#10 カタルシスの先に


 引き返してきたヤタローの視界に、やや意外な光景が広がっていた。


 火はほとんど消えている。焼け跡に、なお余燼くすぶる集落の小路。


 そこで雑兵の一群が列をなし、武器を構えて、ひどく周囲を警戒している。


 さきの親子三人は、その雑兵らに囲まれ、地面に座り込んで、指揮官らしき者と、何か話し込んでいる様子。


 指揮官はきわめて物腰低く、しきりに親子へ謝罪しているように見えた。


「――あくまさん! あくまさんがきたー!」


 小さな娘が、まずヤタローの姿に気付き、朗らかな声をあげた。


(あくまさん……)


 あの子にとって、もはやヤタローは、そういう名前であるらしい。


「おお! あなた様は!」


 続いて指揮官が顔をあげた。雑兵らは慌てて左右に列を開き、ヤタローに向かって、一斉に跪いた。


(……何事?)


 戸惑うヤタローへ、甲冑を鳴らしつつ、指揮官が歩み寄ってきた。


「先ほどは、大変な無礼を働き、申し訳ございません。あなた様には、我らの目を醒ましていただき、感謝に堪えません――」


 と、指揮官はいきなりヤタローの眼前で地に膝をつき、そのまま深々と平伏してしまった。


(なんだ? どうなってる? 一応、敵対ヘイトは解除されてるみたいだけど――)


 ヤタローの視界の右上の隅に、新たなウィンドウ表示が開いている。『ホート:人間・LV14』という文字列とともに、耐久力・精神力を示す簡易ステータスバーが表示されていた。


 この指揮官のステータスであるらしい。ホートとは、当人の名前だろうか。


(……さっきは何も見えなかったけど、どういう仕組みなんだ?)


 さらに問題は、ステータスの背景色である。「ルミエル」においては、敵対中のモンスターは半透明の赤、非敵対モンスターならば半透明無色の背景で表示される。


 ホートなる指揮官のウィンドウ背景色は、半透明の青。これはゲーム内では他のプレイヤーやパートナー、NPCなどの簡易ステータス表示に用いられる。


 たとえばプレイヤーのメクメクや、パートナーのアカラナータなどと同じ表示色であった。ようするに、完全な味方を示す色である。


(もしかして、これのせいか?)


 ヤタローの右手は、まだカタルシス92Fをしっかと握っている。


 その魔力弾による本来の追加効果は、LV20以下の対象の敵対ヘイトの解除、非敵対化にとどまる。それを通り越し、いきなり味方になるなどという事例は、ゲーム内では見られなった。


 あるいは、ゲームから、なにか効果が変わっているのだろうか?


 つい無言で立ちつくし、思案するヤタロー。


 その様子に何を思ったものか、指揮官ホートは平伏したまま、なお言葉を続けた。


「我ら一同、いまは心より悔い改め、これまで犯した罪を償いたく思っております。もし、我らに死ねとお命じいただければ、みな喜んでこの命と魂を捧げましょう。どうか、我らに、あなた様のお裁きを――」


(いきなり何を!)


 肩を震わせ、裁断を求めるホート。その背を見おろしつつ……ヤタローは、内心、大いに動揺した。


 見れば、他の雑兵たちも、跪いたまま、顔をあげようともせず、ひたすらヤタローの言葉を待ち続けている。


 命と魂を捧げる――先ほど、あの小さな娘も似たようなことを口走っていた。


 自分がそういう「悪魔」じみた存在であると、すでに彼らには、固く認識されてしまっているらしい。


 加えて、ホートをはじめ、彼らは本気で前非を深く悔いている。ステータス表示が青背景であることから、それは明白だった。


 ヤタローのゲーム内での経験上、たんなる敵対ヘイト解除だけで、こうまで態度が変わることはない。


(相手が人間だから……か?)


 対人戦が存在しない「ルミエル」では、人間相手に武器を振るう局面自体がそもそもない。ヤタローが知るカタルシス92Fの追加効果は、あくまでモンスターに対してのものである。


 対象が人間であった場合、いかなる効果がもたらされるのか、ゲームでは知りようもないことだった。


(……性格まで変える、ということか。根本から、悪人でもむりやり善人にしてしまうような)


 かつてどこかで見た創作物に、そういう話があったような気がするが――いまは、それを思い出している場合でもない。


 この状況が、カタルシス・シリーズの追加効果によって引き起こされた事態であることは、ほぼ間違いない。その厳密な検証は後刻のこととして、まず彼らの処遇をどうすべきか。


 さすがに無視して素通りするわけにもいかないが、とはいえ自裁を命じるなど論外である。


 しばし沈思黙考のすえ――。


「……まず、みなさんに聞きたいことがあります。そのうえで、今後のことについても、話をしましょう」


 ヤタローは、あえて重々しく、一同へ告げた。


「それまで、みなさんの命は、自分が預かっておきます。よろしいですか?」


「はい。あなた様が、そうお望みならば……」


 ホートらに異論はないようだった。ひたすら慴伏して、ヤタローの沙汰を待つばかりという態度を見せている。


 さきの親子三人も、なぜかホートらに倣って、いつの間にか平伏していた。


(……なぜこんなことに?)


 ヤタローは、内心嘆息しつつ、あらためて、彼らへ情報の提供を呼びかけた。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 集落のはずれに、かろうじて焼け残っていた、土壁の一軒屋。


 もともと長いこと無人の空き家であったという。


 ヤタローは、この空き家の土間にて、燭をともし、指揮官ホートと向かい合った。


 ホートの部下の雑兵らは、親子三人を保護しつつ、屋外にて待機している。


 そのうえで、まずホートが、自らの所属と名を明らかにした。


 ――ラコニア帝国軍第四軍団ラストール遊撃隊所属、十人隊長ホート。


「姓はありません。ホートとお呼びください」


「……わかった」


 鹿爪らしい自己紹介を受けて、ヤタローは困惑気味にうなずいていた。


(聞いたことないぞ、そんな国)


 少なくとも、ゲーム内に、ラコニア帝国なる国名も地域名も存在していない。


 急いでその点を質したいところだが、その前に、ヤタロー自身も、しっかり名乗っておく必要がありそうだった。


 そういつまでも、悪魔だの、あなた様だのと、おかしな呼ばれ方をされてはたまったものではない。


「自分は、ヤタロー。以後はそう呼んでください。あと、悪魔ではありません。ただの人間です」


「えっ」


 ホートは、心底驚いたように、目を見張った。


「しっ、失礼ながら……とても、そのようには」


(本当に失礼だな!)


 身も蓋もない返答に、ヤタローは平静を装いつつも、内心で声をあげていた。


(……やっぱり、この格好か? この格好のせいか?)


 ヤタローの主装備「LV85叡智」は、青銀の胴衣と肩パッド付きの黒い外套がワンセットになっている。


 おそらく、この姿が、ことさら悪役のような印象を強調しているのだろう……とヤタローは推測した。


 ゲーム内ですら、膨大なオシャレアイテムを駆使して服装にこだわる生産系プレイヤーが圧倒的多数派の「ルミエル」では、この戦闘向け一辺倒の暗い格好は、やや浮いていたほどである。「現実」の目には、なおさら凶悪そうな印象に映るのかもしれない。


 とはいえ、このタイミングでわざわざ外したり着替えるのも不自然。


 むしろ今は、無理に認識を改めさせる必要はない。後でどうとでも修正可能であろうから。


 ヤタローは、あえてホートの反応を無視して、話を進めることとした。


「これから、いくつか質問をします。正直に答えてください」


「はっ、はい、ヤタロー様! なんなりと!」


 ――しばし質疑応答を重ね、ヤタローが得た情報は、おおよそ、次のようなものである。


 現在地は、リリザ村という。シンティーゼ王国の最西辺にあたり、ラコニア帝国との国境にほど近い寒村。


 大陸全体でいえば、中央よりやや西寄り。山岳地帯の麓の盆地帯であり、リリザ村の南方には、大陸の脊椎ともいわれるシャンカー大山脈が壁のようにそびえ連なっている。


 この山脈の懐深くには太古の原生林が広がり、もともと凶暴な魔物が数多く棲息する危険地域であったが、現在ではそれに加え、野盗、山賊など、中央を逐われた無頼の徒が入り込み、それらが徒党を組んで横行する無法地帯となっている。


 リリザ村の北側は、大陸を東西に横断する交易路「大陸公路」を擁する南サロニア平原に面し、北西に進めばラコニア帝国の国境。北及び北東方面にはシンティーゼ王国内の各地へと通じる大小の街道が伸びている。


 ホートの軍内における地位は、ラコニア帝国軍の十人隊長……いわゆる下士官の職分で、百人隊長ラストール指揮下の遊撃隊に所属している。その遊撃隊が現在従事中の任務が……リリザ村への襲撃。


 ラコニア帝国とシンティーゼ王国は、伝統的に険悪な関係で、ことに近年は緊張状態が続いていた。


 まだ本格的な戦争状態にまでは至っていないものの、ラコニア帝国軍はしばしばシンティーゼ王国との境を越え、商隊を襲撃したり、付近に点在する集落を焼き払うなどの挑発行為を繰り返していた。


 今回、その標的となったのが、リリザ村。


 村に火をかけ、住民を追い出す――というのが、上官ラストールから伝達された作戦内容である。


 作戦開始とともに、まず百人隊長ラストール自ら先陣を切り、部隊を率いて突入した。目に付く建物に片端から火をかけつつ、刃と馬蹄をもって住民らを一方的に脅かし、村の外へ外へと追い立ててゆく。


 道をさえぎる者、抵抗を示す者などは、容赦なく殺戮した。


 その作戦中である。ホートは、独断で本隊を離れ、部下らとともに村はずれへ向かった。


 目的はいうまでもなく、略奪。


 帝国軍において、戦場以外での暴行殺害や略奪行為は、軍律の上では厳しく禁じられているが、これは建前にすぎない。


 軍隊の末端ともなると、多くの場合、作戦中のそうした狼藉は黙認され、とくに罪に問われることもなかった。


(……ようやく状況が見えてきたな)


 ヤタローは、憮然たる面持ちで、ホートの説明を聞いていた。






     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

トンネルを抜けると、そこは農地だった。(LV93ハーヴェスト)

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