#15 悪魔の噂

 

 ラコニア帝国領の外縁部、シンティーゼ王国との境にほど近いスリガナ砦。


 平原を見下ろす台地に、木柵を結いまわし、関門、望楼、厩舎、兵舎、司令棟、倉庫などを設けた、大規模な駐屯地である。


 現在、およそ三千人の帝国軍部隊が駐留し、おもにシンティーゼ王国国境地帯への各種作戦行動の拠点となっていた。


 そのスリガナ砦の責任者、帝国軍第四軍団長アムディー・オーホル将軍は、早朝、執務室にて、奇妙な報告を受け取っていた。


「悪魔が出た?」


 報告してきたのは麾下の千人将のひとりである。


 詳しく聞いてみると――二日前、その千人将は、配下のラストール隊を、シンティーゼ側の小村へ派遣していた。


 主目的は、百人隊の小規模越境によって、シンティーゼ王国側の反応を観察する挑発行為であり、物資徴発や付近の地形調査なども兼ねた偵察・工作任務である。


 つい今朝がた、そのラストール隊のうち、わずか三人の隊員が、命からがらという態で、砦へ逃げ戻ってきた。


「黒い、悪魔が出たんです」


「それはもう、炭より真っ黒い、邪悪そのものという姿形で、おそろしい火を噴く武器を持っていて」


「味方が、ばたばた殺されて……ラストール隊長でさえ、ひとたまりもなく」


「あれは、間違いなく、伝説の悪魔です」


「私どもは、このことを本隊へ報告せよとの……隊長の命令により離脱し、難を逃れたのです」


 三人は口々に、そのような証言を行った。


 実際にラストール隊はまだ帰還しておらず、三人の憔悴しきった様子からも、あながち虚偽とも思われない。


 やがてオーホル将軍自ら、三人への聞き取りを実施し、より詳細な状況が浮き彫りとなってきた。


 その「黒い悪魔」は――姿形こそ人間に近いが、未知の魔法を用い、武装した兵を遠距離から一撃で打ち倒すほどの力を持ち、さらに弓矢が一切通じない不死身の肉体だったという。


「……あきらかに、人間ではないな。付近に棲息する魔物のたぐいとみて間違いなさそうだ。それも、かなり強力な」


 オーホル将軍は、三人の報告内容を、そのように結論付けた。


 伝説の悪魔とは、ラコニア帝国やシンティーゼ王国、東方商業連合などの北大陸一帯に語り継がれる、一種の神話的存在。


 精霊の世界と人界を往来し、人の「願い」と「魂」を刈り集める邪悪の化身。


 その魔力は強大無比であり、人の「願い」に応じて現出し、その「魂」を代償として、あらゆる願望を叶える。


 しかし、それは決して当人や周囲に幸福をもたらすことにはならず、魂を差し出した者は、必ず不幸に陥り、破滅的な結末を迎えることになるという。「悪魔」と呼ばれる所以ゆえんである。


 三人は、その「伝説の悪魔」が、リリザ村に現れたと主張したが、さすがに大袈裟であろう……とオーホル将軍は見ている。


 それほど大それた存在と敵対したならば、ただ一人とて生きて帰れる道理がない、との推測である。


 とはいえ、伝説の悪魔とはいかずとも、百人隊を壊滅させるほど強力な未知の魔物が国境付近に徘徊しているとすれば、それはラコニア帝国軍にとっても脅威である。


 今後のシンティーゼ王国に対する作戦行動にも支障が出かねない。どうかして排除する必要があろう。


「すぐにリリザ村とやらの周辺を押さえ、問題となっている魔物を討て。ファウル、貴様に任せる」


 オーホル将軍は断を下した。


 すなわち配下の千人将エカ・ファウルに、リリザ村及び周辺地域の制圧、魔物の討伐を命じたのである。


「お任せください」


 千人将エカ・ファウルは、唯々として承った。


 年の頃二十四、五歳くらいの、若い女性士官である。


 金髪碧眼、やや小柄細身ながら、帝国軍士官の青い軍装に白い外套を羽織り、腰には赤い鞘におさまった剣を佩き、挙措は軽快、風姿颯爽たるものがある。


「編成を済ませ次第、ただちに発ちます」


「よろしい。それと、もうひとつ、頼みたいことがある」


「はい」


「そのリリザ村とやらには、ラストール家の小倅こせがれの遺体や遺品があるはずだ。迅速に回収するように」


 もとより、軍の規定により、戦死、事故死などによる帝国兵の死者の遺骸遺品は可能な限り回収し、暫時、遺族のもとへ送り届けることになっている。


 ましてラストール伯爵家は帝国の名門貴族。現当主カザン・ラストール伯爵は宮廷の重臣である。その子息の遺体ともなれば、最優先で捜索、回収せねばならない。


 オーホル将軍は、とくに当人が意図したわけでも望んだわけでもないが、実質、名門ラストール家の子弟の身柄を預かり、監督する立場にあった。


 よりによって、その子弟が死亡したという。


 それだけでも将軍にとって痛恨事であるが、せめて遺体の回収と引き渡しぐらいは確実に行わねば、ラストール伯爵家のオーホル将軍に対する心象は大いに悪化することになろう。


 ここで対応を誤れば、今後の軍内部における立場さえ、危うくなりかねない状況だった。


 そうした将軍の内心を察してか――。


「承知しました。可及的すみやかに回収を実施します」


 かしこまって告げるや、若きエカ・ファウルは、金髪を翻して退出した。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 千人将エカ・ファウルは、ラコニア帝国の男爵家の長女である。


 深窓の令嬢ではあるが、幼少より剣を学び、武術の才は同年代の貴族子弟のなかでも群を抜いていたといわれる。


 長じて帝国軍に入り、西方の魔物討伐に従事。国内の魔物退治を主任務とする特殊編成の百人隊「ハンターリリィ」を率いて各地を転戦。


 その絶倫の武勇と、決して敵に仮借しない苛烈な戦いぶりで屍山血河を築き、魔物の殲滅ばかりか、いくつかの盗賊組織をも壊滅に追い込んでいる。


 その戦功により、二十二歳の若さで千人将にまで昇りつめ、東方国境を守備する第四軍団長オーホル将軍の配下となった。


 直属たるハンターリリィ隊を軸とする、九つの百人隊を指揮下に置き、現在も様々な作戦行動を展開させている。


 イグネオ・ラストールの百人隊も、そのひとつだった。


(ラストールか。まったく使い物にならない男だったが……)


 砦内の自室で身支度を整えながら、エカ・ファウルは、溜め息をついていた。


 イグネオ・ラストール――エカにとっては、思い返すだけで、うんざりするような若者だった。


 伯爵家の子弟たる身分意識とプライドばかりが先鋭化しており、軍内部の序列や秩序を軽視する傾向が強かった。ゆえに、直属上司とはいえ男爵家の令嬢にすぎないエカの指図をあえて受け入れず、しばしば独断専行に走る悪癖があった。


 ラストール隊をリリザ村への工作任務に派遣したのも、もとをいえば、ラストールの横紙破りによるもの。


 本来、エカ自身がハンターリリィ隊を率いて越境作戦を実施する予定であったものを、ラストールが事前に察知し、自分を先駆けさせるよう希望を伝え――というより、高圧的に要求してきたのである。


 結局、エカは予定を変更し、ラストール隊を越境作戦に送り出した。


 作戦内容は、越境と情報収集、ついでに破壊工作――国境付近には小規模の山賊や魔物が出没するという噂もあるが、帝国軍にとってはさほどの脅威とも思われない。


 安全に敵地へ踏み込み、ほしいまま破壊や略奪にいそしみ、周辺情報を持ち帰る……それで十分に手柄となる。


 ラストールならずとも、若い士官にとっては、ごく容易に功績を挙げうる、またなき機会という認識であったのだろう。


(だが、それで死んでいれば世話はない)


 作戦上のことといえ、無断、他国の境を侵し、そこで魔物に襲われて死ぬなど、帝国貴族として目も当てられぬ失態である。今頃はオーホル将軍も、本国にどう報告すべきか悩んでいることだろう――。


(問題の多い男だったが、死んでしまった以上、過去のことはいうまい。あれでも一応、わが部下だった。このうえは、黒い悪魔とやらを討って、せめてもの弔いとしてやろう)


 そんな思いを胸に、エカはほどなく編成を組み上げ、七百の兵を率いて意気揚々、砦から出撃した。


 ……国境近い街道にて、エカの部隊が、ほとんど無傷で帰還の途にあったラストール隊と遭遇したのは、それから二日後のことである。






     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ルミエルの職業の中で、最も生産的で、最も楽しく、最も自由人に適するものは農業である。(LV41ノービス)

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