諫言などと、厄介事以外の何物でもない。それも以前とは明らかに人が変わった、異常な状態で。


 これを放置しては、上層部から部下の暴走と解釈されかねず、エカも何らかの責任を問われる可能性すらある。彼らの上司として、到底看過できる話ではなかった。


「なるほど、ファウル殿も、あの御方に興味がおありですか」


 ラストールは、大きくうなずいてみせた。


「そういうことでしたら、喜んでお手伝いをいたしましょう。ただ――」


 ラストールは、要請には快諾しつつ、声のトーンを落とし、エカに詰め寄った。


「リリザ村やその周辺へ、捜索の兵を派するのは結構。しかし、決して、現地住民を傷付けてはなりません。それはヤタロー様のお怒りに触れることになります。我らは身をもって、その行為の愚かしさを知りました。どうかファウル殿におかれては、我らと同じ轍を踏むことのないよう、ご忠告申し上げておきます」


 そう警告を発するラストールの表情には、先ほどまでの穏やかさは消え、心底からエカの身を危ぶみ、気遣うような気色を見せていた。


(いったい、どれほど恐ろしい存在なのだ。ヤタローとは)


 いまやラストールの相貌には、ヤタローへの底深い畏怖の念すら滲み出ている。


「わかった。気をつけるとしよう」


 油断ならじ――との思いを抱きつつ、エカはラストールとの対面を打ち切った。


 ほどなく、エカ率いる帝国兵、総勢七百余の人員は、合流したラストール隊ともども、リリザ村にほど近い平原まで移動した。


 まずは野陣を設けて仮の拠点とし、あらためてヤタロー捜索の部隊を編成する……という手筈である。


 さっそく野陣の中央に司令部の天幕が設置され、エカが軍議を開かんと呼びかけているところへ。


「千人将どのー!」


 息せききって、見張り番の兵士が天幕へ駆け込んできた。


「まっ、魔物です! 魔物の大群が、こちらに向かってきていますっ!」


 寝耳に水の一報だった。






     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

グッバイ、俺のバイト代。(LV34シャーマン)

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